第15章 継がれゆく灯火 ]T
『ベディー。』
しかし、彼らの最後尾を行こうと青年が足を動かした時、グレシアは彼を呼び止めた。ベディーが足を止め振り返ると、苦笑を浮かべたグレシアがそこにいた。
『悪かったわね。約束、守ってあげられなくて。』
そして口にしたのは、謝罪の言葉だった。だがベディーは、気にしていない、と笑って返した。グレシアは彼にまだ悪いと思っているようだったが、その笑顔に少しは救われたようだ。ふっと息をこぼすと、今度は彼らの先頭を行く息子に目を向けた。
『ロイン。』
そして呼び止めると、ロインはなんだ、と不機嫌そうに母に目を向けた。
『最後に話があるんだけど、いいかしら?』
だがそこにあった瞳は、彼の予想と違い、近衛騎士としての彼女のものだった。それに気づくと、ロインはティマに目配せし、先に行くように促した。ティマは少しだけ逡巡したが、やがて頷き、カイウスらと共に広間から出て行った。そして広間には、出入口の傍と白晶岩の前に立つ2人の金髪姿だけが残った。
「話ってなんだ?」
『……。』
「…母さん?」
ティマたちが離れていったのを確かめると、ロインは再び母へと視線を向けた。しかし、話があると呼び止めたのは彼女の方なのに、何を考えているのか、なかなか口を開こうとしない。一体どうしたのかと、ロインは理由がわからず眉をひそめる。だが彼女はしばし沈黙を続け、やがてため息をつくように肩をすくめた。
『これも、運命なのかしらね。』
「は?」
ようやく口を開いたかと思えば突然何の話だ、と言いたくなるその発言に、ロインはとうとう眉間に皺を寄せた。しかしそんなことは構わないと言うように、グレシアは手招きをしてロインを呼ぶ。それに対し、初めは彼女に従おうとしなかったロインだが、しかしそれでは話が進まないらしいと察してか、やがて渋々近寄っていった。そして彼が目の前までやってくると、グレシアは彼の腰に下げている剣を指差した。
『ロイン。なんで私があんたに三騎士の話を一切しなかったか、わかる?』
そして突然の問いかけの内容に、ロインは一瞬反応が遅れ、グレシアが指差したそれ―――かつて近衛騎士だった彼女が持っていた剣へと視線を落とす。確かに、自分の母がかつて近衛騎士、しかもそれを統括する地位を得ていた人物だったと知った時はショックを受けた。だが、それは他人の口から身内について真実を聞かされたからであって、当の本人がなぜそのことを隠していたのか、その理由を考えようとしたことは今までになかったのだ。ロインがすぐに反応できなかったのは、そのことに今さらながら気づいたからでもあった。そんなロインの様子が少なからず戸惑っているように見えたのか、グレシアは彼が質問に答える前に、その答えを告げた。
『あんたには『エイバス』の人間として生きてもらいたかったのよ。一度『ウルノア』の血族として認められてしまえば、それから先は一生、他人にひかれたレールを進む事になる。私はそうじゃなくて、ドーチェのように自分で道を決めて歩いて欲しかった。だから逃げ道を用意していたのよ。私の過去に関わることは一切話さないって、あんたが生まれた時にドーチェと2人で決めて、…それなのに。』
「?」
『私の手から離れたと思ったらティマリア様と仲良くなってるし、私が果たせなかったことを次々とやろうとしてるんだもの。もう運命としか言いようがないわ。』
「母さんが果たせなかったこと…?」
真剣な面持ちと声は、途中から慣れた砕けたものに変わっていった。まるで不思議としか言い様がない、というように肩をすくめるグレシアをよそに、ロインは彼女の言った一部が引っかかった。それに該当する記憶を探すも、母の遺志に関しては『白晶の首飾り』の件以外に当てはまることはなかったはずだ、とやはり覚えがない。その考えが無意識のうちに顔に出ていたのか、グレシアはロインを見るとくすりと微笑み、それに答えた。
『ベディーと一緒にティマリア様をお城へ連れて帰ること。バキラの企みを突き止め、それがこの国に災いをもたらすのであれば阻止すること。…そして、ガルザを正気に戻してやること。』
ひとつひとつ、グレシアは自身の思いを噛み締めるように口にする。そして最後のひとつを聞いた時、ロインは目を見開き、そして悲しそうに翡翠を伏せた。
「…けど、ガルザはもういない。オレはガルザを助けられなかった。」
確かに、スポットの呪縛からは救えたかもしれない。だが、ガルザは自分たちを逃がすため囮となり、そして…死んだ。ロインにとって、この事実は彼を救ったと言うには足りなかった。だが、グレシアは首を振る。
『違うわ、ロイン。あんただからガルザを救えたのよ。』
「…どういう意味だ?」
それは子供をあやすように諭すものではなく、何か核心を得ているような言い方。ただ言葉のままの意味ではないことを悟ると、ロインは表情を一変させ、眉をひそめた。グレシアは軽く腕を組むと、青い瞳を細めて言葉を続けた。
『知っているでしょ?7年前にエルナの森で再会した時には、ガルザはもうすでに正気じゃなかった。あの爺さんの言いなり―――そうじゃないとしても、物事の善悪なんてすでに関係ない、自分にとって邪魔なら排除する―――、そういう思考状態にあった。理性なんて、あってないものだった、ってこと。…でも、彼には唯一、正気を取り戻す相手がいた。』
「…まさか、それがオレ?そんなはず」
『じゃあ、アール山の宮でガルザが剣を止めたのはなんで?ルーロであんた相手になかなか全力で戦おうとしなかったのは?エルナの森で再会した時、あんたに止めをさそうとしたのを、一瞬でも制したのはなぜ?』
そんなはずはない。断言しようとした矢先、グレシアは矢継ぎ早に根拠となる事実を突きつけていく。ロインはそれらに答える術を見つけられず、同時に圧倒され、ただただ呆然と立ち尽くすばかりだ。すっかり沈黙してしまった彼に、グレシアはひと呼吸置くと、再び言葉を紡いだ。
『…ロイン。ガルザはあんたに、何か強い情を抱いていたのよ。あの正気を失くした状態でも消えないほどの、執着に似た感情。それが彼を元に戻すための活路を開いた。』
その強い何かの情。その情に駆られたことで、ガルザは一時的にでも正気を取り戻した。ガルザの自我を侵略していたスポットを抑えつけることのできる、ほんの僅かな隙。だが、その隙すら生じなければ、彼は二度と正気を取り戻すことはなかったのかもしれない。
「…は?……んだよ、それ。ガルザが、何考えて……オレを…?」
だが、その事実がロインに与えたのは、納得ではなく困惑だった。ティマの時のように、特別何かを約束し合ったこともない。ロイン自身、ガルザには兄に抱くような敬愛の情は抱いていたが、それ以上の好感を抱くことはなかった。それはおそらくガルザも同様のはずで、そして反対に、激しく恨まれたり憎まれたりするようなこともなかったはずだ。
一体自分の何が、ガルザをそこまで執着させたというのだ。
ロインにしては珍しく、わけがわからないという様子で狼狽えていた。戸惑い、混乱に似た思考状況で心当たりを求めて次々と記憶を引きずり出していくが、答えはいっこうに出てこない。
『…そんなにアイツの考えが気になるなら、聞きに行けば?』
そのまま答えの出ない思考の迷路から出てくる気配のない息子の姿に、グレシアは呆れたようにため息を吐きながら声をかけた。なぜかその声は呆れ切った苛立ちに似たものになっており、ロインは顔を上げながら、そこまで長考してしまっただろうかと首を傾けた。グレシアはそれを知ってか否か、構わずに言葉を続けた。
『アンヌ・ペトリスカ―――ガルザの母親なら、その答えを出せるわ。今も北西にある商業の町に住んでいるはず。会うかどうかは、あんた自身で決めなさい。…もしかすると、あんたにとって残酷な事実しかないのかもしれないのだから。』
しかし、彼らの最後尾を行こうと青年が足を動かした時、グレシアは彼を呼び止めた。ベディーが足を止め振り返ると、苦笑を浮かべたグレシアがそこにいた。
『悪かったわね。約束、守ってあげられなくて。』
そして口にしたのは、謝罪の言葉だった。だがベディーは、気にしていない、と笑って返した。グレシアは彼にまだ悪いと思っているようだったが、その笑顔に少しは救われたようだ。ふっと息をこぼすと、今度は彼らの先頭を行く息子に目を向けた。
『ロイン。』
そして呼び止めると、ロインはなんだ、と不機嫌そうに母に目を向けた。
『最後に話があるんだけど、いいかしら?』
だがそこにあった瞳は、彼の予想と違い、近衛騎士としての彼女のものだった。それに気づくと、ロインはティマに目配せし、先に行くように促した。ティマは少しだけ逡巡したが、やがて頷き、カイウスらと共に広間から出て行った。そして広間には、出入口の傍と白晶岩の前に立つ2人の金髪姿だけが残った。
「話ってなんだ?」
『……。』
「…母さん?」
ティマたちが離れていったのを確かめると、ロインは再び母へと視線を向けた。しかし、話があると呼び止めたのは彼女の方なのに、何を考えているのか、なかなか口を開こうとしない。一体どうしたのかと、ロインは理由がわからず眉をひそめる。だが彼女はしばし沈黙を続け、やがてため息をつくように肩をすくめた。
『これも、運命なのかしらね。』
「は?」
ようやく口を開いたかと思えば突然何の話だ、と言いたくなるその発言に、ロインはとうとう眉間に皺を寄せた。しかしそんなことは構わないと言うように、グレシアは手招きをしてロインを呼ぶ。それに対し、初めは彼女に従おうとしなかったロインだが、しかしそれでは話が進まないらしいと察してか、やがて渋々近寄っていった。そして彼が目の前までやってくると、グレシアは彼の腰に下げている剣を指差した。
『ロイン。なんで私があんたに三騎士の話を一切しなかったか、わかる?』
そして突然の問いかけの内容に、ロインは一瞬反応が遅れ、グレシアが指差したそれ―――かつて近衛騎士だった彼女が持っていた剣へと視線を落とす。確かに、自分の母がかつて近衛騎士、しかもそれを統括する地位を得ていた人物だったと知った時はショックを受けた。だが、それは他人の口から身内について真実を聞かされたからであって、当の本人がなぜそのことを隠していたのか、その理由を考えようとしたことは今までになかったのだ。ロインがすぐに反応できなかったのは、そのことに今さらながら気づいたからでもあった。そんなロインの様子が少なからず戸惑っているように見えたのか、グレシアは彼が質問に答える前に、その答えを告げた。
『あんたには『エイバス』の人間として生きてもらいたかったのよ。一度『ウルノア』の血族として認められてしまえば、それから先は一生、他人にひかれたレールを進む事になる。私はそうじゃなくて、ドーチェのように自分で道を決めて歩いて欲しかった。だから逃げ道を用意していたのよ。私の過去に関わることは一切話さないって、あんたが生まれた時にドーチェと2人で決めて、…それなのに。』
「?」
『私の手から離れたと思ったらティマリア様と仲良くなってるし、私が果たせなかったことを次々とやろうとしてるんだもの。もう運命としか言いようがないわ。』
「母さんが果たせなかったこと…?」
真剣な面持ちと声は、途中から慣れた砕けたものに変わっていった。まるで不思議としか言い様がない、というように肩をすくめるグレシアをよそに、ロインは彼女の言った一部が引っかかった。それに該当する記憶を探すも、母の遺志に関しては『白晶の首飾り』の件以外に当てはまることはなかったはずだ、とやはり覚えがない。その考えが無意識のうちに顔に出ていたのか、グレシアはロインを見るとくすりと微笑み、それに答えた。
『ベディーと一緒にティマリア様をお城へ連れて帰ること。バキラの企みを突き止め、それがこの国に災いをもたらすのであれば阻止すること。…そして、ガルザを正気に戻してやること。』
ひとつひとつ、グレシアは自身の思いを噛み締めるように口にする。そして最後のひとつを聞いた時、ロインは目を見開き、そして悲しそうに翡翠を伏せた。
「…けど、ガルザはもういない。オレはガルザを助けられなかった。」
確かに、スポットの呪縛からは救えたかもしれない。だが、ガルザは自分たちを逃がすため囮となり、そして…死んだ。ロインにとって、この事実は彼を救ったと言うには足りなかった。だが、グレシアは首を振る。
『違うわ、ロイン。あんただからガルザを救えたのよ。』
「…どういう意味だ?」
それは子供をあやすように諭すものではなく、何か核心を得ているような言い方。ただ言葉のままの意味ではないことを悟ると、ロインは表情を一変させ、眉をひそめた。グレシアは軽く腕を組むと、青い瞳を細めて言葉を続けた。
『知っているでしょ?7年前にエルナの森で再会した時には、ガルザはもうすでに正気じゃなかった。あの爺さんの言いなり―――そうじゃないとしても、物事の善悪なんてすでに関係ない、自分にとって邪魔なら排除する―――、そういう思考状態にあった。理性なんて、あってないものだった、ってこと。…でも、彼には唯一、正気を取り戻す相手がいた。』
「…まさか、それがオレ?そんなはず」
『じゃあ、アール山の宮でガルザが剣を止めたのはなんで?ルーロであんた相手になかなか全力で戦おうとしなかったのは?エルナの森で再会した時、あんたに止めをさそうとしたのを、一瞬でも制したのはなぜ?』
そんなはずはない。断言しようとした矢先、グレシアは矢継ぎ早に根拠となる事実を突きつけていく。ロインはそれらに答える術を見つけられず、同時に圧倒され、ただただ呆然と立ち尽くすばかりだ。すっかり沈黙してしまった彼に、グレシアはひと呼吸置くと、再び言葉を紡いだ。
『…ロイン。ガルザはあんたに、何か強い情を抱いていたのよ。あの正気を失くした状態でも消えないほどの、執着に似た感情。それが彼を元に戻すための活路を開いた。』
その強い何かの情。その情に駆られたことで、ガルザは一時的にでも正気を取り戻した。ガルザの自我を侵略していたスポットを抑えつけることのできる、ほんの僅かな隙。だが、その隙すら生じなければ、彼は二度と正気を取り戻すことはなかったのかもしれない。
「…は?……んだよ、それ。ガルザが、何考えて……オレを…?」
だが、その事実がロインに与えたのは、納得ではなく困惑だった。ティマの時のように、特別何かを約束し合ったこともない。ロイン自身、ガルザには兄に抱くような敬愛の情は抱いていたが、それ以上の好感を抱くことはなかった。それはおそらくガルザも同様のはずで、そして反対に、激しく恨まれたり憎まれたりするようなこともなかったはずだ。
一体自分の何が、ガルザをそこまで執着させたというのだ。
ロインにしては珍しく、わけがわからないという様子で狼狽えていた。戸惑い、混乱に似た思考状況で心当たりを求めて次々と記憶を引きずり出していくが、答えはいっこうに出てこない。
『…そんなにアイツの考えが気になるなら、聞きに行けば?』
そのまま答えの出ない思考の迷路から出てくる気配のない息子の姿に、グレシアは呆れたようにため息を吐きながら声をかけた。なぜかその声は呆れ切った苛立ちに似たものになっており、ロインは顔を上げながら、そこまで長考してしまっただろうかと首を傾けた。グレシアはそれを知ってか否か、構わずに言葉を続けた。
『アンヌ・ペトリスカ―――ガルザの母親なら、その答えを出せるわ。今も北西にある商業の町に住んでいるはず。会うかどうかは、あんた自身で決めなさい。…もしかすると、あんたにとって残酷な事実しかないのかもしれないのだから。』