第16章 引き潮の彼方で X
「運がいいな、あんたたち! そこの嬢ちゃんが言ってた方法じゃ、おれ達にひと月は会えなかったろうさ。なにせ、観光客の相手であちこち飛んでるからな!」
目当ての人物が予想だにしないタイミングで見つかったためか、ロインらは驚きを隠せずにそのまま固まってしまった。その様子がまた滑稽だったのか、クレッシェルはそう口にしながらワハハと笑い飛ばしていた。
「あ、あの! 実は、私たちも案内して欲しい場所があって……白晶岩ってわかりますか?」
「あら、本当に運のいい子たちだねえ。なら、一緒においでなさいな! ちょうどこれからその場所に行くところだから」
ようやくショックから立ち直ったティマが――まだ戸惑いは残していたが――クレッシェルに尋ねると、答えはその隣から返ってきた。グランディアはクレッシェルに負けず劣らずの笑い声を上げながら言うと、彼らを手招きしてさっさと歩き出した。
「グランディアさん。“ヒキョウ”に行くんじゃなかったの?」
「ん? ああ、そうだよー。それと、良かったら『グランばあ』って呼んどくれ。孫からそう呼ばれていてね、こっちも気が楽でいいんだよ」
そんな老婆を小走りで追いかけ、チャークは小首を傾げ尋ねかけた。グランディアは自身の孫を可愛がるようにチャークの頭を一撫ですると、そのまま若者にも負けない元気な足取りで先へ先へと歩いていってしまった。そして、クレッシェルまでも。
聞きたいことはまだあったのだが、この調子ではおいてけぼりを食らってしまうのが先だ。ロイン達はひとまず、ナズノット夫妻について行くことを優先した。
ボーウから少し南に下ると、木造りの質素な小屋があった。老夫婦が率先してその中に入って行くが、中は外見同様質素なもので、数人分のベッドといくつかの布団、そして小さなキッチンとバスルームが取り付けられているだけだった。
「ここは?」
「秘境に行ける時期は決まってんだ。それまでは少し窮屈だが、ここで休憩だ」
マリーの疑問に、クレッシェルは自分の家にいるようにリラックスして答える。その間、ロインたちも躊躇いがちに小屋に入りこんでいった。一人、また一人と人口が増える度に窮屈になっていく室内に、行き場に困った子どもたちはベッドの上に避難を始めた。
「休憩って……。グランディアさん、一体どのくらいの間ですか?」
「タイミングが悪ければ……そうね、二十日近く留まることもあったわね」
「な、二十日も!?」
「ボクたち、そんなに時間をかけてる余裕は――!」
その様子を傍目にしながらアーリアが問いかける。それに対しのん気に返ってきた答えに、ラミーとルキウスは思わず焦った声を上げた。
しかし、グランディアとクレッシェルは動じることなく、むしろ笑っていた。
「さっきも言っただろう? 『本当に運がいい』ってな」
老人はそう言って、そのあたりに腰掛けてしまった。見ればグランディアもキッチンに立ち、のんびりとお湯を沸かしているではないか。
二人の様子に、それしかできることはないのだと、彼らはやむなく納得するしかなかった。ロイン達ははやる気持ちを抑え、渋々彼らの言葉に従い始めた。
しかし、そのまま時間を持て余すのも難しく、カイウスはふと先ほど聞きそびれたことを尋ねようと口を開いた。
「あの、クレッシェルさん――」
「『シェルじい』でかまわんぞ! 孫にはそう呼ばれとってな、気にいっとるんじゃ」
「お孫さん?」
「ああ。ちょうど、そこの兄さん姉さんと同じくらいの年のが一人、ね」
だが、その前に先ほどと似た問答を耳にし、彼は思わず首を傾げた。
すると、グランディアがティルキスとアーリアを指さしながら笑みを浮かべて言う。思わず互いに顔を見合わせた二人をよそに、彼女は淹れ立てのお茶を皆に配りながら話を続けた。
「マウディーラの兵士やってる割にはおっとりしてる子でねぇ。この前だって、家宝だから大事にしとけって口を酸っぱくして言ってる装飾品を友人に貸しちまったようなんだよ」
「……兵士?」
「家宝の装飾品を貸した……?」
それはなんてことない世間話のはずなのだが、なぜだろう、ふと彼女が発していくフレーズがとても気にかかった。
――もしかして……。
「だからさっき言っただろう? 『懐かしい名前だ』ってな?」
ロインがティマ、カイウスと視線を交わした直後、それを裏付けるように声がした。その主、クレッシェルは世間話を続けるような調子でくすりと微笑を浮かべているだけなのだが、彼が「ウルノア」を指していたことは明白だった。
「まさか――」
「最後の三騎士が『ナズノット』!?」
ロインが言葉通りの声で口にすれば、まるでそれを合図にしたかのように少年少女らがそろって驚いた声を張り上げた。
しかし、クレッシェルは相も変わらず愉快そうに彼らの反応に笑い声を上げた。そして次の瞬間、彼らが思ってもいなかった言葉が、その口から飛び出した。
「ハハハ! ご明察。いやぁ、それにしてもいい反応するなぁ! なぁ? センシビアの若に大陸の新任教皇様――おっと、新任と言ってももう一年以上前の話か」
「!?」
「安心しろって! 職業柄、他国の情報に少しばかり敏いだけだ」
刹那、ティルキスとルキウスの表情が険しくなった。
――素性を明かした覚えはないのに、何故?
二人だけでなく、一行から驚きの視線が集中する。咄嗟の警戒を察知したクレッシェルは、しかしそれでもおどけるように言い、笑い声を上げるのみだった。
「ええっと……若? それに、大陸の教皇様って……?」
「な、なんでもないです! 気にしないでください!」
その一方でカトルとマリーは呆気にとられたように目を丸くしており、慌ててアーリアが誤魔化していた。
素性を知られることに関してはさほど問題ないのだが、すると今度は彼らがなぜこんな場所にいるのかまで語らなくてはならなくなる。そうなってしまっては話が長くなってしまい面倒だ。
「『ナズノット』は代々国防を担う騎士の家系でね。マウディーラを守るために、他国の情報を誰よりも逸早く得ることが求められたのさ。いわば職業病みたいなもんだよ。客に手をあげたりしないから、安心おし」
そんなやりとりを苦笑気味に見守っていたグランディア。だが再び口を開いたかと思うと、彼女はロイン達にそう補足した。
「それで? シェルじいに何か聞こうとしたんじゃなかったのかい?」
「いえ、今ので納得したのでいいです……」
一般人にしてはやけに肝の据わった態度。
白晶岩の在り処をなぜ知っているのか。
ひとまず浮かんだ疑問は全て、彼らの素性が明かされたことで帰結した。おかげでロインらの警戒はようやく解かれたのだが、そのわずかな説明がなかったばかりにその心中を騒がせた男はというと、そんなことなど露知らぬように茶をすすっている。なんとか苦笑を張り付けて返答するカイウスの姿に、仲間達は思わず同情した。
「なら、そろそろ行くとするか」
すると、クレッシェルはそう言って立ち上がると小屋の外へ向かいだした。
「行くって、どこに?」
突然の行動に呆気に取られながらルビアが尋ねるも、それに答えることなく、彼はとうとう小屋を出ていってしまう。仕方なく彼に倣って皆が小屋を出た、次の瞬間だった。彼らは言葉を失った。
小屋が立地していたのは海岸沿い。当然、目の前には海原が広がっているはずだった。
ところが、その海原へと道が延びているのだ。まるで、海がその主を前に跪き、道を開けたかのような光景。海中を漂っていた海藻や砂に埋もれる貝は、さながら自然のレッドカーペッドか道しるべとなって、その道を彩るように散りばめられている。
「引き潮の時だけ現れる、秘境への入口だ!」
突如出現した神秘的な絶景を前に、クレッシェルは誇らしげにそう言った。
目当ての人物が予想だにしないタイミングで見つかったためか、ロインらは驚きを隠せずにそのまま固まってしまった。その様子がまた滑稽だったのか、クレッシェルはそう口にしながらワハハと笑い飛ばしていた。
「あ、あの! 実は、私たちも案内して欲しい場所があって……白晶岩ってわかりますか?」
「あら、本当に運のいい子たちだねえ。なら、一緒においでなさいな! ちょうどこれからその場所に行くところだから」
ようやくショックから立ち直ったティマが――まだ戸惑いは残していたが――クレッシェルに尋ねると、答えはその隣から返ってきた。グランディアはクレッシェルに負けず劣らずの笑い声を上げながら言うと、彼らを手招きしてさっさと歩き出した。
「グランディアさん。“ヒキョウ”に行くんじゃなかったの?」
「ん? ああ、そうだよー。それと、良かったら『グランばあ』って呼んどくれ。孫からそう呼ばれていてね、こっちも気が楽でいいんだよ」
そんな老婆を小走りで追いかけ、チャークは小首を傾げ尋ねかけた。グランディアは自身の孫を可愛がるようにチャークの頭を一撫ですると、そのまま若者にも負けない元気な足取りで先へ先へと歩いていってしまった。そして、クレッシェルまでも。
聞きたいことはまだあったのだが、この調子ではおいてけぼりを食らってしまうのが先だ。ロイン達はひとまず、ナズノット夫妻について行くことを優先した。
ボーウから少し南に下ると、木造りの質素な小屋があった。老夫婦が率先してその中に入って行くが、中は外見同様質素なもので、数人分のベッドといくつかの布団、そして小さなキッチンとバスルームが取り付けられているだけだった。
「ここは?」
「秘境に行ける時期は決まってんだ。それまでは少し窮屈だが、ここで休憩だ」
マリーの疑問に、クレッシェルは自分の家にいるようにリラックスして答える。その間、ロインたちも躊躇いがちに小屋に入りこんでいった。一人、また一人と人口が増える度に窮屈になっていく室内に、行き場に困った子どもたちはベッドの上に避難を始めた。
「休憩って……。グランディアさん、一体どのくらいの間ですか?」
「タイミングが悪ければ……そうね、二十日近く留まることもあったわね」
「な、二十日も!?」
「ボクたち、そんなに時間をかけてる余裕は――!」
その様子を傍目にしながらアーリアが問いかける。それに対しのん気に返ってきた答えに、ラミーとルキウスは思わず焦った声を上げた。
しかし、グランディアとクレッシェルは動じることなく、むしろ笑っていた。
「さっきも言っただろう? 『本当に運がいい』ってな」
老人はそう言って、そのあたりに腰掛けてしまった。見ればグランディアもキッチンに立ち、のんびりとお湯を沸かしているではないか。
二人の様子に、それしかできることはないのだと、彼らはやむなく納得するしかなかった。ロイン達ははやる気持ちを抑え、渋々彼らの言葉に従い始めた。
しかし、そのまま時間を持て余すのも難しく、カイウスはふと先ほど聞きそびれたことを尋ねようと口を開いた。
「あの、クレッシェルさん――」
「『シェルじい』でかまわんぞ! 孫にはそう呼ばれとってな、気にいっとるんじゃ」
「お孫さん?」
「ああ。ちょうど、そこの兄さん姉さんと同じくらいの年のが一人、ね」
だが、その前に先ほどと似た問答を耳にし、彼は思わず首を傾げた。
すると、グランディアがティルキスとアーリアを指さしながら笑みを浮かべて言う。思わず互いに顔を見合わせた二人をよそに、彼女は淹れ立てのお茶を皆に配りながら話を続けた。
「マウディーラの兵士やってる割にはおっとりしてる子でねぇ。この前だって、家宝だから大事にしとけって口を酸っぱくして言ってる装飾品を友人に貸しちまったようなんだよ」
「……兵士?」
「家宝の装飾品を貸した……?」
それはなんてことない世間話のはずなのだが、なぜだろう、ふと彼女が発していくフレーズがとても気にかかった。
――もしかして……。
「だからさっき言っただろう? 『懐かしい名前だ』ってな?」
ロインがティマ、カイウスと視線を交わした直後、それを裏付けるように声がした。その主、クレッシェルは世間話を続けるような調子でくすりと微笑を浮かべているだけなのだが、彼が「ウルノア」を指していたことは明白だった。
「まさか――」
「最後の三騎士が『ナズノット』!?」
ロインが言葉通りの声で口にすれば、まるでそれを合図にしたかのように少年少女らがそろって驚いた声を張り上げた。
しかし、クレッシェルは相も変わらず愉快そうに彼らの反応に笑い声を上げた。そして次の瞬間、彼らが思ってもいなかった言葉が、その口から飛び出した。
「ハハハ! ご明察。いやぁ、それにしてもいい反応するなぁ! なぁ? センシビアの若に大陸の新任教皇様――おっと、新任と言ってももう一年以上前の話か」
「!?」
「安心しろって! 職業柄、他国の情報に少しばかり敏いだけだ」
刹那、ティルキスとルキウスの表情が険しくなった。
――素性を明かした覚えはないのに、何故?
二人だけでなく、一行から驚きの視線が集中する。咄嗟の警戒を察知したクレッシェルは、しかしそれでもおどけるように言い、笑い声を上げるのみだった。
「ええっと……若? それに、大陸の教皇様って……?」
「な、なんでもないです! 気にしないでください!」
その一方でカトルとマリーは呆気にとられたように目を丸くしており、慌ててアーリアが誤魔化していた。
素性を知られることに関してはさほど問題ないのだが、すると今度は彼らがなぜこんな場所にいるのかまで語らなくてはならなくなる。そうなってしまっては話が長くなってしまい面倒だ。
「『ナズノット』は代々国防を担う騎士の家系でね。マウディーラを守るために、他国の情報を誰よりも逸早く得ることが求められたのさ。いわば職業病みたいなもんだよ。客に手をあげたりしないから、安心おし」
そんなやりとりを苦笑気味に見守っていたグランディア。だが再び口を開いたかと思うと、彼女はロイン達にそう補足した。
「それで? シェルじいに何か聞こうとしたんじゃなかったのかい?」
「いえ、今ので納得したのでいいです……」
一般人にしてはやけに肝の据わった態度。
白晶岩の在り処をなぜ知っているのか。
ひとまず浮かんだ疑問は全て、彼らの素性が明かされたことで帰結した。おかげでロインらの警戒はようやく解かれたのだが、そのわずかな説明がなかったばかりにその心中を騒がせた男はというと、そんなことなど露知らぬように茶をすすっている。なんとか苦笑を張り付けて返答するカイウスの姿に、仲間達は思わず同情した。
「なら、そろそろ行くとするか」
すると、クレッシェルはそう言って立ち上がると小屋の外へ向かいだした。
「行くって、どこに?」
突然の行動に呆気に取られながらルビアが尋ねるも、それに答えることなく、彼はとうとう小屋を出ていってしまう。仕方なく彼に倣って皆が小屋を出た、次の瞬間だった。彼らは言葉を失った。
小屋が立地していたのは海岸沿い。当然、目の前には海原が広がっているはずだった。
ところが、その海原へと道が延びているのだ。まるで、海がその主を前に跪き、道を開けたかのような光景。海中を漂っていた海藻や砂に埋もれる貝は、さながら自然のレッドカーペッドか道しるべとなって、その道を彩るように散りばめられている。
「引き潮の時だけ現れる、秘境への入口だ!」
突如出現した神秘的な絶景を前に、クレッシェルは誇らしげにそう言った。