第18話 〜そして、託されしもの〜
崩壊へのカウントダウンが進む中、ユーリがクレイたちのもとへとたどり着いた。残るはフレンと、シャスティルを背負うナイレンのみだった。だがその時、魔導器を囲うように四方八方で爆発が起こった。それはユーリ達とフレン達の間にも起き、爆発によって発生した煙が視界を遮る。彼らの身を案じて緊張が走る中、その姿が再び現れた。フレンが、そしてわずかに遅れてナイレンとシャスティルが。
だが、そのわずかな時の差が彼らの命運を分けた。
煙をかき分け現れたフレンは、何かに躓いたようにその場に転げた。それは、突如崩れた足場にバランスを崩したためであった。ユーリ達の目の前で、彼を転ばした足場はナイレンとシャスティルを道連れに沈み始めた。
「ユーーリィイイイ!!!」
まさに一瞬の判断だったに違いない。沈みゆく地面を強く踏みしめ、ナイレンは動かぬ少女の身体を、その目に映った少年の名を叫びながら高く投げ飛ばした。それに思わず、ユーリは手にしていた剣を落としてその身体を受け止め、彼自身もその勢いと共にしりもちをついて倒れた。
「シャスティル?シャスティル!!」
「大丈夫、息してる!」
そんな彼の元へ、姉の身を案じたヒスカが駆け寄る。そんな彼女へシャスティルを預け、ユーリは崩れた床下を覗き込んだ。
「隊長!」
そしてそこにいるナイレンを呼び、息を呑んだ。彼の姿はもう小さくなっていて、沈んだ先でいくらか落ちついている足場で、苦笑いを浮かべてユーリを見上げていた。
「手ぇ出せ…うおっ!?」
だが、それでもまだ望みを捨ててはいなかった。今ならまだ助けだせる距離間が両者にあり、ユーリは身を乗り出して手を差し伸べた。だが勢いに任せて手を伸ばしたことでバランスを崩し、上半身を危うく下へと落下させてしまう。
「俺らが抑えっから!」
それをフレンと共に引き留めたエルヴィンが、そう言ってアックスをユーリに手渡した。
「今、助ける!今…くそっ!」
2人に支えられ、ユーリはアックスの柄をナイレンへと伸ばした。
「無理だ。行け……。」
「うっせぇ!!手ぇ出せっつってんだよ。」
「もう、動けねぇんだよ。」
だが、そんな彼らにナイレンが告げるのは、静かな諦めだった。必死のユーリがその言葉に憤慨するように返すが、ナイレンは静かに言いながら左腕を上げて見せるだけだった。そこはメルゾムと再会した時に、フレンを助けて負った傷が残る場所だった。鎧の下に隠されたそこは、すでに血を吸い上げて変色し、広がっていた。その様子にフレンは思わず息を呑む。だが、ユーリはそんな事情など気にとめなかった―――いや、それ以上に必死になっていた。
「んなもん治せる!手ぇ出せ!」
「ユーリ。」
「全然届かねぇ!!なんか他にねえのかよ!?」
「ユーリ。」
ナイレンに、自分の身体を支えている仲間に、焦るあまりなのか、彼は子どものように喚き、足掻いた。だがそんな彼に、ナイレンは父親の如く静かに呼び掛け、自分と向き合わせた。ユーリの瞳は見開かれていたが、まるで見たくない現実と向き合わされようとしているようでもあった。
「わかってんだろ?助かるもんを助けてくれ。」
手を伸ばせば触れることができる。そう思わずにいられないほど、彼の言葉は静かでありがら、ユーリの中にしっかりと響いた。だが、それは現実ではない。ナイレンは、もう手の届かない場所にいる。それを理解した時、少年の瞳は現実にわずかに怯え、揺れた。その身を起こして下を覗き込む事しか、今の彼に、ナイレンのためにできることはない。
「クレイ、何を!?」
その時だった。それまでメルゾムの隣で彼らの様子を見守っていたクレイが、突然動き出した。そして驚くメルゾムやフレン達の前で、彼女はその身をナイレンの元へと、何一つ躊躇いなく投げた。だが
「バカやろう!何やってんだ!?」
寸でのところで、ユーリがその手をとった。彼女の身体は宙でぶら下がり、だが藍色の瞳はなおも、クレイの行動に目を丸くしているナイレンへと向けられていた。
「…の、バカ親父!!!」
そして、ユーリ達が彼女を引き上げようとした、その瞬間だった。彼らの耳に、これまで一度も聞いたことのない声が聞こえた。ユーリやフレン、ヒスカ、メルゾム、そしてナイレンは思わず息を呑み、握りしめている手を震わせている彼女に視線を向けた。
「お前、声が…!」
驚きのあまり続いたわずかな沈黙。それを破ったのは、ナイレンの驚愕に満ちた呟きだった。そして、その呟きが合図であったかのように、取り戻したばかりの声で、彼女は養父に向かって叫んだ。
「…独りにするなよ。目の前で家族が死ぬのは、もうこりごりなんだよ!!」
言葉には怒りを、声には涙をのせ、それはナイレンのもとへと届けられた。刹那、それまで出すことのなかった、少しばかり悲痛な表情をナイレンは浮かべた。しかし、一度俯き、再び顔を上げた時には、その表情は胸の奥へとしまいこまれていた。
「もうガキじゃねぇんだ。それに、仲間もいる。一人でもやっていけるだろ?」
「けど…!」
「それにな、こんな形でお前を死なせちまったら、お前の両親に顔合わせらんねぇだろ?」
まるで冗談のような、しかし決して冗談に聞こえない、そんなナイレンの発言に、クレイは言葉を失った。そのまま気力を失ったように静かになった彼女を、ユーリ達は奥歯を噛みしめながら引き上げた。それを見届けながら、ナイレンは自身の魔導器へと手を伸ばした。
「持ってけ。」
そして短い言葉と共に、それは投げられた。それらを受け取ったのは、ユーリだった。左手にしっかりとそれを握りしめ、何も言うことなく、ただ彼はナイレンの姿を見つめていた。
「フレン、皆を頼む。」
それから隣に立つ、自分の持ち物を握りしめるもう一人の少年に、ナイレンは視線を向けた。
「お前はいい騎士になれ。親父さんを超えろ。」
何も口にできないで自分を見つめるフレンに、彼は口元に微笑みを携えて言った。それはまるで最後の言葉のようで、迫る永久の別れを静かに告げているようだった。
「嫌だ!隊長!隊長ー!!」
受け止めるには大きすぎる喪失。それに耐えきれず、ヒスカは少年たちの横に並び、泣き叫んだ。そんな彼女とは対照的に、ナイレンの表情は穏やかだった。
「…行け。」
「…あばよ。」
そして彼は目を伏せながら、静かに別れを告げた。悲しみをこらえ、メルゾムが背を向けながら別れを告げれば、他の者たちが黙って彼に続いた。ユーリも泣き崩れてしまいそうなヒスカを支え、そこから離れて行った。
「親父!」
その中でただ一人。地面に伏せ、よりナイレンを近くで呼んだ。それに顔を上げれば、切なさの浮かぶ表情で、クレイの静かな笑みが目に映った。
「…ありがとう。あんたの娘になれて、良かった。」
それが、彼が最後に見て、聞いたものだった。
水面が激しく揺れている。遺跡の方から大きな爆発音が響く。それは最初のひとつをきっかけに次々と聞こえ、橋の方へと迫っていた。茜色に染まる空の下で、ユルギスは突入班の帰りを、急変した状況に焦りを感じつつも待っていた。術式の限界を迎え、魔導器は装備していた右腕の防具と共に投げ捨てた。共に残った仲間を守るためには、一刻も早くここから遠ざかるべきだろう。だがそうすることなく、彼は仲間の帰還を思い続けた。
「副隊長、あれを!」
その時、デヴィッドが遺跡の方を指さした。振り返れば、こちらへと駆けてくる突入班とギルドの面々が見える。だがそこに一人、たった一人だけ、いくら目を凝らしても見えない姿があった。何があったのか、ユルギスは問いかけようと口を開いた。だが、それは思わぬ人物からの声で妨げられることになる。
「説明はあとだ!急いで退避するぞ!」
初めて聞いた彼女の声に驚きながらも、ユルギスは異を唱えなかった。合流した彼らは、崩壊を止めない遺跡から急いで逃げた。それを追いかけるように崩れて行く橋を渡り終えると、彼らの目に驚くべき光景が映った。古城であったその遺跡は崩壊によって建物の半分ほど上が傾き、赤いエアルの光がその隙間から輝きを見せ、遠目からは、まるで巨大な怪物のようになっていた。そしてその開口部から濃密に圧縮されたエアルの塊が吐き出され、空へと解き放たれた。エアルは巨大な赤い衝撃波のように駆け抜け、一行を通り過ぎ、シゾンタニアの町を守る結界魔導器によって弾け飛んだ。それが怪物の最後の一撃であり、結界魔導器の最後の仕事となった。
そして辺りが静かになると、ユルギスはここにいない人の最期を、その娘の口から聞かされた。
仲間に想いを託し、崩れゆく天井の下敷きとなったことを。
その最期の表情は、穏やかな笑みで満ちていたことを…。