第13章 しらせ W
ロイン達の姿が消えてから、一体どれだけの時間が経ったのだろうか。宮殿を背に立つ2人を相手にする体力はなく、しかし逃げることもできずに、ガルザ達はただ立ちつくすままだった。そうしている間に、宮殿からは黒い影のような赤い目をした化物が次々と現れてくる。まるで彼らの無力さを嘲笑うように。
「くそっ。このまま全滅ってのだけはごめんですよ、隊長!」
得意のスピードを活かすため、必要最小限の鎧しか身に着けていないセイル。だが重傷を負った今の彼に、得意の素早い攻撃は望めない。片腕で握りしめる慣れた剣ですら重く、じっとしているにも関わらず息は終始荒い。そんな状態のセイルは、顔を向けずにガルザへこの場を打開する策を求め、声をあげた。しかし、そのガルザも満身創痍。何かを仕掛けるにも選択肢がなく、眉間にしわを寄せ、目の前に立つ老司祭の姿をした化物を見つめていた。セイルの言うとおり、全滅は避けたい。しかし、強力なプリセプツを容易く操るバキラを前に、どうすればこの状況を好転させることができるだろうか。ガルザに思いつく術はない。
「せめて、私にもう少し魔力が残っていれば…。」
そう言って、フレアは悔しそうに自身の手を見つめた。ロインらを逃すために放った転移の魔法。あれで最後の魔力を使い果たしてしまったのだ。
「…待てよ?フレア、魔力ならまだある!」
その時、何に気がついたのか、突然ガルザは大声を上げた。
「お前の魔力が無いのなら、俺の中の魔力を使え!」
「そんな無茶な…。」
驚き振り返ったセイルは、次いで出たガルザの発言に呆れのこもった声を上げた。術者が他の誰かの魔力を媒介にしてプリセプツを発動するなど、聞いたことがない。だが一方で、フレアはセイルとは異なる難しい表情をしていた。
「そのためには、私と隊長の魔力を同調させなければなりません。時間がかかります。この現状でそれは…。」
フレアは言いながらバキラやヴォイドを見つめた。彼らにとって、今の自分たちは虫けら同然。捻り潰すことなど造作もないこと。それでもまだ止めを刺さずにいるのは、なんとか状況を打開しようと足掻くガルザらを、さらに絶望へ追いやろうとしているからだ。何か動きを見せた瞬間、彼らは容赦なく襲いかかってくるに違いない。そうなれば、全滅は免れない。
「ならばS4だ。俺が囮になっている隙に、セイルと」
「冗談。フレア先輩と同調だなんて、いくら命令でも反吐が出ますよ。」
ガルザが判断を下した次の瞬間、セイルはそれを嘲笑うように、ヴォイドらに向かって駆け出した。同時にヴォイドも動き、セイルに容赦なく攻撃を食らわせていった。
「セイル、何を!」
「隊長、動かないで!」
突然の彼の行動に驚き、ガルザは応戦しようと動いた。しかし、それをフレアが後ろから両腕をまわして封じる。そして動きが止まったと同時に、彼らの足元に小さな陣が浮かび、ガルザは自身の内側から何かが蠢きだしたのを感じた。おそらく、それはフレアの言っていた互いの魔力同調によるもの。そのことを理解した刹那、ガルザはセイルのしようとしていることを知った。彼は犠牲になるつもりだ。フレアがガルザの魔力を借りて、再びプリセプツを放つための時間を稼ぐために。
「紅蓮剣!閃空裂破!」
最後の力を振り絞り、セイルは剣を振るう。その力量は普段より劣るものの、重傷を抱えるとは思わせない動きでヴォイドに立ち向かう。しかし、彼はそんなセイルを嘲笑うように、軽々とその剣をかわしていった。その顔には余裕の笑みがあり、赤子を相手にしているような感覚だ。
「ヴォイド、飽キタ。…殺セ。」
そんなセイルに、無慈悲な終焉が告げられた。
「連牙飛燕脚!」
「がはッ…!!」
バキラの声が聞こえた次の瞬間、ヴォイドの目は赤く禍々しく歪んだ。そしてセイルの振るった剣を跳躍してかわすと、強烈な六連攻撃をお見舞いした。そして為すすべもないセイルに、最後の一撃を叩きつけた。それは重く、守りの薄いセイルの骨と内臓とを簡単に潰した。セイルの身体は血反吐と共に吹き飛び、ガルザらの足元に横たわった。
「セイル!」
ガルザは大声をあげ、彼に駆け寄ろうとした。だが、それでもフレアは必死に動きを封じ続けた。だがその直後、彼らの足元にあった魔法陣が消えた。するとフレアはすぐさま腕をほどき、ガルザよりも先に彼のもとに駆け寄った。そして息を呑んだ。そんな状態で、まだかろうじて息があったことに。
「セイル!今治癒を…!」
生きているのが不思議なほどだった。事実、彼の眼はすでに光を失いかけ、息は浅い。一刻も早く手当てをしなければ、すぐにでも命を落としてしまう状態だった。それなのに、治癒術を施そうと伸ばしたフレアの手を、セイルはつかんだのだ。それに驚いて目を瞬かせた彼女に、彼は蚊の鳴くような声で言った。
「フレア先輩…。俺ね、あんたが嫌いだった。…けど、それはあんたが甘ちゃんだからじゃ…ない…。」
「しゃべらないで!」
フレアはそう言って術に集中しようとした。だが、セイルはつかんでいる手に力を込め、それを止めさせた。そして、もう動かせないはずの上半身を起こすと、フレアの肩に顔を埋めた。
「あんたが………から…さ……」
耳元で囁いても、聞こえるか聞こえないかの声がした。…それがセイルの最後の言葉だった。フレアの手をつかんでいた力は失われ、そして彼女の目の前で、セイルは口元に弧を描いたまま、静かに倒れた。
「そんな…。」
確かめる必要はなかった。二度と動かないセイルを前に、フレアは呆然とした。一兵士である以上、死と向かい合う覚悟は彼女にもあった。だがそれを揺さぶらせたのは、彼が最後に残した言葉だった。そしてその隙を、ヴォイドが放っておくわけがなかった。フレアが我に返った時には、目の前で拳を上げたヴォイドがいた。そしてそれがフレアに向かってくる刹那、ガルザの剣が彼女を守った。
「ガルザ…?」
フレアは事態をうまく飲み込めず、その場に座ったままでいた。そんな中で呟いたのは、彼女の目の前で背を向けて立つ、かつて同僚だった男の名。ヴォイドの攻撃を弾き返すと、ガルザは一瞬驚いた顔で振り向き、そしてどこか嬉しそうに微笑みを浮かべた。
「久しぶりだな。肩書なしで呼ばれるのは。」
そう小さくこぼした後、ガルザは穏やかさを心の奥にしまい、ヴォイドとその後ろで悠然と佇むバキラへ鋭い視線を向けた。
「フレア。セイルの死を無駄にするな。」
「! …ええ。」
そして彼が静かに放った言葉が、フレアの魂を完全に呼び戻した。彼女は立ち上がると、セイルの亡骸を背に、術式を展開しながらガルザの背にそっと手を当てた。すると、見えない何かが2人の間を流れ、フレアの瞳にこもる力は徐々に増していった。
「E1。チャンスは一度だけです。」
「わかった。」
準備が整うと、二人は短く作戦を確認し、そしてガルザが飛び出した。
「今さら何をしようとしても無駄だ!」
そんな彼にヴォイドは嘲笑い、セイルを相手にした時と同様に軽々と跳んだ。そしてガルザ目掛け拳を振り下ろすが、ガルザはそれを受け止めようとはしなかった。絶妙なタイミングでそれをかわし、魔人剣を利用して地面を削り、視界を奪ったのだ。
「くそっ!小賢しいんだよ!」
ヴォイドが吠え、そして土埃が晴れた次の瞬間だった。ガルザは後方のフレアの横に立ち、そしてつむじ風に囲われていた。
「オノレ…」
逃がしはしない。そういうように右腕をあげたバキラの動きが、突如不自然に止まった。その意図が読めずに困惑した瞬間だった。
「フレア!」
ガルザの切羽詰まった声がし、フレアはわずかに体を突き飛ばされた。その瞬間、プリセプツは完成し、2人はアール山から消えていた。そして次の瞬間には転移が終わり、2人は日の差さない森の中にいた。
「ガル…」
転移直前の行動が気になり、フレアは戸惑いながらもガルザに声をかけようとした。だがその時、彼の身体はゆらりと倒れていった。目を見開くと、彼は胸を貫かれ、息途絶えていた。
「…う、そ……。」
フレアは何が起きたのか理解できずに、そっとガルザに触れた。彼の身体はまだ温かく、ついさっきまで生きていたことを告げていた。
「いやぁあああああっ!!!」
転移の直前、何かから自分を守って死んだ。そのことだけしか、理解できなかった。突然の彼の死に取り乱したフレアは、気が付けばただなすすべもなく泣き叫んでいた。
それからどうやって、なんて覚えていなかった。フレアはただ必死にマウディーラに帰ることだけを考えていた。その望みを果たせずに倒れた、ガルザとセイルのために。そして現実に帰ってきた時、彼女はティマとマリワナに救われていたのだった。
「あんたは…!」
そして今、彼女はこれから自分の為すべきことを悟り、胸を痛めていた。友が正気を失いながらも大切に思った、自分が憧れた人の面影を残すこの少年に、悲しい事実を告げなければならない運命を、少なからず呪った。
「くそっ。このまま全滅ってのだけはごめんですよ、隊長!」
得意のスピードを活かすため、必要最小限の鎧しか身に着けていないセイル。だが重傷を負った今の彼に、得意の素早い攻撃は望めない。片腕で握りしめる慣れた剣ですら重く、じっとしているにも関わらず息は終始荒い。そんな状態のセイルは、顔を向けずにガルザへこの場を打開する策を求め、声をあげた。しかし、そのガルザも満身創痍。何かを仕掛けるにも選択肢がなく、眉間にしわを寄せ、目の前に立つ老司祭の姿をした化物を見つめていた。セイルの言うとおり、全滅は避けたい。しかし、強力なプリセプツを容易く操るバキラを前に、どうすればこの状況を好転させることができるだろうか。ガルザに思いつく術はない。
「せめて、私にもう少し魔力が残っていれば…。」
そう言って、フレアは悔しそうに自身の手を見つめた。ロインらを逃すために放った転移の魔法。あれで最後の魔力を使い果たしてしまったのだ。
「…待てよ?フレア、魔力ならまだある!」
その時、何に気がついたのか、突然ガルザは大声を上げた。
「お前の魔力が無いのなら、俺の中の魔力を使え!」
「そんな無茶な…。」
驚き振り返ったセイルは、次いで出たガルザの発言に呆れのこもった声を上げた。術者が他の誰かの魔力を媒介にしてプリセプツを発動するなど、聞いたことがない。だが一方で、フレアはセイルとは異なる難しい表情をしていた。
「そのためには、私と隊長の魔力を同調させなければなりません。時間がかかります。この現状でそれは…。」
フレアは言いながらバキラやヴォイドを見つめた。彼らにとって、今の自分たちは虫けら同然。捻り潰すことなど造作もないこと。それでもまだ止めを刺さずにいるのは、なんとか状況を打開しようと足掻くガルザらを、さらに絶望へ追いやろうとしているからだ。何か動きを見せた瞬間、彼らは容赦なく襲いかかってくるに違いない。そうなれば、全滅は免れない。
「ならばS4だ。俺が囮になっている隙に、セイルと」
「冗談。フレア先輩と同調だなんて、いくら命令でも反吐が出ますよ。」
ガルザが判断を下した次の瞬間、セイルはそれを嘲笑うように、ヴォイドらに向かって駆け出した。同時にヴォイドも動き、セイルに容赦なく攻撃を食らわせていった。
「セイル、何を!」
「隊長、動かないで!」
突然の彼の行動に驚き、ガルザは応戦しようと動いた。しかし、それをフレアが後ろから両腕をまわして封じる。そして動きが止まったと同時に、彼らの足元に小さな陣が浮かび、ガルザは自身の内側から何かが蠢きだしたのを感じた。おそらく、それはフレアの言っていた互いの魔力同調によるもの。そのことを理解した刹那、ガルザはセイルのしようとしていることを知った。彼は犠牲になるつもりだ。フレアがガルザの魔力を借りて、再びプリセプツを放つための時間を稼ぐために。
「紅蓮剣!閃空裂破!」
最後の力を振り絞り、セイルは剣を振るう。その力量は普段より劣るものの、重傷を抱えるとは思わせない動きでヴォイドに立ち向かう。しかし、彼はそんなセイルを嘲笑うように、軽々とその剣をかわしていった。その顔には余裕の笑みがあり、赤子を相手にしているような感覚だ。
「ヴォイド、飽キタ。…殺セ。」
そんなセイルに、無慈悲な終焉が告げられた。
「連牙飛燕脚!」
「がはッ…!!」
バキラの声が聞こえた次の瞬間、ヴォイドの目は赤く禍々しく歪んだ。そしてセイルの振るった剣を跳躍してかわすと、強烈な六連攻撃をお見舞いした。そして為すすべもないセイルに、最後の一撃を叩きつけた。それは重く、守りの薄いセイルの骨と内臓とを簡単に潰した。セイルの身体は血反吐と共に吹き飛び、ガルザらの足元に横たわった。
「セイル!」
ガルザは大声をあげ、彼に駆け寄ろうとした。だが、それでもフレアは必死に動きを封じ続けた。だがその直後、彼らの足元にあった魔法陣が消えた。するとフレアはすぐさま腕をほどき、ガルザよりも先に彼のもとに駆け寄った。そして息を呑んだ。そんな状態で、まだかろうじて息があったことに。
「セイル!今治癒を…!」
生きているのが不思議なほどだった。事実、彼の眼はすでに光を失いかけ、息は浅い。一刻も早く手当てをしなければ、すぐにでも命を落としてしまう状態だった。それなのに、治癒術を施そうと伸ばしたフレアの手を、セイルはつかんだのだ。それに驚いて目を瞬かせた彼女に、彼は蚊の鳴くような声で言った。
「フレア先輩…。俺ね、あんたが嫌いだった。…けど、それはあんたが甘ちゃんだからじゃ…ない…。」
「しゃべらないで!」
フレアはそう言って術に集中しようとした。だが、セイルはつかんでいる手に力を込め、それを止めさせた。そして、もう動かせないはずの上半身を起こすと、フレアの肩に顔を埋めた。
「あんたが………から…さ……」
耳元で囁いても、聞こえるか聞こえないかの声がした。…それがセイルの最後の言葉だった。フレアの手をつかんでいた力は失われ、そして彼女の目の前で、セイルは口元に弧を描いたまま、静かに倒れた。
「そんな…。」
確かめる必要はなかった。二度と動かないセイルを前に、フレアは呆然とした。一兵士である以上、死と向かい合う覚悟は彼女にもあった。だがそれを揺さぶらせたのは、彼が最後に残した言葉だった。そしてその隙を、ヴォイドが放っておくわけがなかった。フレアが我に返った時には、目の前で拳を上げたヴォイドがいた。そしてそれがフレアに向かってくる刹那、ガルザの剣が彼女を守った。
「ガルザ…?」
フレアは事態をうまく飲み込めず、その場に座ったままでいた。そんな中で呟いたのは、彼女の目の前で背を向けて立つ、かつて同僚だった男の名。ヴォイドの攻撃を弾き返すと、ガルザは一瞬驚いた顔で振り向き、そしてどこか嬉しそうに微笑みを浮かべた。
「久しぶりだな。肩書なしで呼ばれるのは。」
そう小さくこぼした後、ガルザは穏やかさを心の奥にしまい、ヴォイドとその後ろで悠然と佇むバキラへ鋭い視線を向けた。
「フレア。セイルの死を無駄にするな。」
「! …ええ。」
そして彼が静かに放った言葉が、フレアの魂を完全に呼び戻した。彼女は立ち上がると、セイルの亡骸を背に、術式を展開しながらガルザの背にそっと手を当てた。すると、見えない何かが2人の間を流れ、フレアの瞳にこもる力は徐々に増していった。
「E1。チャンスは一度だけです。」
「わかった。」
準備が整うと、二人は短く作戦を確認し、そしてガルザが飛び出した。
「今さら何をしようとしても無駄だ!」
そんな彼にヴォイドは嘲笑い、セイルを相手にした時と同様に軽々と跳んだ。そしてガルザ目掛け拳を振り下ろすが、ガルザはそれを受け止めようとはしなかった。絶妙なタイミングでそれをかわし、魔人剣を利用して地面を削り、視界を奪ったのだ。
「くそっ!小賢しいんだよ!」
ヴォイドが吠え、そして土埃が晴れた次の瞬間だった。ガルザは後方のフレアの横に立ち、そしてつむじ風に囲われていた。
「オノレ…」
逃がしはしない。そういうように右腕をあげたバキラの動きが、突如不自然に止まった。その意図が読めずに困惑した瞬間だった。
「フレア!」
ガルザの切羽詰まった声がし、フレアはわずかに体を突き飛ばされた。その瞬間、プリセプツは完成し、2人はアール山から消えていた。そして次の瞬間には転移が終わり、2人は日の差さない森の中にいた。
「ガル…」
転移直前の行動が気になり、フレアは戸惑いながらもガルザに声をかけようとした。だがその時、彼の身体はゆらりと倒れていった。目を見開くと、彼は胸を貫かれ、息途絶えていた。
「…う、そ……。」
フレアは何が起きたのか理解できずに、そっとガルザに触れた。彼の身体はまだ温かく、ついさっきまで生きていたことを告げていた。
「いやぁあああああっ!!!」
転移の直前、何かから自分を守って死んだ。そのことだけしか、理解できなかった。突然の彼の死に取り乱したフレアは、気が付けばただなすすべもなく泣き叫んでいた。
それからどうやって、なんて覚えていなかった。フレアはただ必死にマウディーラに帰ることだけを考えていた。その望みを果たせずに倒れた、ガルザとセイルのために。そして現実に帰ってきた時、彼女はティマとマリワナに救われていたのだった。
「あんたは…!」
そして今、彼女はこれから自分の為すべきことを悟り、胸を痛めていた。友が正気を失いながらも大切に思った、自分が憧れた人の面影を残すこの少年に、悲しい事実を告げなければならない運命を、少なからず呪った。