第19話 〜託された正義〜
「ん…」
小さな呻き声を上げ、閉じられていた瞳がゆっくりと開けられた。目覚めたシャスティルの目に最初に映ったのは、心配そうに自分を見つめる、自分と同じ顔だった。
「良かった。シャスティル。」
ヒスカのほっとした声を聞き、シャスティルは双子の膝の上からゆっくりと起き上がった。途端に、腹部に鈍い痛みを覚え、思わず声を漏らしてしまう。痛みを感じた部位に手をあて、何があったのか考える。そして思い出したのは、遺跡の奥で見つけた魔導器が止まったと同時に部屋が大きく揺れ、自分は爆発で吹き飛んできたパイプのような部品で腹を強打して意識を失ってしまった、ということ。
「助かったんだ?」
「うん。終わったよ。」
ポツリと確認するように呟けば、ヒスカが穏やかな声色で肯定した。
「お、気がついたか?」
少し離れたところからユーリの声がし、シャスティルはそちらに視線を向けた。そしてゆっくりと周囲を見回してみると、夕暮れの下に共に潜入した仲間たちも、遺跡の外で援護に回っていた仲間たちも、ギルドの連中以外、ナイレン隊の皆が近くにいた。
「あれ?隊長は?」
だがその時、彼女は一人足りないことに気がついた。遺跡の様子を見にどこかへ行っているのだろうか?最初はそう思った。しかし、次第に周囲の空気がそうではないことを示しているのに気がつく。ヒスカに目を向けると、泣きはらした後のように目が赤くはれていた。
「フレン、隊長どこ!?」
胸がざわつく。
彼女は後輩に居所を尋ねた。しかし、彼は黙ってうつむいたまま、直接その問いに答えなかった。強く握り締める手の中には、見覚えのある剣があった。
「クレイさま!」
まさか…。
双子のそばで静かに黄昏ているクレイに視線を移す。ボーっと空に向けられていた藍色の瞳は、静かに彼女のほうに向けられ、そして地面へと移動する。何も語らない。しかし、その表情は重く、暗かった。
「ユーリ…!」
嘘だと言って欲しい。
彼女の声は今にも泣きそうで、すがるようにユーリを見た。ユーリは、今まで見せたことがないのではないかと思うほどの悲しい微笑を浮かべて、そんな彼女を見つめて言った。
「隊長、格好良かったぜ?」
「あぁああああああ!!」
一度はひいた悲しみの波。だがそれは、ユーリの言葉を引き金に、再びヒスカを襲った。ユルギスやエルヴィン、他の隊員たちも、彼女の泣き声と共に涙を流していた。
「やぁああああああ!!」
気絶していた間に起きた大きな喪失。受け入れるのが困難だというように、シャスティルは首を横に振った。そして、とうとう耐えきれずに大きな涙を瞳からこぼし、両手で顔を覆った。その時、そんな彼らの周囲を、緑色のエアルが漂い出した。それはエアルの濃度が正常に戻った証。だが、今のユーリ達にとって、それはそれ以上の意味を持っているように感じられた。隊長の命と引き換えに手にした平穏。言わば、緑の粒子はナイレンそのものであった。赤い粒子とは違い、それは穏やかに包み込むように、彼らの周囲からあふれ出ていた。ユーリはナイレンの眠るすでに原形をとどめていない古城を見つめ、フレンは預けられたまま返すことのなかった剣を持ちあげた。もう、父に似たあの背中を感じることはできない。残されたその剣が、その代わりであるようにとても重たく感じた。
ナイレン・フェドロックの葬儀は、それから数日もしないうちに取り行われた。
「形式とはいえ、何も入ってないのにな…。」
そう呟くユーリは、執務室でフレンと2人で棺桶を見つめていた。そこに本来入るべき人物の代わりに、中は遺品で埋められている。そしてそこへ、普段は着崩している襟元をしっかりと閉めたユーリの手で、今は共にいるのだろうか、先に逝った家族との思い出の写真も収められた。
「隊長、任務を優先して家族を守れなかったんだってさ。お前の親父さんを尊敬してるって言ってたぞ。」
あの日の夜に聞いた話。直接フレンの耳に入ることのなかったそれを、ユーリは静かに語った。それを聞いたフレンの青い瞳は、写真の中のナイレンを見つめ、揺れていた。
「なんだ、まだ終わってないのか?現場を保持しろとの命令が下っていただろう。アレクセイ閣下から預かる隊に手傷を負わせおって。」
だが、そんな悲しみの中に、無粋に立ち入る者が現れた。それは、フレンが帝都で一度出会った騎士団長の部下グラダナであった。兜を脱ぎながら部屋に入ってくるなり彼が口にしたのは、その場にいた2人と、もうここにはいない部屋の主への文句だった。
「無能め。町の人間を救ったヒーローにでもなったつもりか?こんな隊長の下では…貴様ぁあ!?」
「ユーリ!駄目だユーリ!!」
「なんだてめぇ!!今頃ノコノコと!!」
「貴様ぁ……歯ぁっ!!?」
ズカズカと歩み寄り、誰もいない棺桶に向かってグラダナは好き放題言い続けた。それを黙って見ていることが出来ない者が、すぐ隣にいることなど知らずに。頭に血をのぼらせ、ユーリはグラダナの顔面を強く殴りつけた。慌ててフレンが怒りを堪え抑えにかかるが、ユーリの気が収まることはない。殴られた衝撃で床に転がったグラダナを睨みつけ、怒りにまかせて声を荒げる。一方グラダナも、殴られた顔を抑えてうめき声を上げるが、その目に折れた自分の歯を映りまた別の意味で声をあげた。そこへユルギス、クレイ、エルヴィン、クリスの4人が現れると、グラダナは立ち上がり、彼らにユーリがしでかしたことを指しながら無言で訴えた。
「棺を運びます。お前達も手伝え。」
だが、ユルギスはそれに眉をしかめるだけで、それ以上何も言わずに作業に取り掛かった。2人の後輩に声をかけ、棺の蓋を閉じ封をしていく。そしてクレイの手で棺の上に残された剣が置かれ、その上に赤い布をかけて覆われた。
「なんだ、この隊は!?」
彼らは憤慨するグラダナに目をかけることなく、黙って軽い棺を部屋から運び出して行った。先を歩くユルギスとクレイに続いて廊下をゆっくりと進み、駐屯地の入り口へと出た。そこにはナイレン隊のメンバーだけではなく、シゾンタニアの住人で溢れていた。彼らは棺を運ぶ6人が通る道の両脇に立ち、そして馬車につまれたそれの横に、最後の別れに、白い花を一輪ずつ備えていく。
「隊長が死んで、何も残らなかったなんて思うか?ここにいる皆が生きてるんだ。だろ?死んだお前の親父さんが何も残さなかったなんてこと、絶対にない!」
それは、先ほど遺品の整理の最中にした話の続きなのだろうか。ユーリはその光景を眺めながら、フレンに言った。その言葉と目の前の光景に、フレンの目から涙があふれ落ちた。今まで不名誉な死を遂げたと思っていた父に対し、彼もまた、自分の想うもののために、自分の信じる正義に殉じたのだと、ようやくフレンは知った。
「帝国騎士団ナイレン・フェドロック隊長に敬礼!」
ユルギスの声が駐屯地に響く。ナイレン隊は開かれた道の両端に別れて整列し、彼の声に合わせて敬礼する。そしてナイレンのいない棺を乗せた馬車は、町の人々に見守られる中、ゆっくりと走り出した。やがて馬車の姿は見えなくなり、フレンとユーリは、静かに手を下げた。悲しみの余韻に集まった皆が浸る中、その時、フレンはふとあるものに偶然視線を向けた。だが、それは彼にとって引き金となり、記憶の中に散りばめられたピースがひとつの形を瞬時に成していった。
「ユーリ…まだ終わってない……。」
「え…?」
ポツリと呟かれた彼の言葉に、ユーリはきょとんとフレンの顔を見た。そこにあったのは、静かに怒りを宿した青い双眸だった。
葬儀を終え、ガリスタは荷物の整理をしていた。結界魔導器が動かなくなった今、帝国はこの町を放棄するだろう。いずれ、自分たちもこの町から去ることになるはずだ。書庫の奥にある部屋から戻ると、そんなことを考えていた彼の目に、そこにあるはずのないものが映った。それは古城の遺跡の最深部、例の巨大魔導器を置いていた部屋にいくつも仕掛けていたうちのひとつ、破損した魔核だった。
「遺跡の中に仕掛けてありました。あなたしか使用しないタイプの魔核です。」
その存在にわずかに顔を歪めれば、タイミングを計ったように声がした。視線だけをそちらへ向ければ、若い2人の騎士がそこに立っていた。
「何のためにあんなことを!町を破壊するつもりだったのですか?」
静かに耳を傾けていれば、そのうちの片方―――フレン・シーフォの低い、怒りのこもった声が向けられた。遺跡の調査に行く前夜にガリスタと話した書庫で見た、巨大魔導器の縮小模型。出発前に知らされる事のなかった魔導器の暴発。2人きりの会話の後にユルギスが見せた驚愕の表情。巨大魔導器と遺跡の中に仕掛けられていた楕円系の魔核。それと同じ魔核を持つ魔導器を、長袖のコートの下、右手首に隠れるように身に着けているガリスタ。彼の記憶に散りばめられた数々のピース。それらが作り上げた事件の犯人像は、この男が黒幕だと教えてくれた。
「まさか。あの遺跡は、新たな魔導器の実験場だったのですよ。」
「新たな魔導器!?」
フレンの問いかけに、ガリスタは白をきることなどなかった。だが、町を破壊するなんてとんでもない、まるで悪意はない、そう言うように彼は2人へと向き直り、顔をしかめるフレンに言葉を続けた。
「そうです。エアルをコントロールし、魔導器を制御すること。我々は、エアルが結晶化した魔核を発掘でしか入手できません。自らの手で魔核に代わる物を作り出せれば、魔物を恐れることなく、更なる繁栄を遂げることができる。」
「その魔導器が暴走し、あなたは全てを、部隊共々葬り去ろうとした!」
「今の我々は、通常の魔導器さえ完全にはコントロールできていません。」
「そのおかげで、証拠の魔核を持ち帰ることができました。」
その一言に、ガリスタは気分を害したように顔をしかめた。
「ある程度成果を得た実験もあったのですよ。もちろん犠牲者は出ましたが。」
次の瞬間、彼が口にしたのは、一見今回の騒動と何の因果があるのかと思われる奇妙な報告だった。だがそれを耳にした途端、フレンは思い当たる節があるのか、視線を下げ記憶を辿った。
「まさか…!」
思い浮かぶのは、遠い子どもの頃。帝都下町で起きたとある事件。そこに住む人々と、尊敬していた父を失った、フレンにとって辛かった記憶。
「お気の毒でした。」
推測を確信に変えるように、ガリスタは静かに目を伏せた。挑発のつもりだったのか、それは2人にさらなる憎悪を抱かせた。