第15章 継がれゆく灯火 ]U
母から返ってきたのは、どこか物騒さを孕む発言だった。思いがけない言葉に、翡翠の瞳は一気に醒めたように鋭くなる。
「どういう意味だ?」
『そのままの意味。ガルザの“情”ってのが、プラスとマイナス、どっちのベクトルを向いているかわからない以上、覚悟はしといた方がいいって話。』
問いかけるロインに、グレシアはあくまでも可能性の話だと言い返した。
「話は、それだけか?」
それ以上何も話さなくなった母に、ロインは確認するように問いかけた。すると、グレシアは肩から力を抜き、ロインの腰にある剣の柄にそっと手を置いた。
『この剣はね、私が近衛騎士になった時から使ってた、とーっても良い物なの。…だから、あんただけの特別の剣が手に入ったら、ちゃんと返しなさいよ?』
こっちが呼び止めた本当の理由。グレシアはそう付け足して、無邪気にロインに笑いかけた。すると、ロインの瞳からは鋭さが消え、かわりに、呆れに似た苦笑が彼の顔に浮かんだ。
「…くだらね。」
ロインはたったそれだけ言い捨てると、さっさと踵を返してしまった。
「じゃあね、ロイン。」
そしてグレシアも彼を引きとめようとはせず―――それどころか、笑って手を振って見送っていた。しかも、まるで語尾に「また明日」とでもついてきそうな口調で。ロインは振り返ろうともせず、広間の出口へと向かう足を止めなかった。
「さよなら…母さん。」
しかし最後に一瞬、ほんの一瞬だけ足を止め、ロインは少しだけグレシアを振り返ると、そう言い残して去っていった。その時にほんの少し覗かせた横顔が、背中が、足音が消えるまで、グレシアはじっと広間の先を見つめ続けていた。
(…ほんと、一度考えだしたら止まらないところは、あの人そっくりなんだから。)
やがて何者もいなくなった空間で、彼女は心の中で独り言を吐露した。自分に似た容姿の中で、唯一異なる翡翠の瞳。その譲り主を象徴するような癖。白い結晶に囚われた自分には二度と会えないその人の面影を、こんな形で息子から感じるとは思っていなかった。
(けど、剣の筋は私譲り、か。)
最期の瞬間を迎えたあの森で、まるで夢の続きを見るように再び刻まれ始めた記憶の数々。あの涙に濡れた小さい背中からはその片鱗すら見えなかったのに、いつの間にか大きく頼もしくなった背中からは、意識してか無意識か、はっきりと自分の後を追う剣閃が見えたのだ。グレシアは感慨にふけりながらも、嬉しそうに口端を上げた。
『あの時の言葉、取り消さなきゃね。…ロイン。あんたは私“たち”の誇りよ。』
そうでしょ?ドーチェ。
グレシアはもう見ることのできない空を見上げるようにして、清々しい表情で目を閉じた。やがて彼女の身体は光の粒子へと変化し、吸い込まれるように白晶岩の中へと消えていった。
すっかり日が暮れた頃、リーサの宿にロイン達が帰ってきた。
「みんな、おかえりなさい。どうだった?」
「ただいま、アーリア!」
「うまくいったけど、ちょっと苦労したなぁ。ティマがアンデットにビビっちまって。」
「ちょっ、ティルキス!言わなくていいよ!」
リーサ達への挨拶もそこそこに真っ先にラミーのいる部屋を訪ねた一同を、ベッドの横に腰掛けたアーリアが安堵した様子で出迎えた。それに真っ先に返事をしたのはカイウスとティルキスの2人で、ティマは自身の醜態を告白されそうになったおかげで顔を真っ赤に染めていた。無事に戻った彼らの様子にアーリアが微笑んでいると、その隣からいきなり抗議の声が上がった。
「お前ら!あたいを置いてくなんてどういうつもりだ!」
「おっ?随分元気になったな、ラミー。」
「フン!ラミー様を甘く見んじゃねぇって何度も言って――ゲホッ、ケホケホッ!」
「はいはい、無理しないの。…もう、口だけは達者なんだから。」
ベッドから半身を起こして怒鳴り声を上げるラミーの姿に、ベディーが安心したように声をかけた。だが、やはりまだ全快とは言えないようで、いつものように発作を起こした彼女を、すっかり慣れた様子でルビアが宥めにかかった。そんな彼女たちのもとへ、ティマも歩み寄った。
「ラミー、これを。」
「えっ?」
そしてラミーの前に、ティマは両手を差し出した。その中には白い結晶の欠片があり、だがラミーはティマの意図が理解できず、丸くした目を彼女に向けていた。
「私はもう、いつでも魔法が使えるから。だから、これはラミーに。『白晶の装具』と違って欠片のままだけど、持っていれば、ラミーもまた前みたいに戦えるはずだよ。」
「…いいのか?」
「うん!」
赤い眼差しに問われてティマが答えれば、ラミーはしばらく、彼女と結晶の欠片とを交互に見つめていた。そして再度確かめるように顔を覗き込むと、ティマは満面の笑みをラミーに返した。その顔をしばらく見つめ、やがてラミーはそっと手を伸ばすと、ティマの手から結晶の欠片を受け取った。
「…ありがと。」
「ううん、それはこっちのセリフだよ。」
「え?」
そして小さく礼を述べると、ティマから思いがけない言葉が返ってきた。ラミーはまたも意味がわからず、再びきょとんとした顔を彼女に向けた。すると、ティマは前に出していた両手を後ろで組み、柔らかな微笑みを浮かべた。
「ラミーも自分のことで大変だったはずなのに、私のこと、色々気にかけてくれていたでしょ?だから、ありがとう、ラミー。」
そして素直な思いを、彼女へと告げた。一方のラミーは、突然の感謝の言葉に思わず顔を赤く染めていた。
「べ、別に…どうってことないって!」
強気な口調でそう言い、顔を背けるラミー。だがその顔は耳まで赤くなってしまっていて、それが照れ隠し故の言動であると、すぐにバレてしまう。それを見てティマは、そして2人のやり取りを見守っていた仲間たちは優しい表情をラミーへと向け、くすっと微笑んだ。
「さて、次はどこに向かおうか?」
そんなやり取りがひと段落した頃、ルキウスが張り切った様子で言い出した。すると、その隣に立っていたフォレストが、ゼガの話を思い出しながら口を開いた。
「確か、ここから一番近くにある白晶岩は、マウディーラ島の東にあるウェタル山脈という場所だったか?」
「あとバオイの丘と、南東にあるバスメル島にもひとつずつ、ね。」
「だったら、マウディーラ島の東端にロパスって港町がある。そこから船に乗って、島を渡って行けばいいんじゃないか?そうすれば、ウェタル山脈はロパスに向かう通り道にあるから、ちょうどいいだろうし!」
次いでティマ、ラミーが声をあげたことで、次の行き先の目星はあっという間についた。仲間達はその提案に賛成すると、そのまま旅の支度について話を弾ませていった。しかし、ロインはその輪に加わることなく、どこか遠くでそれを聞いていた。
「どういう意味だ?」
『そのままの意味。ガルザの“情”ってのが、プラスとマイナス、どっちのベクトルを向いているかわからない以上、覚悟はしといた方がいいって話。』
問いかけるロインに、グレシアはあくまでも可能性の話だと言い返した。
「話は、それだけか?」
それ以上何も話さなくなった母に、ロインは確認するように問いかけた。すると、グレシアは肩から力を抜き、ロインの腰にある剣の柄にそっと手を置いた。
『この剣はね、私が近衛騎士になった時から使ってた、とーっても良い物なの。…だから、あんただけの特別の剣が手に入ったら、ちゃんと返しなさいよ?』
こっちが呼び止めた本当の理由。グレシアはそう付け足して、無邪気にロインに笑いかけた。すると、ロインの瞳からは鋭さが消え、かわりに、呆れに似た苦笑が彼の顔に浮かんだ。
「…くだらね。」
ロインはたったそれだけ言い捨てると、さっさと踵を返してしまった。
「じゃあね、ロイン。」
そしてグレシアも彼を引きとめようとはせず―――それどころか、笑って手を振って見送っていた。しかも、まるで語尾に「また明日」とでもついてきそうな口調で。ロインは振り返ろうともせず、広間の出口へと向かう足を止めなかった。
「さよなら…母さん。」
しかし最後に一瞬、ほんの一瞬だけ足を止め、ロインは少しだけグレシアを振り返ると、そう言い残して去っていった。その時にほんの少し覗かせた横顔が、背中が、足音が消えるまで、グレシアはじっと広間の先を見つめ続けていた。
(…ほんと、一度考えだしたら止まらないところは、あの人そっくりなんだから。)
やがて何者もいなくなった空間で、彼女は心の中で独り言を吐露した。自分に似た容姿の中で、唯一異なる翡翠の瞳。その譲り主を象徴するような癖。白い結晶に囚われた自分には二度と会えないその人の面影を、こんな形で息子から感じるとは思っていなかった。
(けど、剣の筋は私譲り、か。)
最期の瞬間を迎えたあの森で、まるで夢の続きを見るように再び刻まれ始めた記憶の数々。あの涙に濡れた小さい背中からはその片鱗すら見えなかったのに、いつの間にか大きく頼もしくなった背中からは、意識してか無意識か、はっきりと自分の後を追う剣閃が見えたのだ。グレシアは感慨にふけりながらも、嬉しそうに口端を上げた。
『あの時の言葉、取り消さなきゃね。…ロイン。あんたは私“たち”の誇りよ。』
そうでしょ?ドーチェ。
グレシアはもう見ることのできない空を見上げるようにして、清々しい表情で目を閉じた。やがて彼女の身体は光の粒子へと変化し、吸い込まれるように白晶岩の中へと消えていった。
すっかり日が暮れた頃、リーサの宿にロイン達が帰ってきた。
「みんな、おかえりなさい。どうだった?」
「ただいま、アーリア!」
「うまくいったけど、ちょっと苦労したなぁ。ティマがアンデットにビビっちまって。」
「ちょっ、ティルキス!言わなくていいよ!」
リーサ達への挨拶もそこそこに真っ先にラミーのいる部屋を訪ねた一同を、ベッドの横に腰掛けたアーリアが安堵した様子で出迎えた。それに真っ先に返事をしたのはカイウスとティルキスの2人で、ティマは自身の醜態を告白されそうになったおかげで顔を真っ赤に染めていた。無事に戻った彼らの様子にアーリアが微笑んでいると、その隣からいきなり抗議の声が上がった。
「お前ら!あたいを置いてくなんてどういうつもりだ!」
「おっ?随分元気になったな、ラミー。」
「フン!ラミー様を甘く見んじゃねぇって何度も言って――ゲホッ、ケホケホッ!」
「はいはい、無理しないの。…もう、口だけは達者なんだから。」
ベッドから半身を起こして怒鳴り声を上げるラミーの姿に、ベディーが安心したように声をかけた。だが、やはりまだ全快とは言えないようで、いつものように発作を起こした彼女を、すっかり慣れた様子でルビアが宥めにかかった。そんな彼女たちのもとへ、ティマも歩み寄った。
「ラミー、これを。」
「えっ?」
そしてラミーの前に、ティマは両手を差し出した。その中には白い結晶の欠片があり、だがラミーはティマの意図が理解できず、丸くした目を彼女に向けていた。
「私はもう、いつでも魔法が使えるから。だから、これはラミーに。『白晶の装具』と違って欠片のままだけど、持っていれば、ラミーもまた前みたいに戦えるはずだよ。」
「…いいのか?」
「うん!」
赤い眼差しに問われてティマが答えれば、ラミーはしばらく、彼女と結晶の欠片とを交互に見つめていた。そして再度確かめるように顔を覗き込むと、ティマは満面の笑みをラミーに返した。その顔をしばらく見つめ、やがてラミーはそっと手を伸ばすと、ティマの手から結晶の欠片を受け取った。
「…ありがと。」
「ううん、それはこっちのセリフだよ。」
「え?」
そして小さく礼を述べると、ティマから思いがけない言葉が返ってきた。ラミーはまたも意味がわからず、再びきょとんとした顔を彼女に向けた。すると、ティマは前に出していた両手を後ろで組み、柔らかな微笑みを浮かべた。
「ラミーも自分のことで大変だったはずなのに、私のこと、色々気にかけてくれていたでしょ?だから、ありがとう、ラミー。」
そして素直な思いを、彼女へと告げた。一方のラミーは、突然の感謝の言葉に思わず顔を赤く染めていた。
「べ、別に…どうってことないって!」
強気な口調でそう言い、顔を背けるラミー。だがその顔は耳まで赤くなってしまっていて、それが照れ隠し故の言動であると、すぐにバレてしまう。それを見てティマは、そして2人のやり取りを見守っていた仲間たちは優しい表情をラミーへと向け、くすっと微笑んだ。
「さて、次はどこに向かおうか?」
そんなやり取りがひと段落した頃、ルキウスが張り切った様子で言い出した。すると、その隣に立っていたフォレストが、ゼガの話を思い出しながら口を開いた。
「確か、ここから一番近くにある白晶岩は、マウディーラ島の東にあるウェタル山脈という場所だったか?」
「あとバオイの丘と、南東にあるバスメル島にもひとつずつ、ね。」
「だったら、マウディーラ島の東端にロパスって港町がある。そこから船に乗って、島を渡って行けばいいんじゃないか?そうすれば、ウェタル山脈はロパスに向かう通り道にあるから、ちょうどいいだろうし!」
次いでティマ、ラミーが声をあげたことで、次の行き先の目星はあっという間についた。仲間達はその提案に賛成すると、そのまま旅の支度について話を弾ませていった。しかし、ロインはその輪に加わることなく、どこか遠くでそれを聞いていた。
■作者メッセージ
おまけスキット
【もちろん帰り道も】
ティマ「きゃああああ!!いやいや!来ないでえええ!!」
カイウス「うわっ!危ないな、ティマ!いくらアンデットが嫌いだからって、武器を振り回したら危な…」
ティマ「いやぁああああ!!」
ルビア「きゃあ!?」
ロイン「おい、ティマ!手当たり次第に魔法を放つな!」
ティマ「そ、そんなこと言ったって…いやああああ!!もう、やだ!!インブレイスエン」
カイウス「ってそれは待てえええ!!」
ロイン「…あいつ、魔力取り戻さない方が良かったんじゃないか?」
【古代からの恩恵】
ルキウス「ティマ。さっき結晶を取り出す時、聞いたことのない言葉を唱えていたように聞こえたんだけど、あれはなんだい?」
ティマ「古代マウディーラ語みたいだよ。習った言葉をそのまま唱えただけだから、意味は私もわからないんだけど。」
フォレスト「古代マウディーラ語…。マウディーラで独自に生み出されたプリセプツ、ということか。」
ルキウス「それは興味があるな。文献でも残っていれば、一度調べてみたいよ。」
ティマ「けど、古代マウディーラってことは白き星の民の文化だから、調べることはできても、そのプリセプツを使うことはできないんじゃない?」
ルキウス「そこはあまり問題じゃないかな。ボクにとっては、その仕組みを理解することが面白いことだから。」
ティマ「そうなの?」
フォレスト「ひとつの事象を理解することは、別の事象を紐解く手がかりにもなる。古代のプリセプツをひとつ知るだけで、歴史の変動を理解することも可能だろう。そして歴史を知れば、現代に残る問題を解消するヒントを得ることにつながるかもしれない。ティマは将来、この国の未来を担うのかもしれないのだろう?なら、覚えておくといい。」
ティマ「…この国の未来、か。」
ルキウス「ティマ?」
ティマ「あっ…ううん、なんでもない。そうですね、覚えておきます、フォレストさん。」
フォレスト「うむ…?」
ティマ(やっぱり、もう今のままじゃいられないのかな、私は…。)
【もちろん帰り道も】
ティマ「きゃああああ!!いやいや!来ないでえええ!!」
カイウス「うわっ!危ないな、ティマ!いくらアンデットが嫌いだからって、武器を振り回したら危な…」
ティマ「いやぁああああ!!」
ルビア「きゃあ!?」
ロイン「おい、ティマ!手当たり次第に魔法を放つな!」
ティマ「そ、そんなこと言ったって…いやああああ!!もう、やだ!!インブレイスエン」
カイウス「ってそれは待てえええ!!」
ロイン「…あいつ、魔力取り戻さない方が良かったんじゃないか?」
【古代からの恩恵】
ルキウス「ティマ。さっき結晶を取り出す時、聞いたことのない言葉を唱えていたように聞こえたんだけど、あれはなんだい?」
ティマ「古代マウディーラ語みたいだよ。習った言葉をそのまま唱えただけだから、意味は私もわからないんだけど。」
フォレスト「古代マウディーラ語…。マウディーラで独自に生み出されたプリセプツ、ということか。」
ルキウス「それは興味があるな。文献でも残っていれば、一度調べてみたいよ。」
ティマ「けど、古代マウディーラってことは白き星の民の文化だから、調べることはできても、そのプリセプツを使うことはできないんじゃない?」
ルキウス「そこはあまり問題じゃないかな。ボクにとっては、その仕組みを理解することが面白いことだから。」
ティマ「そうなの?」
フォレスト「ひとつの事象を理解することは、別の事象を紐解く手がかりにもなる。古代のプリセプツをひとつ知るだけで、歴史の変動を理解することも可能だろう。そして歴史を知れば、現代に残る問題を解消するヒントを得ることにつながるかもしれない。ティマは将来、この国の未来を担うのかもしれないのだろう?なら、覚えておくといい。」
ティマ「…この国の未来、か。」
ルキウス「ティマ?」
ティマ「あっ…ううん、なんでもない。そうですね、覚えておきます、フォレストさん。」
フォレスト「うむ…?」
ティマ(やっぱり、もう今のままじゃいられないのかな、私は…。)