第13話 〜出陣〜
書庫から自室に戻ろうと廊下を歩いていたフレン。その表情は、それまでとまた異なった理由により歪んでいた。援軍が来るまで待機を命じた帝国。それに逆らい明日の出動を決めたナイレン。命令違反をして死んでいった父。重なる二人の影。食い違う本部と上司の決定。何を優先とするべきか、彼はその答えを出せないでいた。その迷いを突然、はっと忘れさせる物音が彼の耳に入った。その音の先にいたのは、両手を叩いて音を出したままの様子で彼の姿を捉えていたクレイだった。
「クレイさん?こんな時間にどうし…!?」
明日は早朝から遺跡に向かうというのに、クレイがまだ眠りについていないことを、フレンはまだぎこちない表情で問いかけようとした。だが、それは言葉の途中で衝撃へと変化してしまう。真夜中になり、照明も最低限まで落とされた薄暗い廊下。だが、その中でも見間違うことなく彼の瞳に映ったのは、普段は意識すらした事のなかった―――意識する必要のないほどに隠されていた―――彼女の女性らしい胸部だった。彼もユーリ同様、彼女の事を男性だと思い込んでいたのだろう。驚愕と共に少なからず頬を赤くしたフレンの様子に、クレイは理由など知るわけもなく、ただ首を傾げながらも近づいていった。そして動揺を隠せないでいるフレンの前に立つと、その頭の天辺にチョップを食らわせ、右手をとった。
『お前こそ何してんだよ。顔、ひきつってる。』
不意打ちを食らい怯んでいるフレンの右手に、声を発せないクレイは指で文字をつづった。
「いえ、なんでも…いてっ!」
『何もないならどうして目を逸らす。』
あくまで何もないというフレンに、彼女は再びチョップをして問い詰めた。だが、彼は困ったように言葉を濁すだけで、答えを返そうとはしなかった。一方、クレイも無理に聞き出そうという気はないのか、溜息をひとつ吐くと先ほどまでより穏やかな瞳で彼を見つめた。
『自分がどうすべきか、それを決めるのは命令なんかじゃない。自分が求めているもの、そのために行動したいと思うお前自身の意思だ。』
「え…?」
彼女が紡いだ言葉たちに、フレンは思わず顔をあげ、その意味を問うように声を出した。すると、クレイはふっと笑みを浮かべ、再び指を動かした。
『親父の指示に不満そうだったからな。“明日は好きにしろ。”それだけお前に言いに行くところだった。』
クレイは不敵に微笑むと、彼の掌にそう残して右手を放した。そして今度は頭を優しくポンと叩き、踵を返して暗闇の廊下の向こうに消えていった。未だに迷い続ける後輩を、一人残して…。
ようやく雨のあがった夜の町。ユーリはラピードを連れ出し、先日立ち寄ったパブの近くまで来ていた。坂をのぼったところにある、街を見下ろせるちょっとした高台。ラピードを塀の上にのせ、ユーリは何をするわけでもなく、ただそこでぼんやりと夜風に当たりながら景色を眺めていた。と、その時。パブから具合の悪そうな一人の男とウェイトレスが出てきた。
「大丈夫?」
「俺は、死んだあいつの分まで飲むんだ!」
よほど呑んでいたのか、男は店の脇にある壁に身体を向けて吐いていた。ウェイトレスが彼の背を叩きながら心配の声をかけると、男は背を向けたままそう言った。きっと、先のモンスターの襲撃で亡くなった人を弔う宴でも開かれているのだろう。
「飲みなおしだ!」
「もう帰りなさいよ。」
吐くだけ吐くと、男はそう言って店へと戻っていた。ウェイトレスが呆れたような声をあげても、お構いなしのようだった。そのやり取りを終始見ていたユーリ。隣にいるラピードも同様だったが、彼らが店の中へ戻ったのと同時に大きなくしゃみをひとつした。
「帰るか。」
そんなラピードを、ユーリは小さく微笑みながら抱き上げ、そして呟いた。宿舎へ戻ろうとしたその時、彼はふと空を見上げた。そこには雲ひとつない、満天の星空が広がり、シゾンタニアを守る結界のリングが浮かんでいた。危険が予想される明日の任務を控えているとは思えない、あまりにも美しい星空だ。ユーリはそんな夜空を見上げ、静かに目を閉じた。その胸に、明日への決意を抱きながら。
「これより、本部隊は川沿いに進み、湖にある遺跡に入る。目的は遺跡の調査、およびエアルの異常原因の特定と解決にある。帝都からの援軍を待ちたいところだが、事態は急を要する。これ以上エアルの影響をほうっておくと、この町が危険にさらされることになる。町の人は俺達が守る!」
早朝。ナイレン隊は駐屯地の前で整列していた。その数は、隊長であるナイレンを含めても14人しかいない。その中には、先の襲撃で味わった死の恐怖から立ち直ったヒスカとシャスティル、状況を理解しながらもまだ戸惑い続けているフレン、そして今回の任務に最も闘志を燃やすユーリがいた。それぞれが武器を装備し、緊張した面持ちでナイレンの話を聞いていた。
「…ええと…じゃ、行こっか。」
彼らは、そんなナイレンの気の抜けた指示で出陣した。ナイレンを先頭に、その後ろにユルギスとクレイ、そしてエルヴィンらがついて町の中を歩いていく。
「ユーリ。」
そして門の前の広間に出たところで、ナイレンの足が止まった。彼はユーリを呼びながら、別の一人の人物へと視線を向けていた。そこにいたのは、ぬいぐるみを抱えたままこちらを見つめていたエマだった。
「何だよ、どうした?こんな朝っぱらから。」
それに気がついたユーリは、優しく笑いかけながら彼女に歩み寄った。そして視線を合わせるようにしゃがむと、頭をなでながら問いかけた。だがエマの顔は、どこか不安そうにしていた。
「お兄ちゃんたち危ないとこ行くの?」
「ったく、どっから聞いたんだ?大丈夫、兄ちゃん強いの知ってんだろ?」
ぽつりと呟くように出た、エマの不安の正体。それを聞いたユーリは苦笑するように短く肩をすくめると、彼女の不安を払おうとそう笑って言った。だが、それでもエマに笑顔は返らない。加えて、ユーリは彼女の向こう側に、同じような表情の人々がいるのに気がついた。立ちあがり、いつの間にか集まっていた町の人々へと一度視線を向けるも、ユーリは対処に困ったようにナイレンを呼んだ。すると、ユーリへと背を向けて立っていた彼は溜息と共に肩をすくめ、ユーリとバトンタッチするように人々の前へと出た。
「何だよ、辛気臭ぇ面そろえて。少しの間町をあけるが、結界の外には出ないで待っててくれな。いつもの生活に戻るまで、もうちょっと辛抱してくれ。…行くぞ。」
ナイレンを慕い、同時に心配して見送りに出てきた町の人々。そんな彼らに、ナイレンはいつもの調子で笑いかけた。そしてその様子を見守っていたユルギス達を引き連れ、再び歩きだした。その時、フレンはその広い背中に、一瞬父親の影を重ねてしまった。それを振り払うように、彼もまた、仲間達と共に歩き出す。ただその胸中に、迷いを抱えて。
「あ〜あ、相手の規模もわからんのに無茶しますなぁ。」
一方、一行の出陣を町の外から見送る集団がいた。橋の見える、町からそう離れていない崖の上。そこにレイヴンとメルゾムらギルドの連中がいた。
「わざわざ忠告してやったってのに、ナイレンの野郎…。まぁ奴らに貸しを作るってのも悪くねぇ。」
「本心で?」
メルゾムは髭の生えた顎へと手を当て、考えるように呟いた。それをレイヴンは、首だけをくるりと彼へ向けて窺うような口調で聞いた。すると、メルゾムはどこか図星を突かれたように苛立ち、キッと睨むような表情で彼に怒鳴りつけた。
「てめぇはドンに報告するんだろ!とっとと失せろ!」
「へいへ〜い!じゃ、ご無事で。」
メルゾムは威嚇するように片足をドンと踏みならし、傍らで片膝をついていたレイヴンはそこから飛び退くようにひとつ下の岩場へと移った。だがそれでも顔色一つ変えず、飄々とした態度で軽く礼をすると、腕を組みそっぽを向くメルゾムの元から軽い足取りで崖を降りて去って行った。