第17章 約束の場所の誓い V
結局、剣と白晶岩の欠片はハクとファイナスに預けることになった。まだ不機嫌そうにしているロインをなだめながら、ティマ達はぐるりとイーバオを歩いて回った。
途中、物資の調達に出ていたティルキスとフォレスト、船着き場では仲間達と打ち合わせをしていたラミー、そして広場の端で『冥府の法』の調整をしていたアーリアとルキウスの姿を見かけた。
「いよいよだな、ロイン、カイウス。絶対に勝って、今度こそ終わらせるぞ!」
「仲間を信じることだ。そうすれば、スポットに敗れることは決してない」
「このラミー・オーバック様がいるんだ。この戦い、大船に乗ったつもりで行こうぜ!」
「ルビア、ティマ。あなたたちと一緒に、わたしも全力を尽くすわ」
「今度は最後まで兄さんと一緒にいるよ。前の時みたいに、かっこよく兄貴面なんてさせないから」
彼らに声をかけると、皆最後の戦いへの決意を胸に力強い言葉を四人に返してくれた。その言葉に背を押されるようにしばらく町中を歩いていたが、やがて回るところもなくなった彼らの足は、自然とマリワナの家へと向いた。
「おばさん、ただいま!」
もちろん、真っ先に玄関をくぐったのはティマだ。その声に呼ばれ、奥からマリワナが姿を現した。
「おかえりなさい。ロイン、それにお二人も元気そうでなによりだわ」
「お久しぶりです、マリワナさん」
「またお世話になります」
「ああ、やっと来たんだな。四人とも」
「ベディー!」
彼女はティマ、それからロイン、二人の後ろに立つカイウス、ルビアへと、一人一人にとびきりの笑顔を向け、出迎えてくれた。カイウスとルビアもそれに笑顔で返したタイミングで、それまで一緒に奥にいたのだろうベディーも、彼らの前へ顔を出してきた。
この二人が並ぶ姿を見るのは彼らが十五年ぶりに再会した時以来のことだったが、やはり瞳以外は似ていない姉弟だと思う。同じタイミングで同じこと思ったのかもしれない。カイウスとルビアは、同時にくすりと笑みをこぼしていた。
「ティマ。クルーダから話は聞いたわ」
その時だった。それまでのほのぼのとした空気を割るように、低くなった声音でマリワナは少女を呼んだ。見れば表情も打って変わって重く、固いものとなっていて。「ちょっと来なさい」と言うと、彼女はティマの応答を待たずに踵を返してしまった。
マリワナがそんな顔をすることは、普段滅多にない。それだけにティマは少し怯んだようで、不安そうに胸の前で手を握り合わせた。ベディーはそんな彼女に目配せすると、静かに頷いて先を促した。
「大丈夫。必要なことは、全部僕が話しておいたから」
ティマはその言葉と彼女と同じ淡紫に後押しされ、おそるおそるといった様子でマリワナの後へついていった。その後ろ姿を見遣りながら、ロインら三人も、ベディーと共に二人の様子を伺いに家の中へ歩を進めた。
「命を落とすかもしれないのよ。あなたの身元が一国の将来を担う人間であると知った以上、無駄死にさせることは決して許されないわ」
「……それでも、行きます」
するとリビングの少し奥。個室に続いているらしい扉の前で、二人は話の続きをしていた。
「あなた、一度死にかけるくらいの目にあっているのよ。忘れたとは言わせないわ」
「……」
「それでも行くと言うの?」
「行きます。それに、絶対に死なない。たとえ私が、ただの『ティマ』だとしても」
胸の前で腕を組み、威圧するようにマリワナは問い詰める。
だが、ティマも引かなかった。一片の迷いもなく出た答え。赤茶の瞳は、挑むようにマリワナへと真っすぐ向けられていた。
だが、マリワナはそれに答えるどころか深く息を吐き、固い表情を崩すことなく少女に背を向けてしまった。そのまま一言も喋ることなく私室へと消えてしまった彼女に、ティマは彼女の機嫌を損なうようなことを言ってしまったかと、おろおろと焦りを見せ始めた。ロインらも案じるような視線を向ける中、ただ一人、ベディーだけはくすりと微笑を浮かべていた。
「ティマリア。大丈夫だと言ったはずだよ」
「け、けど……あっ!」
彼の言う通り、それは杞憂だったようだ。マリワナはすぐに戻ってきた。そしてその手には、一冊の小さな本があった。
「おばさん、それは?」
「今のあなたになら、このプリセプツを授けられるわ」
ティマが問いかけたのと、マリワナが本を彼女の前に差しだしたのは同時だった。その表情は、もう先ほどまでとは変わって幾分か柔らかくなっていった。
「私たちの祖先が原始のレイモーンだったということについては知らなかったけれど、例のプリセプツなら、詩(うた)としてずっと伝わり続けていたわ。だからクルーダから聞いて、すぐに思い当たった」
「じゃあ、これが……?」
ティマは本を受け取ると、すぐさま表紙を開いた。
――決して紐解くべからず。終焉を望む女王を御せぬなら、刹那にて全てを滅ぼす。されど女王の手がもたらすは、全てを屠る力にあらず。
そこにあったのは、決して穏やかではない冒頭文。たった数行目を通しただけで、プリセプツの危険さが十分伺えるようだ。緊張から喉を鳴らしたティマに構わず、マリワナは語り続ける。
「私たちは、その詩を『グレイシャッド・マドネス』と呼んできたわ」
「グレイシャッド・マドネス……氷と闇の狂宴」
その名が示す意味に、ティマの瞳に今度ははっきりと怯えが浮かんだ。
(ルビアのセイクリッドシャインとアーリアのテンペストに並ぶプリセプツ……二人は、こんなにも危険なプリセプツを扱っていたというの!?)
嫌な汗が顔の輪郭を辿り、つっと伝う気がした。軽いはずの本を持つ手が重さを感じ、思わず震え出す。次第に呼吸がわずかに乱れようとした、刹那、温かい手がティマの手に重ねられた。
「! おばさ――」
「恐れることは何もないわ。プリセプツは確かに術者の技量が重要だけれど、本当に必要な鍵をあなたはもう持っているわ」
「本当に必要な、鍵?」
「そう。……大丈夫。あなたは私の自慢の弟子、自慢の娘だもの。きっと使いこなせるわ」
その瞬間、本が軽くなり、震えが止まった。顔を上げれば、マリワナの自信に満ちた優しい笑顔があった。
途端、ティマは現実に帰ってきたような気分を覚えた。穏やかに紡がれるマリワナの言葉に、科学的な根拠などない。にも関わらず、それはティマの中で確かな自信にかわっていく。
やがて、ティマらしい表情が徐々に戻ってきたのを目にし、マリワナは「よし!」と笑った。
「さあ、みんな今日はゆっくり休んでいきなさい! 今夜はご馳走を用意したから、いっぱい食べて力をつけるのよ!」
そして後ろで成り行きを見守っていたロイン達へと、明るく声をかけた。
日は徐々に傾いている。町にいる仲間たちも、そろそろ戻ってくる頃はずだ。
「ティマ。少しいいか?」
「ロイン? ええ、どうぞ」
まるで宴会のような夕食の時間を過ごした後、ティマはマリワナからもらった本を手に自室にこもっていた。一枚一枚丁寧にページをめくり、そこに書かれた短い文を黙読していると、部屋の戸がノックされた。聞こえてきたのは幼なじみの声で、突然の来訪に驚きながらも、ティマは戸を開けた。
「このあと、時間あるか?」
「うん」
「なら、あとで『約束の場所』に来てくれないか? 何時でもいい。待ってる」
「え? うん。わかった」
「……約束だぞ」
「? ……うん」
ロインはティマの顔を見ると、短く彼女に問いかけた。それに彼女が了承の意をこめて頷くと、ロインはたったそれだけを告げ、それ以上何も言わずに去ってしまった。残されたティマは意図がわからず、不思議そうに首を傾げていた。
途中、物資の調達に出ていたティルキスとフォレスト、船着き場では仲間達と打ち合わせをしていたラミー、そして広場の端で『冥府の法』の調整をしていたアーリアとルキウスの姿を見かけた。
「いよいよだな、ロイン、カイウス。絶対に勝って、今度こそ終わらせるぞ!」
「仲間を信じることだ。そうすれば、スポットに敗れることは決してない」
「このラミー・オーバック様がいるんだ。この戦い、大船に乗ったつもりで行こうぜ!」
「ルビア、ティマ。あなたたちと一緒に、わたしも全力を尽くすわ」
「今度は最後まで兄さんと一緒にいるよ。前の時みたいに、かっこよく兄貴面なんてさせないから」
彼らに声をかけると、皆最後の戦いへの決意を胸に力強い言葉を四人に返してくれた。その言葉に背を押されるようにしばらく町中を歩いていたが、やがて回るところもなくなった彼らの足は、自然とマリワナの家へと向いた。
「おばさん、ただいま!」
もちろん、真っ先に玄関をくぐったのはティマだ。その声に呼ばれ、奥からマリワナが姿を現した。
「おかえりなさい。ロイン、それにお二人も元気そうでなによりだわ」
「お久しぶりです、マリワナさん」
「またお世話になります」
「ああ、やっと来たんだな。四人とも」
「ベディー!」
彼女はティマ、それからロイン、二人の後ろに立つカイウス、ルビアへと、一人一人にとびきりの笑顔を向け、出迎えてくれた。カイウスとルビアもそれに笑顔で返したタイミングで、それまで一緒に奥にいたのだろうベディーも、彼らの前へ顔を出してきた。
この二人が並ぶ姿を見るのは彼らが十五年ぶりに再会した時以来のことだったが、やはり瞳以外は似ていない姉弟だと思う。同じタイミングで同じこと思ったのかもしれない。カイウスとルビアは、同時にくすりと笑みをこぼしていた。
「ティマ。クルーダから話は聞いたわ」
その時だった。それまでのほのぼのとした空気を割るように、低くなった声音でマリワナは少女を呼んだ。見れば表情も打って変わって重く、固いものとなっていて。「ちょっと来なさい」と言うと、彼女はティマの応答を待たずに踵を返してしまった。
マリワナがそんな顔をすることは、普段滅多にない。それだけにティマは少し怯んだようで、不安そうに胸の前で手を握り合わせた。ベディーはそんな彼女に目配せすると、静かに頷いて先を促した。
「大丈夫。必要なことは、全部僕が話しておいたから」
ティマはその言葉と彼女と同じ淡紫に後押しされ、おそるおそるといった様子でマリワナの後へついていった。その後ろ姿を見遣りながら、ロインら三人も、ベディーと共に二人の様子を伺いに家の中へ歩を進めた。
「命を落とすかもしれないのよ。あなたの身元が一国の将来を担う人間であると知った以上、無駄死にさせることは決して許されないわ」
「……それでも、行きます」
するとリビングの少し奥。個室に続いているらしい扉の前で、二人は話の続きをしていた。
「あなた、一度死にかけるくらいの目にあっているのよ。忘れたとは言わせないわ」
「……」
「それでも行くと言うの?」
「行きます。それに、絶対に死なない。たとえ私が、ただの『ティマ』だとしても」
胸の前で腕を組み、威圧するようにマリワナは問い詰める。
だが、ティマも引かなかった。一片の迷いもなく出た答え。赤茶の瞳は、挑むようにマリワナへと真っすぐ向けられていた。
だが、マリワナはそれに答えるどころか深く息を吐き、固い表情を崩すことなく少女に背を向けてしまった。そのまま一言も喋ることなく私室へと消えてしまった彼女に、ティマは彼女の機嫌を損なうようなことを言ってしまったかと、おろおろと焦りを見せ始めた。ロインらも案じるような視線を向ける中、ただ一人、ベディーだけはくすりと微笑を浮かべていた。
「ティマリア。大丈夫だと言ったはずだよ」
「け、けど……あっ!」
彼の言う通り、それは杞憂だったようだ。マリワナはすぐに戻ってきた。そしてその手には、一冊の小さな本があった。
「おばさん、それは?」
「今のあなたになら、このプリセプツを授けられるわ」
ティマが問いかけたのと、マリワナが本を彼女の前に差しだしたのは同時だった。その表情は、もう先ほどまでとは変わって幾分か柔らかくなっていった。
「私たちの祖先が原始のレイモーンだったということについては知らなかったけれど、例のプリセプツなら、詩(うた)としてずっと伝わり続けていたわ。だからクルーダから聞いて、すぐに思い当たった」
「じゃあ、これが……?」
ティマは本を受け取ると、すぐさま表紙を開いた。
――決して紐解くべからず。終焉を望む女王を御せぬなら、刹那にて全てを滅ぼす。されど女王の手がもたらすは、全てを屠る力にあらず。
そこにあったのは、決して穏やかではない冒頭文。たった数行目を通しただけで、プリセプツの危険さが十分伺えるようだ。緊張から喉を鳴らしたティマに構わず、マリワナは語り続ける。
「私たちは、その詩を『グレイシャッド・マドネス』と呼んできたわ」
「グレイシャッド・マドネス……氷と闇の狂宴」
その名が示す意味に、ティマの瞳に今度ははっきりと怯えが浮かんだ。
(ルビアのセイクリッドシャインとアーリアのテンペストに並ぶプリセプツ……二人は、こんなにも危険なプリセプツを扱っていたというの!?)
嫌な汗が顔の輪郭を辿り、つっと伝う気がした。軽いはずの本を持つ手が重さを感じ、思わず震え出す。次第に呼吸がわずかに乱れようとした、刹那、温かい手がティマの手に重ねられた。
「! おばさ――」
「恐れることは何もないわ。プリセプツは確かに術者の技量が重要だけれど、本当に必要な鍵をあなたはもう持っているわ」
「本当に必要な、鍵?」
「そう。……大丈夫。あなたは私の自慢の弟子、自慢の娘だもの。きっと使いこなせるわ」
その瞬間、本が軽くなり、震えが止まった。顔を上げれば、マリワナの自信に満ちた優しい笑顔があった。
途端、ティマは現実に帰ってきたような気分を覚えた。穏やかに紡がれるマリワナの言葉に、科学的な根拠などない。にも関わらず、それはティマの中で確かな自信にかわっていく。
やがて、ティマらしい表情が徐々に戻ってきたのを目にし、マリワナは「よし!」と笑った。
「さあ、みんな今日はゆっくり休んでいきなさい! 今夜はご馳走を用意したから、いっぱい食べて力をつけるのよ!」
そして後ろで成り行きを見守っていたロイン達へと、明るく声をかけた。
日は徐々に傾いている。町にいる仲間たちも、そろそろ戻ってくる頃はずだ。
「ティマ。少しいいか?」
「ロイン? ええ、どうぞ」
まるで宴会のような夕食の時間を過ごした後、ティマはマリワナからもらった本を手に自室にこもっていた。一枚一枚丁寧にページをめくり、そこに書かれた短い文を黙読していると、部屋の戸がノックされた。聞こえてきたのは幼なじみの声で、突然の来訪に驚きながらも、ティマは戸を開けた。
「このあと、時間あるか?」
「うん」
「なら、あとで『約束の場所』に来てくれないか? 何時でもいい。待ってる」
「え? うん。わかった」
「……約束だぞ」
「? ……うん」
ロインはティマの顔を見ると、短く彼女に問いかけた。それに彼女が了承の意をこめて頷くと、ロインはたったそれだけを告げ、それ以上何も言わずに去ってしまった。残されたティマは意図がわからず、不思議そうに首を傾げていた。