第18章 そして影は消え…… T
アール山の麓は、ロイン達の想像以上に凄惨な有様となっていた。
ここまでくる間にも、行く先々の町や街道でスポットが往来していたのを見た。だが、現状一番の発生源となっているアール山の宮から降りてきた影の大群は、まるで波の押し寄せる勢いで溢れ出している。それを、少しでも他の地域に被害が広がる前にと命懸けで食い止めているのは、黒と青色のアレウーラの騎士、僧兵、そして獣化の一族だ。
まるで戦争だ。
敵味方入り乱れ、飛び交う悲鳴や雄叫びが絶え間なく耳を突く。ひっきりなしに溢れ出す影の行軍に、ヒトは劣勢に立たされていた。それでも決して諦めず、同胞を奮い立たせていたヒトの大将が目に入った。
「パルナミスさん!」
いち早く気づいたルキウスは、急いで彼のもとへと走った。そして彼に続く一行の姿が目に入ったのだろう。こちらに気づいた黒騎士団の長は、副官と思しき男に短く指示し、こちらへと体を向けた。
「教皇、ようやくお出ましか」
「遅くなってすまない。よく堪えてくれた」
私情を挟まず淡々と口にするパルナミス。任務にただただ忠実な彼らしいと思いながらフォレストが労いを述べると、彼は特にそれに応えるわけでもなく、鼻を鳴らして視線を戦場へと移した。
「お前が施した即席の封印プリセプツも、そろそろ限界だ。教会の穴は以前よりも開き、徐々にだが、スポットが溢れ始めている。レイモーン評議会と教会の半分、それと近衛騎士にはジャンナを頼んである。地方に散っちまったのは、青騎士と僧兵で対応するしかない。……が、最悪なのは無論こっちだ。昼夜問わずに湧いてきやがる。特にひどいのは夜だ。闇が深ければ深いほど、奴らは勢いを増してくる」
「スディアナ城の時と一緒……」
そして始めの言葉はルキウスに、残りは自分の話に耳を傾けようとするロインたちを含めフォレストへと向け、パルナミスは変わらぬ口調で状況を説明した。
その惨状に、少年たちは顔を歪めずには聞いてはいられなかったようだ。思わず真っ青な顔になりながら呟いたティマに至っては、ジャンナやスディアナでの一件が最悪の事態を招いた光景を思い描いたに違いない。年長組も、少年らほどではないにしろ僅かに表情を歪めていた。
しかし、悲観している場合ではない。
「まったくだ。あの時よりも規模がでかすぎて正直頭が痛くなる……が、対処の仕方は変わらない。発生源を叩きに行きたいところだが、この状況だ。どうやって上を目指す?」
「我々が何も策を用意していないとでも思ったか?」
その場にいる皆の気持ちを代弁するように、ティルキスは自身の茶髪を掻き、いつもの飄々とした調子で口にした。
すると、その答えは思いのほか早く出された。
ふっと馬鹿にしたような笑みを浮かべるパルナミスに、皆の視線が集まった。彼は山の頂上を、それから正面から右へずれた位置に見える山壁と視線を移しながら言った。
「すでにスポットの少ない別ルートを模索してある。とは言っても、本来登山用のルートでもなんでもないから、かなりの強行突破になるがな。だが、教皇にレイモーン評議会のトップが共にいるなら、大した問題でもなかろう?」
彼の視線の先へ、ロインらも同様に視線を移していく。ガルザとティマを追って初め進んだルートと比べると、もはや道と呼べる道はない。まさに崖と呼べる――それでも崖登りよりはいくらかマシであろう――険しい坂道を見やりながら、パルナミスは皮肉交じりの笑みを浮かべていた。
「随分と買いかぶられたものだな」
フォレストはため息混じりに呟くが、それは非難めいたものではなかった。そしてカイウス、ベディー、ルキウスへと視線を送っていけば、彼らもまた意図を理解したのか、にやりと口角を上げてみせたのだった。
そして、一連の様子を見ていたロインもまた、パルナミスが指し示した道をしっかりと見据えた。
「……行くぞ!」
静かに、だが力強く告げ、彼は飛び出した。それにティマが、カイウスが、ルビアが、皆が続いた。
目指す先は戦いの中心から外れている。とはいえ、こちらの手から逃れ大陸中に溢れんとしているスポット、スポットゾンビらの中に突入していくことに、なんらかわりはない。それぞれが武器を手に、進路を邪魔するものに向け、備えた。
その時、背後からパルナミスの声がなにやら響いた。すると、彼らの目の前に蔓延っていたスポットの軍勢に向けて、騎士や僧兵、レイモーンの一部勢力がこちらへとなだれ込んでくるではないか。
「これって……!」
「よそ見すんな! 今はただ、先へ進め!」
彼らはそのまま敵勢をおさえにかかり、ロインらの前に道を切り開いていく。さっきの号令は、彼らを援護するよう指示するものだったのだろう。
道を開く彼らの姿に、ティマは思わず視線を向けた。だが、ラミーはただまっすぐ前を向き、彼女を一喝する。
そこに込められた願い、期待。それに報いるために彼らにできることは、山頂の宮に辿り着き、スポットの王を討つことだけだ。そしてそれはまた、現在、彼らにしか成し得ないことでもある。ティマはラミーの言葉に頷き、二度とよそ見をしなかった。
「二人とも、わかってるな?」
「もちろんだ」
「任せて、兄さん!」
カイウスの声に、ベディー、ルキウスが返事をした。
直後、ルキウスは足を休めぬまま、小声で詠唱を始めた。それを合図にカイウス、ベディー、フォレストが一斉に獣人化を果たす。そして次には、カイウスはルビアを、ベディーはラミーを脇に抱えて、そしてフォレストはティルキスとアーリアの二人を抱え、次々と坂を飛び上がっていった。その直後、彼らの背を見やっていたロインとティマの体が、突如ふわっと宙に浮いた。そのままルキウスと共に、二人は山頂を目指してぐん、と上へと飛んだ。
確かに人の身のままであれば、この崖にも等しい坂を越えていくだけでも困難だったろう。だが、プリセプツの力と常人離れしたレイモーンの民の身体能力を持ってすれば、なんということはない。ロインら三人は風に運ばれ、獣人たちは軽々と足場を蹴っては上を目指していった。
あっという間に山を登りきれば、目的の宮は目と鼻の先。あと数メートル、崖の上にそびえ立っている。ここからは本来のルートに戻ればすぐだ。ロインと獣化を解いたカイウスを先頭に、一行は走った。
だが、そこである異変に気がついた。
「……おかしいわ。スポットがいない?」
山の麓、そしてここに至るまでの間の山中に影に与するものは溢れんばかりにいた。だがどうだろう。宮へと続く一本道は、彼らが通った形跡はあっても、目に見える範囲には気配が全くと言っていいほど存在しなかった。意外な静けさは不気味さを生み、彼らの心中をざわめかせた。
「我らが新世界の王が、余興のためと言って席を外させた」
「安心しろ。余興が済む頃には、すでにこの世界に降り立った同胞らによって、下にいるゴミどもの掃除も済んでるだろうよ!」
だが唯一、静寂を破り、ルビアの声に応えた者が二人だけ残っていた。
鋭い殺気を瞳に込めながら、悠々とこちらへと歩を進めるのはバージェスだ。そしてもう一人は、にたりとした笑みで刺青の形を変えているヴォイドだった。
ここまでくる間にも、行く先々の町や街道でスポットが往来していたのを見た。だが、現状一番の発生源となっているアール山の宮から降りてきた影の大群は、まるで波の押し寄せる勢いで溢れ出している。それを、少しでも他の地域に被害が広がる前にと命懸けで食い止めているのは、黒と青色のアレウーラの騎士、僧兵、そして獣化の一族だ。
まるで戦争だ。
敵味方入り乱れ、飛び交う悲鳴や雄叫びが絶え間なく耳を突く。ひっきりなしに溢れ出す影の行軍に、ヒトは劣勢に立たされていた。それでも決して諦めず、同胞を奮い立たせていたヒトの大将が目に入った。
「パルナミスさん!」
いち早く気づいたルキウスは、急いで彼のもとへと走った。そして彼に続く一行の姿が目に入ったのだろう。こちらに気づいた黒騎士団の長は、副官と思しき男に短く指示し、こちらへと体を向けた。
「教皇、ようやくお出ましか」
「遅くなってすまない。よく堪えてくれた」
私情を挟まず淡々と口にするパルナミス。任務にただただ忠実な彼らしいと思いながらフォレストが労いを述べると、彼は特にそれに応えるわけでもなく、鼻を鳴らして視線を戦場へと移した。
「お前が施した即席の封印プリセプツも、そろそろ限界だ。教会の穴は以前よりも開き、徐々にだが、スポットが溢れ始めている。レイモーン評議会と教会の半分、それと近衛騎士にはジャンナを頼んである。地方に散っちまったのは、青騎士と僧兵で対応するしかない。……が、最悪なのは無論こっちだ。昼夜問わずに湧いてきやがる。特にひどいのは夜だ。闇が深ければ深いほど、奴らは勢いを増してくる」
「スディアナ城の時と一緒……」
そして始めの言葉はルキウスに、残りは自分の話に耳を傾けようとするロインたちを含めフォレストへと向け、パルナミスは変わらぬ口調で状況を説明した。
その惨状に、少年たちは顔を歪めずには聞いてはいられなかったようだ。思わず真っ青な顔になりながら呟いたティマに至っては、ジャンナやスディアナでの一件が最悪の事態を招いた光景を思い描いたに違いない。年長組も、少年らほどではないにしろ僅かに表情を歪めていた。
しかし、悲観している場合ではない。
「まったくだ。あの時よりも規模がでかすぎて正直頭が痛くなる……が、対処の仕方は変わらない。発生源を叩きに行きたいところだが、この状況だ。どうやって上を目指す?」
「我々が何も策を用意していないとでも思ったか?」
その場にいる皆の気持ちを代弁するように、ティルキスは自身の茶髪を掻き、いつもの飄々とした調子で口にした。
すると、その答えは思いのほか早く出された。
ふっと馬鹿にしたような笑みを浮かべるパルナミスに、皆の視線が集まった。彼は山の頂上を、それから正面から右へずれた位置に見える山壁と視線を移しながら言った。
「すでにスポットの少ない別ルートを模索してある。とは言っても、本来登山用のルートでもなんでもないから、かなりの強行突破になるがな。だが、教皇にレイモーン評議会のトップが共にいるなら、大した問題でもなかろう?」
彼の視線の先へ、ロインらも同様に視線を移していく。ガルザとティマを追って初め進んだルートと比べると、もはや道と呼べる道はない。まさに崖と呼べる――それでも崖登りよりはいくらかマシであろう――険しい坂道を見やりながら、パルナミスは皮肉交じりの笑みを浮かべていた。
「随分と買いかぶられたものだな」
フォレストはため息混じりに呟くが、それは非難めいたものではなかった。そしてカイウス、ベディー、ルキウスへと視線を送っていけば、彼らもまた意図を理解したのか、にやりと口角を上げてみせたのだった。
そして、一連の様子を見ていたロインもまた、パルナミスが指し示した道をしっかりと見据えた。
「……行くぞ!」
静かに、だが力強く告げ、彼は飛び出した。それにティマが、カイウスが、ルビアが、皆が続いた。
目指す先は戦いの中心から外れている。とはいえ、こちらの手から逃れ大陸中に溢れんとしているスポット、スポットゾンビらの中に突入していくことに、なんらかわりはない。それぞれが武器を手に、進路を邪魔するものに向け、備えた。
その時、背後からパルナミスの声がなにやら響いた。すると、彼らの目の前に蔓延っていたスポットの軍勢に向けて、騎士や僧兵、レイモーンの一部勢力がこちらへとなだれ込んでくるではないか。
「これって……!」
「よそ見すんな! 今はただ、先へ進め!」
彼らはそのまま敵勢をおさえにかかり、ロインらの前に道を切り開いていく。さっきの号令は、彼らを援護するよう指示するものだったのだろう。
道を開く彼らの姿に、ティマは思わず視線を向けた。だが、ラミーはただまっすぐ前を向き、彼女を一喝する。
そこに込められた願い、期待。それに報いるために彼らにできることは、山頂の宮に辿り着き、スポットの王を討つことだけだ。そしてそれはまた、現在、彼らにしか成し得ないことでもある。ティマはラミーの言葉に頷き、二度とよそ見をしなかった。
「二人とも、わかってるな?」
「もちろんだ」
「任せて、兄さん!」
カイウスの声に、ベディー、ルキウスが返事をした。
直後、ルキウスは足を休めぬまま、小声で詠唱を始めた。それを合図にカイウス、ベディー、フォレストが一斉に獣人化を果たす。そして次には、カイウスはルビアを、ベディーはラミーを脇に抱えて、そしてフォレストはティルキスとアーリアの二人を抱え、次々と坂を飛び上がっていった。その直後、彼らの背を見やっていたロインとティマの体が、突如ふわっと宙に浮いた。そのままルキウスと共に、二人は山頂を目指してぐん、と上へと飛んだ。
確かに人の身のままであれば、この崖にも等しい坂を越えていくだけでも困難だったろう。だが、プリセプツの力と常人離れしたレイモーンの民の身体能力を持ってすれば、なんということはない。ロインら三人は風に運ばれ、獣人たちは軽々と足場を蹴っては上を目指していった。
あっという間に山を登りきれば、目的の宮は目と鼻の先。あと数メートル、崖の上にそびえ立っている。ここからは本来のルートに戻ればすぐだ。ロインと獣化を解いたカイウスを先頭に、一行は走った。
だが、そこである異変に気がついた。
「……おかしいわ。スポットがいない?」
山の麓、そしてここに至るまでの間の山中に影に与するものは溢れんばかりにいた。だがどうだろう。宮へと続く一本道は、彼らが通った形跡はあっても、目に見える範囲には気配が全くと言っていいほど存在しなかった。意外な静けさは不気味さを生み、彼らの心中をざわめかせた。
「我らが新世界の王が、余興のためと言って席を外させた」
「安心しろ。余興が済む頃には、すでにこの世界に降り立った同胞らによって、下にいるゴミどもの掃除も済んでるだろうよ!」
だが唯一、静寂を破り、ルビアの声に応えた者が二人だけ残っていた。
鋭い殺気を瞳に込めながら、悠々とこちらへと歩を進めるのはバージェスだ。そしてもう一人は、にたりとした笑みで刺青の形を変えているヴォイドだった。