第16章 引き潮の彼方で U
ロインが一人向かった先は、テファベスの富裕層が多く住む居住区だった。一軒一軒を確かめるように見ながら歩いていき、やがてある屋敷の前で立ち止まった。
周囲を囲む青色の壁は、あの人の鎧を思い出させる。ロインは敷地の中へと進んでいくと、玄関にある呼び鈴を鳴らした。
「はい?」
現れたのは、黒髪の美しい初老の女性だった。
「あの、どちら様でしょう?」
「ロイン・エイバスです。ガルザのことで、アンヌさんに話を聞きたくて……」
ロインは慣れない言葉遣いで、丁寧に用件を告げる。だが、女性は途端に表情を一変させると、ロインから顔を逸した。
「すみません。お引き取りください」
「けど――」
「お引き取りください!」
そして口調をひどく荒げ、まるで叩きつけるように扉を閉めてしまった。ロインは驚いて扉を叩いたが、返事はなかった。
これ以上ここに留まっていても、何も変わらないだろう。そう思ったロインは仕方なく、後ろ髪を引かれる思いで屋敷を後にした。
「あの、きみ、ちょっと待って!」
来た道を戻っていると、彼を後ろから呼び止める声がした。ロインが足を止めて振り返ると、先ほどの女性に似た面影を持つ女性が小走りで追いかけてきていた。女性はロインに追いつくと、肩で息をしたまま口を開いた。
「あの、先程は母が失礼を……。ですが、弟の訃報に、まだ心の整理がついてないのです。どうかお察しください」
「弟? あんたは一体……」
その言葉の意味が伝わらないと言うようにロインが訝しい顔をすると、女性は軽く会釈しながら言った。
「申し遅れました。わたしはナディカ・ペトリスカ、ガルザの姉です」
「ガルザの……?」
思わぬ人物の登場に驚いたロインは、思わずナディカをまじまじと見つめてしまった。
言われてみれば、先ほどの女性――あれが彼らの母、アンヌだったのだろう――の面影だけでなく、まだケノンで平和に過ごしていた時のガルザにも似ていると思った。相手へ鋭い眼光を向けることもあれば、優しく見守ってくれることもあった赤い眼差し。マリワナとそう変わらない年齢にも関わらず凛とした佇まいからは、どこか勇ましさに似たものを感じさせた。
「ロインさん、でしたよね? 少し、二人でお話できませんか?」
そのまま何も言えずに黙ってしまった彼に、ナディカはそう尋ねてきた。ロインにそれを断る理由はなく、すぐに頷いた。
「まったく! どこ行ったんだよ、あいつは!」
「ティマ、ロインから何か聞いていないの?」
「それが記憶になくって……」
カイウス、アーリア、ティマの三人は、ロインを探して町の中を探していた。
ルビアとフォレストは宿屋に残り、他の仲間たちはカイウスらと同様に手分けをして町に出ている。だが、それなりに広い町なせいか、ロインどころか他の仲間と出くわすこともない。一応昼には宿に戻ることになっているが、もうすぐその時間が迫ってきている。
「ケノンを出てからウェタル山脈までの間、特に何もなかったのに…変ね」
「ロイン。テファベスに何しに来たのかな?」
「それがわかれば探してない……あ」
特に重要事項でもない限り、必要以上のことは語ろうとしないロイン。そんな彼の普段からの行動の結果が、この始末である。
疑問とため息に溢れていた彼らはその時、数メートル先に覚えのある人影を見つけた。そして、それは相手も同様だったらしい。
「姫様?」
「フレアさん! どうしてここに?」
互いに驚いて目を丸くしながら、それぞれの事情を話す。すると、フレアから思いがけない発言が出た。
「ここは隊長の――ガルザの故郷なんです。私は、彼のことを家族に報告するために参りました」
「ガルザの!?」
それを聞いた瞬間、ティマとカイウスが驚いた声を出した。そして同時に、ロインの目的に気がついた。何をしに行ったのかまではわからないが、ガルザの実家に用があるに違いない。目星がついた彼らは、そこへ向かおうとした。
「お待ちください、姫様。少し、よろしいですか?」
しかし、途端にフレアが慌ててティマを呼び止めてきた。彼らが足を止めてフレアを見ると、彼女は真面目な表情でティマを見て、そっと口を開いた。
その頃、ロインとナディカは、テラスのある喫茶店へと場所を移していた。適当にオーダーした飲み物がそろうと、ナディカは頭を下げながら口を開いた。
「ありがとうございました」
「えっ?」
「フレアさんから聞きました。ガルザを、弟を闇から救い出してくださったのは、あなただと」
「……オレは、何もできなかった」
穏やかに紡がれる感謝の言葉に、ロインは暗い表情をして俯いた。グレシアとの会話した時と同じ思いが、胸の奥で小さなモヤになってひっかかるような感触に変わる。ナディカはそんな彼の表情から何かを察したのか、カップの中身を一口飲み、静かに話し始めた。
「わたし達には――ガルザには、弟がいたんです」
「え?」
「やはり、知らなかったみたいですね」
意外な事実に思わず顔を上げたロインに、ナディカは微笑みながら続けた。
「ガルザとは六つ離れていて……八歳でこの世を去ってしまったの。魔物に襲われてしまって、ね。その直前まで、わたし達は一緒にいたのに……。悔しかったわ。助けられたかもしれない命を、目の前で失うって。……それも、自分より幼い命をね」
ナディカはどこか懐かしそうに、同時に悲しそうに、思い出を語った。ロインはただ黙って話を聞いていたが、やがて、ある違和感に気がついた。そしてその違和感の正体が見えるにつれ、彼は徐々に目を大きくしていった。
その様子に、ナディカは笑みを潜めると、静かに彼へ問いかけた。
「……気づいたかしら?」
「……ガルザは、オレのこと」
「あー! ロイン、いたー!」
ロインが答えようとしたその時、彼の声をかき消すように大声が飛び込んできた。それに驚いて二人が振り向けば、ティマとカイウスが怒ったような、呆れたような顔をしながら走ってきていた。さらにその後ろに、アーリアとフレアが歩いてこちらに向かって来ているのが見える。
「お前ら、なんで」
「なんでって、ロインのせいだろ!?」
「行き先くらい言ってくれたっていいでしょ!? あるいは書置き残していくとか!」
「別にいいだろ。迷惑かけるわけじゃねえんだし」
「いやいや今まさに思いっきりかかってるから!!」
なぜ彼らがここにいるのか、とロインが問えば、二人はそんな彼を非難するようにまくし立てた。意図せずして声をそろえてツッコミを入れれば、その様子を傍観していたナディカやフレアは思わず吹き出して笑った。
「二人とも、もうすぐ約束の時間になるわ。ロインも、みんな心配していたのよ? 宿屋に戻りましょ」
「! けど……」
いつまでももめ続けそうな三人を、アーリアが区切りをつけるように宥めにかかった。だが、ロインは肝心な部分を聞いていないと反論するように声をあげた。しかし、ナディカはフレアと何やら話をしており、これ以上話を聞ける雰囲気ではなくなっていた。
仕方なく諦めようと思ったその時、ロインの肩をナディカがそっとつかんだ。
「あなたが今、どのように感じているかはわかりません。けれど、勘違いしないでほしいの。ロインさんがガルザのことを兄のように慕ってくれたように、ガルザも、あなたのことを家族のように、本当の弟のように可愛がっていたのよ。だから、亡くなった弟と同じ目にあって欲しくないと心から願い、とても大切に想っていたわ。闇に囚われていたあの子にとって、そんなあなたへの愛情だけが唯一の光となったの。わたしや母――本当の家族よりも、あなたを一番大切にしていたの」
何かと身構えたロインの耳元で、ナディカは他の人には聞こえないほどの声量でそう話した。
「その思いだけは、どうか受け止めてあげて下さい」
そして、ロインがその意味を考える暇も与えずに、ナディカは一礼すると、フレアと共に去っていってしまった。
周囲を囲む青色の壁は、あの人の鎧を思い出させる。ロインは敷地の中へと進んでいくと、玄関にある呼び鈴を鳴らした。
「はい?」
現れたのは、黒髪の美しい初老の女性だった。
「あの、どちら様でしょう?」
「ロイン・エイバスです。ガルザのことで、アンヌさんに話を聞きたくて……」
ロインは慣れない言葉遣いで、丁寧に用件を告げる。だが、女性は途端に表情を一変させると、ロインから顔を逸した。
「すみません。お引き取りください」
「けど――」
「お引き取りください!」
そして口調をひどく荒げ、まるで叩きつけるように扉を閉めてしまった。ロインは驚いて扉を叩いたが、返事はなかった。
これ以上ここに留まっていても、何も変わらないだろう。そう思ったロインは仕方なく、後ろ髪を引かれる思いで屋敷を後にした。
「あの、きみ、ちょっと待って!」
来た道を戻っていると、彼を後ろから呼び止める声がした。ロインが足を止めて振り返ると、先ほどの女性に似た面影を持つ女性が小走りで追いかけてきていた。女性はロインに追いつくと、肩で息をしたまま口を開いた。
「あの、先程は母が失礼を……。ですが、弟の訃報に、まだ心の整理がついてないのです。どうかお察しください」
「弟? あんたは一体……」
その言葉の意味が伝わらないと言うようにロインが訝しい顔をすると、女性は軽く会釈しながら言った。
「申し遅れました。わたしはナディカ・ペトリスカ、ガルザの姉です」
「ガルザの……?」
思わぬ人物の登場に驚いたロインは、思わずナディカをまじまじと見つめてしまった。
言われてみれば、先ほどの女性――あれが彼らの母、アンヌだったのだろう――の面影だけでなく、まだケノンで平和に過ごしていた時のガルザにも似ていると思った。相手へ鋭い眼光を向けることもあれば、優しく見守ってくれることもあった赤い眼差し。マリワナとそう変わらない年齢にも関わらず凛とした佇まいからは、どこか勇ましさに似たものを感じさせた。
「ロインさん、でしたよね? 少し、二人でお話できませんか?」
そのまま何も言えずに黙ってしまった彼に、ナディカはそう尋ねてきた。ロインにそれを断る理由はなく、すぐに頷いた。
「まったく! どこ行ったんだよ、あいつは!」
「ティマ、ロインから何か聞いていないの?」
「それが記憶になくって……」
カイウス、アーリア、ティマの三人は、ロインを探して町の中を探していた。
ルビアとフォレストは宿屋に残り、他の仲間たちはカイウスらと同様に手分けをして町に出ている。だが、それなりに広い町なせいか、ロインどころか他の仲間と出くわすこともない。一応昼には宿に戻ることになっているが、もうすぐその時間が迫ってきている。
「ケノンを出てからウェタル山脈までの間、特に何もなかったのに…変ね」
「ロイン。テファベスに何しに来たのかな?」
「それがわかれば探してない……あ」
特に重要事項でもない限り、必要以上のことは語ろうとしないロイン。そんな彼の普段からの行動の結果が、この始末である。
疑問とため息に溢れていた彼らはその時、数メートル先に覚えのある人影を見つけた。そして、それは相手も同様だったらしい。
「姫様?」
「フレアさん! どうしてここに?」
互いに驚いて目を丸くしながら、それぞれの事情を話す。すると、フレアから思いがけない発言が出た。
「ここは隊長の――ガルザの故郷なんです。私は、彼のことを家族に報告するために参りました」
「ガルザの!?」
それを聞いた瞬間、ティマとカイウスが驚いた声を出した。そして同時に、ロインの目的に気がついた。何をしに行ったのかまではわからないが、ガルザの実家に用があるに違いない。目星がついた彼らは、そこへ向かおうとした。
「お待ちください、姫様。少し、よろしいですか?」
しかし、途端にフレアが慌ててティマを呼び止めてきた。彼らが足を止めてフレアを見ると、彼女は真面目な表情でティマを見て、そっと口を開いた。
その頃、ロインとナディカは、テラスのある喫茶店へと場所を移していた。適当にオーダーした飲み物がそろうと、ナディカは頭を下げながら口を開いた。
「ありがとうございました」
「えっ?」
「フレアさんから聞きました。ガルザを、弟を闇から救い出してくださったのは、あなただと」
「……オレは、何もできなかった」
穏やかに紡がれる感謝の言葉に、ロインは暗い表情をして俯いた。グレシアとの会話した時と同じ思いが、胸の奥で小さなモヤになってひっかかるような感触に変わる。ナディカはそんな彼の表情から何かを察したのか、カップの中身を一口飲み、静かに話し始めた。
「わたし達には――ガルザには、弟がいたんです」
「え?」
「やはり、知らなかったみたいですね」
意外な事実に思わず顔を上げたロインに、ナディカは微笑みながら続けた。
「ガルザとは六つ離れていて……八歳でこの世を去ってしまったの。魔物に襲われてしまって、ね。その直前まで、わたし達は一緒にいたのに……。悔しかったわ。助けられたかもしれない命を、目の前で失うって。……それも、自分より幼い命をね」
ナディカはどこか懐かしそうに、同時に悲しそうに、思い出を語った。ロインはただ黙って話を聞いていたが、やがて、ある違和感に気がついた。そしてその違和感の正体が見えるにつれ、彼は徐々に目を大きくしていった。
その様子に、ナディカは笑みを潜めると、静かに彼へ問いかけた。
「……気づいたかしら?」
「……ガルザは、オレのこと」
「あー! ロイン、いたー!」
ロインが答えようとしたその時、彼の声をかき消すように大声が飛び込んできた。それに驚いて二人が振り向けば、ティマとカイウスが怒ったような、呆れたような顔をしながら走ってきていた。さらにその後ろに、アーリアとフレアが歩いてこちらに向かって来ているのが見える。
「お前ら、なんで」
「なんでって、ロインのせいだろ!?」
「行き先くらい言ってくれたっていいでしょ!? あるいは書置き残していくとか!」
「別にいいだろ。迷惑かけるわけじゃねえんだし」
「いやいや今まさに思いっきりかかってるから!!」
なぜ彼らがここにいるのか、とロインが問えば、二人はそんな彼を非難するようにまくし立てた。意図せずして声をそろえてツッコミを入れれば、その様子を傍観していたナディカやフレアは思わず吹き出して笑った。
「二人とも、もうすぐ約束の時間になるわ。ロインも、みんな心配していたのよ? 宿屋に戻りましょ」
「! けど……」
いつまでももめ続けそうな三人を、アーリアが区切りをつけるように宥めにかかった。だが、ロインは肝心な部分を聞いていないと反論するように声をあげた。しかし、ナディカはフレアと何やら話をしており、これ以上話を聞ける雰囲気ではなくなっていた。
仕方なく諦めようと思ったその時、ロインの肩をナディカがそっとつかんだ。
「あなたが今、どのように感じているかはわかりません。けれど、勘違いしないでほしいの。ロインさんがガルザのことを兄のように慕ってくれたように、ガルザも、あなたのことを家族のように、本当の弟のように可愛がっていたのよ。だから、亡くなった弟と同じ目にあって欲しくないと心から願い、とても大切に想っていたわ。闇に囚われていたあの子にとって、そんなあなたへの愛情だけが唯一の光となったの。わたしや母――本当の家族よりも、あなたを一番大切にしていたの」
何かと身構えたロインの耳元で、ナディカは他の人には聞こえないほどの声量でそう話した。
「その思いだけは、どうか受け止めてあげて下さい」
そして、ロインがその意味を考える暇も与えずに、ナディカは一礼すると、フレアと共に去っていってしまった。