第13章 しらせ U
数日が過ぎ、やがてロインにとって見慣れた港が姿を現した。最後に見た光景とは少し異なり、町はいくらか落ち着きを取り戻したみたいで、港にはいくつかの船が停泊していた。もしかすると、イーバオの復興のためにやってきた、首都スディアナからの使いの船かもしれない。そんなことを考えているうちに、ロイン達の乗った船は船着き場に着いた。碇をおろし船から降りると、懐かしい姿が彼らを出迎えた。
「ロイン。」
「! おばさん…。」
ロインが名を呼ばれて振り向けば、微笑みを浮かべるマリワナがいた。あの襲撃事件以来の多忙さからか、艶のあった薄茶色の髪の毛は、以前より少しくたびれたようだった。だが、彼らを見るその表情には心からの安堵と喜びがあり、疲れなど感じさせなかった。
「マリワナおばさん…。その、オレ…。」
そんなマリワナと向き合うも、ロインは気まずそうに言葉を濁したのだった。イーバオを旅立つ時、彼は一人でティマを守ると豪語していた。それは他人を信用しないという心の壁があったせいでもあるが、しかし彼はそれを果たせなかった。ティマは危うく命を落としかけ、そして魔法を扱えなくなった。たとえそれが、どれだけの仲間の力を持ってしても防ぎようのない出来事だったとしても、ロインは責任を感じていたのだ。だが、マリワナはそんなロインの心境を理解したように、頭を優しく撫でたのだ。
「いいのよ、ロイン。それより、元気そうで良かったわ。」
そして戸惑うロインに向けたのは、慈愛に満ちた母のような優しさだった。ロインは少し戸惑いながらも顔をあげ、それでもマリワナの言葉と優しさに救われたのか、ぎこちなく顔を綻ばせたのだった。そんなロインの隣に並び、カイウスはマリワナに笑みを浮かべながら声をかけた。
「マリワナさん。お久しぶりです。」
「カイウスさん。皆さんも、元気そうで何よりだわ。」
マリワナは言いながら、カイウスや次々と船から下りてくるルビアやラミー達の姿をとらえた。そしてその視線は、その中の一人の人物に止まった。それは彼女と同じレイモーンの青年・ベディーである。マリワナの戸惑っているらしい様子にいちはやく気がついたカイウスは、彼女にベディーを紹介しようとした。
「あっ。マリワナさん、この人は…」
「こんのバカクー!!!」
それは、カイウスが口を開いたのとほぼ時を同じくして起こった。マリワナの怒声が港いっぱいに響き、ベディーが少年二人の横を凄まじい速さで通り過ぎて行った―――いや、吹き飛ばされたのだった。そして目の前には、一体どこにあったのか、手にした棍を突き出した直後の態勢のままで、鬼の形相で立っているマリワナがいた。吹っ飛ばされたベディーは、その棍で突かれた箇所と、直後の衝撃でぶつけたのだろうか額から流れる血を手で抑えながら地面に伏し、ある意味瀕死の状態だった。あまりにも一瞬で過ぎた出来事に、ロインとカイウスは何が起こったのか理解が追いつかず、間抜けな表情をしてその場に立ち尽くしていた。他の仲間達も、驚きのあまり船側に身を寄せて呆然としている。
「あんた、人様の子をほったらかして15年もどこ行ってたのよ!?」
そうしている間に、マリワナは怒号をあげてベディーへと歩み寄っていた。どこか殺気らしいオーラをまとう彼女に、ロインたちは怯んでただ立ち尽くし、ベディーは激痛に悶えながらも彼女へと視線を向けた。そして、彼は今まで出会ったどの魔物―――あのバキラやアーレスも含め―――と対峙した時よりもギクリと表情をこわばらせ、少なからずも生命の危機を感じたのだろう、手をつきながら数歩マリワナから後退しようとした。だが、彼の傍らに勢いよく突き立てられた棍の存在に、その動きは固められてしまった。
「あんたもあんたであれっきり帰ってこなかったし、一体何してたの!」
「は、ははっ…。あ、相変わらずみたいだね…姉貴。」
「「姉貴!?」」
顔をひきつらせながら笑って見せるベディー。そんな彼の口から出た、思わぬ言葉。ロインとカイウスは図らずもそろって驚愕の叫びをあげ、マリワナは少年たちに顔を向け、当然というように鼻を鳴らした。
「あなた達、名前で気付かなかったの?『クルーダ・コレンド』。私やティマと同じ姓でしょ?」
「クルーダ、コレンド…?」
「それって、行方不明だって言ってた、おばさんの弟…!」
聞き覚えのない名。マリワナはベディーをその名で呼んだ。カイウスは理解が追い付かず、訳が分からないというふうにベディーへ視線を向けた。その隣で、ロインはマリワナとベディーの顔をゆっくり交互に見ていた。
『何でかな?ベディーさん見てると、どこか懐かしい感じがする気がするの。』
その時、ロインの記憶の中で一つの声が響いた。そして、改めて二人を見比べた。髪は薄茶色と銀色。年齢は十歳近く離れているように見える。これだけでは赤の他人と思える。だが、同じ淡紫の瞳に、レイモーンの民という共通点。そして何よりも決定的な繋がりを、ロインは―――ロインとティマは知っていた。
彼らの獣人化した姿が、同じ豹のような姿であるということを。
「偽名、か?」
「…ああ。」
ロインが呟くように言うと、ベディーは観念したように小さく頷いた。
「姉貴に、迷惑かけたくなかったんだ。だから、『クルーダ・コレンド』の名を捨てて、犯罪者『ベディー・モルレイ』として生きると決めたんだ。」
「バカね。」
ベディーは静かにそう語った。名を変える事で、少しでもマリワナに悲しい思いをさせまいとしたのだろう。だがそのマリワナは、呆れた溜息と共に短くバカにした一言を放った。
「10歳ちょっと過ぎたばっかの、たった1人の弟は急に姿を消すわ。帰って来たと思いきや、人様の子どもを突然預けていくわ!それっきりまた姿を消すわ!!…十分迷惑よ。今更何言ってんの。」
マリワナはそう言いながら、ベディーの頭を小突いた。彼はそれを甘んじて受ける一方で、申し訳なさそうに苦笑していた。
「ははっ。お互い、女性には頭が上がらないみたいだな。」
そのやり取りを終始黙って眺めていたティルキスが、笑いながらベディーの肩を軽く叩いた。
「相手が違うでしょ、ティルキス様?」
ベディーは苦笑と共に立ち上がり、ちらりとアーリアを視界に入れながらティルキスにそう返した。その言葉に返すことはできなかったらしく、ティルキスは苦笑と共に肩をすくめた。その時、マリワナは我に帰ったのか、恥ずかしそうに急に顔を赤らめていた。
「あらら!私ったら、お恥ずかしいところを…どうもすみません。ロイン、来なさい。ティマが会いたがってるわ。」
「ティマが…。」
「ええ、それはもう。武器の整備に集中しなくちゃ気を紛らわせないくらいに、ね。」
妙な微笑みを携えて話すマリワナ。一方でロインは、それまでの様子が嘘のように急激に身体を硬直させ、脂汗をかいていた。
「…怒ってるな。」
「それも相当ね。」
彼のその珍しい反応から、カイウスとルビアはティマの様子を悟る事ができたらしい。かける言葉が見当たらないらしく、ただロインの後ろ姿を憐れんで見ていた。
「ロイン。」
「! おばさん…。」
ロインが名を呼ばれて振り向けば、微笑みを浮かべるマリワナがいた。あの襲撃事件以来の多忙さからか、艶のあった薄茶色の髪の毛は、以前より少しくたびれたようだった。だが、彼らを見るその表情には心からの安堵と喜びがあり、疲れなど感じさせなかった。
「マリワナおばさん…。その、オレ…。」
そんなマリワナと向き合うも、ロインは気まずそうに言葉を濁したのだった。イーバオを旅立つ時、彼は一人でティマを守ると豪語していた。それは他人を信用しないという心の壁があったせいでもあるが、しかし彼はそれを果たせなかった。ティマは危うく命を落としかけ、そして魔法を扱えなくなった。たとえそれが、どれだけの仲間の力を持ってしても防ぎようのない出来事だったとしても、ロインは責任を感じていたのだ。だが、マリワナはそんなロインの心境を理解したように、頭を優しく撫でたのだ。
「いいのよ、ロイン。それより、元気そうで良かったわ。」
そして戸惑うロインに向けたのは、慈愛に満ちた母のような優しさだった。ロインは少し戸惑いながらも顔をあげ、それでもマリワナの言葉と優しさに救われたのか、ぎこちなく顔を綻ばせたのだった。そんなロインの隣に並び、カイウスはマリワナに笑みを浮かべながら声をかけた。
「マリワナさん。お久しぶりです。」
「カイウスさん。皆さんも、元気そうで何よりだわ。」
マリワナは言いながら、カイウスや次々と船から下りてくるルビアやラミー達の姿をとらえた。そしてその視線は、その中の一人の人物に止まった。それは彼女と同じレイモーンの青年・ベディーである。マリワナの戸惑っているらしい様子にいちはやく気がついたカイウスは、彼女にベディーを紹介しようとした。
「あっ。マリワナさん、この人は…」
「こんのバカクー!!!」
それは、カイウスが口を開いたのとほぼ時を同じくして起こった。マリワナの怒声が港いっぱいに響き、ベディーが少年二人の横を凄まじい速さで通り過ぎて行った―――いや、吹き飛ばされたのだった。そして目の前には、一体どこにあったのか、手にした棍を突き出した直後の態勢のままで、鬼の形相で立っているマリワナがいた。吹っ飛ばされたベディーは、その棍で突かれた箇所と、直後の衝撃でぶつけたのだろうか額から流れる血を手で抑えながら地面に伏し、ある意味瀕死の状態だった。あまりにも一瞬で過ぎた出来事に、ロインとカイウスは何が起こったのか理解が追いつかず、間抜けな表情をしてその場に立ち尽くしていた。他の仲間達も、驚きのあまり船側に身を寄せて呆然としている。
「あんた、人様の子をほったらかして15年もどこ行ってたのよ!?」
そうしている間に、マリワナは怒号をあげてベディーへと歩み寄っていた。どこか殺気らしいオーラをまとう彼女に、ロインたちは怯んでただ立ち尽くし、ベディーは激痛に悶えながらも彼女へと視線を向けた。そして、彼は今まで出会ったどの魔物―――あのバキラやアーレスも含め―――と対峙した時よりもギクリと表情をこわばらせ、少なからずも生命の危機を感じたのだろう、手をつきながら数歩マリワナから後退しようとした。だが、彼の傍らに勢いよく突き立てられた棍の存在に、その動きは固められてしまった。
「あんたもあんたであれっきり帰ってこなかったし、一体何してたの!」
「は、ははっ…。あ、相変わらずみたいだね…姉貴。」
「「姉貴!?」」
顔をひきつらせながら笑って見せるベディー。そんな彼の口から出た、思わぬ言葉。ロインとカイウスは図らずもそろって驚愕の叫びをあげ、マリワナは少年たちに顔を向け、当然というように鼻を鳴らした。
「あなた達、名前で気付かなかったの?『クルーダ・コレンド』。私やティマと同じ姓でしょ?」
「クルーダ、コレンド…?」
「それって、行方不明だって言ってた、おばさんの弟…!」
聞き覚えのない名。マリワナはベディーをその名で呼んだ。カイウスは理解が追い付かず、訳が分からないというふうにベディーへ視線を向けた。その隣で、ロインはマリワナとベディーの顔をゆっくり交互に見ていた。
『何でかな?ベディーさん見てると、どこか懐かしい感じがする気がするの。』
その時、ロインの記憶の中で一つの声が響いた。そして、改めて二人を見比べた。髪は薄茶色と銀色。年齢は十歳近く離れているように見える。これだけでは赤の他人と思える。だが、同じ淡紫の瞳に、レイモーンの民という共通点。そして何よりも決定的な繋がりを、ロインは―――ロインとティマは知っていた。
彼らの獣人化した姿が、同じ豹のような姿であるということを。
「偽名、か?」
「…ああ。」
ロインが呟くように言うと、ベディーは観念したように小さく頷いた。
「姉貴に、迷惑かけたくなかったんだ。だから、『クルーダ・コレンド』の名を捨てて、犯罪者『ベディー・モルレイ』として生きると決めたんだ。」
「バカね。」
ベディーは静かにそう語った。名を変える事で、少しでもマリワナに悲しい思いをさせまいとしたのだろう。だがそのマリワナは、呆れた溜息と共に短くバカにした一言を放った。
「10歳ちょっと過ぎたばっかの、たった1人の弟は急に姿を消すわ。帰って来たと思いきや、人様の子どもを突然預けていくわ!それっきりまた姿を消すわ!!…十分迷惑よ。今更何言ってんの。」
マリワナはそう言いながら、ベディーの頭を小突いた。彼はそれを甘んじて受ける一方で、申し訳なさそうに苦笑していた。
「ははっ。お互い、女性には頭が上がらないみたいだな。」
そのやり取りを終始黙って眺めていたティルキスが、笑いながらベディーの肩を軽く叩いた。
「相手が違うでしょ、ティルキス様?」
ベディーは苦笑と共に立ち上がり、ちらりとアーリアを視界に入れながらティルキスにそう返した。その言葉に返すことはできなかったらしく、ティルキスは苦笑と共に肩をすくめた。その時、マリワナは我に帰ったのか、恥ずかしそうに急に顔を赤らめていた。
「あらら!私ったら、お恥ずかしいところを…どうもすみません。ロイン、来なさい。ティマが会いたがってるわ。」
「ティマが…。」
「ええ、それはもう。武器の整備に集中しなくちゃ気を紛らわせないくらいに、ね。」
妙な微笑みを携えて話すマリワナ。一方でロインは、それまでの様子が嘘のように急激に身体を硬直させ、脂汗をかいていた。
「…怒ってるな。」
「それも相当ね。」
彼のその珍しい反応から、カイウスとルビアはティマの様子を悟る事ができたらしい。かける言葉が見当たらないらしく、ただロインの後ろ姿を憐れんで見ていた。