第17章 約束の場所の誓い Y
「えっ、まだもどってないの?」
日が暮れる頃、ティマはマリワナに付き添われてエイバス家を訪ねていた。昼間の出来事からはだいぶ落ち着いたらしく、目元は少し腫れていたが、いつもと変わらない様子に戻った女の子に、ドーチェは眉を下げて答えた。
自衛手段を持っているとはいえ、さすがに十歳の子供がうろつくには感心しない時間帯だ。それほど広くない町だと言うのに、少年の姿はどこにも見当たらない。一体どこへ行ってしまったのか、あの後広場の始末に追われ行方を追うことが叶わなかった三人には見当がつかなかった。
「すみませーん。ロインいますか?」
「! ハクじゃない。一体どうしたの?」
その時、珍しくロインに訪問客が現れた。それはマリワナと共にマウディーラに渡ってきたハクで、マリワナは珍しい物を見るように目を丸くした。
「いや、昼過ぎに灯台下の浜辺をうろついているのを見たんだけど、帰って来てるのかなと思って。ほら、あの近くってアルザイド洞窟に通じる洞穴があっただろう? だから気になって――」
「こんのアホハク! そういうことはもっと早くに言いなさいよ!」
「ひぃっ!?」
要件を聞いた途端、マリワナが表情を一変させて怒鳴り声を上げた。ハクは思わず肩を跳ねさせたが、彼女はそれに構ってなどいられなかった。
アルザイド洞窟には水棲系の魔物が住みついている。それらが洞窟を抜けてイーバオに侵攻してくることは滅多にないが、こちらから飛び込んでいくなら話は別だ。奥に迷い込んでしまえば、魔物とはち合わせない方が奇跡だ。
「私がロインを探してきます。ドーチェさん、ティマをお願いします」
「やだ! 私も行く!」
「こんな時にわがまま言わないの!」
「だってロインくんも、私との約束守ってないもん!」
「そんなのはまた後にしなさい!」
「マリワナさん。僕も一緒に行きます」
「けれど……」
「確かに戦う術は持ち合わせていませんが、魔物を相手にするのは慣れています。ティマさんにも、僕が危険なことをしないよう面倒を見ます」
そう言って、ティマもドーチェも引き下がろうとしない。やがて、先に折れたのはマリワナだった。
「……いいわ。ハク、適当に槍持ってきて。先に行ってるから」
「ええっ!? 俺、パシリかよ」
「あんたの足の速さなら追いついてくるって信用してるのよ!」
そう言って次の瞬間にはハクに背を向け、彼女は目的地へと走り出していた。
そのまさかだった。
ロインはアルザイド洞窟に足を踏み入れ、すでに数体の魔物を相手にした後だった。
「くっそ! 次々わいてくるとか……なんなんだよ、ここは――ッ!」
それほど奥へ来たわけでもない。それなのにオタブルやザーザー、さらにはシャーキンまでもがロインを目にした途端に襲いかかってきた始末だ。さすがに様子がおかしいと思い引き返そうとしたが、その帰り道でも変わらぬ頻度で魔物が飛び出してくる。
そして、たった今目の前に立ち塞がった魔物の姿に、ロインは思わず戦慄した。
ロインよりも数倍の体躯。魚のヒレやタコの足を思わせるパーツ。周囲に浮いているのは、奴の率いる手下なのだろう。獲物を目の前にした嘶きに、彼は足が震えるのを自覚した。
「ウォォオオオオオオオ!!」
そこへ加わった新たな雄叫び。まさか今ので仲間を呼んだのかと、ロインの背筋が凍りつく。
だがその時、現れた“獣”は目の前の魔物の上へ衝撃を伴って降り立った。
しかし、敵もさることながら、身体を激しく揺さぶり“獣”を鬱陶しそうに追い払う。“獣”は無理に抗うことなく、むしろ勢いに乗せてロインの前へと優雅に着地して見せた。
低い姿勢から敵を捉える眼光は鋭く、服の下に覆われた豊かな体毛は威嚇するように逆立つ。しなやかさを連想させるその体躯は、まるで薄茶色の豹だと思った。
だが、どういうわけだろう。初めて見るはずのその背は、まるでロインを見知っているようだ。そしてロインも、何故だかわからない慨視観を覚えてならない。
「なんでリカンツが……」
「ちょっ! マリワナちゃん、武器武器!」
「遅いのよ、アホハク!」
「ロイン君!」
思わず言葉をこぼした刹那、大声をあげながらこちらに向かって走ってくるハク、獣人化を解いたマリワナ、そしてドーチェが次々と目の前に現れ、ロインは思わず面食らった。
「ロインくん!」
そしてその中には、今彼が一番見たくない顔もあった。しかし、この状況下でそんなことを気にしていられるだけの余裕もなかった。
「アンキュラブルプなんて……一体どこから湧いてきたの、よ!」
「ロイン君、今のうちに!」
マリワナは悪態を吐きながらも休むことなく、ハクから受け取った槍を手に魔物へと向かった。槍頭に電撃をまとわせ、高く飛び上がり電撃を飛ばすように槍を振り下ろすが、ブルプ達にいともたやすくかわされてしまった。
だが、敵意が彼女へと集中しているその隙に、ドーチェはロインを呼び寄せた。マリワナも端からそのつもりだったのだろう。ロインが逃げやすいよう、その戦い方はブルプらをひきつけることを目的にしているとわかる。ロインは彼女たちの戦況を伺いながら、父のもとへと駆けこんだ。
その距離が目と鼻の先にまで縮まった、その時だ。アンキュルブルプの大きな腕がマリワナを襲い、武器を盾に直撃を防いだ彼女ごと壁に叩きつけた。
「がっ!」
「おばさん!?」
「大丈夫か、マリワナちゃん!」
「くっ、平気だけど――ッ! さすがに、私一人で倒せる敵じゃない!」
そしてまた一撃。今度は手下のブルプがマリワナへと襲いかかる。寸でのところで追い払うように槍を振り回すが、空中で取り囲むように浮いているブルプ達にキリがないと彼女は舌を打った。
「一発でかいのぶち込むから、その隙に逃げるわよ!」
すると、言うが早いか、その瞬間にはもう術が発動しようとしていた。思わずハクが悲鳴のような叫びを上げたが、もはやマリワナの耳に届いていない。
「くらえ! インディグネイション!」
刹那、巨大な雷がブルプ達目がけ落下した。同時に合図が送られ、一同は一斉に出口目がけ全速力で走り出した。
後ろからはブルプらの呻くような鳴き声が上がり、洞窟中に響き揺らしているようだ。しかし追いかけてくる気配は感じず、自分たちの相手をすることは諦めたのだろうかと誰もが思った。
そして同じくその一員だったロインも、しかし警戒心から顔だけ振り返ろうとした。
「あぶない!」
次の瞬間、ロインは何が起こったのかわからなかった。ただ気がついた時には、身体はそれまでの進路から外されるように突き飛ばされ、翡翠色の双眸には少女が吹き飛び、崩れ落ちる様が映っていた。
「ティマ!」
驚愕。焦燥。後に怒りに変わったそれらの感情に支配される中で、ハクはティマの身体を抱きかかえ、マリワナは急襲の主を突いた。その正体は先ほどのブルプの一体で、絶命したそれは地面にそのままばたりと落下した。
「ティマちゃん! しっかりするんだ、ティマちゃん!」
だが、後ろで流れる緊迫した空気は止まない。急ぎ振り返ったマリワナの眼に映ったのは、ティマの苦悶に満ちた表情だった。
目立った外傷はない。だが意識は混濁していて、どう見ても様子がおかしい。
「急いでイーバオに! このままここにいても、何も解決しません!」
少女に起こった異変を前に、真っ先に声を上げたのはドーチェだった。至極冷静な瞳と下された判断に異を唱える者はもちろん誰もおらず、一行は再び出口に向け走り出した。
日が暮れる頃、ティマはマリワナに付き添われてエイバス家を訪ねていた。昼間の出来事からはだいぶ落ち着いたらしく、目元は少し腫れていたが、いつもと変わらない様子に戻った女の子に、ドーチェは眉を下げて答えた。
自衛手段を持っているとはいえ、さすがに十歳の子供がうろつくには感心しない時間帯だ。それほど広くない町だと言うのに、少年の姿はどこにも見当たらない。一体どこへ行ってしまったのか、あの後広場の始末に追われ行方を追うことが叶わなかった三人には見当がつかなかった。
「すみませーん。ロインいますか?」
「! ハクじゃない。一体どうしたの?」
その時、珍しくロインに訪問客が現れた。それはマリワナと共にマウディーラに渡ってきたハクで、マリワナは珍しい物を見るように目を丸くした。
「いや、昼過ぎに灯台下の浜辺をうろついているのを見たんだけど、帰って来てるのかなと思って。ほら、あの近くってアルザイド洞窟に通じる洞穴があっただろう? だから気になって――」
「こんのアホハク! そういうことはもっと早くに言いなさいよ!」
「ひぃっ!?」
要件を聞いた途端、マリワナが表情を一変させて怒鳴り声を上げた。ハクは思わず肩を跳ねさせたが、彼女はそれに構ってなどいられなかった。
アルザイド洞窟には水棲系の魔物が住みついている。それらが洞窟を抜けてイーバオに侵攻してくることは滅多にないが、こちらから飛び込んでいくなら話は別だ。奥に迷い込んでしまえば、魔物とはち合わせない方が奇跡だ。
「私がロインを探してきます。ドーチェさん、ティマをお願いします」
「やだ! 私も行く!」
「こんな時にわがまま言わないの!」
「だってロインくんも、私との約束守ってないもん!」
「そんなのはまた後にしなさい!」
「マリワナさん。僕も一緒に行きます」
「けれど……」
「確かに戦う術は持ち合わせていませんが、魔物を相手にするのは慣れています。ティマさんにも、僕が危険なことをしないよう面倒を見ます」
そう言って、ティマもドーチェも引き下がろうとしない。やがて、先に折れたのはマリワナだった。
「……いいわ。ハク、適当に槍持ってきて。先に行ってるから」
「ええっ!? 俺、パシリかよ」
「あんたの足の速さなら追いついてくるって信用してるのよ!」
そう言って次の瞬間にはハクに背を向け、彼女は目的地へと走り出していた。
そのまさかだった。
ロインはアルザイド洞窟に足を踏み入れ、すでに数体の魔物を相手にした後だった。
「くっそ! 次々わいてくるとか……なんなんだよ、ここは――ッ!」
それほど奥へ来たわけでもない。それなのにオタブルやザーザー、さらにはシャーキンまでもがロインを目にした途端に襲いかかってきた始末だ。さすがに様子がおかしいと思い引き返そうとしたが、その帰り道でも変わらぬ頻度で魔物が飛び出してくる。
そして、たった今目の前に立ち塞がった魔物の姿に、ロインは思わず戦慄した。
ロインよりも数倍の体躯。魚のヒレやタコの足を思わせるパーツ。周囲に浮いているのは、奴の率いる手下なのだろう。獲物を目の前にした嘶きに、彼は足が震えるのを自覚した。
「ウォォオオオオオオオ!!」
そこへ加わった新たな雄叫び。まさか今ので仲間を呼んだのかと、ロインの背筋が凍りつく。
だがその時、現れた“獣”は目の前の魔物の上へ衝撃を伴って降り立った。
しかし、敵もさることながら、身体を激しく揺さぶり“獣”を鬱陶しそうに追い払う。“獣”は無理に抗うことなく、むしろ勢いに乗せてロインの前へと優雅に着地して見せた。
低い姿勢から敵を捉える眼光は鋭く、服の下に覆われた豊かな体毛は威嚇するように逆立つ。しなやかさを連想させるその体躯は、まるで薄茶色の豹だと思った。
だが、どういうわけだろう。初めて見るはずのその背は、まるでロインを見知っているようだ。そしてロインも、何故だかわからない慨視観を覚えてならない。
「なんでリカンツが……」
「ちょっ! マリワナちゃん、武器武器!」
「遅いのよ、アホハク!」
「ロイン君!」
思わず言葉をこぼした刹那、大声をあげながらこちらに向かって走ってくるハク、獣人化を解いたマリワナ、そしてドーチェが次々と目の前に現れ、ロインは思わず面食らった。
「ロインくん!」
そしてその中には、今彼が一番見たくない顔もあった。しかし、この状況下でそんなことを気にしていられるだけの余裕もなかった。
「アンキュラブルプなんて……一体どこから湧いてきたの、よ!」
「ロイン君、今のうちに!」
マリワナは悪態を吐きながらも休むことなく、ハクから受け取った槍を手に魔物へと向かった。槍頭に電撃をまとわせ、高く飛び上がり電撃を飛ばすように槍を振り下ろすが、ブルプ達にいともたやすくかわされてしまった。
だが、敵意が彼女へと集中しているその隙に、ドーチェはロインを呼び寄せた。マリワナも端からそのつもりだったのだろう。ロインが逃げやすいよう、その戦い方はブルプらをひきつけることを目的にしているとわかる。ロインは彼女たちの戦況を伺いながら、父のもとへと駆けこんだ。
その距離が目と鼻の先にまで縮まった、その時だ。アンキュルブルプの大きな腕がマリワナを襲い、武器を盾に直撃を防いだ彼女ごと壁に叩きつけた。
「がっ!」
「おばさん!?」
「大丈夫か、マリワナちゃん!」
「くっ、平気だけど――ッ! さすがに、私一人で倒せる敵じゃない!」
そしてまた一撃。今度は手下のブルプがマリワナへと襲いかかる。寸でのところで追い払うように槍を振り回すが、空中で取り囲むように浮いているブルプ達にキリがないと彼女は舌を打った。
「一発でかいのぶち込むから、その隙に逃げるわよ!」
すると、言うが早いか、その瞬間にはもう術が発動しようとしていた。思わずハクが悲鳴のような叫びを上げたが、もはやマリワナの耳に届いていない。
「くらえ! インディグネイション!」
刹那、巨大な雷がブルプ達目がけ落下した。同時に合図が送られ、一同は一斉に出口目がけ全速力で走り出した。
後ろからはブルプらの呻くような鳴き声が上がり、洞窟中に響き揺らしているようだ。しかし追いかけてくる気配は感じず、自分たちの相手をすることは諦めたのだろうかと誰もが思った。
そして同じくその一員だったロインも、しかし警戒心から顔だけ振り返ろうとした。
「あぶない!」
次の瞬間、ロインは何が起こったのかわからなかった。ただ気がついた時には、身体はそれまでの進路から外されるように突き飛ばされ、翡翠色の双眸には少女が吹き飛び、崩れ落ちる様が映っていた。
「ティマ!」
驚愕。焦燥。後に怒りに変わったそれらの感情に支配される中で、ハクはティマの身体を抱きかかえ、マリワナは急襲の主を突いた。その正体は先ほどのブルプの一体で、絶命したそれは地面にそのままばたりと落下した。
「ティマちゃん! しっかりするんだ、ティマちゃん!」
だが、後ろで流れる緊迫した空気は止まない。急ぎ振り返ったマリワナの眼に映ったのは、ティマの苦悶に満ちた表情だった。
目立った外傷はない。だが意識は混濁していて、どう見ても様子がおかしい。
「急いでイーバオに! このままここにいても、何も解決しません!」
少女に起こった異変を前に、真っ先に声を上げたのはドーチェだった。至極冷静な瞳と下された判断に異を唱える者はもちろん誰もおらず、一行は再び出口に向け走り出した。