第17章 約束の場所の誓い Z
イーバオの港に出た頃にはすっかり日が暮れていた。そしてティマの様子を見守るためマリワナ達について行ったドーチェが帰宅したのは、日付が変わろうという時刻のことだった。ロインはその間、一人静かに――しかし落ち着かない様子で――ドーチェの帰りを待っていた。
「父さん……あいつは?」
それが「おかえり」と挨拶を交わした次に出てきた言葉だった。ドーチェは一瞬目を丸くしたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻り、ロインの問いに答えてあげた。
「魔物の毒を受けていたようですが、解毒は無事に済みました。しばらく安静にする必要はありますが、もう大丈夫です」
「そう、か……」
その表情はどこかほっとしているようだった。ドーチェは彼に訪れた些細な変化に気付きながらも、黙って就寝を促した。ロインも少なからず安心したせいか、素直に言いつけに従い、自室へと上がって行ったのだった。
だが、その夜はすぐに寝付けなかった。
寝付けないこと自体は珍しいことではない。母を失った日以来毎夜繰り返される悪夢に挑む覚悟が出来ずに、ということであれば、それはいつものことだった。
しかし、今日は違った。少年の頭の中を支配してやまないのは、自分を庇って負傷した少女の姿だった。彼女にとってかけがえのない存在を貶し、あげく約束を破って逃げ出そうとした自分を迷うことなく救おうとしたあの様が、理由が、彼はわからなかった。
翌日。ロインはあの洞窟に通じる洞穴の前に立っていた。昨夜から占めてならない煩わしさを、少しでも紛らわそうと思ってのことだった。
しかし、どうやら失敗だったようだ。昨日の出来事がより鮮明に蘇るおかげで、払拭させるどころかさらに絡み取られてしまったように気持ちがますます重くなっていく。
「なんで、あいつは……」
つい口から零れた言葉は、波に掻き消されるほど小さく、迷い、惑っていた。そのまま答えは見つかることなく、時間だけが無駄に流れていった。
「ここに、いたんだ……」
どれだけの時間が過ぎたのか、聞こえた声にはっと我に帰ると、すでに日は真上になかった。
「!? おまえ、なんで!」
そして目の前にいた“彼女”に、思わず声が出てしまっていた。
まだ顔色は悪かった。解毒は済んだと聞いていたが、回復しきってはいないのだろう。そんな体調にも関わらずこんなところへやってきたティマの気が知れなかった。驚きで動けないロインに、ティマはふらふらになりながらも歩み寄った。
「これ、まだ返してなかったから」
言って、ティマは何かを握った手を差し出した。わけがわからないなりにも受け取ると、その手に渡っていたのは、なんと形見の首飾りだった。突然のハプニングに見舞われたせいで、ロインもすっかり忘れていたというのに。
「……なんでだよ」
「え?」
おかげで、なおさら訳が分からなくなってしまった。ロインは苦しそうに呟くが、その意味にティマが果たして気付けたかどうか。
「だって、約束だったから」
「約束?」
「うん。ちゃんと逃げずに決闘に来たから、これは返さないと。だから、ロインくんも! 私が勝ったんだから、リカンツって言ったこと取り消して!」
「あ、ああ。悪かっ、た……?」
どうやら首飾りを返した理由を聞かれたのだと思ったらしい。ティマは答えたついでに、再び喧嘩腰でロインに――それも体調不良とは思えない鬼気としたオーラで――迫った。その勢いに負かされたようについ謝罪を口にしたロインだったが、それでも満足したのか、ティマはふっと笑い、糸が切れたように突如倒れてしまった。
「お、おい!」
その途端、反射的に身体が動いてしまい、気付けばティマを受け止めていた。顔色は悪いままだが、余計に悪化したというわけではないようだ。そのことにホッとしている自分にまた驚いて、ロインはみるみる表情を曇らせた。
「……訳がわかんねえよ、おまえ。なんでオレにかまうんだよ? なんでオレなんか庇ったんだよ? なんで、こんなふらふらなのに、なんで……」
口を突いて出た声は、あまりにも弱かった。顔も今にも泣きそうだ。だというのに、涙だけはいっこうに流れる気配すら見えない。
けれど、ティマには彼が泣いているように見えた。悲しみではなく、怒りでもなく。理由はわからない。それでも泣かないでと言うように、彼女は自分を支える腕にそろそろと手を伸ばした。
「……から」
「え?」
「だって…友達に、なりたいから……」
そしてその言葉の代わりに紡いだのは、今まで何度も彼に告げてきた言葉だった。
他人を信じるということを忘れてしまったロインにとって、その言葉はすでに意味を失ったものでしかない。しかし、どうやら彼女にとってその言葉は大きな意味を持っているらしい。それも、こうして自分が傷つく結果になってもかまわないほどの。
「なあ。友達って、なんなんだ?」
「え? えっと……」
だから、その意味を彼は尋ねた。この訳のわからないもやもやしたものの答え。今はそれを、彼女の言う言葉が持っているような気さえした。
一方、問いかけられたティマは唐突過ぎてすぐに言葉が出てこなかった。それでも、ロインは根気強く彼女から答えが出るのを待ち続けた。
「いっしょに楽しいことしたり、何かこまったことがあったら助けたり。けんかもするけど、どんな時だってうらぎったりしない。友達って、そういうものだよ」
そしてやがて出た答えに、ロインはしばらく何かを考えるように目を閉じた。その結論が出るまでの間、ティマは首を傾げながらも黙って待っていた。
「……なら、約束だ」
やがて、結論は導き出された。そして沈黙を破ったロインから出た言葉は、ティマを大変驚かせた。
「オレが“ティマ”を守ってやる。だから――」
言いながら、彼は何かをティマの手に押し付けた。それは、返されたばかりの首飾りだった。
「おまえは“これ”を守れ。オレ達以外の誰にも、この首飾りの存在は教えるな」
「おばさんは? ロインのおじさんにも?」
「そうだ」
その発言が本気だと言うことは、眼を見ればすぐにわかった。本気すぎて痛いほどに。そしてこの約束が叶わなかった時には何かが彼女を待っているような、そんな予感さえした。
しかし、ティマはそれを理解した上で頷き、承諾した。
その時、ティマはふと波打ち際に目を向けた。すると何かに気付いたようによろよろと立ちあがり、そのまま視線の先へと歩いて行こうとした。何を、とロインが口にするが、彼女はそこに膝を着き、ごそごそとなにやら動かす手を止めない。
「じゃあ、これでいいよね!」
そしてようやく振り返った時には、彼女の手にあった白い結晶の首飾りは、貝殻の首飾りに姿を変えていた。それは光に当てると虹色に輝いていて、今のティマの笑顔のようだった。
「父さん……あいつは?」
それが「おかえり」と挨拶を交わした次に出てきた言葉だった。ドーチェは一瞬目を丸くしたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻り、ロインの問いに答えてあげた。
「魔物の毒を受けていたようですが、解毒は無事に済みました。しばらく安静にする必要はありますが、もう大丈夫です」
「そう、か……」
その表情はどこかほっとしているようだった。ドーチェは彼に訪れた些細な変化に気付きながらも、黙って就寝を促した。ロインも少なからず安心したせいか、素直に言いつけに従い、自室へと上がって行ったのだった。
だが、その夜はすぐに寝付けなかった。
寝付けないこと自体は珍しいことではない。母を失った日以来毎夜繰り返される悪夢に挑む覚悟が出来ずに、ということであれば、それはいつものことだった。
しかし、今日は違った。少年の頭の中を支配してやまないのは、自分を庇って負傷した少女の姿だった。彼女にとってかけがえのない存在を貶し、あげく約束を破って逃げ出そうとした自分を迷うことなく救おうとしたあの様が、理由が、彼はわからなかった。
翌日。ロインはあの洞窟に通じる洞穴の前に立っていた。昨夜から占めてならない煩わしさを、少しでも紛らわそうと思ってのことだった。
しかし、どうやら失敗だったようだ。昨日の出来事がより鮮明に蘇るおかげで、払拭させるどころかさらに絡み取られてしまったように気持ちがますます重くなっていく。
「なんで、あいつは……」
つい口から零れた言葉は、波に掻き消されるほど小さく、迷い、惑っていた。そのまま答えは見つかることなく、時間だけが無駄に流れていった。
「ここに、いたんだ……」
どれだけの時間が過ぎたのか、聞こえた声にはっと我に帰ると、すでに日は真上になかった。
「!? おまえ、なんで!」
そして目の前にいた“彼女”に、思わず声が出てしまっていた。
まだ顔色は悪かった。解毒は済んだと聞いていたが、回復しきってはいないのだろう。そんな体調にも関わらずこんなところへやってきたティマの気が知れなかった。驚きで動けないロインに、ティマはふらふらになりながらも歩み寄った。
「これ、まだ返してなかったから」
言って、ティマは何かを握った手を差し出した。わけがわからないなりにも受け取ると、その手に渡っていたのは、なんと形見の首飾りだった。突然のハプニングに見舞われたせいで、ロインもすっかり忘れていたというのに。
「……なんでだよ」
「え?」
おかげで、なおさら訳が分からなくなってしまった。ロインは苦しそうに呟くが、その意味にティマが果たして気付けたかどうか。
「だって、約束だったから」
「約束?」
「うん。ちゃんと逃げずに決闘に来たから、これは返さないと。だから、ロインくんも! 私が勝ったんだから、リカンツって言ったこと取り消して!」
「あ、ああ。悪かっ、た……?」
どうやら首飾りを返した理由を聞かれたのだと思ったらしい。ティマは答えたついでに、再び喧嘩腰でロインに――それも体調不良とは思えない鬼気としたオーラで――迫った。その勢いに負かされたようについ謝罪を口にしたロインだったが、それでも満足したのか、ティマはふっと笑い、糸が切れたように突如倒れてしまった。
「お、おい!」
その途端、反射的に身体が動いてしまい、気付けばティマを受け止めていた。顔色は悪いままだが、余計に悪化したというわけではないようだ。そのことにホッとしている自分にまた驚いて、ロインはみるみる表情を曇らせた。
「……訳がわかんねえよ、おまえ。なんでオレにかまうんだよ? なんでオレなんか庇ったんだよ? なんで、こんなふらふらなのに、なんで……」
口を突いて出た声は、あまりにも弱かった。顔も今にも泣きそうだ。だというのに、涙だけはいっこうに流れる気配すら見えない。
けれど、ティマには彼が泣いているように見えた。悲しみではなく、怒りでもなく。理由はわからない。それでも泣かないでと言うように、彼女は自分を支える腕にそろそろと手を伸ばした。
「……から」
「え?」
「だって…友達に、なりたいから……」
そしてその言葉の代わりに紡いだのは、今まで何度も彼に告げてきた言葉だった。
他人を信じるということを忘れてしまったロインにとって、その言葉はすでに意味を失ったものでしかない。しかし、どうやら彼女にとってその言葉は大きな意味を持っているらしい。それも、こうして自分が傷つく結果になってもかまわないほどの。
「なあ。友達って、なんなんだ?」
「え? えっと……」
だから、その意味を彼は尋ねた。この訳のわからないもやもやしたものの答え。今はそれを、彼女の言う言葉が持っているような気さえした。
一方、問いかけられたティマは唐突過ぎてすぐに言葉が出てこなかった。それでも、ロインは根気強く彼女から答えが出るのを待ち続けた。
「いっしょに楽しいことしたり、何かこまったことがあったら助けたり。けんかもするけど、どんな時だってうらぎったりしない。友達って、そういうものだよ」
そしてやがて出た答えに、ロインはしばらく何かを考えるように目を閉じた。その結論が出るまでの間、ティマは首を傾げながらも黙って待っていた。
「……なら、約束だ」
やがて、結論は導き出された。そして沈黙を破ったロインから出た言葉は、ティマを大変驚かせた。
「オレが“ティマ”を守ってやる。だから――」
言いながら、彼は何かをティマの手に押し付けた。それは、返されたばかりの首飾りだった。
「おまえは“これ”を守れ。オレ達以外の誰にも、この首飾りの存在は教えるな」
「おばさんは? ロインのおじさんにも?」
「そうだ」
その発言が本気だと言うことは、眼を見ればすぐにわかった。本気すぎて痛いほどに。そしてこの約束が叶わなかった時には何かが彼女を待っているような、そんな予感さえした。
しかし、ティマはそれを理解した上で頷き、承諾した。
その時、ティマはふと波打ち際に目を向けた。すると何かに気付いたようによろよろと立ちあがり、そのまま視線の先へと歩いて行こうとした。何を、とロインが口にするが、彼女はそこに膝を着き、ごそごそとなにやら動かす手を止めない。
「じゃあ、これでいいよね!」
そしてようやく振り返った時には、彼女の手にあった白い結晶の首飾りは、貝殻の首飾りに姿を変えていた。それは光に当てると虹色に輝いていて、今のティマの笑顔のようだった。