第16章 引き潮の彼方で V
それからティマ達と一緒に宿に戻ると、ロインは全員からたっぷりお説教をくらうはめになってしまった。だが、馬耳東風とでも言うのだろうか、反省した素振りの見えなかった彼に、一体どれだけの効果があったかは定かではない。
そんな騒動が落ち着いてから昼食をとり、彼らはテファベスを出ることにした。ロパスへは二日ほどで着けるらしく、ラミーが言っていたように、大した寄り道にはならなかったようだ。ふたつの町をつなぐパテス街道は魔物も少なく、彼らは景色を楽しみながら歩いていた。
そしてだんだん近づいてくる潮の香りに、ティマとラミーの胸も徐々に弾んでいった。
「二人共、本当に海が好きなのね」
その様子を見て、ルビアが言う。
「だって、小さい頃からずっと見ていたものだし。ね?」
「ああ。ここまできたら、もう故郷も同然、ってな!」
「……私は勘弁したいな」
少女たちとは対照的に、心底うんざりした様子でフォレストは呟いた。思いもしなかったその言葉に、二人はその理由を問おうとした。
「そりゃあ、あのティルキスに付き合わされたら誰だって参るわよ」
だがそれより少し早く、アーリアが肩をすくめながら苦笑気味に言った。
「なになに? それって、ティルキスが原因ってことか?」
「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよ」
「でも、事実でしょ?」
更に首を突っ込んで事情を聞こうとするラミーに、ティルキスは心外だと言葉を返した。だが、すかさずアーリアがぴしゃりと言い放つと、彼は少しがっくりとした表情で彼女を見返したのだった。
そんな会話を続けながら、一行は道を進んでいった。
やがて夜が来ると、野営の準備を済ませた一行はそれぞれテントの中で眠りについた。
見張り番をしていたティマは、暇を潰すようにぼうっと夜空を見上げていた。そして視線を足元にある焚き火へと移した時、テントから物音が聞こえてきた。
――まだ誰か起きているのかな?
ティマがそんなふうに考えていると、物音の主であろう人物がテントから出てきた。それは、次に見張り番を任されている幼馴染だった。
「ロイン? 交代の時間まで、まだあるよ?」
「知ってる。けど、目が冴えて……」
ロインはそう言いながら、彼女のもとまでやってきた。そして断りを入れてから、その隣に静かに腰を下ろした。
ロインはそのまま何を話すでもなく、ゆらゆらと燃え続ける焚き火をじっと見つめていた。
――ガルザは、オレのことを亡くした弟と重ねて見ていたんだ。
あの時最後まで口にできなかった、ナディカの問いに対する答え。何も考えることがなくなると、それがロインの脳裏を過ぎった。そこから膨れ上がる思いに捕らわれてしまえば、大人しく眠ることなどできなかった。
「ロイン、落ち込んでる?」
「え?」
まるでそれを見抜いたのかのようなタイミングで、ティマが心配そうに顔を覗き込んできた。驚いたロインは、それにどう答えようか僅かに逡巡した。彼女の言葉に、果たして自分は落ち込んでいるのかと、自問してしまったのだ。
「……いや。ちょっと違うな。どう受け止めればいいのか、わからないんだ」
やがて出た答えに、ロインは少し困ったような笑みを浮かべた。そしてそのままティマに、グレシア、そしてナディカとの話を語って聞かせ始めていた。
ガルザをスポットから救い出すきっかけを作ったのは、間違いなく自分だろう。だが、そこにあった両者の関係性を、彼はどう受け止めればいいのかわからなくなっていた。自分はガルザを兄のように慕い、家族のように思っていた。それは事実。だが、ガルザは自分を亡くした弟の代わりのように思っていただけなのではないだろうか。同じような信頼関係で結ばれていると思っていたのは、自分だけだったのではないか、と――。
滅多にされることのない相談事に、ティマは黙って耳を傾けていた。そしてロインの言葉が途切れると、ひと呼吸おいて口を開いた。
「私ね、昔おばさんのこと、『ママ』って呼んでたの」
「え?」
突然の話題に目を丸くしたロイン。ティマはそれに構わず、言葉を続けた。
「物心ついた時から、私はおばさんとは血の繋がりがないって聞かされてたし、本当の母親じゃないから『ママ』って呼ぶな、って言われてたの。だけど、私はずっと、おばさんを『ママ』って呼んでた。あの時は無意識だったけど……でも、今ならわかるの。――私、怖かったんだと思う」
「怖かった……?」
首を傾げたロインに、ティマは頷いた。
「どうして本当の家族と一緒じゃないのかはわからなかったけど、でも、おばさんに見放されてしまったら、私は生きていけない。それだけはわかっていたから、小さいながらに必死だったんだと思う」
そう話すティマは、しかし次の瞬間、ロインに穏やかに笑いかけていた。
「だからね、今なら私、わかるんだ。私が『おばさん』って呼ぶようになったのは、今の私とロインの関係みたいになれたからなんだよ」
「? どういう意味だ?」
「ロインが私を友達として認めてくれたのと同じ、ってこと。私もおばさんも、お互いがお互いを大切に思っている関係だ、って気づけたの。信頼してる、って言うのかな? それがわかったから、それで納得できたから、そこにあった関係上でもっと近づきたいって思ったから、私は『おばさん』って呼ぶようになったんだと思うの」
そしてティマは立ち上がると、すっきりした表情で星空を見上げながら続けた。
「だからロインとガルザも、そのままの関係で良かったんだよ。たとえガルザが弟の面影をロインに重ねていたんだとしても、ロイン自身のことを大事にしたいと思った気持ちは、本物だったんだから」
「そうでしょ?」と、ティマはロインに尋ねるように言った。ロインは黙ったままだったが、その表情から曇りはなくなっていた。
(あっ。そうか……)
ティマの話は、不思議とすとんと腑に落ちた。ロインは一度顔を伏せ、それからティマを見上げた。
「ありがとう、ティマ。おかげで答えが出た」
「本当? 良かった!」
そこにあったのは、不敵に微笑むいつものロインの顔だった。ティマもそれを確認すると、心から嬉しそうにぱあっと明るくなった。
「じゃあ私、そろそろテントに戻るね。おやすみ」
「ああ。おやすみ」
そしてその表情のまま、彼女はロインにそう告げると、テントの中へと足早に消えていった。ロインは短く答えると、物音がなくなるまで彼女の背を見送っていた。
やがてあたりが静寂に包まれると、ロインは先ほど見つけた答えに思いを巡らせた。
(それが、あんたのオレに対する“想い”ってことでいいよな? ……ガルザ)
吹っ切れたように顔を上げ、彼は夜空に光る星をしばらく見上げていた。
そんな騒動が落ち着いてから昼食をとり、彼らはテファベスを出ることにした。ロパスへは二日ほどで着けるらしく、ラミーが言っていたように、大した寄り道にはならなかったようだ。ふたつの町をつなぐパテス街道は魔物も少なく、彼らは景色を楽しみながら歩いていた。
そしてだんだん近づいてくる潮の香りに、ティマとラミーの胸も徐々に弾んでいった。
「二人共、本当に海が好きなのね」
その様子を見て、ルビアが言う。
「だって、小さい頃からずっと見ていたものだし。ね?」
「ああ。ここまできたら、もう故郷も同然、ってな!」
「……私は勘弁したいな」
少女たちとは対照的に、心底うんざりした様子でフォレストは呟いた。思いもしなかったその言葉に、二人はその理由を問おうとした。
「そりゃあ、あのティルキスに付き合わされたら誰だって参るわよ」
だがそれより少し早く、アーリアが肩をすくめながら苦笑気味に言った。
「なになに? それって、ティルキスが原因ってことか?」
「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよ」
「でも、事実でしょ?」
更に首を突っ込んで事情を聞こうとするラミーに、ティルキスは心外だと言葉を返した。だが、すかさずアーリアがぴしゃりと言い放つと、彼は少しがっくりとした表情で彼女を見返したのだった。
そんな会話を続けながら、一行は道を進んでいった。
やがて夜が来ると、野営の準備を済ませた一行はそれぞれテントの中で眠りについた。
見張り番をしていたティマは、暇を潰すようにぼうっと夜空を見上げていた。そして視線を足元にある焚き火へと移した時、テントから物音が聞こえてきた。
――まだ誰か起きているのかな?
ティマがそんなふうに考えていると、物音の主であろう人物がテントから出てきた。それは、次に見張り番を任されている幼馴染だった。
「ロイン? 交代の時間まで、まだあるよ?」
「知ってる。けど、目が冴えて……」
ロインはそう言いながら、彼女のもとまでやってきた。そして断りを入れてから、その隣に静かに腰を下ろした。
ロインはそのまま何を話すでもなく、ゆらゆらと燃え続ける焚き火をじっと見つめていた。
――ガルザは、オレのことを亡くした弟と重ねて見ていたんだ。
あの時最後まで口にできなかった、ナディカの問いに対する答え。何も考えることがなくなると、それがロインの脳裏を過ぎった。そこから膨れ上がる思いに捕らわれてしまえば、大人しく眠ることなどできなかった。
「ロイン、落ち込んでる?」
「え?」
まるでそれを見抜いたのかのようなタイミングで、ティマが心配そうに顔を覗き込んできた。驚いたロインは、それにどう答えようか僅かに逡巡した。彼女の言葉に、果たして自分は落ち込んでいるのかと、自問してしまったのだ。
「……いや。ちょっと違うな。どう受け止めればいいのか、わからないんだ」
やがて出た答えに、ロインは少し困ったような笑みを浮かべた。そしてそのままティマに、グレシア、そしてナディカとの話を語って聞かせ始めていた。
ガルザをスポットから救い出すきっかけを作ったのは、間違いなく自分だろう。だが、そこにあった両者の関係性を、彼はどう受け止めればいいのかわからなくなっていた。自分はガルザを兄のように慕い、家族のように思っていた。それは事実。だが、ガルザは自分を亡くした弟の代わりのように思っていただけなのではないだろうか。同じような信頼関係で結ばれていると思っていたのは、自分だけだったのではないか、と――。
滅多にされることのない相談事に、ティマは黙って耳を傾けていた。そしてロインの言葉が途切れると、ひと呼吸おいて口を開いた。
「私ね、昔おばさんのこと、『ママ』って呼んでたの」
「え?」
突然の話題に目を丸くしたロイン。ティマはそれに構わず、言葉を続けた。
「物心ついた時から、私はおばさんとは血の繋がりがないって聞かされてたし、本当の母親じゃないから『ママ』って呼ぶな、って言われてたの。だけど、私はずっと、おばさんを『ママ』って呼んでた。あの時は無意識だったけど……でも、今ならわかるの。――私、怖かったんだと思う」
「怖かった……?」
首を傾げたロインに、ティマは頷いた。
「どうして本当の家族と一緒じゃないのかはわからなかったけど、でも、おばさんに見放されてしまったら、私は生きていけない。それだけはわかっていたから、小さいながらに必死だったんだと思う」
そう話すティマは、しかし次の瞬間、ロインに穏やかに笑いかけていた。
「だからね、今なら私、わかるんだ。私が『おばさん』って呼ぶようになったのは、今の私とロインの関係みたいになれたからなんだよ」
「? どういう意味だ?」
「ロインが私を友達として認めてくれたのと同じ、ってこと。私もおばさんも、お互いがお互いを大切に思っている関係だ、って気づけたの。信頼してる、って言うのかな? それがわかったから、それで納得できたから、そこにあった関係上でもっと近づきたいって思ったから、私は『おばさん』って呼ぶようになったんだと思うの」
そしてティマは立ち上がると、すっきりした表情で星空を見上げながら続けた。
「だからロインとガルザも、そのままの関係で良かったんだよ。たとえガルザが弟の面影をロインに重ねていたんだとしても、ロイン自身のことを大事にしたいと思った気持ちは、本物だったんだから」
「そうでしょ?」と、ティマはロインに尋ねるように言った。ロインは黙ったままだったが、その表情から曇りはなくなっていた。
(あっ。そうか……)
ティマの話は、不思議とすとんと腑に落ちた。ロインは一度顔を伏せ、それからティマを見上げた。
「ありがとう、ティマ。おかげで答えが出た」
「本当? 良かった!」
そこにあったのは、不敵に微笑むいつものロインの顔だった。ティマもそれを確認すると、心から嬉しそうにぱあっと明るくなった。
「じゃあ私、そろそろテントに戻るね。おやすみ」
「ああ。おやすみ」
そしてその表情のまま、彼女はロインにそう告げると、テントの中へと足早に消えていった。ロインは短く答えると、物音がなくなるまで彼女の背を見送っていた。
やがてあたりが静寂に包まれると、ロインは先ほど見つけた答えに思いを巡らせた。
(それが、あんたのオレに対する“想い”ってことでいいよな? ……ガルザ)
吹っ切れたように顔を上げ、彼は夜空に光る星をしばらく見上げていた。