第16章 引き潮の彼方で Y
引き潮の間だけ通れるというその道は、数キロメートル離れた先の入江へと続いていた。見上げれば青い空が広がっているものの、周囲は断崖絶壁でとても人が出入りできそうにない。その上、満潮時は海に潜ってしまうのか、彼らは崖の上方に水位の跡を見つけては、まざまざと見せつけられる自然の偉大さに思わず感嘆した。
「うわあ! グランばあ、すごいね!」
以前――少しの間だけだったが――共に旅をした時と同様、チャークは探険に心を躍らせているようだ。まるで孫が祖母に甘えるように、グランディアの手を引っ張りながら先へ先へと進んでいく。
「まったく、チャークってばお子さまなんだから……!」
ノエルはそんな弟の様子に溜息を吐き、大人達から離れすぎぬよう注意を促しに駆けた。だが、本当は彼女もまた心浮かれているのかもしれない。姉としての責務を果たそうとしているように見えて、素直にわくわくできるチャークに嫉妬しているようにも見えた。
「おいおい! 魔物がいないとも限らないんだ。置いていくなって!」
そして彼らとある意味最も年が近いラミーも、その輪に早々と加わっていってしまった。まさにオスルカ山の時のような光景に、ある者は微笑み、ある者は頭が痛いとばかりに眉を寄せる。
しかしラミーの言うように魔物に襲われることはなく、そのかわり入江に近付くにつれ、彼らの目に風にそよぐ白い波が映るようになった。
「シェルじい。あれは一体?」
「ああ。あそこにあるのが、そこの一家の目的の品さ」
潮の匂いに紛れて、微かにだが、風に運ばれてくる特有の甘い匂い。
他の者より多少嗅覚が良いのか、最初に気付いたベディーが不思議そうに聞けば、自ずと知れるその正体にクレッシェルは口角をあげるだけだった。
その直後、子どもたちと共にそこへ辿りついていたラミーは、ひどく驚いたように目を丸くしていた。
「まさか……ここでしか採れない植物って、ケルテッティアの花のことだったのか!」
彼女の前に広がっていたのは、白い花弁の可憐な花畑だった。潮風に揺れる様は美しく、追いついた一行の目はその光景に思わず釘づけになった。
「ラミー、知っているのか?」
ティルキスが尋ねる。すると、少女よりも先にフォレストが口を開いた。
「私も噂で聞いたことがあります。確か、植物でありながら鍛冶に利用できる珍しい花だと」
「ああ。繊維の中に伝導性のある鉱物に似た成分が含まれていて、武器の合成に使われるんだ。ただし、希少性が高いから、乱獲されないように管理されているって――」
「そう。だからアタシ達は、この場所に立ち入るための潮の満ち引きの秘密を守っているんだよ」
フォレスト、ラミーに続いて、グランディアがそう言った。
確かに、普段この場所はほとんどが海の中にあるはずだ。潮が引いたとして、周囲を見るに、立ち入るにはこの道しかないわけで。彼女の口ぶりからするに、潮の満ち引きもおそらく不規則なものなのだろう。
それにしても、壮大に広がる水平線を邪魔するものが一切ない絶景。ここが秘境と言われるもうひとつの所以だろう。一同は納得し、自然の美しさに惹きこまれたように、しばらく呆然と周囲を眺めていた。
「さて。残りもうひとつの用事はもう少し奥にあるんじゃ。……おっと。ザレットの家のもんはここにいな! こっから先は魔物も出るからのぅ」
「なら、ボクは念のためここに残るよ。兄さん達は行っておいで」
「じゃあ、あたいも一緒に残っててやるよ」
「……この二人だけだとなんだか不安だし、わたし達も待ってましょう?」
「そうするか。フォレスト、そっちは頼んだぞ」
「はい。ティルキス様もお気をつけて」
どうやら、ここから先の案内はクレッシェルの担当らしい。老人は悠々と入江の奥へと歩いて行き、グランディア達を残して、ロインら六人もその後について行った。
クレッシェルの言う通り、入江の奥にある洞窟に入った途端、彼らはシャーキンの群れに襲われた。
「きゃあ!」
「ティマリア!」
突然の接触に驚いて悲鳴をあげたティマ。すかさずベディーが彼女と魔物の間に飛び込むと、流れるような動作で獣化し、一瞬のうちに敵を吹き飛ばしていった。その隙にロイン達も剣を抜き、一気に片付けていく。現れた魔物が全て倒れるまで、そう時間はかからなかった。
「ほう、やるなぁ。いつもならおれ一人で相手にしなければならんのだが、さすがにこれだけいると早くていいわ」
一連の流れを見ていた老人は感心したように、そして愉快そうに笑っている。行く手を阻む邪魔者がいなくなり、ロインらが剣を収め、ベディーが獣化を解いたのを見てから、彼は再び奥へと歩き出した。
「それにしても、あんたのその姿……」
その時、クレッシェルは歩みを止めずにベディーへと視線を向けてきた。途端、彼らはどきりと心臓を鳴らした。
彼がナズノット――かつて三騎士だった――ということは、スディアナ事件の犯人像も知っているに違いない。おそらくスディアナ城での展開を知らない彼の前で不用心にも――実際のところ、すでに大方の相手に素性が知れてしまったため、最も特徴である獣化の姿をさらすことに抵抗がなくなっていたのだ――獣化してしまったことを今さら後悔しながら、ベディーは固唾を飲み、次に出てくる言葉に身構えた。
「――あんた、さては“原始のレイモーン”の末裔だな?」
「え?」
だが、彼の関心は別の部分に向いていたようだ。
てっきりスディアナ事件のことを問い詰められると思っていたのだが、どうやら違ったらしい。拍子抜けしたと同時に、聞き覚えのない単語が出てきたことで、ベディーだけでなく、ティマやカイウス達からもつい素っ頓狂な声が出てしまった。
「なんだ? あんた、自分の一族のことも知らんのか? ……おお! ほら、見えてきたぞ!」
彼らの反応にクレッシェルは意外だといわんばかりに目を瞠った。だがすぐに会話を切り上げたかと思うと、行く先を指差した。
そこは池のように海水がたまっており、その中心には淡く発光する岩の頭が海面から覗いていた。満ち潮になればきっとその部分も水中に沈んでしまうのだろうと思われるその白晶岩は、この辺りの水棲の魔物の墓場から生まれたのだろうと窺える。
ロイン達は近くまで来ると立ち止り、ティマはさらに池の淵まで歩み寄ると、早速例のプリセプツを唱え始めた。
「シェルじい。“原始のレイモーン”って何のことだ?」
「大陸の古代レイモーンの時代は知っているな?」
その間、先ほどの言葉が気にかかって仕方なかったのだろう、カイウスが問いかけた。すると、クレッシェルはプリセプツを展開するティマから彼へと視線を移し、孫に相対するような優しい笑みを向けながら話した。
「それよりも少し前に、別のレイモーンの一派が大陸を支配していた史実にない時代がある。個体差はほとんどないんだが、獣化した姿がより獣に近いのが特徴でな。それで“原始のレイモ−ン”とも呼ばれるのさ」
彼の話に耳を傾けながら、ロインらはカイウスとフォレスト、そしてベディーが獣化した時の姿を思い浮かべた。
確かカイウスやフォレストの獣化は、ベアとウルフの間に似た獣の姿になり、人型の時同様二足での移動が基本だった。それに比べ、ベディーの獣化は豹のような姿で、獣人時は――二足はもちろんだが――四足も可能なほど体格が獣のそれに近くなる。
僅かな差だが、それこそが“原始のレイモーン”と呼ばれるレイモーンの一派の名残なのだろう。
しかし、あの一瞬の戦いの中でそれに気付くとは……。今は引退したとの話だったが、現役時代はどれほどの実力者だったのだろうか。
最初に出会った時の奔放な印象からは窺えきれないその姿に、カイウスらだけでなくフォレストまでもが思わず感嘆したのだった。
「うわあ! グランばあ、すごいね!」
以前――少しの間だけだったが――共に旅をした時と同様、チャークは探険に心を躍らせているようだ。まるで孫が祖母に甘えるように、グランディアの手を引っ張りながら先へ先へと進んでいく。
「まったく、チャークってばお子さまなんだから……!」
ノエルはそんな弟の様子に溜息を吐き、大人達から離れすぎぬよう注意を促しに駆けた。だが、本当は彼女もまた心浮かれているのかもしれない。姉としての責務を果たそうとしているように見えて、素直にわくわくできるチャークに嫉妬しているようにも見えた。
「おいおい! 魔物がいないとも限らないんだ。置いていくなって!」
そして彼らとある意味最も年が近いラミーも、その輪に早々と加わっていってしまった。まさにオスルカ山の時のような光景に、ある者は微笑み、ある者は頭が痛いとばかりに眉を寄せる。
しかしラミーの言うように魔物に襲われることはなく、そのかわり入江に近付くにつれ、彼らの目に風にそよぐ白い波が映るようになった。
「シェルじい。あれは一体?」
「ああ。あそこにあるのが、そこの一家の目的の品さ」
潮の匂いに紛れて、微かにだが、風に運ばれてくる特有の甘い匂い。
他の者より多少嗅覚が良いのか、最初に気付いたベディーが不思議そうに聞けば、自ずと知れるその正体にクレッシェルは口角をあげるだけだった。
その直後、子どもたちと共にそこへ辿りついていたラミーは、ひどく驚いたように目を丸くしていた。
「まさか……ここでしか採れない植物って、ケルテッティアの花のことだったのか!」
彼女の前に広がっていたのは、白い花弁の可憐な花畑だった。潮風に揺れる様は美しく、追いついた一行の目はその光景に思わず釘づけになった。
「ラミー、知っているのか?」
ティルキスが尋ねる。すると、少女よりも先にフォレストが口を開いた。
「私も噂で聞いたことがあります。確か、植物でありながら鍛冶に利用できる珍しい花だと」
「ああ。繊維の中に伝導性のある鉱物に似た成分が含まれていて、武器の合成に使われるんだ。ただし、希少性が高いから、乱獲されないように管理されているって――」
「そう。だからアタシ達は、この場所に立ち入るための潮の満ち引きの秘密を守っているんだよ」
フォレスト、ラミーに続いて、グランディアがそう言った。
確かに、普段この場所はほとんどが海の中にあるはずだ。潮が引いたとして、周囲を見るに、立ち入るにはこの道しかないわけで。彼女の口ぶりからするに、潮の満ち引きもおそらく不規則なものなのだろう。
それにしても、壮大に広がる水平線を邪魔するものが一切ない絶景。ここが秘境と言われるもうひとつの所以だろう。一同は納得し、自然の美しさに惹きこまれたように、しばらく呆然と周囲を眺めていた。
「さて。残りもうひとつの用事はもう少し奥にあるんじゃ。……おっと。ザレットの家のもんはここにいな! こっから先は魔物も出るからのぅ」
「なら、ボクは念のためここに残るよ。兄さん達は行っておいで」
「じゃあ、あたいも一緒に残っててやるよ」
「……この二人だけだとなんだか不安だし、わたし達も待ってましょう?」
「そうするか。フォレスト、そっちは頼んだぞ」
「はい。ティルキス様もお気をつけて」
どうやら、ここから先の案内はクレッシェルの担当らしい。老人は悠々と入江の奥へと歩いて行き、グランディア達を残して、ロインら六人もその後について行った。
クレッシェルの言う通り、入江の奥にある洞窟に入った途端、彼らはシャーキンの群れに襲われた。
「きゃあ!」
「ティマリア!」
突然の接触に驚いて悲鳴をあげたティマ。すかさずベディーが彼女と魔物の間に飛び込むと、流れるような動作で獣化し、一瞬のうちに敵を吹き飛ばしていった。その隙にロイン達も剣を抜き、一気に片付けていく。現れた魔物が全て倒れるまで、そう時間はかからなかった。
「ほう、やるなぁ。いつもならおれ一人で相手にしなければならんのだが、さすがにこれだけいると早くていいわ」
一連の流れを見ていた老人は感心したように、そして愉快そうに笑っている。行く手を阻む邪魔者がいなくなり、ロインらが剣を収め、ベディーが獣化を解いたのを見てから、彼は再び奥へと歩き出した。
「それにしても、あんたのその姿……」
その時、クレッシェルは歩みを止めずにベディーへと視線を向けてきた。途端、彼らはどきりと心臓を鳴らした。
彼がナズノット――かつて三騎士だった――ということは、スディアナ事件の犯人像も知っているに違いない。おそらくスディアナ城での展開を知らない彼の前で不用心にも――実際のところ、すでに大方の相手に素性が知れてしまったため、最も特徴である獣化の姿をさらすことに抵抗がなくなっていたのだ――獣化してしまったことを今さら後悔しながら、ベディーは固唾を飲み、次に出てくる言葉に身構えた。
「――あんた、さては“原始のレイモーン”の末裔だな?」
「え?」
だが、彼の関心は別の部分に向いていたようだ。
てっきりスディアナ事件のことを問い詰められると思っていたのだが、どうやら違ったらしい。拍子抜けしたと同時に、聞き覚えのない単語が出てきたことで、ベディーだけでなく、ティマやカイウス達からもつい素っ頓狂な声が出てしまった。
「なんだ? あんた、自分の一族のことも知らんのか? ……おお! ほら、見えてきたぞ!」
彼らの反応にクレッシェルは意外だといわんばかりに目を瞠った。だがすぐに会話を切り上げたかと思うと、行く先を指差した。
そこは池のように海水がたまっており、その中心には淡く発光する岩の頭が海面から覗いていた。満ち潮になればきっとその部分も水中に沈んでしまうのだろうと思われるその白晶岩は、この辺りの水棲の魔物の墓場から生まれたのだろうと窺える。
ロイン達は近くまで来ると立ち止り、ティマはさらに池の淵まで歩み寄ると、早速例のプリセプツを唱え始めた。
「シェルじい。“原始のレイモーン”って何のことだ?」
「大陸の古代レイモーンの時代は知っているな?」
その間、先ほどの言葉が気にかかって仕方なかったのだろう、カイウスが問いかけた。すると、クレッシェルはプリセプツを展開するティマから彼へと視線を移し、孫に相対するような優しい笑みを向けながら話した。
「それよりも少し前に、別のレイモーンの一派が大陸を支配していた史実にない時代がある。個体差はほとんどないんだが、獣化した姿がより獣に近いのが特徴でな。それで“原始のレイモ−ン”とも呼ばれるのさ」
彼の話に耳を傾けながら、ロインらはカイウスとフォレスト、そしてベディーが獣化した時の姿を思い浮かべた。
確かカイウスやフォレストの獣化は、ベアとウルフの間に似た獣の姿になり、人型の時同様二足での移動が基本だった。それに比べ、ベディーの獣化は豹のような姿で、獣人時は――二足はもちろんだが――四足も可能なほど体格が獣のそれに近くなる。
僅かな差だが、それこそが“原始のレイモーン”と呼ばれるレイモーンの一派の名残なのだろう。
しかし、あの一瞬の戦いの中でそれに気付くとは……。今は引退したとの話だったが、現役時代はどれほどの実力者だったのだろうか。
最初に出会った時の奔放な印象からは窺えきれないその姿に、カイウスらだけでなくフォレストまでもが思わず感嘆したのだった。