第7話 〜黄昏に流れ来る暗雲〜
フレンが帝都へ、ナイレンとシャスティルが魔導士リタ=モルディオの元に向かって出かけて、しばらく日が経った。シゾンタニアの町に残った隊士達はそれぞれの職務へ、または空いた時間を有意義に過ごしていた。宿舎の中庭では、木陰でランバートとラピードが昼寝休憩をしている。その近くで聞こえる木刀同士がぶつかり合う音。そしてそのうちの一本が宙へ投げ出され、相手方の木刀がもう一方の首筋横を捕らえた。その直後、ユーリは詰まらなさそうな表情でヒスカを見た。
「なあ、訓練より森の魔物を一匹でも倒すほうがよっぽどいいんじゃねぇのか?」
カランと音を立て、ヒスカの木刀が地面に落ちる。ユーリは手にしている木刀を一回転させて肩に担ぎ、これまた詰まらなさそうに口にした。
「だから、それは帝都の援軍が来てからでしょ?」
そんな彼に手を焼くヒスカ。いろんな意味でシャスティルと変わりたい、彼女はきっとそう思っているだろう。後輩を叱る以外に、彼女の口から出てくるのはため息ばかりだった。
そんな和んだ空気は、一瞬のうちにして消え去った。
宿舎を全速で駆ける足音。それに気づいた時には、ランバートはすでに顔を上げて音のするほうへ顔を向けていた。そしてその足音が近づいてきたかと思うと、バンと勢いよく中庭への戸が開けられ、隊員の1人がただ事ならぬ表情を浮かべて現れた。
「どうかしたの?」
「魔物が攻めてきた!それも、町のすぐそばまでだ!」
ヒスカが尋ねたのと、その隊員が叫んだのはほぼ同時だった。整い切れていない息をしながら、彼は一気に緊急事態を二人に告げる。ユーリとヒスカは顔を見合せ、急いでその隊員の後に続いて中庭を出た。その後ろから、ラピードに大人しくしているよう言いつけたランバートが走ってくる。彼らはそのまま弾丸のように宿舎を飛び出し、町の門まで一気に駆け抜けた。そして橋の上まで来た時、彼らの目に映ったのは、今までに相手してきたような獣の魔物ではなかった。それは、まるで触手のようなクリーチャーで、まるで町にまで手を出そうというようにこちらに伸びてくる。しかし、町を守る結界がそれを阻み、ユーリ達の目の前で弾かれた。
「あんなの見たことねぇぞ!」
「町は結界が守ってくれる。早く!」
2人は驚きながらも、一刻も早く橋の向こう側まで駆け抜けていく。そこでは馬車が襲われ、先に着いていたユルギス達が人々を避難させながら応戦していた。
「町まで走れ!」
そう指揮を執り、馬車から女性を助けだしていたユルギスの目の前でクリーチャーが馬車を掻っ攫っていった。荷車に繋がれたままの馬は悲鳴をあげ、馬車はそのまま崖に叩きつけられた。尚も遅いかかってくる魔物たちに、騎士たちは剣や魔導器を向け、人々を町へ退避させることに必死だった。現場に着いたユーリ達もその中に加わり、ヒスカは人々の誘導に、ランバートとユーリは迫ってくるウルフ達に向かって行った。一体目を正面から斬りつけ、空中で剣をまわして掴むと同時に身体をひねらせながら二体目の胴を裂き、そのまま宙で回転しながら三体目を上から突き刺し、着地と同時に四体目の腹を突き払う。流れるような彼の剣技。そして果敢に立ち向かっていくランバートの牙に、魔物は次々と倒れて行った。
「エルヴィン、引くぞ!ユーリ、もういいぞ。下がれ!」
ユルギスが声を上げた、次の瞬間だった。彼の支えていた女性が、はっとした表情で口を開いた。
「馬車に娘が…!エマ、エマーーーーっ!!」
そう叫ぶ女性の目に映ったのは、先ほどクリーチャーに襲われた馬車の中ですくんでいる幼い少女だった。しかも、その子の目の前には、クリーチャーとウルフ達が群がっていた。
「だぁああああっ!!」
そのクリーチャーが今にも少女に襲いかかろうとした刹那、ユーリは剣を投げ、それが敵を貫き、怯ませることに成功した。彼はその隙を逃さずに、ランバートと共にその場へ飛び込み、剣を掴むと同時に一閃させ、残りの魔物を一気に退治した。
「ママのとこ行くぜ?ランバート、先行け!」
助け出したエマに、ユーリは優しく微笑みかけた。そんな彼らの元に、森から魔物が群がってくる。ユーリは彼女を抱えると、ランバートが切り開く道を一気に駆け抜けて行った。しかし、ランバートだけでは魔物は振り切れない。2人がウルフ達に囲まれようとした、その時だった。矢の雨が降り注ぎ、彼らを襲わんとする魔物たちの動きを止めて行った。思わぬ助けにユーリが視線を向けると、そこには弓を構えた騎士とは違う格好の男たちがいた。
「倒れてる奴は担いでつれてけ!」
重厚感のある声が響き、ギルドの勇ましい男達が次々と加勢に現れた。その中央から現れたのは、向かってくる魔物を棍棒で意図も簡単に振り払い、頼もしい歩みでやってくるメルゾムだ。その斜め後ろには、彼に付き添うようにして歩いているクレイの姿もあった。
「クレイ!?これはどういうことだ!」
その姿を見つけたユルギスが荒い声をあげる。騎士とギルドが良い関係ではないことは目に見えてわかっている。だが、クレイはメルゾムらをこの場へ連れてきた。それが気に入らないというように、鋭い視線でクレイに問う。しかし、クレイはそれ以上の睨みで彼のことを黙らせた。「そんなことを気にしている場合ではない」と叱責するように。
「ママぁ!」
「エマ、エマ!!」
その横で、エマは母の胸の中に駆け、喜びに満ちた瞳でユーリを見つめていた。ユーリは少女に微笑んでみせると、メルゾムのそばへ向かった。
「ユーリ、町まで退避だ!ユーリ!」
母娘をそばで守っているユルギスが指示を出すが、彼はそれに従わない。メルゾムのそばに立つクレイが見つめる中、彼はメルゾムの顔を見ることなく口を開いた。
「どうしたんだ?クレイが手貸せって頼んだのか?」
「こいつはただ、魔物の襲撃を伝えただけだ。頼まれなくとも、自分達の町は自分たちで守るまでよ。」
「いいのかよ。金なんて出ねぇぜ?」
「おめぇのボスに請求してやるよ。」
そう答えたメルゾムに、ユーリとクレイはフッと微笑んだ。その時、生き残った魔物たちが森へと引き上げていった。それを追い、二匹の軍用犬が森の中へと入っていってしまった。
「アルゴス!」
「ショーン!」
「ランバート!」
ユルギスとエルヴィンの声も聞かず、二匹は森へと消えてしまった。その後に続いて、ランバートまでもが森へ向かおうと足を動かした。すかさずユーリが呼びとめると、彼は静かに足を止めた。
「…ランバート?」
そして首だけをこちらに向けたランバート。その瞳に何かを感じ取ったユーリは、訝しげに彼の名を呼んだ。だが、ランバートは何も告げることはなく、彼らに背を向けて駆けだしていった。その姿にわけがわからず茫然としていたユーリだったが、直後、目の前を駆け出した存在に我に返った。
「ランバート、クレイ、待ってって!」
「ユーリ!」
表情を変えて駆け出したクレイ。その後を追い、ユーリも森の中へと入って行った。メルゾムが止めるのも聞かずに。
「ちっ、騎士の奴ら来い!」
「くそっ!エルヴィン、ヒスカ、行くぞ!」
そんな2人に苛立ちを覚えながら、メルゾムもまた、部下を引き連れて森へと駆け出した。ギルドの連中に指示を出されたことが不服なのか、またも勝手に行動を起こしたユーリに対する苛立ちか、ユルギスは舌打ちをしながらも、ヒスカらと共に森へ向かって行った。
「くそっ!魔物のと混じっててわかんねぇ。…ランバートーー!ランバートーー!アルゴーース!」
犬の足に、人が追い付くことは難しかった。彼らはすぐにランバートらに引き離され、危険な森の中をさ迷うこととなった。落ち葉をかき分け、地面に残った足跡からあとを追おうとするものの、それは難しかった。力任せに名を呼んでみるが、返ってくる声も音も何もない。そんな中、ユルギスは一つの異変に気付いた。
「…この前より、エアルが濃くなってる。」
「エアル?これが?」
ユルギスの呟きに、ヒスカはあたりを見回した。森中に漂う、赤い粒子の数々。数日前の魔物退治の時には、このあたりはこうではなかった。同時に、紅葉もかなり町まで近づいていた。
「通常エアルは緑色だが、異常な濃さになると赤く変色するらしい。」
「木が枯れたのも、生き物が凶暴化してんのも、このエアルが原因か?」
ユルギスの言葉に、メルゾムが問いかけた。だが、彼の言葉に返事をするものは誰もいない。騎士団の仕事に、ギルドは関係ない。そうした拒絶を、彼らは沈黙をもってあらわした。
「おい!」
「我々はそう考えている。」
それに対し、痺れを切らしたのはユーリだった。彼の怒声で、ようやくユルギスはその問いに対する答えを口にしたのだった。
「ったく、今更隠してどうなるってんだ。」
「…。」
苛立つユーリに同意するように、クレイが静かに溜息をつく。だが、今は対立している場合ではない。消えたランバートらを求め、再び彼らが動き出した、その時だった。ユーリと共に歩み出したクレイの足が止まり、瞳は鋭く、森の奥へと向けられた。ユーリやメルゾム、ユルギスらは気付いていなかった。草をかき分け、物凄い勢いでこちらに向かってくる“何か”の存在に。
「うわぁあああああ!!親分ーーー!!」
他の皆がそれに気付いた時には、もう遅かった。ギルドの男が1人、突然足元から沈むようにして姿を消した―――いや、“何か”に引きずり込まれていった。悲鳴を上げながら、男の声は彼らの元から一気に遠ざかっていき、そして、断末魔の叫びと血しぶきをあげて………それは途絶えた。
「野郎!!」
「メルゾム!!」
それを目にし、激昂したメルゾム。どこに危険があるかもわからないという状況下に関わらず、彼は部下の元へと走って行ってしまう。そんなメルゾムを追って、ユーリとクレイも他のギルドの男達と共に走り出していった。
「待ちなさい、ユーリ!あいつは、もう!」
「警戒しろ!」
相変わらず上司の命令を聞かない彼に、ヒスカも苛立ちを募らせていた。それでも冷静を保っているのは、すぐ身近に得体の知れぬ危険があるからだろう。ユルギスの警告と共に、彼らも構えながら現場に向かった。そして彼らの目にまず入ったもの、それは赤く染まった大量の葉だった。さっきまで生きていたその男は、血だらけになってそこで息絶えていた。メルゾムは悔しそうに、部下の千切れた血に染まっている衣服の一部を手に取り、そして地面へ叩き捨てた。
「くっそぉっ!こんな危ねぇヤツが町の近くにまで現れるたぁ…」
悪態をつくメルゾムの横で、ユーリは周囲を見回していた。傷口を見る限り、それは獣の所業。これをやった凶悪な敵が、そばをうろついているかもしれない。そんな中を、仲間であるランバート達が駆けている。一刻も早く見つけ出さなければならないだろう。そう思った刹那、彼は遠くに一つの影を見つけた。それは青い毛並みに、鎧を身にまとった見慣れた姿だった。
「ランバート!」
「待て、ユーリ!」
嬉しそうにランバートに駆け寄ろうとしたユーリ。しかし、何故かメルゾムはそれを制した。その上、手にしている棍棒を両手で握り締め、ランバートに向かって構え出す。ユーリはそんな彼を見て、もう一度ランバートへ目を向けてみた。青い体毛の上に鎧をまとい、ユーリ達に顔を向けている見慣れた姿。…だが、その双眸は赤い光を放ち、口からは赤い液体が滴っていた。