第9章 影と真と Z
「…ねえ、カイウス。」
ルビアが呼んだ。
「ガルザの言ってた『冥府の法』って、まさか…」
カイウスを見ながら、強張った顔で言う。その声色も普段の明るいものではなく、畏怖という言葉が似合う、震えの混じったものだった。カイウスはルビアを見つめ、それから落ち着きを取り戻したロインとガルザ、そして眠り続けているティマを一瞥し、真剣な眼差しを持って言葉を返した。
「…まだ確証はない。けど、可能性は十分にある。ただ気になるのは…」
「死んだヒトが本当に生き返ってる。その現場をガルザが見ていて、あたし達も実際に接触してる、ってことね。」
カイウスの言葉を引き継いでルビアは言った。カイウスはコクンと頷く。彼らが過去に出会った『生命の法』とは異なるらしい『冥府の法』というプリセプツ。同じスポットを呼び寄せるものにしても正体が不明である。そしてスポットに―――『生命の法』を巡っての旅に縁のある地・アール山に連れてこられたことに妙な縁があるように思い、彼らは不気味さを感じた。額に嫌な汗が伝うのがわかる。
「ルビア、オレ達に―――ガルザにも応急処置を頼む。ティマを連れて、早いとこ下山しよう。」
それがカイウスの判断だった。このままこの場所にいるのはよくない。しかし、ロイン達は先の戦いの負傷がひどい。先を急ぐ前に少しでも傷を癒す必要がある。ルビアは黙って頷き、ロインとカイウスに所持していたグミを渡し、彼らがそれを口にしている間にガルザに治癒術を施す。その後で、2人にも簡単な治癒術を順番にかけた。完全ではないが、めだった太刀傷はあらかた消えた。少しの無理でも傷口は痛むし、大きいものに関しては再び開いてしまうかもしれないという状態。だが、それ以上を気にかける時間はない。ガルザはロインの手を借りて立ち上がり、そして、4人はティマを玉座から連れ出そうと中央の階段に足をかけた。…その直後だった。鼓膜が破れるかと思うほどの爆音と同時にステンドグラスが割れ、そこから襲い掛かる衝撃と風圧で、4人はその場でたたらを踏んだ。それが止むと、何事かと思い、割れたステンドグラスの方を一斉に見る。そして、目に入った光景に驚愕した。
「ラミー!べディー!」
カイウスが真っ先に2人の姿を確認し、その名を叫んだ。割れたステンドグラスの破片が散らばる中に、2人はひどく傷ついた姿で倒れていた。その周囲には彼らのものと思われる血が点々と、あるいは小さな池のように溜まっている。そんな中で、苦しそうに咳き込むラミーと、うめき声を上げて立ち上がろうとするベディーの顔が見える。
フレアとセイルがそこまで手強い相手だったとでも言うのか!?
カイウスは思わず2人の元へ駆け出した。そんな彼を待っていたのは、思いもしない言葉と襲撃だった。
「カイウス…来るな……!」
「!?」
焦燥に駆られていたとはいえ、油断しているつもりはなかった。なかったのだが、ベディーの警告が飛ぶのとほぼ同時に、カイウスの身体を何かが貫いた。それをよける暇など、まるでなかった。
黒い…槍……?
自分を襲ったモノの正体をそう認識した時には、カイウスの体は左端の階段へと叩きつけられていた。衝撃で階段の地形は変わり、背中から叩きつけられたカイウスはそのまま吐血して倒れてしまった。
「きゃあああ!!」
「カイウス!?」
あっという間にして重傷を負った幼馴染。その動きを目で追うことはできず、一瞬のうちに変わり果てた姿になったカイウスを見て、ルビアは思わず悲鳴を上げた。今にも駆け出していきそうな彼女の腕を、ロインは咄嗟に捕まえた。本当は自分もすぐに駆け寄りたい気分だった。しかし、カイウスが『黒い槍』と認識したそれの正体はわからない。うかつに動けば、彼の二の舞になってしまうだろう。実際、ロインがルビアを捕まえなければ、彼女は考えもなしに突っ込んでいっていただろう。カイウスの右胸下の辺りを貫いている『黒い槍』は、ラミー達が吹き飛ばされて来たステンドグラスの外からピィンと針金みたいにまっすぐ伸びていた。かと思うと、次の瞬間には蛇か何かのようにシュルシュルと戻っていく。カイウスの身体から『黒い槍』が抜ける時、彼はぐぅっ!と苦痛でうめき声を上げた。ルビアが彼の名を叫んで再び駆け寄ろうとするが、ロインはまだその手を離さない。
「なんじゃ?騒々しい鼠どもめが、まだ鳴いておったのか?」
その時、ステンドグラスの外からしゃがれた声がした。新たな人物の登場に、ロインはルビアを自分の背にかばい、剣の柄に手を回した。足音と共に、衣服のすれる音が近づいてくる。その主が宮殿内に足を踏み入れたと同時に、ドサッと何かが落ちる音がした。そちらに目を向けると、血にまみれ、腕か脚がおかしな方向に曲がっている2人の騎士の姿が目に入った。フレアとセイルだ。それを目撃した刹那、ガルザの目の色が変わった。そしてその目は、そのまま彼らの傍に立つ人物へと向けられた。
「な、にを…一体これは?どういうことですか!?バキラ様!!」
「鼠を狩れぬ猫か。騒々しい…ぬ?同胞のニオイが消えておるの。」
清楚な司祭の服を纏っている老司祭バキラ。しかし、その発言や表情からは、命を尊ぶ様子が全く見受けられない。スディアナの城で出会った時の彼とは、天と地ほどの違いがあった。そんなバキラへ、キッと鋭い視線と一つの武器が向けられた。
「大司祭バキラ!あなたは何者?これは、全てあなたの企みなの?」
緑の瞳に怒りをのせ、ルビアが一気に問い質す。返答しだいではすぐにでも術を放ちそうな剣幕だ。しかし、バキラは彼女のことなど全く歯牙にかけていないようだ。ただ、玉座で眠りについたままのティマを見つめ、にやりと気味の悪い笑みを浮かべている。そしてその足が一歩、静かに彼女の方へ向かってのびた。
「てめぇ、何する気だ!」
それをロインが見逃すはずはない。バキラ目掛けて、剣を抜きながら駆け出していく。バキラがロインに視線を向けた時には、彼はすでに剣の間合いまで距離を縮めていた。そのまま老人の胴体目掛け、刃が一閃する。手ごたえはない。バキラの姿はそこにはない。ロインは慌てて周囲を見回すが、その姿を見つけられない。
「ロイン、玉座だ!」
そこへ響いたガルザの声。彼の言うとおり、バキラはいつの間にか、しかもロインのいる場所からかなり離れているはずの玉座の前に立ち、ティマのことを見下ろしている。あの一瞬に彼が何をしたのか検討がつかず、ロインは戸惑いつつも舌打ちをし、急いでティマの元に駆け寄ろうとした。だが次の瞬間、彼が向かおうとした先から、黒い何かが大量に押し寄せてきた。それはロインだけでなく、ガルザやルビアにも向かっていく。ロインは険しい顔をして足を止め、得体の知れないそれへと剣を振り下ろした。ガルザも剣を構え、目前へと迫るそれへ斬撃を放ち、その横ではルビアがアイシクルを発動させる。黒い波は彼らの攻撃を前に一度は左右に弾け飛んだ。しかし、その分かたれた両側から彼らを飲み込むようにして襲い掛かってくる。
「いやあああ!」
ルビアの甲高い悲鳴と共に、花形の杖がポトリと地面に落ちた。黒い波に飲み込まれた3人は、そのまま玉座を見下ろすほどの高さまで持ち上げられた。波は太い触手のようなものに形を変え、彼らを逃がさないようきつく巻きついている。その触手の感触は、生命の脈動というものを一切感じさせない、かなり無機質なものだった。そしてその黒い触手は、バキラの白い袖の中から伸びている。不気味だ。その不気味なモノが、大切な仲間を前に微笑を浮かべている。
「ふふふ…。特別だ。お前達にも見せてやろう。」
「くそっ!放せ!ティマから離れろ!!」
独り言のように呟くバキラ。その背が一層ティマに近づくのを目にし、ロインはなんとか自分を縛り付けるものから逃れようと精一杯抵抗する。その時だった。
「……『アイスニードル』。」
ロインは目を見張った。聞きなれた声が耳に入り、覚えのあるプリセプツを唱える。そして何度も見たことのある氷の刃が空中に現れ、対象へ向かって放たれた―――そう、友人であるはずのロインに向かって。
「ティ…マ…?」
アイスニードルの一本が、彼の右肩にドッと突き刺さった。驚愕で見開かれる翡翠色の瞳に映るのは、自分の身近にある美しく透き通った一本の氷柱。そして、トンと軽やかに玉座からおりたティマの俯いた姿。何が起きたのか理解できず、思わず彼女の名を口にする。それに反応したのか、ゆっくりとティマは顔を上げた。その表情を目にした3人は、思わず顔を凍りつかせた。今まで一度も見たことがない、冷え切った氷のような赤茶の眼差し。口元に笑みはなく、生気というものが感じられない。と、その時、ロインに突き刺さっている氷が音を立てて砕け散り、傷口とその周辺を一気に凍りつかせた。途端に激痛が彼を襲い、叫び声が宮殿中に響き渡った。それが耳に届いているはずなのに、ティマの表情は全く揺らがない。
「ティマ!あたしよ、ルビア!返事をして!」
ルビアが必死に彼女に呼びかけるが、眉一つ動きはしない。まるで生きた人形だった。彼女が何かをされたのは間違いなさそうだ。だが、いつ?誰に?一体何を?ルビアは半ば混乱状態で、あらゆる可能性を思い浮かべた。そして、あるひとつの可能性が脳裏をよぎった時、彼女の耳に再び老人の声が入ってきた。
「む?ガルザ。『白晶の腕輪(クリスタル・ブレスレット)』はどうした?」
バキラはそう静かにガルザに尋ね、その体を彼へと向けた。虚ろなティマの両耳には『白晶の耳飾(クリスタル・ピアス)』が、胸元には『白晶の首飾(クリスタル・ペンダント)』が、そして右手の薬指に、それらと同じ白い小さな輝きを放っている指輪があった。だがもうひとつ、4つあると言われている『白晶の装具』の最後のひとつを、ティマは身につけていない。ガルザはバキラの問いには答えず、彼から目を逸らして沈黙した。老司祭のあまりの変わりように何かを感じ取ったらしい。そんな彼に、バキラは全てを見透かすように光る黄色の鋭い瞳を向けた。そして、バキラは右手をゆっくりあげると、そこから一本の黒い触手を伸ばした。
ルビアが呼んだ。
「ガルザの言ってた『冥府の法』って、まさか…」
カイウスを見ながら、強張った顔で言う。その声色も普段の明るいものではなく、畏怖という言葉が似合う、震えの混じったものだった。カイウスはルビアを見つめ、それから落ち着きを取り戻したロインとガルザ、そして眠り続けているティマを一瞥し、真剣な眼差しを持って言葉を返した。
「…まだ確証はない。けど、可能性は十分にある。ただ気になるのは…」
「死んだヒトが本当に生き返ってる。その現場をガルザが見ていて、あたし達も実際に接触してる、ってことね。」
カイウスの言葉を引き継いでルビアは言った。カイウスはコクンと頷く。彼らが過去に出会った『生命の法』とは異なるらしい『冥府の法』というプリセプツ。同じスポットを呼び寄せるものにしても正体が不明である。そしてスポットに―――『生命の法』を巡っての旅に縁のある地・アール山に連れてこられたことに妙な縁があるように思い、彼らは不気味さを感じた。額に嫌な汗が伝うのがわかる。
「ルビア、オレ達に―――ガルザにも応急処置を頼む。ティマを連れて、早いとこ下山しよう。」
それがカイウスの判断だった。このままこの場所にいるのはよくない。しかし、ロイン達は先の戦いの負傷がひどい。先を急ぐ前に少しでも傷を癒す必要がある。ルビアは黙って頷き、ロインとカイウスに所持していたグミを渡し、彼らがそれを口にしている間にガルザに治癒術を施す。その後で、2人にも簡単な治癒術を順番にかけた。完全ではないが、めだった太刀傷はあらかた消えた。少しの無理でも傷口は痛むし、大きいものに関しては再び開いてしまうかもしれないという状態。だが、それ以上を気にかける時間はない。ガルザはロインの手を借りて立ち上がり、そして、4人はティマを玉座から連れ出そうと中央の階段に足をかけた。…その直後だった。鼓膜が破れるかと思うほどの爆音と同時にステンドグラスが割れ、そこから襲い掛かる衝撃と風圧で、4人はその場でたたらを踏んだ。それが止むと、何事かと思い、割れたステンドグラスの方を一斉に見る。そして、目に入った光景に驚愕した。
「ラミー!べディー!」
カイウスが真っ先に2人の姿を確認し、その名を叫んだ。割れたステンドグラスの破片が散らばる中に、2人はひどく傷ついた姿で倒れていた。その周囲には彼らのものと思われる血が点々と、あるいは小さな池のように溜まっている。そんな中で、苦しそうに咳き込むラミーと、うめき声を上げて立ち上がろうとするベディーの顔が見える。
フレアとセイルがそこまで手強い相手だったとでも言うのか!?
カイウスは思わず2人の元へ駆け出した。そんな彼を待っていたのは、思いもしない言葉と襲撃だった。
「カイウス…来るな……!」
「!?」
焦燥に駆られていたとはいえ、油断しているつもりはなかった。なかったのだが、ベディーの警告が飛ぶのとほぼ同時に、カイウスの身体を何かが貫いた。それをよける暇など、まるでなかった。
黒い…槍……?
自分を襲ったモノの正体をそう認識した時には、カイウスの体は左端の階段へと叩きつけられていた。衝撃で階段の地形は変わり、背中から叩きつけられたカイウスはそのまま吐血して倒れてしまった。
「きゃあああ!!」
「カイウス!?」
あっという間にして重傷を負った幼馴染。その動きを目で追うことはできず、一瞬のうちに変わり果てた姿になったカイウスを見て、ルビアは思わず悲鳴を上げた。今にも駆け出していきそうな彼女の腕を、ロインは咄嗟に捕まえた。本当は自分もすぐに駆け寄りたい気分だった。しかし、カイウスが『黒い槍』と認識したそれの正体はわからない。うかつに動けば、彼の二の舞になってしまうだろう。実際、ロインがルビアを捕まえなければ、彼女は考えもなしに突っ込んでいっていただろう。カイウスの右胸下の辺りを貫いている『黒い槍』は、ラミー達が吹き飛ばされて来たステンドグラスの外からピィンと針金みたいにまっすぐ伸びていた。かと思うと、次の瞬間には蛇か何かのようにシュルシュルと戻っていく。カイウスの身体から『黒い槍』が抜ける時、彼はぐぅっ!と苦痛でうめき声を上げた。ルビアが彼の名を叫んで再び駆け寄ろうとするが、ロインはまだその手を離さない。
「なんじゃ?騒々しい鼠どもめが、まだ鳴いておったのか?」
その時、ステンドグラスの外からしゃがれた声がした。新たな人物の登場に、ロインはルビアを自分の背にかばい、剣の柄に手を回した。足音と共に、衣服のすれる音が近づいてくる。その主が宮殿内に足を踏み入れたと同時に、ドサッと何かが落ちる音がした。そちらに目を向けると、血にまみれ、腕か脚がおかしな方向に曲がっている2人の騎士の姿が目に入った。フレアとセイルだ。それを目撃した刹那、ガルザの目の色が変わった。そしてその目は、そのまま彼らの傍に立つ人物へと向けられた。
「な、にを…一体これは?どういうことですか!?バキラ様!!」
「鼠を狩れぬ猫か。騒々しい…ぬ?同胞のニオイが消えておるの。」
清楚な司祭の服を纏っている老司祭バキラ。しかし、その発言や表情からは、命を尊ぶ様子が全く見受けられない。スディアナの城で出会った時の彼とは、天と地ほどの違いがあった。そんなバキラへ、キッと鋭い視線と一つの武器が向けられた。
「大司祭バキラ!あなたは何者?これは、全てあなたの企みなの?」
緑の瞳に怒りをのせ、ルビアが一気に問い質す。返答しだいではすぐにでも術を放ちそうな剣幕だ。しかし、バキラは彼女のことなど全く歯牙にかけていないようだ。ただ、玉座で眠りについたままのティマを見つめ、にやりと気味の悪い笑みを浮かべている。そしてその足が一歩、静かに彼女の方へ向かってのびた。
「てめぇ、何する気だ!」
それをロインが見逃すはずはない。バキラ目掛けて、剣を抜きながら駆け出していく。バキラがロインに視線を向けた時には、彼はすでに剣の間合いまで距離を縮めていた。そのまま老人の胴体目掛け、刃が一閃する。手ごたえはない。バキラの姿はそこにはない。ロインは慌てて周囲を見回すが、その姿を見つけられない。
「ロイン、玉座だ!」
そこへ響いたガルザの声。彼の言うとおり、バキラはいつの間にか、しかもロインのいる場所からかなり離れているはずの玉座の前に立ち、ティマのことを見下ろしている。あの一瞬に彼が何をしたのか検討がつかず、ロインは戸惑いつつも舌打ちをし、急いでティマの元に駆け寄ろうとした。だが次の瞬間、彼が向かおうとした先から、黒い何かが大量に押し寄せてきた。それはロインだけでなく、ガルザやルビアにも向かっていく。ロインは険しい顔をして足を止め、得体の知れないそれへと剣を振り下ろした。ガルザも剣を構え、目前へと迫るそれへ斬撃を放ち、その横ではルビアがアイシクルを発動させる。黒い波は彼らの攻撃を前に一度は左右に弾け飛んだ。しかし、その分かたれた両側から彼らを飲み込むようにして襲い掛かってくる。
「いやあああ!」
ルビアの甲高い悲鳴と共に、花形の杖がポトリと地面に落ちた。黒い波に飲み込まれた3人は、そのまま玉座を見下ろすほどの高さまで持ち上げられた。波は太い触手のようなものに形を変え、彼らを逃がさないようきつく巻きついている。その触手の感触は、生命の脈動というものを一切感じさせない、かなり無機質なものだった。そしてその黒い触手は、バキラの白い袖の中から伸びている。不気味だ。その不気味なモノが、大切な仲間を前に微笑を浮かべている。
「ふふふ…。特別だ。お前達にも見せてやろう。」
「くそっ!放せ!ティマから離れろ!!」
独り言のように呟くバキラ。その背が一層ティマに近づくのを目にし、ロインはなんとか自分を縛り付けるものから逃れようと精一杯抵抗する。その時だった。
「……『アイスニードル』。」
ロインは目を見張った。聞きなれた声が耳に入り、覚えのあるプリセプツを唱える。そして何度も見たことのある氷の刃が空中に現れ、対象へ向かって放たれた―――そう、友人であるはずのロインに向かって。
「ティ…マ…?」
アイスニードルの一本が、彼の右肩にドッと突き刺さった。驚愕で見開かれる翡翠色の瞳に映るのは、自分の身近にある美しく透き通った一本の氷柱。そして、トンと軽やかに玉座からおりたティマの俯いた姿。何が起きたのか理解できず、思わず彼女の名を口にする。それに反応したのか、ゆっくりとティマは顔を上げた。その表情を目にした3人は、思わず顔を凍りつかせた。今まで一度も見たことがない、冷え切った氷のような赤茶の眼差し。口元に笑みはなく、生気というものが感じられない。と、その時、ロインに突き刺さっている氷が音を立てて砕け散り、傷口とその周辺を一気に凍りつかせた。途端に激痛が彼を襲い、叫び声が宮殿中に響き渡った。それが耳に届いているはずなのに、ティマの表情は全く揺らがない。
「ティマ!あたしよ、ルビア!返事をして!」
ルビアが必死に彼女に呼びかけるが、眉一つ動きはしない。まるで生きた人形だった。彼女が何かをされたのは間違いなさそうだ。だが、いつ?誰に?一体何を?ルビアは半ば混乱状態で、あらゆる可能性を思い浮かべた。そして、あるひとつの可能性が脳裏をよぎった時、彼女の耳に再び老人の声が入ってきた。
「む?ガルザ。『白晶の腕輪(クリスタル・ブレスレット)』はどうした?」
バキラはそう静かにガルザに尋ね、その体を彼へと向けた。虚ろなティマの両耳には『白晶の耳飾(クリスタル・ピアス)』が、胸元には『白晶の首飾(クリスタル・ペンダント)』が、そして右手の薬指に、それらと同じ白い小さな輝きを放っている指輪があった。だがもうひとつ、4つあると言われている『白晶の装具』の最後のひとつを、ティマは身につけていない。ガルザはバキラの問いには答えず、彼から目を逸らして沈黙した。老司祭のあまりの変わりように何かを感じ取ったらしい。そんな彼に、バキラは全てを見透かすように光る黄色の鋭い瞳を向けた。そして、バキラは右手をゆっくりあげると、そこから一本の黒い触手を伸ばした。