第12話 〜フレンの迷い〜
『シゾンタニア部隊、フレン・シーフォ。ナイレン・フェドロック隊長の代理として、式典に出席するために参りました。』
帝都に赴いたフレン。帝国騎士団団長アレクセイ・ディノイアの前で彼は膝をつき、ナイレンから与えられたもう一つの任務である要請書を渡していた。
『フェドロックはなぜ来ない?』
だがそれを手にするだけで、アレクセイは目を通そうとはしない。
『その中に、援軍要請の書類が入っております。』
『此度の式典には、隊長クラスは全員出席と伝えたはずだ!』
『ですが、街の近くの森には、エアルの異常により凶暴化した魔物が多数出現しております。どうか、要請書をご覧ください。』
おかしなことに、騎士団長閣下とフレンの話は噛み合っていない。一方が語るは任務地への増援であり、他方が語るは式典への参列である。両者の中にある優先順位の違い。より優先されるのは、地位高きものの意見であった。
『式典のリハーサルは?』
『まもなく開始します。』
『アレクセイ閣下!』
アレクセイは隣に立つ部下へと問い、フレンの、シゾンタニアの、ナイレンの頼みなど歯牙にもかけていない。フレンが懇願するようにその名を叫ぶが、アレクセイは席を立った。
『援軍は式典が終わり次第派遣する。部隊は現場を保持せよ。』
『現場は急迫しています!住民が危険にさらされます!』
アレクセイは身なりを整え、今にも部屋から出ていこうとしていた。それを引き留めるように、フレンは声を上げ続けた。だが、返された言葉は非情なものだった。
『分をわきまえろ!お前は私の命令を、フェドロックに伝えるだけでよい!』
フレンは彼の言う事に、何も言えなくなってしまった。それをいいことに、アレクセイは足をフレンとは反対方向へと向けた。
『早く戻れ。新米騎士ごときが式に出席しても、なんら意味はない。』
彼はその言葉を最後に、フレンに背を向け部屋から姿を消してしまった。そしてフレンがなすすべもなくその場で俯くしかできないでいた、その時だった。
『ん?フレン・シーフォ……ファイナス・シーフォの息子か?』
アレクセイの部下が一人・グラダナ。アレクセイにつき従い共に部屋から出ようとした時、彼は思わぬ名を口にした。フレンは思わず顔をあげ、驚いた顔でグラダナを見つめた。その様子に妙に気を良くした彼は鼻で笑い、膝をついたままのフレンを見下ろしたまま続けた。
『優秀な成績で騎士団に合格したと聞いている。父上も、さぞお喜びになっていることだろう。』
『…父を?』
『君は父上のようなムダ死にはするなよ?騎士団の一員であることを忘れるな。』
父の知り合いに出会えたと思った刹那、彼は地獄のどん底へと落とされた。尊敬していた父の、命令違反者としての消えることのない烙印を見せつけられた瞬間だった。ただ首を垂れることしかできないフレンをその場に残し、グラダナは満足そうに部屋を後にしていった。ナイレンから与えられた任を何一つ遂げることなく帝都を去ることになった屈辱と無力感以外、今のフレンに感じるものは何もない。
『フレン?』
現実を突き付けられ、中庭に出る廊下の端で力なく首を垂れていたフレン。そんな彼の名を、優しく呼ぶ声がした。その主にゆっくりと視線を向けると、ふわりとしたドレスに身を包んだ桃色の髪の少女が彼を見ていた。
『エステリーゼ様?』
『久しぶりですね。』
次期皇帝候補が一人エステリーゼ・シデス・ヒュラッセイン。飾らない純粋な言葉は、それまで闇に彩られていたはずのフレンの心に光を宿して行った。
『わざわざシゾンタニアからご苦労様でした。町の人たちの安全を祈っています。』
『恐れ入ります。』
『今、帝都は微妙な均衡を保っています。耐えねばならぬことが多いと思いますが、辛抱してください。』
日の当たる中庭に出て、2人はゆったりと歩きながら言葉を交わした。言葉使いはその身にあわせたものでも、彼らの間に緊張はない。穏やかで、友のような親しい空気に包まれている。それは彼女が、王女という高貴な身分であってもその地位に溺れることなく、心優しく真に民の平和を望んでいるからなのかもしれない。
『ここに来たのが私でよかった。ユーリなら、アレクセイ閣下を殴っていました。』
彼女と接する事で、少しばかり闇を忘れられたフレン。そしてふと気がつくと、苦笑の混じった呟きをエステリーゼに向かってこぼしていた。自分の怒りに触れたものには容赦をしない、そんな彼を隊長が帝都に派遣しなかったことが、今はある種の救いのように感じられた。万が一そんな事になっていれば、フレンの気苦労は果てしないものであっただろう。
『…ユーリ?どなたです?』
『あ、いえ…。』
聞き覚えのない名に、エステリーゼはその首を傾げた。フレンはそれに答えようとしたが、彼女のそばに寄ってきた衛兵たちの無言の威圧により、その言葉は紡がれることなく終わってしまう。
『それでは、お気をつけて…。』
すると、エステリーゼは悲しげな微笑みを浮かべ、フレンにぺこっと頭を下げ去って行ってしまった。現在、帝都ザーフィアスでは権力を求める二つの勢力がひそかに争っていた。次期皇帝としてエステリーゼを担ぎあげる評議会と、もう一人の候補を担ぎあげる騎士団と。それ故に今、エステリーゼは皇族でありながら軟禁状態にあっていた。自由に他人と話をする時間も、僅かにしか得られないほどに。権力争いの道具とされた彼女もまた、非力な籠の中の一羽の小鳥すぎなかった。フレンはその姿に、今の自分をなんとなく重ね合わせてしまう。力を持っているようで、自分の意志でそれを活用する事ができない。鎖を断ち切る術を探すしかない囚人のように…。
明日の出動を前に、フレンは一人ベッドに転がり、思いにふけっていた。その時、静かな部屋にノックの音が響いた。
「すみませんね、こんな時間に。」
訪れたのは、なんとガリスタだった。彼に呼ばれ、フレンは書庫にある彼の部屋へと通される。
「なんでしょう?」
「座りませんか?」
「あ、いえ。明日早いですし。」
部屋の入り口で立ったままのフレンに、彼は先ほどまでナイレンと話をしていたソファへと誘う。だがフレンがそれを断ると、ガリスタはソファの背に手をついた状態で、彼に話を切り出した。
「納得していないようですね、明日の出動。」
「私の気持ちなど…。騎士団の一員なのですから。」
「私もね、今回のフェドロック隊長には少々困りました。何故わざわざ隊を危険にさらすのでしょうか?」
先ほどの執務室でのやり取りを思い出してのことなのだろう。独り言のようでいて、しっかりフレンへと尋ねられたひとつの問い。彼はガリスタに、その答えを返せなかった。
「私も…本部の命令どおり、援軍が来るまで町を守ることに徹するべきだと思います。」
それは、フレンがガリスタと同様の疑問を抱いていたからだった。しかし彼は、思わず同意をしてしまったあとで、それを口にしてしまった事に対するフォローをしようとするように僅かに焦りを見せた。
「どうやらあなたは、お父様とは違うらしい。」
だが、そんなフレンに返ってきたのは、思いもしなかった穏やかなガリスタの言葉だった。
「以前、お目にかかったことがありましてね。今回のフェドロック隊長の行動が、お父様に似ていると思ったものですから。」
目を丸くして固まったフレンに、ガリスタはゆっくりと言葉を選ぶように告げた。フレンの父親に対する感情や、周囲に対する警戒を和らげるためだろう。だが次の言葉を紡ぐ時には、ガリスタは私情の無い真剣な眼差しを彼へと向けていた。
「しかし、アレクセイ閣下は絶対です。お父様も、フェドロック隊長も命令に従うべきです。フレン・シーフォ、あなたは命令違反とわかっていて行くのですか?」
「一騎士である以上、この町の責任者には従います。全てを納得しているわけではありませんが、隊長の言葉の真意を知りたいという気持ちもあります。失礼します。」
そう答えたフレンの瞳は鋭く、言葉は公務時のように固いものだった。彼は一礼すると書庫から去って行ってしまった。その心中は他人には察し難く、ガリスタもただ、黙って部屋を出る彼の背を見ているしかなかった。
(彼だけは、アレクセイ閣下のよき手足になれたかも知れんのに…。)