第11章 懐かしき人と悲しき別れ W
日が落ちた。夜空には無数のセンシビアの星、地上には温もりをくれるいくつもの焚き火が闇を照らしている。
「痛っ!」
「もう、無茶するからでしょ。」
休憩用に張られたテントの一つで、ティルキスはアーリアに傷の手当てをしてもらっていた。あの時背に受けた以上の傷はないものの、小さな傷はあちこちにある。その傷をひとつずつ治していくアーリアに小言を言われているにも関わらず、その痛みに顔をしかめながらもティルキスは笑っていた。その笑顔を見ていると、アーリアは呆れのため息を吐くしかなかった。
「とりあえず、突然スポットを相手にしたにも関わらず、被害が少なくて良かったわ。」
そう言ってテントの外へと目を向ける。仲間達は戦闘の傷や疲れを癒し、穏やかに時を過ごしていた。彼らの前に現れたスポットの集団は、一匹残らず掃討した。人に憑いていた奴を含めて。おそらく、村を襲った集団は奴らだったのだろう。そう思うと、ティルキスとアーリアの胸の奥にモヤモヤとしたものが生まれる。今回のスポットの出現ついて、国を渡って調査する必要があるだろう。言葉に出さずとも、互いにそう考えた時だった。
「ぐあああっ!!」
「な、なにを…ぎゃあああああ!!」
突然耳に入った悲鳴の数々。二人はバッと立ち上がり、それぞれの武器を持ってテントから飛び出した。そこで目にしたのは、血に濡れた刃を掲げる一人の男だった。
「何をしている!」
ティルキスは叫び、その男を羽交い絞めにして動きを封じた。そして同時に、その男の正体に目を疑った。それは、先ほど自分を助け、スポットゾンビに剣を振るっていた仲間だった。だが、すぐにその様子がおかしいことに気がつく。記憶では紺色だった瞳の色が、血のような赤い色になっていた。加えて、狂ったような残虐な笑い声をあげている。そう。まるで先ほど戦ったスポットのように。
「アーリア!」
ティルキスは彼女の名を叫んだ。その意図を理解したアーリアはすぐさま詠唱を始め、その男に術をかける。それは『インスペクトマジック』のプリセプツ。そして、アーリアは怪訝な表情を浮かべた。
「おかしい…。スポットに憑かれたわけじゃない。…これは、毒?」
「毒?どういうことだ。」
「わからないわ。でも、それなら…リカバー!」
アーリアの杖から、インスペクトマジックとは違う輝きが男に向かって放たれる。その光は毒を浄化する。男の瞳は次第に赤から紺に変わり、残虐的な笑みは薄れていった。
「あ…あれ?俺は一体…。」
「ふぅ、正気に戻ったか。」
ティルキスは腕の力を緩め、静かに男を解放した。彼が正気に戻ったことで一安心したのか、ティルキスもアーリアもとりあえず安堵の表情を浮かべた。それもわずか一瞬のことで、すぐさま怪訝な表情に変わる。
「貴方、さっきの戦いで毒にやられたみたいなの。変わったことはなかった?」
正気を取り戻し、傷ついた仲間の姿を見て混乱している男に、アーリアは静かに尋ねた。だが、男は心当たりがないのか、さらに困惑した表情を浮かべるだけだった。いつ毒を受けたかわからない。いつの間にか仲間が毒に侵され、知らず知らずのうちにその身を脅かしていく。それはこの現状を何一つ理解できずにいる彼らにとって、ただ恐怖でもあった。
「他に異常を感じるヤツはいないか!?」
とにかく、その毒はアーリアの術で回復させることができるのはわかった。ならば、今はその毒を浄化するしかない。ティルキスは大声をあげ、皆に呼び掛けた。だが、その身に異変を覚えた者はいない。彼だけだろうか?疑いの感情が心を支配する。
「ティルキス様、今はお休みください。傷に障ります。」
一人の仲間が、そう言ってティルキスに歩み寄ってきた。それに対し、ティルキスは力なく頷いた、刹那だった。
「ティルキス!!」
アーリアの悲鳴が響いた。近づいてきたその仲間の瞳が赤に変わり、手にしていた短剣をティルキスの腹部へと突き刺したのだ。ティルキスは吐血し、うめき声をあげてそのままうずくまった。アーリアが咄嗟に杖を振り回し、ティルキスを相手から引き離すことに成功した。だが、そんな彼女の身体に鈍い痛みが襲いかかった。強く殴り飛ばされ、足を踏ん張らせてなんとか耐えた彼女が目にしたのは、信じ難い光景だった。
「ティルキス…そんな、貴方まで!?」
そこにいたのは、腹部に傷を負いながらも赤い双眸で自分を見てくるティルキスだった。彼だけではない。今まで何事もなかったように見えた仲間達も、次々に狂気的に変貌していく。わずかに残された正常な仲間達は、アーリアを守り、彼らの攻撃を受け止めるだけで精いっぱいだった。
一体どうして…!?
アーリアの目は驚愕で見開かれた。冷静さを失い、自分をまっすぐ見つめるティルキスを見つめ返し、一歩後退する。
「アーリアさん、しっかり!」
「うわあああ!!」
そんな彼女のもとに、叱咤の声と絶叫が届いた。次の瞬間、アーリアの意識は現実に引き戻される。泣きそうになる自分自身に喝を入れ、急ぎ詠唱を完成させた。
「みんな、しっかりして!リキュペレート!」
広範囲に味方に作用する回復のプリセプツ。浄化の力は彼ら全員を覆い、光になって包み込んだ。それによって、仲間達は次々と正気を取り戻し、赤くぎらついていた瞳は元通りになる。ティルキスも例外なく元に戻ったが、それと同時に崩れるように倒れてしまう。あわてて駆け寄るアーリアの腕に抱かれ、ティルキスは言葉を発した。
「アーリア、済まない。…ぐぅ!」
「わたしは大丈夫。今手当てをするから、喋らないで。」
実際、大した怪我には至らなかったアーリアは、その直後意識を失ったティルキスを含め、負傷した仲間たちに急いで治癒術を施し、一晩中回った。そんな彼女の魔力が枯渇し、疲労で眠りに落ちている間のことだった。
「…ごめん。アーリア。」
虚ろな意識下で聞こえた愛しい人の声。夢見心地の彼女に、それは何かを伝えるのには不十分だった。気がついた時、センシビアの王子は誰にも行く先を告げず忽然と姿を消し、そのまま戻らなかった。
「痛っ!」
「もう、無茶するからでしょ。」
休憩用に張られたテントの一つで、ティルキスはアーリアに傷の手当てをしてもらっていた。あの時背に受けた以上の傷はないものの、小さな傷はあちこちにある。その傷をひとつずつ治していくアーリアに小言を言われているにも関わらず、その痛みに顔をしかめながらもティルキスは笑っていた。その笑顔を見ていると、アーリアは呆れのため息を吐くしかなかった。
「とりあえず、突然スポットを相手にしたにも関わらず、被害が少なくて良かったわ。」
そう言ってテントの外へと目を向ける。仲間達は戦闘の傷や疲れを癒し、穏やかに時を過ごしていた。彼らの前に現れたスポットの集団は、一匹残らず掃討した。人に憑いていた奴を含めて。おそらく、村を襲った集団は奴らだったのだろう。そう思うと、ティルキスとアーリアの胸の奥にモヤモヤとしたものが生まれる。今回のスポットの出現ついて、国を渡って調査する必要があるだろう。言葉に出さずとも、互いにそう考えた時だった。
「ぐあああっ!!」
「な、なにを…ぎゃあああああ!!」
突然耳に入った悲鳴の数々。二人はバッと立ち上がり、それぞれの武器を持ってテントから飛び出した。そこで目にしたのは、血に濡れた刃を掲げる一人の男だった。
「何をしている!」
ティルキスは叫び、その男を羽交い絞めにして動きを封じた。そして同時に、その男の正体に目を疑った。それは、先ほど自分を助け、スポットゾンビに剣を振るっていた仲間だった。だが、すぐにその様子がおかしいことに気がつく。記憶では紺色だった瞳の色が、血のような赤い色になっていた。加えて、狂ったような残虐な笑い声をあげている。そう。まるで先ほど戦ったスポットのように。
「アーリア!」
ティルキスは彼女の名を叫んだ。その意図を理解したアーリアはすぐさま詠唱を始め、その男に術をかける。それは『インスペクトマジック』のプリセプツ。そして、アーリアは怪訝な表情を浮かべた。
「おかしい…。スポットに憑かれたわけじゃない。…これは、毒?」
「毒?どういうことだ。」
「わからないわ。でも、それなら…リカバー!」
アーリアの杖から、インスペクトマジックとは違う輝きが男に向かって放たれる。その光は毒を浄化する。男の瞳は次第に赤から紺に変わり、残虐的な笑みは薄れていった。
「あ…あれ?俺は一体…。」
「ふぅ、正気に戻ったか。」
ティルキスは腕の力を緩め、静かに男を解放した。彼が正気に戻ったことで一安心したのか、ティルキスもアーリアもとりあえず安堵の表情を浮かべた。それもわずか一瞬のことで、すぐさま怪訝な表情に変わる。
「貴方、さっきの戦いで毒にやられたみたいなの。変わったことはなかった?」
正気を取り戻し、傷ついた仲間の姿を見て混乱している男に、アーリアは静かに尋ねた。だが、男は心当たりがないのか、さらに困惑した表情を浮かべるだけだった。いつ毒を受けたかわからない。いつの間にか仲間が毒に侵され、知らず知らずのうちにその身を脅かしていく。それはこの現状を何一つ理解できずにいる彼らにとって、ただ恐怖でもあった。
「他に異常を感じるヤツはいないか!?」
とにかく、その毒はアーリアの術で回復させることができるのはわかった。ならば、今はその毒を浄化するしかない。ティルキスは大声をあげ、皆に呼び掛けた。だが、その身に異変を覚えた者はいない。彼だけだろうか?疑いの感情が心を支配する。
「ティルキス様、今はお休みください。傷に障ります。」
一人の仲間が、そう言ってティルキスに歩み寄ってきた。それに対し、ティルキスは力なく頷いた、刹那だった。
「ティルキス!!」
アーリアの悲鳴が響いた。近づいてきたその仲間の瞳が赤に変わり、手にしていた短剣をティルキスの腹部へと突き刺したのだ。ティルキスは吐血し、うめき声をあげてそのままうずくまった。アーリアが咄嗟に杖を振り回し、ティルキスを相手から引き離すことに成功した。だが、そんな彼女の身体に鈍い痛みが襲いかかった。強く殴り飛ばされ、足を踏ん張らせてなんとか耐えた彼女が目にしたのは、信じ難い光景だった。
「ティルキス…そんな、貴方まで!?」
そこにいたのは、腹部に傷を負いながらも赤い双眸で自分を見てくるティルキスだった。彼だけではない。今まで何事もなかったように見えた仲間達も、次々に狂気的に変貌していく。わずかに残された正常な仲間達は、アーリアを守り、彼らの攻撃を受け止めるだけで精いっぱいだった。
一体どうして…!?
アーリアの目は驚愕で見開かれた。冷静さを失い、自分をまっすぐ見つめるティルキスを見つめ返し、一歩後退する。
「アーリアさん、しっかり!」
「うわあああ!!」
そんな彼女のもとに、叱咤の声と絶叫が届いた。次の瞬間、アーリアの意識は現実に引き戻される。泣きそうになる自分自身に喝を入れ、急ぎ詠唱を完成させた。
「みんな、しっかりして!リキュペレート!」
広範囲に味方に作用する回復のプリセプツ。浄化の力は彼ら全員を覆い、光になって包み込んだ。それによって、仲間達は次々と正気を取り戻し、赤くぎらついていた瞳は元通りになる。ティルキスも例外なく元に戻ったが、それと同時に崩れるように倒れてしまう。あわてて駆け寄るアーリアの腕に抱かれ、ティルキスは言葉を発した。
「アーリア、済まない。…ぐぅ!」
「わたしは大丈夫。今手当てをするから、喋らないで。」
実際、大した怪我には至らなかったアーリアは、その直後意識を失ったティルキスを含め、負傷した仲間たちに急いで治癒術を施し、一晩中回った。そんな彼女の魔力が枯渇し、疲労で眠りに落ちている間のことだった。
「…ごめん。アーリア。」
虚ろな意識下で聞こえた愛しい人の声。夢見心地の彼女に、それは何かを伝えるのには不十分だった。気がついた時、センシビアの王子は誰にも行く先を告げず忽然と姿を消し、そのまま戻らなかった。