第10章 異変… U
「ティマが目覚めたって!?」
バンと勢いよく部屋の戸を叩き、上着を乱暴に羽織ったロインが飛び込んできた。ノックもせずに入り込んできた彼に、ベッドの上のラミーはいろんな意味で喚きたてたが、それは耳に入っていない。彼はその隣のベッドにいる1人の少女だけを瞳に映し、駆け寄った。気付いた少女は、彼を見て嬉しそうな声を上げた。
「ロイン!」
「ティマ、大丈夫か!?どこも異常はないか!?」
ティマも思わずたじろぐほどの勢いで、ロインは一気に聞いた。今にも泣きそうなほどの心配の表情を浮かべ、ティマの手を優しく握った。あの時と違い、氷のようなぞっとする冷たさはなく、優しい温もりが手を伝って返ってくる。少し驚いた表情を浮かべたものの、ティマはすぐに、いつものあの笑顔を見せた。
「うん。私は平気。ありがとう、ロイン。」
その言葉に、ようやくロインは安堵の表情を浮かべた。同時に頭を垂れ、顔が見えなくなる。
「ロイン。おい、大丈夫か?」
その背を見ていたラミーが声をかけた。彼が緊張の糸が切れ放心しているから、という軽い理由ではない。俯いているロインから、それとは異なる空気を感じたからだ。ティマもそれに気が付き、2人して首を傾げた。ロインは、ラミーの声に何も反応を示さない。気になったティマも彼に声をかけようとした、ちょうどその時だった。
「皆、やめて!話を聞いて!!」
部屋の外からルビアの声がした。同時に、複数の声が喚きたてる音も響いてくる。そのやりとりに耳を澄ましていると、どうも穏やかではない。何事だろうか。気になったラミーは、ひょいとベッドから飛び降りると戸を開けて出て行った。ロインもその後を追おうと立ち上がる。すると、ティマもよろよろとベッドから起き上がろうとし、ロインは彼女を支えながら一緒に部屋を出た。扉一枚あるかないか、それだけで響く声の音量はだいぶ違う。礼拝堂のほうだろう、2人はゆっくり声のもとへ向かって歩いていく。
「まだ生きてやがったのか。この人殺しの息子が!」
「さっさとここから出て行け!教会が穢れる!」
「だから、お父さんとお母さんのことは違うって言ってるでしょ?いい加減、話を聞いて!」
彼らのやりとりの一部が耳に入った途端、2人の足はぴたりと止まった。そして顔を見合わせる。聞き捨てならない言葉が吐き捨てられた、それが何かの間違いではないかと確認するために。少しだけ足を速めて先に進むと、先に着いたラミーが、影から礼拝堂の様子を窺っていた。ロインとティマも様子を覗き見ると、入り口のところにいる集団と向かい合っているカイウスとルビアの姿があった。それは、とても奇妙な光景だった。フェルンが、カイウスとルビアの故郷が2人を、特にカイウスを拒んでいる。彼のことを忌み、追い出そうとしている。それをかばうのは、共に旅をしていたルビアただひとり。それを見守るだけの3人には、何故このようなことになっているのか理解できない。だがその時、ロインははっと思い出した。
「カイウスの父親はレイモーンの民だ。」
呟いた一言。ティマやラミーは首を傾げ、ロインにその続きを促した。ロインはゆっくりと、フェルン村の人々のやりとりに目を向けながら答えた。
「前に、カイウスから聞いたんだ。異端者狩りで父親が捕まって、しかも、ルビアの両親が異端審問官に殺されたって。そして、その罪はカイウスの父親に擦り付けられた。」
「そんな…!」
思わず絶句する2人。しかし、それは真実であった。加えるならば、カイウスの父がレイモーンの民と知れることになった事件、彼らがそれの元凶でもあるという噂を鵜呑みにする者も多い。そしてこの光景に、3人は、それほどまでにアレウーラ大陸でレイモーンの民に対する差別意識が定着しているということを目の当たりすることとなった。
「また2年前のように、バケモノを連れ込んでくるんじゃあるまいな?お前は、あのラムラスの子なんじゃからな!」
「ギルモア爺さん、止めて!」
憎悪を込めた翁の言葉。それに抗いの声を発したのは、カイウスでもルビアでもない。まして、その者の名を知らぬロイン達でもない。それは1人の女性。村人達の後ろに立ち、キッと鋭い瞳を向けているスカーレットだった。そして、その言葉に最も驚いたのがカイウスとルビアだった。
「カイウスやラムラスさんはそんな人じゃないって、ずっと一緒に暮らしてきたあなた達なら知ってるはずよ!畑を耕してもらったり、あんなに仲良くしてたじゃない!それを、リカンツだからって手のひらを返すなんて、恥ずかしいと思わないの?おかしいと思わないの?」
「だが、ラムラスはナトウィック司祭を殺したんだぞ!?バケモノにかわりはねぇ!」
「だから、それは誤解だって言ってるだろ!?」
別の村人の声に、カイウスは声を荒げた。そう。あれは異端審問官のロミー―――ラミーによく似た少女の仕業。その事実を、フェルンの人々はまだ知らないままなのだろう。いや、たとえ事実を受け入れたとしても、カイウスたちに対する態度が変わるとは考えにくい。真実は偏見によってかき消される。よくある話だ。
「あったまきた…」
胸の前で握りこぶしを作り、ティマが低い声で呟いた。同時に、修羅に似たオーラをまといだす。それを感知したロインとラミーが、嫌な汗を浮かべてたじろいだ。ティマが最も嫌いな事。それは、理由もなくレイモーンの民が蔑まれること。黙って聞いていれば、彼らはレイモーンの民というだけでカイウスを白い目で見ている。根拠のないことまで、レイモーンの民だからと彼のせい。腸は十分に煮えくり返っていた。
(ヤバい…。)
(ティマがキレた…。)
マウディーラと異なり、アレウーラでのレイモーンの民への風当たりはかなり強い。それを知らなかったわけではないが、想像以上だった。しかし、第三者と言う立場を考えれば、ここは首を突っ込むべきではないだろう。それを考えるだけの理性が吹っ飛ぶほど、ティマから黒いオーラを感じる。下手をすれば、悪い意味で暴走しかねない。そう思っていると、案の定ティマは彼らの前へとズカズカ歩み寄っていく。ロインとラミーも彼女を抑えようと慌てて出て行った。
「…全く。いつになっても、ヒトの頭は固い。」
その時、静かに、侮蔑のこもった言葉が聞こえた。それはスカーレットの横から、いつの間にか姿を現したベディーから放たれていた。
「な、何だい。あんた?」
村の男が噛み付くが、ベディーは無視した。無視し、カイウスとルビア、そしてロインとラミー、ティマのもとへと歩み寄った。そしてティマの前で跪くと、面を下げた。その様子に驚きをみせたのは、ティマやロインたちだけではなく、フェルンの村人たちもだった。そしてその視線は、ティマへと集中する。
「申し訳ありません。ティマリア様。王族として自覚を持つことで、かえって貴女を危険な目に合わせるのではと思い、事実を告げずにおりました。私が甘かった。」
「! そ、そんな、頭をあげて。ベディーさん、私は大丈夫だったんだから…。」
突然の言葉に、一瞬、ティマは何のことかわからなかった。しかし、それがガルザにさらわれてしまい、結果、ここ数日眠りにつく始末になったことに対してなのだと気付くと、彼女は慌てふためき、ベディーに顔を上げさせた。思ってもいなかった態度に、混乱しているようにも見える。だが、動揺しているのはティマだけではない。
「…おい。今、なんて言った?」
「あの子が、王族?どういうことだ?」
フェルンの村人たちが、声を潜めて再び騒ぎ出した。すると、ベディーはすっと立ち上がり、彼らに向かって言った。
「此方に居られるは、マウディーラ王家が姫、ティマリア・ルル・マウディーラ様だ!訳あって、このアレウーラで旅をなされている。悪いが、この教会をしばしの間、彼女の休息のために使わせて欲しい。無粋な騒ぎでそれを妨げる者がいれば、後に然るべき処置をとらせて頂く。」
その言葉が終わると、フェルンの人々は蜘蛛の子を散らすようにその場を去った。ベディーがレイモーンの民であると知らぬ人々は、ただティマに対する姿勢とその言葉を真に受け、その場を離れたのだ。
「くっ…はは…あはははは!」
カイウスたちとスカーレット以外の者がいなくなると、ラミーは腹を抱えて笑い出した。
「ベディー、お前やるな!これで連中、しばらく大人しくなるぞ。」
「え?じゃあ、今のは…」
ラミーの言葉に反応したスカーレットは、驚いた表情を浮かべ、カイウスたちを見た。
「ううん。ティマがお姫様っていうのは事実よ。スカーレット。」
ルビアは首を左右に振り、あの時のベディーの言葉を肯定した。それから、スカーレットに嬉しそうな顔を見せた。
「ありがとう、スカーレット。カイウスとおじさまのこと、庇ってくれて。」
「あ!そうだった。ありがとう、スカーレット。」
カイウスも続けて、思い出したように礼を述べた。だが、その表情には、喜びの中に6割ほどの悲しみがあった。それを見たスカーレットも、悲しみの表情しかだせなかった。だが、少しだけその表情を消し、柔らかな笑みを浮かべた。
「あとで、サイムに食事を運ばせるわ。皆さん、ゆっくり休んでいって下さい。」
それだけ言うと、彼女も教会から去っていった。もうじき日が暮れる。
バンと勢いよく部屋の戸を叩き、上着を乱暴に羽織ったロインが飛び込んできた。ノックもせずに入り込んできた彼に、ベッドの上のラミーはいろんな意味で喚きたてたが、それは耳に入っていない。彼はその隣のベッドにいる1人の少女だけを瞳に映し、駆け寄った。気付いた少女は、彼を見て嬉しそうな声を上げた。
「ロイン!」
「ティマ、大丈夫か!?どこも異常はないか!?」
ティマも思わずたじろぐほどの勢いで、ロインは一気に聞いた。今にも泣きそうなほどの心配の表情を浮かべ、ティマの手を優しく握った。あの時と違い、氷のようなぞっとする冷たさはなく、優しい温もりが手を伝って返ってくる。少し驚いた表情を浮かべたものの、ティマはすぐに、いつものあの笑顔を見せた。
「うん。私は平気。ありがとう、ロイン。」
その言葉に、ようやくロインは安堵の表情を浮かべた。同時に頭を垂れ、顔が見えなくなる。
「ロイン。おい、大丈夫か?」
その背を見ていたラミーが声をかけた。彼が緊張の糸が切れ放心しているから、という軽い理由ではない。俯いているロインから、それとは異なる空気を感じたからだ。ティマもそれに気が付き、2人して首を傾げた。ロインは、ラミーの声に何も反応を示さない。気になったティマも彼に声をかけようとした、ちょうどその時だった。
「皆、やめて!話を聞いて!!」
部屋の外からルビアの声がした。同時に、複数の声が喚きたてる音も響いてくる。そのやりとりに耳を澄ましていると、どうも穏やかではない。何事だろうか。気になったラミーは、ひょいとベッドから飛び降りると戸を開けて出て行った。ロインもその後を追おうと立ち上がる。すると、ティマもよろよろとベッドから起き上がろうとし、ロインは彼女を支えながら一緒に部屋を出た。扉一枚あるかないか、それだけで響く声の音量はだいぶ違う。礼拝堂のほうだろう、2人はゆっくり声のもとへ向かって歩いていく。
「まだ生きてやがったのか。この人殺しの息子が!」
「さっさとここから出て行け!教会が穢れる!」
「だから、お父さんとお母さんのことは違うって言ってるでしょ?いい加減、話を聞いて!」
彼らのやりとりの一部が耳に入った途端、2人の足はぴたりと止まった。そして顔を見合わせる。聞き捨てならない言葉が吐き捨てられた、それが何かの間違いではないかと確認するために。少しだけ足を速めて先に進むと、先に着いたラミーが、影から礼拝堂の様子を窺っていた。ロインとティマも様子を覗き見ると、入り口のところにいる集団と向かい合っているカイウスとルビアの姿があった。それは、とても奇妙な光景だった。フェルンが、カイウスとルビアの故郷が2人を、特にカイウスを拒んでいる。彼のことを忌み、追い出そうとしている。それをかばうのは、共に旅をしていたルビアただひとり。それを見守るだけの3人には、何故このようなことになっているのか理解できない。だがその時、ロインははっと思い出した。
「カイウスの父親はレイモーンの民だ。」
呟いた一言。ティマやラミーは首を傾げ、ロインにその続きを促した。ロインはゆっくりと、フェルン村の人々のやりとりに目を向けながら答えた。
「前に、カイウスから聞いたんだ。異端者狩りで父親が捕まって、しかも、ルビアの両親が異端審問官に殺されたって。そして、その罪はカイウスの父親に擦り付けられた。」
「そんな…!」
思わず絶句する2人。しかし、それは真実であった。加えるならば、カイウスの父がレイモーンの民と知れることになった事件、彼らがそれの元凶でもあるという噂を鵜呑みにする者も多い。そしてこの光景に、3人は、それほどまでにアレウーラ大陸でレイモーンの民に対する差別意識が定着しているということを目の当たりすることとなった。
「また2年前のように、バケモノを連れ込んでくるんじゃあるまいな?お前は、あのラムラスの子なんじゃからな!」
「ギルモア爺さん、止めて!」
憎悪を込めた翁の言葉。それに抗いの声を発したのは、カイウスでもルビアでもない。まして、その者の名を知らぬロイン達でもない。それは1人の女性。村人達の後ろに立ち、キッと鋭い瞳を向けているスカーレットだった。そして、その言葉に最も驚いたのがカイウスとルビアだった。
「カイウスやラムラスさんはそんな人じゃないって、ずっと一緒に暮らしてきたあなた達なら知ってるはずよ!畑を耕してもらったり、あんなに仲良くしてたじゃない!それを、リカンツだからって手のひらを返すなんて、恥ずかしいと思わないの?おかしいと思わないの?」
「だが、ラムラスはナトウィック司祭を殺したんだぞ!?バケモノにかわりはねぇ!」
「だから、それは誤解だって言ってるだろ!?」
別の村人の声に、カイウスは声を荒げた。そう。あれは異端審問官のロミー―――ラミーによく似た少女の仕業。その事実を、フェルンの人々はまだ知らないままなのだろう。いや、たとえ事実を受け入れたとしても、カイウスたちに対する態度が変わるとは考えにくい。真実は偏見によってかき消される。よくある話だ。
「あったまきた…」
胸の前で握りこぶしを作り、ティマが低い声で呟いた。同時に、修羅に似たオーラをまといだす。それを感知したロインとラミーが、嫌な汗を浮かべてたじろいだ。ティマが最も嫌いな事。それは、理由もなくレイモーンの民が蔑まれること。黙って聞いていれば、彼らはレイモーンの民というだけでカイウスを白い目で見ている。根拠のないことまで、レイモーンの民だからと彼のせい。腸は十分に煮えくり返っていた。
(ヤバい…。)
(ティマがキレた…。)
マウディーラと異なり、アレウーラでのレイモーンの民への風当たりはかなり強い。それを知らなかったわけではないが、想像以上だった。しかし、第三者と言う立場を考えれば、ここは首を突っ込むべきではないだろう。それを考えるだけの理性が吹っ飛ぶほど、ティマから黒いオーラを感じる。下手をすれば、悪い意味で暴走しかねない。そう思っていると、案の定ティマは彼らの前へとズカズカ歩み寄っていく。ロインとラミーも彼女を抑えようと慌てて出て行った。
「…全く。いつになっても、ヒトの頭は固い。」
その時、静かに、侮蔑のこもった言葉が聞こえた。それはスカーレットの横から、いつの間にか姿を現したベディーから放たれていた。
「な、何だい。あんた?」
村の男が噛み付くが、ベディーは無視した。無視し、カイウスとルビア、そしてロインとラミー、ティマのもとへと歩み寄った。そしてティマの前で跪くと、面を下げた。その様子に驚きをみせたのは、ティマやロインたちだけではなく、フェルンの村人たちもだった。そしてその視線は、ティマへと集中する。
「申し訳ありません。ティマリア様。王族として自覚を持つことで、かえって貴女を危険な目に合わせるのではと思い、事実を告げずにおりました。私が甘かった。」
「! そ、そんな、頭をあげて。ベディーさん、私は大丈夫だったんだから…。」
突然の言葉に、一瞬、ティマは何のことかわからなかった。しかし、それがガルザにさらわれてしまい、結果、ここ数日眠りにつく始末になったことに対してなのだと気付くと、彼女は慌てふためき、ベディーに顔を上げさせた。思ってもいなかった態度に、混乱しているようにも見える。だが、動揺しているのはティマだけではない。
「…おい。今、なんて言った?」
「あの子が、王族?どういうことだ?」
フェルンの村人たちが、声を潜めて再び騒ぎ出した。すると、ベディーはすっと立ち上がり、彼らに向かって言った。
「此方に居られるは、マウディーラ王家が姫、ティマリア・ルル・マウディーラ様だ!訳あって、このアレウーラで旅をなされている。悪いが、この教会をしばしの間、彼女の休息のために使わせて欲しい。無粋な騒ぎでそれを妨げる者がいれば、後に然るべき処置をとらせて頂く。」
その言葉が終わると、フェルンの人々は蜘蛛の子を散らすようにその場を去った。ベディーがレイモーンの民であると知らぬ人々は、ただティマに対する姿勢とその言葉を真に受け、その場を離れたのだ。
「くっ…はは…あはははは!」
カイウスたちとスカーレット以外の者がいなくなると、ラミーは腹を抱えて笑い出した。
「ベディー、お前やるな!これで連中、しばらく大人しくなるぞ。」
「え?じゃあ、今のは…」
ラミーの言葉に反応したスカーレットは、驚いた表情を浮かべ、カイウスたちを見た。
「ううん。ティマがお姫様っていうのは事実よ。スカーレット。」
ルビアは首を左右に振り、あの時のベディーの言葉を肯定した。それから、スカーレットに嬉しそうな顔を見せた。
「ありがとう、スカーレット。カイウスとおじさまのこと、庇ってくれて。」
「あ!そうだった。ありがとう、スカーレット。」
カイウスも続けて、思い出したように礼を述べた。だが、その表情には、喜びの中に6割ほどの悲しみがあった。それを見たスカーレットも、悲しみの表情しかだせなかった。だが、少しだけその表情を消し、柔らかな笑みを浮かべた。
「あとで、サイムに食事を運ばせるわ。皆さん、ゆっくり休んでいって下さい。」
それだけ言うと、彼女も教会から去っていった。もうじき日が暮れる。