外伝4 出会いの剣 T
(これは…不味いですね。)
資料を大切に抱きかかえながら、ドーチェ・エイバスはそう思った。背後と左右には壁。唯一の通路である正面には一体のスケルトン。袋の鼠。それがこの状況を表すのにぴったりの言葉だろう。じわりじわりと追い詰められるが、ドーチェは冷静を保とうとしていた。彼は戦う術を持っていない。襲われたらひとたまりもない。だからこそ、一瞬の隙を見逃すまいと神経を研ぎ澄ませる。
だからこそ、見えた。
「紅蓮剣!」
気配を消してスケルトンに近づき、一撃で仕留めた華麗な剣。凛と響く美しい声。暗い遺跡の中でも輝く流れる金髪。燃え散ったスケルトンの代わりに彼の前に現れた、それらの持ち主。
「ふぅ。怪我は?」
「…おかげ様で。」
「良かった。」
剣を収めながら、金髪の剣士はほっとした笑顔を見せた。
これが、ドーチェとグレシアの出会いだった。
「それは危なかったな。だから一人で行くな、ってあれほど言ったのによぉ。」
「済まない。どうしても気持ちを抑えきれなくてね。」
静かな町ケノンにある、とある宿屋。その1階の酒場で会話をしている2人の男性。スケルトンといった凶暴な魔物が現れるホッポ遺跡に、戦う術を持たない男が一人で調査に行ったのだ。無謀としか思えない彼の行動に、トルドは苦笑と呆れの交じった顔になる。
「それで、どうだった?グレシアの腕前は?」
「グレシア?」
「ほら、お前を助けた金髪の姉ちゃん。」
「ああ、彼女のことか。驚いたよ。ボクよりも若いのに、あれほど力があるなんて。」
ドーチェは感心したように言い、グラスの中の冷たい飲み物を口にする。トルドはまるで自分のことのように笑顔を見せ、自慢げにまた口を開いた。
「なんてったって、『ウルノア』の血族だもんな。しかも、あの若さで近衛騎士隊長。お近づきになる機会なんて、そうないぜ?」
「あら。お褒めの言葉、ありがとう。」
くすくすと笑い声を上げ、2人の女性が2階から降りてきた。1人はこの酒場を営むリーサ。もう1人は、噂の若き近衛騎士隊長グレシアだ。彼女は先ほどまでの武装を解き、ただ腰には剣をひとつ下げていた。彼女達は男性2人に近づき、リーサはドーチェの隣、グレシアはトルドの横に腰を下ろした。
「ドーチェ、改めて紹介するよ。お前の護衛に呼んだ、グレシア・ウルノアだ。グレシア、こいつがドーチェ・エイバス。俺とリーサの友人で、ホッポ遺跡で研究をしてる学者だ。」
トルドが紹介し、2人は軽く会釈した。
「すみません。近衛騎士隊長に、こんなことを頼んでしまいまして。」
「いいんですよ。副隊長に仕事を任せてきていますし、それに王からも重要な研究のためだと許しが出ていますから。」
済まなそうに微笑むドーチェに対し、グレシアは笑顔でそう答えた。そんな2人の会話に、リーサが微笑みながら口をはさんだ。
「2人とも、そんな話し方じゃ堅苦しいんじゃないの?」
「僕は、これが普段通りですから。」
「私は護衛する側ですし、依頼主に気安く話しかけるわけには…。」
「おいおい、グレシア。ドーチェは王族でもなんでもないんだ。もう少し崩した喋り方をしたって、別に誰も怒りはしないって。」
「けれど、それにしたって私より年上、ですよね?」
「僕は構いませんよ。」
大笑いするトルドの隣で、グレシアはあたふたとするばかりだ。加えて、本人にその気はなかったのだろうが、ドーチェの発言によって更に困った表情を浮かべてしまう。彼女がそんな顔をするのには、複雑な原因があった。
「…私、素行悪いですよ?」
「気にしませんよ。多少の荒くれには、トルドのおかげで慣れていますから。」
「おい、それはどういう意味だ。」
「良い友人を持った、という意味ですよ。」
グレシアは少女らしく恥ずかしげに顔を赤らめ、上目遣いでそう告白した。だが、それすらもドーチェは朗らかに微笑んで返してみせたのだった。そう、トルドの睨みすらも。そのやり取りを、ポカンと口を半開きにして見ていたグレシアに、リーサが微笑んだ。
「大丈夫よ、グレシアさん。ドーチェくんはそういう性分なの。」
「…そのようですね。」
隣の男2人が、もはや何の言い争いになっているのかすらわからない言いあい―――ドーチェがトルドの発言を笑顔で受け流し続けているだけだが―――を見て、グレシアは苦笑しながらようやく納得したのだった。
「それじゃあ、改めてよろしく。ドーチェ。」
大きく深呼吸を一つし、力を抜いたグレシアの口から出た言葉は、それまでとは異なった活発な少女のものだった。ドーチェはそれに、今まで以上の優しい目で微笑んで返した。
「それでは自己紹介も済んだことですし、行きましょうか。」
直後、彼は静かに立ち上がると、外に向かって歩き出した。
「どこに?」
「遺跡に、ですよ。」
グレシアがきょとんと首を傾げて尋ねれば、ドーチェはにこっと笑ってそう答えた。それには彼女だけでなく、トルドらまでもが目を丸くした。
「ドーチェ。お前今何時だと思ってるんだ?もうすぐ夕暮れだぞ。いくらグレシアが一緒だからって、エルナの森やホッポ遺跡が危険なことくらいわかるだろう。」
トルドは言いながら窓の外を指さした。日が徐々に沈み、オレンジ色に染まった空がケノンを包んでいる。ドーチェは指摘されて初めて現実に気付いたようで、だが微笑みを一瞬消しただけですぐに彼らに振り向いて言った。
「では、明日の朝迎えに来ますね。グレシアさん、よろしくお願いします。」
彼はにこやかにそう言うと、鈴のついた戸をくぐり抜け帰路についた。残された3人は、カランと鈴の音が鳴りやむまでそちらの方向を向いたまま固まっていた。
「トルド。ドーチェって、ああいう人?」
やがてくるりと首の向きを変え、グレシアは半分戸惑った顔で隣に座るトルドに尋ねた。トルドは少し困ったように、頬を掻きながらそれに答えた。
「まあ、夢中になると少しばかり周りが見えなくなるヤツだな。ただ、それでも平常心だけは忘れないから凄いと思うよ。」
そう言いながらも、彼は苦笑していた。
翌朝は早かった。グレシアが予想していたよりも。それは夜が明けるか明けないかくらいの時間。トルドがまだ眠りについている時間であるにも関わらず、彼は宿屋に顔を出した。
「別に早番には慣れているからいいけれど…朝は朝でも夜明けの時間ってどうなの?」
髪を結いながら、グレシアは先を歩くドーチェに口を尖らせた。彼のこの行動に対応できていたのはリーサくらいで、グレシアが簡単に身支度を終えて出てきた時、彼女は2人分の弁当をバスケットに準備して食堂に立っていたのだった。
「ホッポ遺跡まで少しかかりますからね。多くの調査をしたいと考えるなら、このくらいの時間でないと足りないと思いまして。」
ドーチェはそう言って、慣れた足取りでエルナの森の奥を歩いて行く。その様子を見て、グレシアは昨日のトルドの言葉を思い出し、半ば諦めたように溜息をついた。そして髪を結い終えると、キッと表情を引き締めた。
「わかった。けど、ひとつ警告ね。」
彼女は言いながら、剣をすっと抜き魔神剣をドーチェの右斜め横に向かって放った。その直後響いた一瞬の断末魔。そしてウルフの鳴き声と足音が、彼らから徐々に遠のいて行くのが耳に入ってきた。
「魔物はいつでもどこにでもいるの。油断と無理は禁物よ。」
ふっと微笑を浮かべながら、グレシアは剣を収めた。ドーチェはその余裕の表情を見つめ、先の瞬間に何が起きたのかを悟った。彼女が仕留めたのは、ウルフの群れのリーダー。リーダーを一瞬のうちに失った群れは、戸惑いその場から逃げだしたのだった。その正確さと無駄のなさに、改めて彼女の力量を思い知った。だが彼の顔に浮かぶのは、彼女の微笑みに返す穏やかな笑顔だった。
資料を大切に抱きかかえながら、ドーチェ・エイバスはそう思った。背後と左右には壁。唯一の通路である正面には一体のスケルトン。袋の鼠。それがこの状況を表すのにぴったりの言葉だろう。じわりじわりと追い詰められるが、ドーチェは冷静を保とうとしていた。彼は戦う術を持っていない。襲われたらひとたまりもない。だからこそ、一瞬の隙を見逃すまいと神経を研ぎ澄ませる。
だからこそ、見えた。
「紅蓮剣!」
気配を消してスケルトンに近づき、一撃で仕留めた華麗な剣。凛と響く美しい声。暗い遺跡の中でも輝く流れる金髪。燃え散ったスケルトンの代わりに彼の前に現れた、それらの持ち主。
「ふぅ。怪我は?」
「…おかげ様で。」
「良かった。」
剣を収めながら、金髪の剣士はほっとした笑顔を見せた。
これが、ドーチェとグレシアの出会いだった。
「それは危なかったな。だから一人で行くな、ってあれほど言ったのによぉ。」
「済まない。どうしても気持ちを抑えきれなくてね。」
静かな町ケノンにある、とある宿屋。その1階の酒場で会話をしている2人の男性。スケルトンといった凶暴な魔物が現れるホッポ遺跡に、戦う術を持たない男が一人で調査に行ったのだ。無謀としか思えない彼の行動に、トルドは苦笑と呆れの交じった顔になる。
「それで、どうだった?グレシアの腕前は?」
「グレシア?」
「ほら、お前を助けた金髪の姉ちゃん。」
「ああ、彼女のことか。驚いたよ。ボクよりも若いのに、あれほど力があるなんて。」
ドーチェは感心したように言い、グラスの中の冷たい飲み物を口にする。トルドはまるで自分のことのように笑顔を見せ、自慢げにまた口を開いた。
「なんてったって、『ウルノア』の血族だもんな。しかも、あの若さで近衛騎士隊長。お近づきになる機会なんて、そうないぜ?」
「あら。お褒めの言葉、ありがとう。」
くすくすと笑い声を上げ、2人の女性が2階から降りてきた。1人はこの酒場を営むリーサ。もう1人は、噂の若き近衛騎士隊長グレシアだ。彼女は先ほどまでの武装を解き、ただ腰には剣をひとつ下げていた。彼女達は男性2人に近づき、リーサはドーチェの隣、グレシアはトルドの横に腰を下ろした。
「ドーチェ、改めて紹介するよ。お前の護衛に呼んだ、グレシア・ウルノアだ。グレシア、こいつがドーチェ・エイバス。俺とリーサの友人で、ホッポ遺跡で研究をしてる学者だ。」
トルドが紹介し、2人は軽く会釈した。
「すみません。近衛騎士隊長に、こんなことを頼んでしまいまして。」
「いいんですよ。副隊長に仕事を任せてきていますし、それに王からも重要な研究のためだと許しが出ていますから。」
済まなそうに微笑むドーチェに対し、グレシアは笑顔でそう答えた。そんな2人の会話に、リーサが微笑みながら口をはさんだ。
「2人とも、そんな話し方じゃ堅苦しいんじゃないの?」
「僕は、これが普段通りですから。」
「私は護衛する側ですし、依頼主に気安く話しかけるわけには…。」
「おいおい、グレシア。ドーチェは王族でもなんでもないんだ。もう少し崩した喋り方をしたって、別に誰も怒りはしないって。」
「けれど、それにしたって私より年上、ですよね?」
「僕は構いませんよ。」
大笑いするトルドの隣で、グレシアはあたふたとするばかりだ。加えて、本人にその気はなかったのだろうが、ドーチェの発言によって更に困った表情を浮かべてしまう。彼女がそんな顔をするのには、複雑な原因があった。
「…私、素行悪いですよ?」
「気にしませんよ。多少の荒くれには、トルドのおかげで慣れていますから。」
「おい、それはどういう意味だ。」
「良い友人を持った、という意味ですよ。」
グレシアは少女らしく恥ずかしげに顔を赤らめ、上目遣いでそう告白した。だが、それすらもドーチェは朗らかに微笑んで返してみせたのだった。そう、トルドの睨みすらも。そのやり取りを、ポカンと口を半開きにして見ていたグレシアに、リーサが微笑んだ。
「大丈夫よ、グレシアさん。ドーチェくんはそういう性分なの。」
「…そのようですね。」
隣の男2人が、もはや何の言い争いになっているのかすらわからない言いあい―――ドーチェがトルドの発言を笑顔で受け流し続けているだけだが―――を見て、グレシアは苦笑しながらようやく納得したのだった。
「それじゃあ、改めてよろしく。ドーチェ。」
大きく深呼吸を一つし、力を抜いたグレシアの口から出た言葉は、それまでとは異なった活発な少女のものだった。ドーチェはそれに、今まで以上の優しい目で微笑んで返した。
「それでは自己紹介も済んだことですし、行きましょうか。」
直後、彼は静かに立ち上がると、外に向かって歩き出した。
「どこに?」
「遺跡に、ですよ。」
グレシアがきょとんと首を傾げて尋ねれば、ドーチェはにこっと笑ってそう答えた。それには彼女だけでなく、トルドらまでもが目を丸くした。
「ドーチェ。お前今何時だと思ってるんだ?もうすぐ夕暮れだぞ。いくらグレシアが一緒だからって、エルナの森やホッポ遺跡が危険なことくらいわかるだろう。」
トルドは言いながら窓の外を指さした。日が徐々に沈み、オレンジ色に染まった空がケノンを包んでいる。ドーチェは指摘されて初めて現実に気付いたようで、だが微笑みを一瞬消しただけですぐに彼らに振り向いて言った。
「では、明日の朝迎えに来ますね。グレシアさん、よろしくお願いします。」
彼はにこやかにそう言うと、鈴のついた戸をくぐり抜け帰路についた。残された3人は、カランと鈴の音が鳴りやむまでそちらの方向を向いたまま固まっていた。
「トルド。ドーチェって、ああいう人?」
やがてくるりと首の向きを変え、グレシアは半分戸惑った顔で隣に座るトルドに尋ねた。トルドは少し困ったように、頬を掻きながらそれに答えた。
「まあ、夢中になると少しばかり周りが見えなくなるヤツだな。ただ、それでも平常心だけは忘れないから凄いと思うよ。」
そう言いながらも、彼は苦笑していた。
翌朝は早かった。グレシアが予想していたよりも。それは夜が明けるか明けないかくらいの時間。トルドがまだ眠りについている時間であるにも関わらず、彼は宿屋に顔を出した。
「別に早番には慣れているからいいけれど…朝は朝でも夜明けの時間ってどうなの?」
髪を結いながら、グレシアは先を歩くドーチェに口を尖らせた。彼のこの行動に対応できていたのはリーサくらいで、グレシアが簡単に身支度を終えて出てきた時、彼女は2人分の弁当をバスケットに準備して食堂に立っていたのだった。
「ホッポ遺跡まで少しかかりますからね。多くの調査をしたいと考えるなら、このくらいの時間でないと足りないと思いまして。」
ドーチェはそう言って、慣れた足取りでエルナの森の奥を歩いて行く。その様子を見て、グレシアは昨日のトルドの言葉を思い出し、半ば諦めたように溜息をついた。そして髪を結い終えると、キッと表情を引き締めた。
「わかった。けど、ひとつ警告ね。」
彼女は言いながら、剣をすっと抜き魔神剣をドーチェの右斜め横に向かって放った。その直後響いた一瞬の断末魔。そしてウルフの鳴き声と足音が、彼らから徐々に遠のいて行くのが耳に入ってきた。
「魔物はいつでもどこにでもいるの。油断と無理は禁物よ。」
ふっと微笑を浮かべながら、グレシアは剣を収めた。ドーチェはその余裕の表情を見つめ、先の瞬間に何が起きたのかを悟った。彼女が仕留めたのは、ウルフの群れのリーダー。リーダーを一瞬のうちに失った群れは、戸惑いその場から逃げだしたのだった。その正確さと無駄のなさに、改めて彼女の力量を思い知った。だが彼の顔に浮かぶのは、彼女の微笑みに返す穏やかな笑顔だった。