第9話 〜闇の姿をとらえし者〜
まだ日の昇らない暗い時間。シゾンタニアを囲む崖の道の中。そこはけわしく、一般人が踏み入るような場所ではない。雨の降りしきるそんな場所を、ふらふらしながら出歩く1人の男がいた。
「おっさんには堪えるな、この道は。」
深いため息をつきながら彼、レイヴンは崖岩にもたれかかるようにして崖の上に視線をやった。メルゾムに仕事を任されてから数日、彼の望むものは何も手に入らない。近くで魔物騒ぎは起きるは。雨は降るは。ただでさえ簡単ではない仕事だ。老い始めた身体には少なからず負担がかかるものだ。そんな愚痴っぽい事を考えていた時だった。突如彼の視界に入ったひとつの影。それは人の形を宿し、町へと続く橋の上をかけて行った。
「こんな時間になんだ?」
その光景に感じた不穏な何か。レイヴンはすかさず、崖下からその後を追いかけた。その先で彼が見たのは、血にまみれた鎧をまとった者と、その相手のやりとりの一部だった。
「ほ、本当です!魔術を使おうとしたら、いきなり魔導器が爆発したんです!」
驚きのあまりなのか、切羽詰まった様子で相手に話す鎧の男。彼が発した物騒な言葉に、レイヴンの目が思わず大きくなる。
(魔導器が爆発!?アレクセイ親衛隊?相手は誰だ?…くそっ!)
見覚えのあるその鎧の色は、帝国騎士団団長であるアレクセイの部下のもの。そんな人物がこの辺境に現れることにも疑問はあるが、今はそれよりも、そのような重要な報告を受けている相手を探りたかった。だが、今のレイヴンの立つ場所からでは、その相手は全くといいほど見えない。彼は急いでその場を立ち去り、気配を消して上へ続く道を進んだ。よりはっきりとその相手を視認するために。しかし、彼が向かった先には思わぬ先客がいたのだった。岩の影に潜み、彼が窺おうとしていた先を見ているひとつの影。それは、静かに近づくレイヴンに気付く様子はない。
「!」
「動くな。」
その影の首筋に光る小刀の刃。低く発したレイヴンの脅し。影は僅かに肩を上下させたが、それきり大人しくなった。だが、影はレイヴンに顔を向けることなく、一瞬で小刀をその手から奪い、逆に彼の首を強く握りしめた。不意打ちともいえる反撃に思うように反撃が出来ず、レイヴンは驚きながら声にならない呻きをあげるしかなかった。だがその時、急激にその力が緩んだ。彼はそれに驚き、咳き込みながら相手の顔を覗き込んだ。
「はれ?あんた確か…!」
そして二度驚き、開いた彼の唇に、その影は人差し指で封をした。
「それではこの報告書、お預かり致します。」
入れ替わるように、先ほどの男の声が小さく聞こえてきた。影とレイヴンは共に、岩陰からそのやりとりに目を向けた。
(何!?)
そしてようやく目にすることが出来た、親衛隊の話し相手。それを目にし、レイヴンは目を丸くし、共にいた影はそのやり取りを見て苛立たしげに歯を食いしばっていた。しかし、それでも黙ってやり取りを見過ごし、男達が去って行ってから、彼らがいた場へと足を運んだ。
「何だか、ややこしいことになっちまってるなぁ。」
困ったような溜息をつき、レイヴンは影―――山吹色の髪の騎士・クレイに話しかけるように呟いた。クレイは苛立ちを隠さず、その美しく整った髪を乱暴に掻いた。
『エアルの力だけでそこまで影響が出るってのも、おかしくない?』
森の奥で見つけた一軒の建物。そこで膨大な書類に囲まれたベッドの上で、目的の人物であるリタ・モルディオは眠っていた。だが、彼女はナイレンの想像とは異なった人物であった。ガリスタから聞いた情報は、気難しい性格の魔導器研究家ということだけ。彼が薦めるくらいである、数十年という長い月日を魔導器のために注ぎ込んだ人物なのだろうと予想していた。しかし、彼らの目の前に現れたのは、せいぜい十代前半のあどけない一人の少女だった。日がようやく顔をのぞかせた、まだ暗い早朝。睡眠の最中に突然訪れたナイレンとシャスティルを泥棒と勘違いし、一度は寝ぼけながらも魔術を発動させて追い払おうとしたが、その攻撃からなんとか逃れたナイレンの相談に、うつらうつらとしながらも耳を傾けている。
『ちょっと待って。シゾンタニア?』
『川上の湖に遺跡があって…』
『ああ。あたし、あそこ調べたことあるわ。』
リタは思い出したように声を上げた。そして首を傾け、ナイレンを見上げながら言葉を続けた。
『でも、あそこの結界魔導器に魔核はなかったわよ。』
『じゃあ、魔導器は動いてないんだよな?』
『そ。それにあそこには、エアルクレーネもなかったと思う…っ!』
リタはそう答えながら、ナイレンに上半身だけで飛び掛かった。その緑の大きな瞳に映っているのは、ナイレンが情報提供の対価に差し出すと言って見せびらかした、金色の小さな魔核のペンダントである。寝ぼけ眼のリタを目覚めさせるほど、彼女にとっては魅力的な物であり、そして彼女をお喋りにさせる道具でもあった。
『エアルクレーネ?』
疑問の声を上げたのは、ナイレンの横で話を聞いていたシャスティルである。ペンダントを掴もうとし、まるでナイレンにねこじゃらしで遊ばれているようになってしまっているリタは、ベッドの上で伏せた格好から、上目遣いでシャスティルを見つめながらその質問に答えた。
『エアルの発生する泉みたいなもん。ま、エアルは大地に流れてるからどこにでもあるんだけど、特に噴き出す場所ってのがあるの。』
そしてそこまで話した後で、リタは手を顎に当て、独り言のように淡々と言葉を続けた。
『でも今、エアルが大量に発生してるってことは、誰かが魔導器に魔核を入れて作動させたのかも。そしてそれが暴走して、エアルが噴出してる…とかね。魔導器は様々な動力になる便利なものだけど、使い方間違えると危険なものにも変わるわよ。』
彼女はそう言い、肩をすくめていた。
(魔導器の暴走、か…。)
あれからすぐ、クレイはナイレンの自室に戻り、そして顎に手を当てて真顔でその話を聞いていた。その話をしたナイレンは、クレイから手渡された紙切れに目を通し、瞳を細めている。
(あんまし驚かないんだな?まさか、予想できてたっていうのか?)
「いや、別にそういうわけじゃねえよ。」
思っていたよりも静かなナイレンの反応。それを疑問に思っていたその時、ナイレンの口から出た言葉は、クレイの疑問に答えるものだった。クレイは口を動かさなかったし、もちろん言葉など発していない。だが、ナイレンにはクレイの言いたい事は伝わっていた。そしてまた、クレイもナイレンが何を想ってそう言ったのか、瞬時に理解していた。血の繋がりは無くとも、十年もの年月を共に過ごした家族だ。互いが何を抱えて生きてきたのか知っているからこそ、言葉が無くても意思の疎通が可能になっていた。
「ただ、可能性は聞いてたからな、リタ・モルディオから。だから、だろ。」
ナイレンは妙な溜息をつきながら、クレイにそう言った。
『調べるなら急いだ方がいいんじゃない?魔導器が暴走したら、遺跡どころか町まで巻き込んじゃうかもよ?魔導器には町を守る力がある。だったらその逆も、あると思わない?』
ナイレンの頭の中で蘇る、少女の冗談とも思えぬ言葉。クレイが持ってきた報告で、それが現実に起こると認識できた。彼女の言うとおり、あまりのんびりはしていられないだろう。
「クレイ。」
呟くように自分を呼ぶ声に、クレイは顔を上げた。テーブルを挟み、椅子に腰掛けながら、ナイレンはボーっと自身の組んだ両手を見つめていた。
「この一件、思った以上に面倒なことになってるな。」
そう呟く彼の声に元気は無い。
(…何かあったのか?らしくない。)
そう思ったクレイは首を傾げ、ナイレンの右腕を軽く叩いた。ナイレンは首をゆっくり動かし、クレイの瞳を真っ直ぐ見つめ、そして苦笑した。
「…いや。守りてぇなって思っただけさ。お前たちや、この町の連中を。」
その言葉を聞き、クレイははっと息を呑み、悲しげに瞳を細めたのだった。
(…出来るさ、親父なら。)
クレイはふっと目を閉じながら心の中で呟き、それから右の拳をナイレンの前にそっと突き出した。その人差し指には、赤い魔核の付いた金色の指輪型の武装魔導器が装備されている。それと似た形の腕輪型の武装魔導器が、ナイレンの右腕に装備されている。それぞれの魔導器の魔核を軽くぶつけ、それから微笑を浮かべた。