第7章 トガビト [
グレシアは少年の腕を乱暴に掴み、城に向かって歩き出した。少年はそれに抵抗し、その場に留まろうとする。
「ま、待って!放して!これじゃ…ダメなんだ!!」
思わず大声をあげ、なんとかその手を振り解く。グレシアが睨みつけても、少年は動じない。真っ直ぐ彼女を見つめ、口を開いた。
「お願い。僕自身の意志で、この子を帰させて。捕まって渋々帰す、みたいなことはしたくない。それじゃ、レイモーンの民はそういう奴だって思われる。…こんなことしておいて、おかしいかも知れないけど。でも、そうしたら、僕のことは好きにしていいから。」
少年は必死に頼んだ。だが、グレシアはそんなことよりも、今目の前にいる者が、見れば見るほど幼いことに驚き、反応に戸惑っていた。城に初めて現れた時と同じ汚らしいローブをまとい、フードから覗く真っ直ぐ自分を見つめる瞳は、思いがけないほど綺麗だった。いつの間にか、グレシアから怒りの感情は消え、少年と同じ目線に立っていた。この数十日間、捜し求めていた人物。アレウーラでの彼らに対する扱いは、彼女も耳にしていた。その背景を聞けば、彼が居場所を求めて一生懸命だったことは理解できる。だからといって、私情で彼に勝手なことを許すことはできない。…できないが、少年の中でいまだ眠りつづけている姫君を見つめると、グレシアの心は揺らいだ。
「…5分だけあげる。それを過ぎたら、私は私のやるべきことをする。」
グレシアは立ち上がると、瞼を閉じながらそう言った。その言葉に少年はぱっと笑顔になり、城へと駆け出した。タタタッと軽快な足音が遠ざかり始めるのを感じる。が、突然その音は途絶え、代わりにバンッと爆発音のようなものが耳に入った。後ろを振り返ると、城の入り口に誰かが立っており、少年の足元には焦げた跡がついている。グレシアの顔に焦燥が浮かんだ。
「バキラ様…!」
老司祭の登場に、グレシアと少年は顔色を変えた。バキラは目の前の少年、グレシア、そして血塗れで地に伏しているペトリスカへと視線を向ける。
「ウルノア…貴様、裏切っていたのか!?」
「!? 違います!これは、ペトリスカが姫様に刃を向けたからでして…」
完全な誤解だった。しかし、ただその場の光景を目にしただけでは、グレシアがペトリスカを手にかけ、国賊を城へ手引きしたように思えてしまう。それにあの夜、近衛騎士隊長が姫を奪われるという、まさかの失態を犯した。バキラに、全ての辻褄があう、と考えさせる要因が揃いすぎていた。もはやグレシアの言葉に耳を貸そうとしない。
「黙らんか!!…どうもおかしいと思ったわ。陛下の耳に入ったら、どんなにお嘆きになることか。」
「バキラ様、お願いします!話をさせて下さい……っ!!」
必死の形相となるグレシア。そんな彼女目掛けて、炎の玉がビュンと飛んでくる。バキラが放ったファイヤーボールを横へ転がってかわし、少年と姫にも目を向ける。彼らにもファイヤーボールが放たれ、それを宙へ飛び上がってかわしている少年の姿が見える。腕の中にティマリアがいることに気がついていないのか、バキラの攻撃に容赦はなかった。グレシアは舌打ちをし、剣を抜く。バキラの顔がより険しくなった。
「…この老いぼれも手にかける気か?」
「違います。…けれど、貴方の動きを止める必要があるのです。どうか、話を。」
「ふん。何を今更。ワシがこのまま、貴様を許すと思うな。今ここで裁きを下してやるわい。」
「バキラ様、誤解なのです!!お願い、話を聞いて!」
「黙れ、ウルノア!…貴様と后様の仲が良いことは知っておる。ただでさえ参っておられるのに、こんな事実言える筈がなかろう。…そうじゃのう、『姫様を見つけることが出来なかった、その責を取って首都を離れる』とでも言っておったと伝えておこう。じゃから、安心して旅立つが良いわ!!」
そう言い終わる前に、バキラの手に光が収束し始める。何か巨大な攻撃魔法を放とうとしているのがわかる。もはや弁解することは不可能だった。こうなれば、バキラの詠唱を止めるか、急ぎこの場から離れるしか手段はない。
「くっ!お前、急いで行け!!」
「!?」
少年はグレシアの叫び声に戸惑った。自分が囮になるから姫を帰しに行け、ということなのだろう。グレシアは雄叫びをあげてバキラへと向かっていく。バキラは必然的にグレシアに照準を合わせる。確かに、今なら城へ入ることは可能だろう。だが、少年の足は城へ向かおうとしない。死人となったペトリスカを一瞥し、腕の中の姫を強く抱きしめる。
「…んな…だ……そんなの、嫌だ!!」
ドンッ! バキラがプリセプツを放ったのと同時に、グレシアは横から何かに突き飛ばされ、直撃を免れることとなった。驚いて顔をあげると、そこにはいつか見た銀色の獣が立っていた。姫をグレシアの手に渡すと、少年はバキラへと向かっていった。はなたれる炎をかわし、鋭い爪を肩へと食い込ませる。
「ぐおおぉっ!」
バキラはその場に跪き、血が噴き出す肩に手を当てる。苦痛に歪む顔を見て、少年は再びグレシアの元へと戻って来る。バキラの動きは止めた。これで城へ向かえる。2人がそう思った瞬間だった。
「何だ、今の音は!?」
「おい、誰かいるのか!」
城の中から響く複数人の声。グレシアは冷や汗が伝うのを感じた。これでは、いたちごっこだ。加えて、グレシアの立場がどんどん危険となっていく。ペトリスカだけでなく、バキラまで手にかけてしまったのだから。
「来て。」
その時、銀色の獣が短く言った。そして、城とは反対の方角へ駆け出す。グレシアもその後に続き、逃げるように首都を去った。
「バキラ様、何かあったのですか…!」
その時、入れ違うように城の中から一人の少年が出てきた。夜の闇と同じ黒い短髪を風になびかせ、赤い瞳は目の前の光景を映し出す。そして、地面に倒れている兵士を見た瞬間、「うわぁああああっ!!」と悲鳴をあげた。
「父上!?しっかりしてください!一体何が…う、嘘だ!!父上!父上ぇえっ!!」
冷たくなった父に駆け寄り、少年は泣き崩れた。その声を聞きつけ、城の中からぞろぞろと兵士達がやってくる。バキラは負傷した肩を抑えながら、そっと少年を抱き寄せた。
「…そりゃ、面倒なことになったな。」
船の中。紅色の髪を掻きながら、ヴァニアス・オーバックは溜息をついた。目の前には依頼主の銀髪の少年、首都を追われた元近衛騎士、そして揺りかごの中で眠る二人の赤子がいる。
「つまり、また首都が落ち着きを取り戻すまで姫さんを帰せなくなった上に、爺さんに誤解されたから近づくことすら難しくなったってことだろ?」
「そういうことになるわね。…それにしても、まさか『女神の従者』が絡んでいたとは思わなかった。」
マウディーラ中で評判の良いギルドとして有名だった『女神の従者』。その首領オーバックは、体中に魔物から受けた数多の傷があり、それを自身の勲章だとする気さくな男だ。
「さて少年、これからどうする?姫さんを帰すまでがウチの仕事だからな。協力は惜しまないぞ?」
ヴァニアスは試すような目で少年を見た。少年は寝息を立てている姫を一瞥し、そしてヴァニアスを見た。
「ティマリアは、僕自身の手で帰す。時間がかかっても…。」
その答えを聞き、ヴァニアスはニカッと笑みを見せた。
「よし!じゃあ、考えがある。それを受け入れるかどうかは少年次第だ。」
「考え?」
「おう。一先ず、スディアナが落ち着くまで少年と姫さんの身を隠すんだ。ウチだって仕事がある。残念だが、いつまでもこのまま置いておくわけにもいかない。誰かに見つかって通報されかねないしな。そして、バキラっていう爺さんが外出した時を狙って首都に忍び込むんだ。…グレシア、爺さんはたまにアレウーラに行くんだよな?」
「ええ。なんでも、大陸の教皇や王に話があるから、と…。」
「そういうことだ。その隙に、さっさと姫さんを帰しちゃおうぜ。」
ヴァニアスは微笑みながら提案する。少年はやや不安そうな表情を見せるが、やがて頷き、その案に同意した。
「よしっ!そうと決まったら、早速行動に移るぞ。グレシア、あんたも手伝ってくれよ。」
「ええ。できることなら…。」
「…そして、僕は友人に姫を託し、アルミネの里に来たんだ。」
「ま、待って!放して!これじゃ…ダメなんだ!!」
思わず大声をあげ、なんとかその手を振り解く。グレシアが睨みつけても、少年は動じない。真っ直ぐ彼女を見つめ、口を開いた。
「お願い。僕自身の意志で、この子を帰させて。捕まって渋々帰す、みたいなことはしたくない。それじゃ、レイモーンの民はそういう奴だって思われる。…こんなことしておいて、おかしいかも知れないけど。でも、そうしたら、僕のことは好きにしていいから。」
少年は必死に頼んだ。だが、グレシアはそんなことよりも、今目の前にいる者が、見れば見るほど幼いことに驚き、反応に戸惑っていた。城に初めて現れた時と同じ汚らしいローブをまとい、フードから覗く真っ直ぐ自分を見つめる瞳は、思いがけないほど綺麗だった。いつの間にか、グレシアから怒りの感情は消え、少年と同じ目線に立っていた。この数十日間、捜し求めていた人物。アレウーラでの彼らに対する扱いは、彼女も耳にしていた。その背景を聞けば、彼が居場所を求めて一生懸命だったことは理解できる。だからといって、私情で彼に勝手なことを許すことはできない。…できないが、少年の中でいまだ眠りつづけている姫君を見つめると、グレシアの心は揺らいだ。
「…5分だけあげる。それを過ぎたら、私は私のやるべきことをする。」
グレシアは立ち上がると、瞼を閉じながらそう言った。その言葉に少年はぱっと笑顔になり、城へと駆け出した。タタタッと軽快な足音が遠ざかり始めるのを感じる。が、突然その音は途絶え、代わりにバンッと爆発音のようなものが耳に入った。後ろを振り返ると、城の入り口に誰かが立っており、少年の足元には焦げた跡がついている。グレシアの顔に焦燥が浮かんだ。
「バキラ様…!」
老司祭の登場に、グレシアと少年は顔色を変えた。バキラは目の前の少年、グレシア、そして血塗れで地に伏しているペトリスカへと視線を向ける。
「ウルノア…貴様、裏切っていたのか!?」
「!? 違います!これは、ペトリスカが姫様に刃を向けたからでして…」
完全な誤解だった。しかし、ただその場の光景を目にしただけでは、グレシアがペトリスカを手にかけ、国賊を城へ手引きしたように思えてしまう。それにあの夜、近衛騎士隊長が姫を奪われるという、まさかの失態を犯した。バキラに、全ての辻褄があう、と考えさせる要因が揃いすぎていた。もはやグレシアの言葉に耳を貸そうとしない。
「黙らんか!!…どうもおかしいと思ったわ。陛下の耳に入ったら、どんなにお嘆きになることか。」
「バキラ様、お願いします!話をさせて下さい……っ!!」
必死の形相となるグレシア。そんな彼女目掛けて、炎の玉がビュンと飛んでくる。バキラが放ったファイヤーボールを横へ転がってかわし、少年と姫にも目を向ける。彼らにもファイヤーボールが放たれ、それを宙へ飛び上がってかわしている少年の姿が見える。腕の中にティマリアがいることに気がついていないのか、バキラの攻撃に容赦はなかった。グレシアは舌打ちをし、剣を抜く。バキラの顔がより険しくなった。
「…この老いぼれも手にかける気か?」
「違います。…けれど、貴方の動きを止める必要があるのです。どうか、話を。」
「ふん。何を今更。ワシがこのまま、貴様を許すと思うな。今ここで裁きを下してやるわい。」
「バキラ様、誤解なのです!!お願い、話を聞いて!」
「黙れ、ウルノア!…貴様と后様の仲が良いことは知っておる。ただでさえ参っておられるのに、こんな事実言える筈がなかろう。…そうじゃのう、『姫様を見つけることが出来なかった、その責を取って首都を離れる』とでも言っておったと伝えておこう。じゃから、安心して旅立つが良いわ!!」
そう言い終わる前に、バキラの手に光が収束し始める。何か巨大な攻撃魔法を放とうとしているのがわかる。もはや弁解することは不可能だった。こうなれば、バキラの詠唱を止めるか、急ぎこの場から離れるしか手段はない。
「くっ!お前、急いで行け!!」
「!?」
少年はグレシアの叫び声に戸惑った。自分が囮になるから姫を帰しに行け、ということなのだろう。グレシアは雄叫びをあげてバキラへと向かっていく。バキラは必然的にグレシアに照準を合わせる。確かに、今なら城へ入ることは可能だろう。だが、少年の足は城へ向かおうとしない。死人となったペトリスカを一瞥し、腕の中の姫を強く抱きしめる。
「…んな…だ……そんなの、嫌だ!!」
ドンッ! バキラがプリセプツを放ったのと同時に、グレシアは横から何かに突き飛ばされ、直撃を免れることとなった。驚いて顔をあげると、そこにはいつか見た銀色の獣が立っていた。姫をグレシアの手に渡すと、少年はバキラへと向かっていった。はなたれる炎をかわし、鋭い爪を肩へと食い込ませる。
「ぐおおぉっ!」
バキラはその場に跪き、血が噴き出す肩に手を当てる。苦痛に歪む顔を見て、少年は再びグレシアの元へと戻って来る。バキラの動きは止めた。これで城へ向かえる。2人がそう思った瞬間だった。
「何だ、今の音は!?」
「おい、誰かいるのか!」
城の中から響く複数人の声。グレシアは冷や汗が伝うのを感じた。これでは、いたちごっこだ。加えて、グレシアの立場がどんどん危険となっていく。ペトリスカだけでなく、バキラまで手にかけてしまったのだから。
「来て。」
その時、銀色の獣が短く言った。そして、城とは反対の方角へ駆け出す。グレシアもその後に続き、逃げるように首都を去った。
「バキラ様、何かあったのですか…!」
その時、入れ違うように城の中から一人の少年が出てきた。夜の闇と同じ黒い短髪を風になびかせ、赤い瞳は目の前の光景を映し出す。そして、地面に倒れている兵士を見た瞬間、「うわぁああああっ!!」と悲鳴をあげた。
「父上!?しっかりしてください!一体何が…う、嘘だ!!父上!父上ぇえっ!!」
冷たくなった父に駆け寄り、少年は泣き崩れた。その声を聞きつけ、城の中からぞろぞろと兵士達がやってくる。バキラは負傷した肩を抑えながら、そっと少年を抱き寄せた。
「…そりゃ、面倒なことになったな。」
船の中。紅色の髪を掻きながら、ヴァニアス・オーバックは溜息をついた。目の前には依頼主の銀髪の少年、首都を追われた元近衛騎士、そして揺りかごの中で眠る二人の赤子がいる。
「つまり、また首都が落ち着きを取り戻すまで姫さんを帰せなくなった上に、爺さんに誤解されたから近づくことすら難しくなったってことだろ?」
「そういうことになるわね。…それにしても、まさか『女神の従者』が絡んでいたとは思わなかった。」
マウディーラ中で評判の良いギルドとして有名だった『女神の従者』。その首領オーバックは、体中に魔物から受けた数多の傷があり、それを自身の勲章だとする気さくな男だ。
「さて少年、これからどうする?姫さんを帰すまでがウチの仕事だからな。協力は惜しまないぞ?」
ヴァニアスは試すような目で少年を見た。少年は寝息を立てている姫を一瞥し、そしてヴァニアスを見た。
「ティマリアは、僕自身の手で帰す。時間がかかっても…。」
その答えを聞き、ヴァニアスはニカッと笑みを見せた。
「よし!じゃあ、考えがある。それを受け入れるかどうかは少年次第だ。」
「考え?」
「おう。一先ず、スディアナが落ち着くまで少年と姫さんの身を隠すんだ。ウチだって仕事がある。残念だが、いつまでもこのまま置いておくわけにもいかない。誰かに見つかって通報されかねないしな。そして、バキラっていう爺さんが外出した時を狙って首都に忍び込むんだ。…グレシア、爺さんはたまにアレウーラに行くんだよな?」
「ええ。なんでも、大陸の教皇や王に話があるから、と…。」
「そういうことだ。その隙に、さっさと姫さんを帰しちゃおうぜ。」
ヴァニアスは微笑みながら提案する。少年はやや不安そうな表情を見せるが、やがて頷き、その案に同意した。
「よしっ!そうと決まったら、早速行動に移るぞ。グレシア、あんたも手伝ってくれよ。」
「ええ。できることなら…。」
「…そして、僕は友人に姫を託し、アルミネの里に来たんだ。」