第16章 引き潮の彼方で [
大群が波のように押し寄せる。それはアルバートと対峙するティルキスとアーリアを避け、その後方で構えるロインら目がけ迷わず襲いかかってきた。
ロイン、カイウス、ラミー、フォレストはその勢いに恐れることなく、雄叫びと共に大群へと向かっていった。しかし、彼らの武器では一度に多くの敵を倒すには向かず。なにより現れた数が数だ。このままでは明らかに劣勢だった。
「くっ! とにかく数が多い! ティマ! ルキウス!」
「わかってる!」
「ロイン、離れて!」
確実に目の前の敵を倒しながらカイウスが叫ぶ。言われるまでもなくすでに詠唱に入っていたルキウスは一刻も早くプリセプツを完成させようとしていて、ティマもまた、その隣で詠唱を終えたところだった。その声に従い、ロインがバックステップで後退した直後のことだ。
「ディープミスト! 続いて、エアブレイド!」
「雷撃よ、咎ある者に裁きを下せ! サンダーブレード!」
敵陣の視界を奪う濃霧が発生し、そこを駆け抜けていく風の凶刃。ほぼ無詠唱のため本来の威力よりは劣るものの、その分を補うようにすかさず堕ちた巨大な雷刃。爆音と悲鳴とが鳴り響き、攻撃の余波から身を守るために思わず腕で顔を覆ってしまう。それはまるで、嵐が通り過ぎていくような衝撃波。
「きゃあ!」
「アーリア!? ――くっ!」
「余所見をしている余裕があるとは、舐められたものだな」
「大丈夫よ、ティルキス! 驚いただけ!」
それほど距離の離れていないティルキスらにも余波は襲いかかった。だが、それを受けても息つくことは許されない。不敵に笑みながら攻撃の手を休めないアルバートに、二人はすぐに注意を戻した。
「ティルキス、すまない――」
「ルキウス!」
他意はなかったのだが、仲間までも巻き込む結果になってしまったことを詫びようとしたルキウス。だがその一瞬の隙を狙い、数体のスポットゾンビが一斉に飛びかかってきた。攻撃をかわそうと彼が後退したのと、その間にティマが割り込んできたのは同時だった。刃を振り下ろさんとするスポットゾンビに、彼女は躊躇いなく槍を突き立てた。
「氷舞槍!」
そのまま得物を振り回し、氷の飛礫と共に周囲へまとめて追撃してみせる。その間にルキウスも体勢を立て直すと、ぞろぞろと絶え間なく寄ってくるスポットら目がけプリセプツをはなった。
そんな二人のさらに後方、ルビアとベディーがいる戦陣では、彼女が展開したと思しきドーム状の防御魔法壁が見えた。最後の砦であるルビアの前で、ベディーは近付く影達を片っ端から叩きのめしていく。しかし、敵の勢いはそれを上回っているのだろう、ルビアも得意の火球でひっきりなしに迎撃していた。
「ちょっとしっかりしなさいよ、カイウス! こっちまでぞろぞろと来てるんだけど!」
「お前、この状況でよく文句言えるな!? てかオレだけかよ!」
「だからそこどきなさいって言ってるのよ! フレイムランス!」
「っていきなりかようおおおい!」
だが、こちらに流れてくる数が予想よりもあまりに多かったのだろう。ルビアは我慢ならないと言わん勢いでカイウスに食ってかかったかと思うと、八つ当たりでもするように突如上級プリセプツを放ったのだ。ぎょっとしたのは仲間の方で、カイウスのみならず前衛に出ていた他の三人も慌てて彼女の攻撃から退避した。直後降り注いだ無数の炎の槍に、敵の悲鳴と灼熱に焼け焦げた臭いが入江を満たす。
「あっぶねーな! 痴話喧嘩なら余所でやりな……ッ! 虎乱連弾!」
思わずラミーも叫び声を上げるが、すぐに襲いかかってくるスポットらに銃口を向け応戦した。ティマ、ルキウス、ルビアがそれぞれ放ったプリセプツのおかげで敵の数はだいぶ減ったものの、絶えず襲い来るその勢いは衰えることはない。目の前の一体一体に集中し、彼らは武器を振るっていく。
「ほう? あの数を相手によくやる――」
「さっきの言葉、そのままそっくり返すぜ! アストラルチェイサー!」
その様子を目の端で捉えては、面白いものを見るように微笑を浮かべるアルバート。ティルキスはその一瞬の隙目がけ、高速の斬撃をお見舞いする。だが、そこから斬り上げようと大剣の向きを変えた刹那――
「タイタンウェイブ!」
至近距離で紅い衝撃波が放たれた。回避するには間に合わず、しかしなんとか剣を盾にティルキスは後方へと吹き飛ばされた。衝撃で軽い裂傷を負ったものの、まだまだ存分に動ける。
「グレイブ!」
両者の間に距離ができ、再びそれを詰めようとアルバートが一足先に仕掛ける。それを見越していたのか、絶妙なタイミングでアーリアのプリセプツが発動した。地面から突き上げるように生えた岩に進路を阻まれ、彼は思わずたたらを踏んだ。
「ケルベロスファング!」
そこから体勢を整え直すまでの僅かな隙。ティルキスは岩をかわしてアルバートへと一気に駆け、大剣を振り下ろした。
「ぐあっ!」
彼の剣は直撃し、アルバートの黒い鎧ごとその身を斬り裂いた。
しかし、そのことに驚いたのはティルキスの方だった。
剣で防御しようとした様子がない。それどころか、斬撃を食らったにもかかわらず、口元には弧を浮かべていて――。
――わざと攻撃を受けた……!?
その違和感の理由に気付き、そして意図が読めず目を見張る。
だが、すぐに答えは出た。
「ティルキス、だめ!」
アーリアが叫んだ時にはもう遅い。アルバートの傷口から溢れたどす黒い血がティルキスを汚した。
しまった!
慌てて彼が退いた時にはすでに遅く、剣やそれを握る手だけではなく、彼の服までもが返り血を吸って色を変えていた。
スポットゾンビの血には、浴びた者の心神を脅かす毒が含まれている。失念していたわけではないが、まさかこんな方法でそれを利用してくるとは想定外だった。今すぐに効果が表れるものではないが、それが逆に不安を煽り、彼を蝕んでいく。
「ぐぅ!」
「フォレスト!」
その時、仲間の焦った声が耳に届いた。思わず振り向けば、ラミーを庇ったのか、彼女の前に立ち、敵を倒しながらも利き腕を負傷したフォレストの姿があった。さらに戦場を見渡せば、ロイン、そしてカイウスもいつしか小さな傷を負い始めている。
返り血には細心の注意を払っているものの、相手にしなければならない数が数だ。彼らも毒を浴びてしまうのは時間の問題で、そうなってしまえば戦局がどう動くかまったく予想がつかない。
「さて、どこまで耐えられるかお手並み拝見といこうか」
ティルキスが舌打ちしたその時、アルバートは笑みを含みながら言った。視線を戻して彼の顔を見れば、負ったダメージに口元を歪ませながらも、紅い瞳には愉快さを示す色がある。
その瞬間、二人は初めからこれが狙いだったのだと今さら知った。
傷と毒。どちらも癒すことは容易いが、いたちごっこにしかならないことは目に見えている。無駄に魔力を消耗するだけになってしまえば、いずれにせよ、不利になるのはこちらだ。
彼らの脳裏をよぎったのは、センシビアで起きた同士打ちが招いた混乱だった。
「彼の者に癒えと加護を……レストア!」
想定された最悪の事態。それだと言うのに、回復魔法を放つ声が聞こえてきた。気付いた時には、ティマがティルキスに向けてプリセプツをかけていた。
ロイン、カイウス、ラミー、フォレストはその勢いに恐れることなく、雄叫びと共に大群へと向かっていった。しかし、彼らの武器では一度に多くの敵を倒すには向かず。なにより現れた数が数だ。このままでは明らかに劣勢だった。
「くっ! とにかく数が多い! ティマ! ルキウス!」
「わかってる!」
「ロイン、離れて!」
確実に目の前の敵を倒しながらカイウスが叫ぶ。言われるまでもなくすでに詠唱に入っていたルキウスは一刻も早くプリセプツを完成させようとしていて、ティマもまた、その隣で詠唱を終えたところだった。その声に従い、ロインがバックステップで後退した直後のことだ。
「ディープミスト! 続いて、エアブレイド!」
「雷撃よ、咎ある者に裁きを下せ! サンダーブレード!」
敵陣の視界を奪う濃霧が発生し、そこを駆け抜けていく風の凶刃。ほぼ無詠唱のため本来の威力よりは劣るものの、その分を補うようにすかさず堕ちた巨大な雷刃。爆音と悲鳴とが鳴り響き、攻撃の余波から身を守るために思わず腕で顔を覆ってしまう。それはまるで、嵐が通り過ぎていくような衝撃波。
「きゃあ!」
「アーリア!? ――くっ!」
「余所見をしている余裕があるとは、舐められたものだな」
「大丈夫よ、ティルキス! 驚いただけ!」
それほど距離の離れていないティルキスらにも余波は襲いかかった。だが、それを受けても息つくことは許されない。不敵に笑みながら攻撃の手を休めないアルバートに、二人はすぐに注意を戻した。
「ティルキス、すまない――」
「ルキウス!」
他意はなかったのだが、仲間までも巻き込む結果になってしまったことを詫びようとしたルキウス。だがその一瞬の隙を狙い、数体のスポットゾンビが一斉に飛びかかってきた。攻撃をかわそうと彼が後退したのと、その間にティマが割り込んできたのは同時だった。刃を振り下ろさんとするスポットゾンビに、彼女は躊躇いなく槍を突き立てた。
「氷舞槍!」
そのまま得物を振り回し、氷の飛礫と共に周囲へまとめて追撃してみせる。その間にルキウスも体勢を立て直すと、ぞろぞろと絶え間なく寄ってくるスポットら目がけプリセプツをはなった。
そんな二人のさらに後方、ルビアとベディーがいる戦陣では、彼女が展開したと思しきドーム状の防御魔法壁が見えた。最後の砦であるルビアの前で、ベディーは近付く影達を片っ端から叩きのめしていく。しかし、敵の勢いはそれを上回っているのだろう、ルビアも得意の火球でひっきりなしに迎撃していた。
「ちょっとしっかりしなさいよ、カイウス! こっちまでぞろぞろと来てるんだけど!」
「お前、この状況でよく文句言えるな!? てかオレだけかよ!」
「だからそこどきなさいって言ってるのよ! フレイムランス!」
「っていきなりかようおおおい!」
だが、こちらに流れてくる数が予想よりもあまりに多かったのだろう。ルビアは我慢ならないと言わん勢いでカイウスに食ってかかったかと思うと、八つ当たりでもするように突如上級プリセプツを放ったのだ。ぎょっとしたのは仲間の方で、カイウスのみならず前衛に出ていた他の三人も慌てて彼女の攻撃から退避した。直後降り注いだ無数の炎の槍に、敵の悲鳴と灼熱に焼け焦げた臭いが入江を満たす。
「あっぶねーな! 痴話喧嘩なら余所でやりな……ッ! 虎乱連弾!」
思わずラミーも叫び声を上げるが、すぐに襲いかかってくるスポットらに銃口を向け応戦した。ティマ、ルキウス、ルビアがそれぞれ放ったプリセプツのおかげで敵の数はだいぶ減ったものの、絶えず襲い来るその勢いは衰えることはない。目の前の一体一体に集中し、彼らは武器を振るっていく。
「ほう? あの数を相手によくやる――」
「さっきの言葉、そのままそっくり返すぜ! アストラルチェイサー!」
その様子を目の端で捉えては、面白いものを見るように微笑を浮かべるアルバート。ティルキスはその一瞬の隙目がけ、高速の斬撃をお見舞いする。だが、そこから斬り上げようと大剣の向きを変えた刹那――
「タイタンウェイブ!」
至近距離で紅い衝撃波が放たれた。回避するには間に合わず、しかしなんとか剣を盾にティルキスは後方へと吹き飛ばされた。衝撃で軽い裂傷を負ったものの、まだまだ存分に動ける。
「グレイブ!」
両者の間に距離ができ、再びそれを詰めようとアルバートが一足先に仕掛ける。それを見越していたのか、絶妙なタイミングでアーリアのプリセプツが発動した。地面から突き上げるように生えた岩に進路を阻まれ、彼は思わずたたらを踏んだ。
「ケルベロスファング!」
そこから体勢を整え直すまでの僅かな隙。ティルキスは岩をかわしてアルバートへと一気に駆け、大剣を振り下ろした。
「ぐあっ!」
彼の剣は直撃し、アルバートの黒い鎧ごとその身を斬り裂いた。
しかし、そのことに驚いたのはティルキスの方だった。
剣で防御しようとした様子がない。それどころか、斬撃を食らったにもかかわらず、口元には弧を浮かべていて――。
――わざと攻撃を受けた……!?
その違和感の理由に気付き、そして意図が読めず目を見張る。
だが、すぐに答えは出た。
「ティルキス、だめ!」
アーリアが叫んだ時にはもう遅い。アルバートの傷口から溢れたどす黒い血がティルキスを汚した。
しまった!
慌てて彼が退いた時にはすでに遅く、剣やそれを握る手だけではなく、彼の服までもが返り血を吸って色を変えていた。
スポットゾンビの血には、浴びた者の心神を脅かす毒が含まれている。失念していたわけではないが、まさかこんな方法でそれを利用してくるとは想定外だった。今すぐに効果が表れるものではないが、それが逆に不安を煽り、彼を蝕んでいく。
「ぐぅ!」
「フォレスト!」
その時、仲間の焦った声が耳に届いた。思わず振り向けば、ラミーを庇ったのか、彼女の前に立ち、敵を倒しながらも利き腕を負傷したフォレストの姿があった。さらに戦場を見渡せば、ロイン、そしてカイウスもいつしか小さな傷を負い始めている。
返り血には細心の注意を払っているものの、相手にしなければならない数が数だ。彼らも毒を浴びてしまうのは時間の問題で、そうなってしまえば戦局がどう動くかまったく予想がつかない。
「さて、どこまで耐えられるかお手並み拝見といこうか」
ティルキスが舌打ちしたその時、アルバートは笑みを含みながら言った。視線を戻して彼の顔を見れば、負ったダメージに口元を歪ませながらも、紅い瞳には愉快さを示す色がある。
その瞬間、二人は初めからこれが狙いだったのだと今さら知った。
傷と毒。どちらも癒すことは容易いが、いたちごっこにしかならないことは目に見えている。無駄に魔力を消耗するだけになってしまえば、いずれにせよ、不利になるのはこちらだ。
彼らの脳裏をよぎったのは、センシビアで起きた同士打ちが招いた混乱だった。
「彼の者に癒えと加護を……レストア!」
想定された最悪の事態。それだと言うのに、回復魔法を放つ声が聞こえてきた。気付いた時には、ティマがティルキスに向けてプリセプツをかけていた。