第17章 約束の場所の誓い T
暗闇の中。
冷たい水が体を打ち付ける。
目の前で消えていく温もり――
「うわぁあああああああ!!」
悲鳴と共にがばっとベッドから飛び起きた。呼吸を整えながら横を見ると、そこにあるのは木造りの家具と朝日が昇る窓の外の光景だった。
ロインはふっと息を吐くと、逆再生するようにベッドの上に倒れた。額に手を当てると、結構汗をかいていることがわかる。茫然と天井を見上げ、もう何度も見た同じ夢のことを思い返した。
――あれから一年以上経つのか。
母に致命傷を与え、命を奪った兵士から彼女の形見であるペンダントを守りながら、父とマウディーラのあちこちを逃げ回る生活。それに終止符を打ったのは、三カ月前に訪れた港町に定住することを決めた瞬間だった。その間もそれからも、少年ロインは悪夢にうなされ続けていた。目の前で命が消える、あの瞬間を見続けていた。
そして三ヶ月前から毎日のように続くものが、もうひとつあった。
「ローイーンーくーん!」
「……また来た」
トントンと玄関の戸を叩く音と一緒に響く幼い子供の声。明るい調子のそれとは対照的に、ロインの顔は鬱陶しそうなものになる。部屋の戸に背を向け、ロインはベッドの中にもぐりこんだ。
すると直後、ととと、と軽い音が連続しながら近づいてきた。
嫌な予感がする。
ロインはため息を吐いた。
「おはよ、ロインくん!」
途端、元気な挨拶と一緒に女の子が部屋に飛び込んできた。茶色がかった黒髪を二つに結いあげ、水色のワンピースを着た彼女は、ベッドで横になっているロインの姿を見つけると、ぱあっとより顔を輝かせた。しかしロインは一切そっちへ目を向けず、何もない壁を見続けている。
「ねぇねぇ! 今日ね、ファイナスおじさんが船に乗せてくれるんだって! おばさんがお弁当作ってくれたの! ロインくんも一緒に船に行こうよ!」
少女は布団の上からロインの体を大きく揺すり、家の外へ連れ出そうとする。終始明るい口調で話しかけてくるが、ロインの機嫌はどんどん悪くなっていく。
「ねえ、ロインくん! 起きて! ねえってば!」
「うるさい!!」
「わっ!」
「おっと!」
それにも構わず起こそうとする彼女に、とうとう堪忍袋の緒が切れた。ロインはベッドから飛び起きるのと同時に、少女を力いっぱい突き飛ばしてしまった。
すると、ちょうどロインの部屋を訪れた男性が、びっくりした表情をして突き飛ばされた少女の体を受け止めた。彼が部屋の主を見ると、ロインはイライラが募り積もって険しい表情となっていた。
「父さん! そいつを家に入れるなって言っただろ!?」
ロインは少女を指しながら、父ドーチェに文句を言い放った。彼と同じ翡翠色の瞳は、優しくロインを見つめて答える。
「そうもいきませんよ。ティマさんはロインくんと仲良くなりたくて、こうして毎日来てくれているんですから」
「オレにとってそいつは邪魔なだけなの!」
「むっ! じゃまって何よ! 船に乗ろうってさそいに来たんじゃない」
「それがほぼ毎日三ヶ月間だぞ!? ストーカーだろ、それ!」
ロインは怒鳴りつけ、ティマを拒絶し続ける。
これ以上長くいると喧嘩になりそうだ。ドーチェは今以上に険悪になる前にと、一旦ティマを下の階へ促した。ティマがふくれっ面になりながらも彼に従ってロインから離れていくと、ようやく少年は肩の力を抜き、部屋の入口の前に立つ父に話しかけた。
「……ねぇ、どうしてあいつを連れてくるの? オレ、もう誰とも関わりたくないって言ったじゃん」
沈んだ声。ドーチェは少し困った顔になりながら、我が子を優しく抱きしめた。
「人は生きている限り、常に誰かと関わって生きていかなければいけません。こうして、僕とロインくんが話をするように」
「父さんはいいよ。……けど、他のやつらは嫌いだ。何を考えているかわかんねぇし」
「ロインくん……」
ガルザにグレシアを殺されて以来、ロインは人と関わるのを極端に嫌うようになった。ガルザという家族以外で最も身近にいた人物に裏切られたという思いが、彼にそうした感情を抱かせているのだろう。唯一の肉親であるドーチェ以外に、ロインはこうして心を開くことはない。
ドーチェはロインと年の近いティマがこうして遊びに誘いに来る機会を利用し、彼が以前のように誰とでも付き合えるようにならないかといろいろ試してみた。しかし、状況は少しも良くならない。
どうしたものか。
ドーチェは写真の中で微笑むグレシアに、困ったように問いかけていた。
「どけ! 天地猛爪撃!」
バオイの丘に広がる草地。正面から突進してきたエレノッサスの頭上へ飛び、ロインの剣が巨躯を裂く。鳴き声は苦痛の色に染まり、それでもまだ力が残っていたのか、頭を振り回し、巨大な牙で再びロインへと向かってきた。
「シャドウエッジ!」
だが、ティマの詠唱が発動するのが先だった。エレノッサスのちょうど真下。走るだけで地鳴りがするほどの巨躯を影の刃が突き上げ、宙へと放り上げた。そしてどしん! と大きな音を立てて地面に落ちてきた時には、その息は止まっていた。
魔物が倒れたことを確かめると、ふうっと息を吐き武器を収める。初めてここを通った時には敵わない相手だと言われていたサイノッサスよりもさらに手ごわいそれを、息を乱すことなく二人だけで伸してしまった。旅を始めたばかりのあの頃と比べ、確かに成長してきた証だろう。
しかし、ロインとティマは感慨に耽る様子もなく、セビアからイーバオへと向かう途中にあるという最後の白晶岩を探して歩みを再開させただけだった。
「確か、この辺りだったような……」
先頭を行くカイウスは、当時を思い出そうときょろきょろと視線を移す。ロインはその様子を横目で見ていると、つい昔の記憶の引き出しを漁ってしまうのだった。それは彼と同じものを思い出そうとして、共に蘇ってきた記憶が引き金だったのかもしれない。
まだ他人に心を閉ざし切っていたあの頃。久々に真っ向から自分にぶつかってきた存在だったカイウス。名を呼ぶどころか口も利かず、それどころかせっかく準備してくれた食事にさえ手をつけようとしなかったこともあったと振り返れば、随分自分は変わったものだと思う。
(――いや、“変わった”んじゃない。“戻ってきた”んだ)
さらに昔。ティマに心を開いたばかりの頃にそう言われたことを思い出し、ロインは懐かしそうに目を伏せた。
二つ目の故郷。そう呼べるようになった町が近くなってきたためだろうか、過去の思い出を引っ張り出す手が止まらない。後ろから楽しそうに聞こえてくる仲間達の話し声さえ、BGMのように過ぎていく。他人にここまで警戒しなくなる日が来るなんて、当時は微塵も思っていなかったはずだ。
「あった! あれだ!」
すっかり牙を剥くことのなくなった自身の姿に、ロインは思わず鼻で笑った。隣から嬉しそうな声が聞こえ、かつて誘われるように訪れたその場所に辿りついたのは、ちょうどその時だった。
無事に四つ目の白晶岩の欠片を手にすれば、あとマウディーラでできることは、イーバオで最後の戦いに向け準備を整えるだけだった。パルナミスからの報告を受けて以来、少しでも手間を少なくしたいのだろう。おおまかでも座標さえわかれば使えると言うルキウスの提案を受け入れ、彼らはその場で――ルビア、アーリア、ティマの助力を得て――転移の魔法を発動させた。
そして次に彼らの視界に入った光景は、夕暮れが近付く港町の外れだった。
冷たい水が体を打ち付ける。
目の前で消えていく温もり――
「うわぁあああああああ!!」
悲鳴と共にがばっとベッドから飛び起きた。呼吸を整えながら横を見ると、そこにあるのは木造りの家具と朝日が昇る窓の外の光景だった。
ロインはふっと息を吐くと、逆再生するようにベッドの上に倒れた。額に手を当てると、結構汗をかいていることがわかる。茫然と天井を見上げ、もう何度も見た同じ夢のことを思い返した。
――あれから一年以上経つのか。
母に致命傷を与え、命を奪った兵士から彼女の形見であるペンダントを守りながら、父とマウディーラのあちこちを逃げ回る生活。それに終止符を打ったのは、三カ月前に訪れた港町に定住することを決めた瞬間だった。その間もそれからも、少年ロインは悪夢にうなされ続けていた。目の前で命が消える、あの瞬間を見続けていた。
そして三ヶ月前から毎日のように続くものが、もうひとつあった。
「ローイーンーくーん!」
「……また来た」
トントンと玄関の戸を叩く音と一緒に響く幼い子供の声。明るい調子のそれとは対照的に、ロインの顔は鬱陶しそうなものになる。部屋の戸に背を向け、ロインはベッドの中にもぐりこんだ。
すると直後、ととと、と軽い音が連続しながら近づいてきた。
嫌な予感がする。
ロインはため息を吐いた。
「おはよ、ロインくん!」
途端、元気な挨拶と一緒に女の子が部屋に飛び込んできた。茶色がかった黒髪を二つに結いあげ、水色のワンピースを着た彼女は、ベッドで横になっているロインの姿を見つけると、ぱあっとより顔を輝かせた。しかしロインは一切そっちへ目を向けず、何もない壁を見続けている。
「ねぇねぇ! 今日ね、ファイナスおじさんが船に乗せてくれるんだって! おばさんがお弁当作ってくれたの! ロインくんも一緒に船に行こうよ!」
少女は布団の上からロインの体を大きく揺すり、家の外へ連れ出そうとする。終始明るい口調で話しかけてくるが、ロインの機嫌はどんどん悪くなっていく。
「ねえ、ロインくん! 起きて! ねえってば!」
「うるさい!!」
「わっ!」
「おっと!」
それにも構わず起こそうとする彼女に、とうとう堪忍袋の緒が切れた。ロインはベッドから飛び起きるのと同時に、少女を力いっぱい突き飛ばしてしまった。
すると、ちょうどロインの部屋を訪れた男性が、びっくりした表情をして突き飛ばされた少女の体を受け止めた。彼が部屋の主を見ると、ロインはイライラが募り積もって険しい表情となっていた。
「父さん! そいつを家に入れるなって言っただろ!?」
ロインは少女を指しながら、父ドーチェに文句を言い放った。彼と同じ翡翠色の瞳は、優しくロインを見つめて答える。
「そうもいきませんよ。ティマさんはロインくんと仲良くなりたくて、こうして毎日来てくれているんですから」
「オレにとってそいつは邪魔なだけなの!」
「むっ! じゃまって何よ! 船に乗ろうってさそいに来たんじゃない」
「それがほぼ毎日三ヶ月間だぞ!? ストーカーだろ、それ!」
ロインは怒鳴りつけ、ティマを拒絶し続ける。
これ以上長くいると喧嘩になりそうだ。ドーチェは今以上に険悪になる前にと、一旦ティマを下の階へ促した。ティマがふくれっ面になりながらも彼に従ってロインから離れていくと、ようやく少年は肩の力を抜き、部屋の入口の前に立つ父に話しかけた。
「……ねぇ、どうしてあいつを連れてくるの? オレ、もう誰とも関わりたくないって言ったじゃん」
沈んだ声。ドーチェは少し困った顔になりながら、我が子を優しく抱きしめた。
「人は生きている限り、常に誰かと関わって生きていかなければいけません。こうして、僕とロインくんが話をするように」
「父さんはいいよ。……けど、他のやつらは嫌いだ。何を考えているかわかんねぇし」
「ロインくん……」
ガルザにグレシアを殺されて以来、ロインは人と関わるのを極端に嫌うようになった。ガルザという家族以外で最も身近にいた人物に裏切られたという思いが、彼にそうした感情を抱かせているのだろう。唯一の肉親であるドーチェ以外に、ロインはこうして心を開くことはない。
ドーチェはロインと年の近いティマがこうして遊びに誘いに来る機会を利用し、彼が以前のように誰とでも付き合えるようにならないかといろいろ試してみた。しかし、状況は少しも良くならない。
どうしたものか。
ドーチェは写真の中で微笑むグレシアに、困ったように問いかけていた。
「どけ! 天地猛爪撃!」
バオイの丘に広がる草地。正面から突進してきたエレノッサスの頭上へ飛び、ロインの剣が巨躯を裂く。鳴き声は苦痛の色に染まり、それでもまだ力が残っていたのか、頭を振り回し、巨大な牙で再びロインへと向かってきた。
「シャドウエッジ!」
だが、ティマの詠唱が発動するのが先だった。エレノッサスのちょうど真下。走るだけで地鳴りがするほどの巨躯を影の刃が突き上げ、宙へと放り上げた。そしてどしん! と大きな音を立てて地面に落ちてきた時には、その息は止まっていた。
魔物が倒れたことを確かめると、ふうっと息を吐き武器を収める。初めてここを通った時には敵わない相手だと言われていたサイノッサスよりもさらに手ごわいそれを、息を乱すことなく二人だけで伸してしまった。旅を始めたばかりのあの頃と比べ、確かに成長してきた証だろう。
しかし、ロインとティマは感慨に耽る様子もなく、セビアからイーバオへと向かう途中にあるという最後の白晶岩を探して歩みを再開させただけだった。
「確か、この辺りだったような……」
先頭を行くカイウスは、当時を思い出そうときょろきょろと視線を移す。ロインはその様子を横目で見ていると、つい昔の記憶の引き出しを漁ってしまうのだった。それは彼と同じものを思い出そうとして、共に蘇ってきた記憶が引き金だったのかもしれない。
まだ他人に心を閉ざし切っていたあの頃。久々に真っ向から自分にぶつかってきた存在だったカイウス。名を呼ぶどころか口も利かず、それどころかせっかく準備してくれた食事にさえ手をつけようとしなかったこともあったと振り返れば、随分自分は変わったものだと思う。
(――いや、“変わった”んじゃない。“戻ってきた”んだ)
さらに昔。ティマに心を開いたばかりの頃にそう言われたことを思い出し、ロインは懐かしそうに目を伏せた。
二つ目の故郷。そう呼べるようになった町が近くなってきたためだろうか、過去の思い出を引っ張り出す手が止まらない。後ろから楽しそうに聞こえてくる仲間達の話し声さえ、BGMのように過ぎていく。他人にここまで警戒しなくなる日が来るなんて、当時は微塵も思っていなかったはずだ。
「あった! あれだ!」
すっかり牙を剥くことのなくなった自身の姿に、ロインは思わず鼻で笑った。隣から嬉しそうな声が聞こえ、かつて誘われるように訪れたその場所に辿りついたのは、ちょうどその時だった。
無事に四つ目の白晶岩の欠片を手にすれば、あとマウディーラでできることは、イーバオで最後の戦いに向け準備を整えるだけだった。パルナミスからの報告を受けて以来、少しでも手間を少なくしたいのだろう。おおまかでも座標さえわかれば使えると言うルキウスの提案を受け入れ、彼らはその場で――ルビア、アーリア、ティマの助力を得て――転移の魔法を発動させた。
そして次に彼らの視界に入った光景は、夕暮れが近付く港町の外れだった。