第18章 そして影は消え…… Z
途端、宮内は著しい冷気にさらされた。急激な寒さに思わず誰もが身を震わせた次の瞬間、パキパキと凍りつく音が迫ってきた。気付けば、ジオートとアーレスの身体が凍りつき出しているではないか。
しかし、アーレスは「無駄なことを」と嘲笑い、またしてもテレポートした。もとより、プリセプツは空間に働き掛けるもの。ジオートは逃れられないだろうが、彼女には対象の空間から逃れることなど造作もないことだ。
だが、
「なに!?」
テレポートしてもなお、その身体は凍りついていく。躍起になってテレポートを繰り返してもそれは変わらず、とうとう氷は周囲の床や壁、柱へと、彼女を縛りつけるようにあらゆる方向へ伸びていった。
「無駄よ。このプリセプツの発動対象範囲は、術者が把握できる全ての空間。大気中の水を相手に、逃げ場なんてないのよ!」
その圧倒的な力ゆえに、恐れられながらも一縷の希望を見出すための術とされ、継承されてきた。それが、原始のレイモーンの巨大プリセプツの正体。
ティマが告げた時には、すでにアーレスは周囲の空間ごと氷漬けにされ、身動きを封じられていた。ジオートも然りだ。
だが、術はこれだけでは終わらない。
「グレイシャッド・マドネス!」
刹那にして、ぐるりと全方位から彼らを取り囲んだ無数の闇色の刃。それらはティマの号令で、氷ごと彼らを一気に串刺した。アイアイン・メイデンを連想させる光景。捕らえた者を突き刺すと同時に砕け散った氷からは、苦痛に満ちた絶叫が響き渡った。
「今よ!」
「我らが糧たる定明の光よ、ここに集いて邪の者を滅ぼせ! セイクリッドシャイン!」
「荒れ狂う古の風よ、我が前に立ち塞がる邪の者を滅ぼせ! テンペスト!」
ティマの声を合図に、ルビアとアーリアも次々とプリセプツを放っていく。
ジオートらは眩い閃光に身を焼かれ、吹き荒れる暴風に身を切り刻まれる。
あまりの威力に、カイウス達は物陰や隅に隠れ、互いをかばいあうように身を寄せていた。それでも、全てを見届けようとその目は決してそらさない。
やがて術が止みそうになった時、ボロボロになった二人の姿が垣間見えた。だが、その紅眼にはまだ殺気が残っている。
――まだ終わっていない!
「ロイン!」
少女が声を発するのと、どちらが早かっただろうか。紅と翡翠がぶつかった瞬間、ロインはもう駆け出していた。
かなりひどくダメージを負い、もう思うように動けないのだろう。アーレスは少年が迫っていることに気づいていても、ジオートのもとへふらふらと落ちていくばかりだった。そしてロインが初撃を与えようとした刹那、持ち主の意志に反応したかのように、リコッルドが一層強く白く輝いた。
「受けてみろ、三騎士の剣(つるぎ)!」
その剣から放たれた獅子戦吼すら、白い輝きに染まっていた。叩きつけた闘気に吹き飛ぶ彼らを、ロインは逃すことを許さない。勢いに乗り、捉えると、あらゆる方向から高速の連続斬りを食らわせていく。
目に止まらぬ速さに、ティマ達の目に映るのは白い閃光だけ。その全てをその身に受ける二人は、ただ悲鳴を上げるだけ。
そして、ロインは白い剣にさらに炎の赤を加え、その身を翻しながら彼らを高く斬り上げた。閃光と炎に身悶えるジオートとアーレスよりもさらに高く飛び上がった先で、ロインは彼らへ狙いを定めるように、その切っ先を向けた。その瞬間、白の輝きはリコッルドを飲み込むほどになり、一回り大きな剣へと化した。
「晶洸連斬牙!!」
受け継いだ剣。ロインは全ての想いを託し、渾身の一撃を振り下ろした。
斬撃が彼らを裂き、断末魔の叫びが反響した。
結末を見届けるティマ達の目にまず映ったのは、元に戻った剣を握りしめ立つロインの姿だった。乱れた呼吸を整えながら向ける翡翠の先には、倒れ伏すジオートとアーレスがいた。
それは、彼らがスポットに勝利した瞬間だった。
「くっははははは……!」
しかし、彼女は突然不気味に笑い声を上げた。
傍らに伏すジオートはすでに息絶えているのか、影の身体はモヤとなって消え始めている。アーレス自身にも同様の現象が起こり始めているにも関わらず、彼女は狂ったように嘲笑い、ゆらりと起き上がった。
「ワラワを倒したとてムダなこと! 我らが同胞がいる限り、何度でもこの世界は影に呑まれる!」
アーレスはそう言うと、残る力でそれまで閉じていた“門”を再び解放させた。ゆっくりと闇が広がり、ぎらぎらした赤い光が迫るように増えていく。
ロインらは警戒を強め、新たに現れるスポットに備え、身構えた。そしてティマも『冥府の法』を閉じるため詠唱の体勢に入りながら、静かにアーレスの言葉を否定した。
「いいえ。二度とさせないわ」
すると次の瞬間、彼らが持つ白晶岩の欠片が一斉に白く光り始めた。その光と呼応するように、同じ光がティマを淡く包み込む。欠片の魔力を糧に、彼女はルキウスとアーリアが解析したプリセプツを素早く構築していった。
(うまくいって……!)
必死の願いと共に、彼女はプリセプツを発動させた。すると、一度広がった“門”は、徐々に小さくなり始めた。向こう側の影たちは、まるで押し戻されるように視界から見えなくなっていく。
その光景に目をやった直後、アーレスの眼がただならぬ驚愕に満ちた。
「何故だ……? 故郷が、ワラワの愛しき世界が感じれぬ……!」
「二人に頼んで細工してもらったの。二度とこの世界に、スポットを招き入れないように」
それは、アルバートとの死闘を終えた後のこと。ティマはボーウの宿屋で、ルキウスとアーリアにそのことを提案したのだった。
『次元を閉じる?』
『そう。今ここで“門”を閉じることができたとしても、生き残ったスポットたちの中に、あるいは私たち人間が、いつかまた“門”を開こうとするかもしれない。だからこんなことが二度と起こらないように、この世界とスポットの世界が二度とつながらないようにしたいの』
そして、彼女の願いは実現した。
まるで雨雲が晴れる瞬間のように、宮から暗い禍々しさが薄れていく。そしてロイン達にはわからないが、アーレスはそれと同時に、懐かしい気配が薄れていくのを感じ取ったに違いない。
「おのれ、小娘……!」
怒り。憎み。呪い。あらゆる感情の込められた声が、ティマに向かって放たれる。もはや形の崩れた腕を恨めしそうに伸ばす彼女に、ティマは一瞥をくれた。
「いいよ、恨んでも。それでこの先起こる悲劇を一つでもなくせるのなら、私は喜んで背負ってみせる」
それは、少女が王たる責を始めて背負った瞬間。アーレスはその大人びた赤茶を捉えながら、最期の時を迎えたのだった。
雲散霧消した影の女王。その跡地を眺め、カイウスたちは肩の力をようやく抜いた。“門”も完全に閉じられたことを確かめると、彼らは武器を収めていった。
「ティマ」
ただ、ロインだけは剣を収めずに、その場に立ち尽くす少女へ歩み寄っていった。そして一歩引いた位置からそっと細い肩に触れると、彼女は小さく震えた。
「……終わったんだよね? ロイン」
「ああ。全部終わった」
彼を振り返ることはなく、確かめるようにそっと呟く。その声に優しく答えれば、彼女はようやく武器を下ろした。それを見て、ロインも剣を鞘へ収める。
「帰ろう」
そして差し出されたロインの手を、ティマはそっと、確かめるように力強く握り締めた。
振り返れば、共に戦い抜いた仲間たちが、優しい表情で二人を待っていた。
しかし、アーレスは「無駄なことを」と嘲笑い、またしてもテレポートした。もとより、プリセプツは空間に働き掛けるもの。ジオートは逃れられないだろうが、彼女には対象の空間から逃れることなど造作もないことだ。
だが、
「なに!?」
テレポートしてもなお、その身体は凍りついていく。躍起になってテレポートを繰り返してもそれは変わらず、とうとう氷は周囲の床や壁、柱へと、彼女を縛りつけるようにあらゆる方向へ伸びていった。
「無駄よ。このプリセプツの発動対象範囲は、術者が把握できる全ての空間。大気中の水を相手に、逃げ場なんてないのよ!」
その圧倒的な力ゆえに、恐れられながらも一縷の希望を見出すための術とされ、継承されてきた。それが、原始のレイモーンの巨大プリセプツの正体。
ティマが告げた時には、すでにアーレスは周囲の空間ごと氷漬けにされ、身動きを封じられていた。ジオートも然りだ。
だが、術はこれだけでは終わらない。
「グレイシャッド・マドネス!」
刹那にして、ぐるりと全方位から彼らを取り囲んだ無数の闇色の刃。それらはティマの号令で、氷ごと彼らを一気に串刺した。アイアイン・メイデンを連想させる光景。捕らえた者を突き刺すと同時に砕け散った氷からは、苦痛に満ちた絶叫が響き渡った。
「今よ!」
「我らが糧たる定明の光よ、ここに集いて邪の者を滅ぼせ! セイクリッドシャイン!」
「荒れ狂う古の風よ、我が前に立ち塞がる邪の者を滅ぼせ! テンペスト!」
ティマの声を合図に、ルビアとアーリアも次々とプリセプツを放っていく。
ジオートらは眩い閃光に身を焼かれ、吹き荒れる暴風に身を切り刻まれる。
あまりの威力に、カイウス達は物陰や隅に隠れ、互いをかばいあうように身を寄せていた。それでも、全てを見届けようとその目は決してそらさない。
やがて術が止みそうになった時、ボロボロになった二人の姿が垣間見えた。だが、その紅眼にはまだ殺気が残っている。
――まだ終わっていない!
「ロイン!」
少女が声を発するのと、どちらが早かっただろうか。紅と翡翠がぶつかった瞬間、ロインはもう駆け出していた。
かなりひどくダメージを負い、もう思うように動けないのだろう。アーレスは少年が迫っていることに気づいていても、ジオートのもとへふらふらと落ちていくばかりだった。そしてロインが初撃を与えようとした刹那、持ち主の意志に反応したかのように、リコッルドが一層強く白く輝いた。
「受けてみろ、三騎士の剣(つるぎ)!」
その剣から放たれた獅子戦吼すら、白い輝きに染まっていた。叩きつけた闘気に吹き飛ぶ彼らを、ロインは逃すことを許さない。勢いに乗り、捉えると、あらゆる方向から高速の連続斬りを食らわせていく。
目に止まらぬ速さに、ティマ達の目に映るのは白い閃光だけ。その全てをその身に受ける二人は、ただ悲鳴を上げるだけ。
そして、ロインは白い剣にさらに炎の赤を加え、その身を翻しながら彼らを高く斬り上げた。閃光と炎に身悶えるジオートとアーレスよりもさらに高く飛び上がった先で、ロインは彼らへ狙いを定めるように、その切っ先を向けた。その瞬間、白の輝きはリコッルドを飲み込むほどになり、一回り大きな剣へと化した。
「晶洸連斬牙!!」
受け継いだ剣。ロインは全ての想いを託し、渾身の一撃を振り下ろした。
斬撃が彼らを裂き、断末魔の叫びが反響した。
結末を見届けるティマ達の目にまず映ったのは、元に戻った剣を握りしめ立つロインの姿だった。乱れた呼吸を整えながら向ける翡翠の先には、倒れ伏すジオートとアーレスがいた。
それは、彼らがスポットに勝利した瞬間だった。
「くっははははは……!」
しかし、彼女は突然不気味に笑い声を上げた。
傍らに伏すジオートはすでに息絶えているのか、影の身体はモヤとなって消え始めている。アーレス自身にも同様の現象が起こり始めているにも関わらず、彼女は狂ったように嘲笑い、ゆらりと起き上がった。
「ワラワを倒したとてムダなこと! 我らが同胞がいる限り、何度でもこの世界は影に呑まれる!」
アーレスはそう言うと、残る力でそれまで閉じていた“門”を再び解放させた。ゆっくりと闇が広がり、ぎらぎらした赤い光が迫るように増えていく。
ロインらは警戒を強め、新たに現れるスポットに備え、身構えた。そしてティマも『冥府の法』を閉じるため詠唱の体勢に入りながら、静かにアーレスの言葉を否定した。
「いいえ。二度とさせないわ」
すると次の瞬間、彼らが持つ白晶岩の欠片が一斉に白く光り始めた。その光と呼応するように、同じ光がティマを淡く包み込む。欠片の魔力を糧に、彼女はルキウスとアーリアが解析したプリセプツを素早く構築していった。
(うまくいって……!)
必死の願いと共に、彼女はプリセプツを発動させた。すると、一度広がった“門”は、徐々に小さくなり始めた。向こう側の影たちは、まるで押し戻されるように視界から見えなくなっていく。
その光景に目をやった直後、アーレスの眼がただならぬ驚愕に満ちた。
「何故だ……? 故郷が、ワラワの愛しき世界が感じれぬ……!」
「二人に頼んで細工してもらったの。二度とこの世界に、スポットを招き入れないように」
それは、アルバートとの死闘を終えた後のこと。ティマはボーウの宿屋で、ルキウスとアーリアにそのことを提案したのだった。
『次元を閉じる?』
『そう。今ここで“門”を閉じることができたとしても、生き残ったスポットたちの中に、あるいは私たち人間が、いつかまた“門”を開こうとするかもしれない。だからこんなことが二度と起こらないように、この世界とスポットの世界が二度とつながらないようにしたいの』
そして、彼女の願いは実現した。
まるで雨雲が晴れる瞬間のように、宮から暗い禍々しさが薄れていく。そしてロイン達にはわからないが、アーレスはそれと同時に、懐かしい気配が薄れていくのを感じ取ったに違いない。
「おのれ、小娘……!」
怒り。憎み。呪い。あらゆる感情の込められた声が、ティマに向かって放たれる。もはや形の崩れた腕を恨めしそうに伸ばす彼女に、ティマは一瞥をくれた。
「いいよ、恨んでも。それでこの先起こる悲劇を一つでもなくせるのなら、私は喜んで背負ってみせる」
それは、少女が王たる責を始めて背負った瞬間。アーレスはその大人びた赤茶を捉えながら、最期の時を迎えたのだった。
雲散霧消した影の女王。その跡地を眺め、カイウスたちは肩の力をようやく抜いた。“門”も完全に閉じられたことを確かめると、彼らは武器を収めていった。
「ティマ」
ただ、ロインだけは剣を収めずに、その場に立ち尽くす少女へ歩み寄っていった。そして一歩引いた位置からそっと細い肩に触れると、彼女は小さく震えた。
「……終わったんだよね? ロイン」
「ああ。全部終わった」
彼を振り返ることはなく、確かめるようにそっと呟く。その声に優しく答えれば、彼女はようやく武器を下ろした。それを見て、ロインも剣を鞘へ収める。
「帰ろう」
そして差し出されたロインの手を、ティマはそっと、確かめるように力強く握り締めた。
振り返れば、共に戦い抜いた仲間たちが、優しい表情で二人を待っていた。