第9章 影と真と [
バキッと嫌な音が鳴った。同時に響いたのは、ガルザの絶叫。それを見ているバキラの顔には、不気味なほどニタッとした微笑がある。
「どうした、ガルザ?せっかく、お前の愚かな父君を呼び戻してやろうと言うのに。」
ガルザに向かって伸びていた黒い触手は、するするとバキラの元まで戻ってきた。その先にあるのは、白い結晶が散りばめられている腕輪だった。ガルザはそれを右の手首に身につけていた。どのようにしたらそうなるのだろうか、彼の右手首は折れ、握られていた剣が音を立てて滑り落ちた。
「ガルザ!?」
「大丈夫だ、ロイン。…我が父上が、愚かだと?」
痛みを堪えながら、ガルザはバキラに問う。
「確かに、サームを殺したのはウルノアの子鼠よ。じゃが、それはワシと我が同胞とで、そうするよう仕向けたこと。…まあ、本当はこの子猫を葬るつもりでいたんじゃがな。」
バキラは嘲笑を含んだ返答をしながら、恭しくティマに奪った腕輪を着けさせている。
「ティマを殺すつもりだった?何のために!?」
ロインが怒りのこもった声で聞いた。バキラは彼を見ずに口を開いた。
「可愛い姫が死ねば、何が起きる?后らは嘆き、王は怒り狂って獣どもを一掃しようとするだろう。その犬死となろう命を、このワシが有効利用してやろうと言うのだけの話よ。…結局、上手くいかなかったがの。三騎士と名高い『ペトリスカ』も、所詮はただの鼠だったというわけじゃ。」
その言葉を聞いた3人は衝撃を受けた。三騎士のうちの一つがガルザの『ペトリスカ』の家系であったことも、ロインとルビアにとっては驚きの要因だった。しかし、それ以上に衝撃的だったのは、結果としてグレシアがガルザの父を斬ることになり、ウルノアとペトリスカの間に生じた憎しみの連鎖は、目の前にいるこの老人が原因であったということだ。真実を知り、ロインとガルザの顔が、心の奥底から湧き上がる怒りで紅潮する。しかし、それはバキラの目に入っていない。ティマの目の前で何やらブツブツ唱えている。
「てめっ、何してやがる!?」
ロインが逸早く反応し、バキラを怒鳴りつける。バキラはそんなロインを面倒そうに一瞥する。
「低脳な鼠め、先に言ったじゃろうが。我が傑作『冥府の法』を、今ここで見せてやるのだ。」
「なんですって!?」
ルビアが大声を上げたその時、バキラとティマの足元に魔方陣が出現した。バキラはまたもや不気味な笑みを浮かべ、ゆっくりと何かを呟き始めた。すると、ティマの無機質な声がそれを復唱し、同時に、彼女の両耳、胸元、左手首、右薬指の4ヶ所が、一斉に白い輝きを放ち始める。
「あの時と同じ…!」
倒れ伏していたラミーが顔を上げ、眩しそうに右目を細めてティマを見る。以前目撃したのと同じ現象。ティマが詠唱を続けると、魔方陣と『白晶の装具』の光はどんどん強さを増していく。それと比例して、バキラの表情が嬉々としたものになっていく。だが逆に、ティマのそれは段々苦しそうになっていく。それでも、口を動かすのを止めようとしない―――否、動き続けるよう何かの力によって強制されていた。
「やら、せるか…!」
その時、それまで下で倒れていたカイウスが、バキラによって貫かれた箇所を手で押さえながら立ち上がった。動く度にそこから血がボトボト零れるが、気にかけていられない。重い身体を無理やり動かし、玉座目掛けて走り出そうとした。だが、目の前の階段を2・3段上がったところで、突然背中から勢いよく抑えつけられ、身動きが取れなくなってしまう。力任せに抑えつけられ、ギシギシと全身が痛み、カイウスは「ぐああっ!」と声をあげた。
「くくく…。行かせるかよ、ガキ!」
「! お前、なんでここに!?」
ベディーは驚きで目を見開いた。それもそのはず。カイウスを取り押さえているのは、遠くアルミネの里で拘束しているはずのヴォイドなのだ。歯を見せて笑みを浮かべている彼の視線の先には、着々と進められているプリセプツの儀式。魔方陣の上に立つバキラとティマの真上には、どす黒い渦のようなものが現れ始めた。
「うっ…くぁあ、あああああああっ!!!」
その時、ティマの口から詠唱以外のものが溢れ出た。苦しそうに顔を歪ませ、電撃を受けた時のように身を捩じらせている。その彼女の悲鳴が増していくと、魔方陣と『白晶の装具』の輝きも増していき、あまりの眩しさにロイン達は目を細めていく。そして上空の渦はスピードを増して収束し、巨大な円を描いていく。そしてティマの悲鳴は、徐々に聞いていられないほど苦痛の声になっていく。ロインと仲間達は、必死に少女の名を呼び叫んだ。しかし、それは当の本人の悲鳴で掻き消されて届かない。
「いやああ、ぐぅぁああああああっ…………!」
いつまでも続くかと思われた断末魔の叫びにも似たその悲鳴は、だが突然途切れた。同時に、パキィンと結晶が砕け散る乾いた音がした。少女の身体からあらゆる力が抜けてゆき、ゆっくりと身体が傾く。
その時、ドクンと心臓が大きく脈打ち、とある記憶が少年の脳裏を掠めた。
『……いいこ…ね………ろ…いん…わたしの…ほこ………り…………』
ふっとかすかに笑みを見せたその顔は、カクンとうなだれて、髪で見えなくなった。
同時に、頬にあったはずの冷たい手が、トサッと地面に滑り落ちた。
…そう。グレシアが亡くなった時の、あの光景だ―――
「ティマーーーーーー!!!」
ロインはのどが潰れるのではないかと思うほどの叫びをあげた。しかし、それは空しく宮殿中に木霊するだけ。糸の切れた操り人形と同じく、少女は静かにその場に倒れた。
「どうした、ガルザ?せっかく、お前の愚かな父君を呼び戻してやろうと言うのに。」
ガルザに向かって伸びていた黒い触手は、するするとバキラの元まで戻ってきた。その先にあるのは、白い結晶が散りばめられている腕輪だった。ガルザはそれを右の手首に身につけていた。どのようにしたらそうなるのだろうか、彼の右手首は折れ、握られていた剣が音を立てて滑り落ちた。
「ガルザ!?」
「大丈夫だ、ロイン。…我が父上が、愚かだと?」
痛みを堪えながら、ガルザはバキラに問う。
「確かに、サームを殺したのはウルノアの子鼠よ。じゃが、それはワシと我が同胞とで、そうするよう仕向けたこと。…まあ、本当はこの子猫を葬るつもりでいたんじゃがな。」
バキラは嘲笑を含んだ返答をしながら、恭しくティマに奪った腕輪を着けさせている。
「ティマを殺すつもりだった?何のために!?」
ロインが怒りのこもった声で聞いた。バキラは彼を見ずに口を開いた。
「可愛い姫が死ねば、何が起きる?后らは嘆き、王は怒り狂って獣どもを一掃しようとするだろう。その犬死となろう命を、このワシが有効利用してやろうと言うのだけの話よ。…結局、上手くいかなかったがの。三騎士と名高い『ペトリスカ』も、所詮はただの鼠だったというわけじゃ。」
その言葉を聞いた3人は衝撃を受けた。三騎士のうちの一つがガルザの『ペトリスカ』の家系であったことも、ロインとルビアにとっては驚きの要因だった。しかし、それ以上に衝撃的だったのは、結果としてグレシアがガルザの父を斬ることになり、ウルノアとペトリスカの間に生じた憎しみの連鎖は、目の前にいるこの老人が原因であったということだ。真実を知り、ロインとガルザの顔が、心の奥底から湧き上がる怒りで紅潮する。しかし、それはバキラの目に入っていない。ティマの目の前で何やらブツブツ唱えている。
「てめっ、何してやがる!?」
ロインが逸早く反応し、バキラを怒鳴りつける。バキラはそんなロインを面倒そうに一瞥する。
「低脳な鼠め、先に言ったじゃろうが。我が傑作『冥府の法』を、今ここで見せてやるのだ。」
「なんですって!?」
ルビアが大声を上げたその時、バキラとティマの足元に魔方陣が出現した。バキラはまたもや不気味な笑みを浮かべ、ゆっくりと何かを呟き始めた。すると、ティマの無機質な声がそれを復唱し、同時に、彼女の両耳、胸元、左手首、右薬指の4ヶ所が、一斉に白い輝きを放ち始める。
「あの時と同じ…!」
倒れ伏していたラミーが顔を上げ、眩しそうに右目を細めてティマを見る。以前目撃したのと同じ現象。ティマが詠唱を続けると、魔方陣と『白晶の装具』の光はどんどん強さを増していく。それと比例して、バキラの表情が嬉々としたものになっていく。だが逆に、ティマのそれは段々苦しそうになっていく。それでも、口を動かすのを止めようとしない―――否、動き続けるよう何かの力によって強制されていた。
「やら、せるか…!」
その時、それまで下で倒れていたカイウスが、バキラによって貫かれた箇所を手で押さえながら立ち上がった。動く度にそこから血がボトボト零れるが、気にかけていられない。重い身体を無理やり動かし、玉座目掛けて走り出そうとした。だが、目の前の階段を2・3段上がったところで、突然背中から勢いよく抑えつけられ、身動きが取れなくなってしまう。力任せに抑えつけられ、ギシギシと全身が痛み、カイウスは「ぐああっ!」と声をあげた。
「くくく…。行かせるかよ、ガキ!」
「! お前、なんでここに!?」
ベディーは驚きで目を見開いた。それもそのはず。カイウスを取り押さえているのは、遠くアルミネの里で拘束しているはずのヴォイドなのだ。歯を見せて笑みを浮かべている彼の視線の先には、着々と進められているプリセプツの儀式。魔方陣の上に立つバキラとティマの真上には、どす黒い渦のようなものが現れ始めた。
「うっ…くぁあ、あああああああっ!!!」
その時、ティマの口から詠唱以外のものが溢れ出た。苦しそうに顔を歪ませ、電撃を受けた時のように身を捩じらせている。その彼女の悲鳴が増していくと、魔方陣と『白晶の装具』の輝きも増していき、あまりの眩しさにロイン達は目を細めていく。そして上空の渦はスピードを増して収束し、巨大な円を描いていく。そしてティマの悲鳴は、徐々に聞いていられないほど苦痛の声になっていく。ロインと仲間達は、必死に少女の名を呼び叫んだ。しかし、それは当の本人の悲鳴で掻き消されて届かない。
「いやああ、ぐぅぁああああああっ…………!」
いつまでも続くかと思われた断末魔の叫びにも似たその悲鳴は、だが突然途切れた。同時に、パキィンと結晶が砕け散る乾いた音がした。少女の身体からあらゆる力が抜けてゆき、ゆっくりと身体が傾く。
その時、ドクンと心臓が大きく脈打ち、とある記憶が少年の脳裏を掠めた。
『……いいこ…ね………ろ…いん…わたしの…ほこ………り…………』
ふっとかすかに笑みを見せたその顔は、カクンとうなだれて、髪で見えなくなった。
同時に、頬にあったはずの冷たい手が、トサッと地面に滑り落ちた。
…そう。グレシアが亡くなった時の、あの光景だ―――
「ティマーーーーーー!!!」
ロインはのどが潰れるのではないかと思うほどの叫びをあげた。しかし、それは空しく宮殿中に木霊するだけ。糸の切れた操り人形と同じく、少女は静かにその場に倒れた。