そこは、仄暗い井戸の底のような。
　見続けていると手足を絡め取られ、喉を奪われ、魂まで塗りつぶされていきそうな、真黒の闇の中。
　剣先に灯した光でさえ、一歩先すら覚束ない。
　そんな道のりを、彼らは歩いていた。
「つーかウィド。てめーはいつからそんな魔法使えるようになった？」
「まったく愚かですねクウ。魔法先生たるものバトル魔法しか使えないわけないでしょう」
「えっ、そうなの……そうなの？」
「俺に振るな」
「そうですよオパール。そんな酒とタバコと女の尻ばかり追いかけるおしりかじり虫が魔法なんて使えるわけないでしょう？」
「……おま、今日はやたらキッツいな。あと古いぞ」
「ちなみに魔法先生たるもの、忘れ去られた白魔法も使えますよ。サイトロ、レビテト、ホールドなんかもね。そうそう。白ではありませんが、バニシュからのデスは有用性が高いですよ」
「……今日のウィドのキャラ付け、もうわからないな……」
「ルキル、もう遺跡モードに入っちゃってますから。しょうがないのです。しょうがないのです……」
「レイアー？　目からちょっとハイライト消えすぎじゃないかなー？」
「ふひひ……アンリミテッド・ルイン・クラフト……私は遺跡となり、全ては遺跡となる……」
「…………帰りてぇ」
　ひとり盛り上がっているウィドとその他のメンバーのどんより加減で奇跡的なモチベーションバランスを保ちつつ、パーティは暗がりの中――――深淵にまで達した。
　重い扉をウィドが「忘れ去られた魔法」のひとつで開き。
「いや今の魔法はドラクエのヤツだよな」
「やめーや」
　一行は深淵の中心部に入室した。
　途端にウィドが発狂した。
　まことに名状しがたい興奮(或いは発情)の雄叫び(というより遠吠えに近い)を発したかと思うと、壁に部屋の壁に張り付き昆虫のように這い回り出した。
「…………」
　その様を見て一同、異口同音に絶句した――――。
　ちょっと今日やりすぎじゃねーのあいつ。
　やめてやれ。久々だから興奮してるんだ。
　壁より柔らかい女の子のおっぱいのほうがいいだろ常識的に考えて。
　――――なんかそんな感じのテレパシーが成立するほど、彼らの意識は一体化した。
　ある意味人間を超越した瞬間であったが。
　んなもん誰も望んでいなかった。
「さぁて、おたからおたから〜♪」
　もっとも切り替えが早かったのはオパールだった。
　ウィドが部屋の角に溜まった埃に夢中になっている隙を突いて、部屋の中央でそれ見よがしに置かれている宝箱に抱きついた。
　手際よく宝箱に付いた鍵を解錠し、蓋に指をかける。
「おい待てなんだそのピッキング能力！？　キーブレード要らずかお前！？」
「シャオとツバサ連れてきた意味なかったな」
「えっ！？　ボク達の意味キーブレードだけ！？」
「じゃあ聞くけどなお前ら。キーブレードの勇者とおしりかじり虫、どっちがいい？」
「…………」
「…………すみませんクウさん。ウチの愚兄が」
「えっ！？　ボクだけ？　そこボクだけのせいなの！？」
「諦めろシャオ。いわゆるリクポジション……もう少し一般的な言葉で言うと、貧乏クジ体質というやつだ」
「…………さすがルキルさん。まるでリク博士だ」
「ぶっとばすぞ愚兄」
「キミからお兄ちゃんと呼ばれる筋合いはないんだぞっ！？」
「泣くなよ愚兄」
「クウさんは黙っててくれないかな！？」
「妹さんだって女の子なんですから。いつかそういう日も来るんですよ、シャ……愚兄さん」
「どうして！？　どうしてそこわざわざ言い直したの！？　ねぇ！？」
「つい流れで。言わなきゃいけないのかなって……」
　カサコソと昆虫じみた動きで遺跡の壁を舐め回すウィドを背景に泣き叫ぶシャオのリアクションで愉悦だなんだとニヤニヤするクウ他一同を尻目に、オパールは宝箱を開けた。
「なにかななにかな〜♪　ごーまーだーれ――――――っと？」
　豪勢な宝箱の中を覗き込む。
　中には一冊の本が入っていた。
　入れ物の大きさとあまりにアンマッチ。おそらく期待に胸膨らませたトレジャーハンター(notどろぼう)の落胆顏――ちょうど今のオパールのような――を見るためにこんな風にしたのだろう。
　きっと隅っこにはカメラが付いていて、大型遊園地さながらに後からどんな顔をして楽しんでいたのか見れる仕様に違いない。
　とりあえずオパールは宝箱の奥の本を引っ付かんで取り出した。
　埃を払い、タイトルを確認する。
「……あかしっくれこーど」
「なんだ。敵からドロップするグーフィーの武器じゃないか」
「殺！　何人たりとも我が遺跡を侮辱することは許さん！！」
　ぼやいたルキルに、ウィドが問答無用で打ち込んだ。しかも死角からの不意打ち。狂った攻撃宣言を先に吼えていなければそのままデッドエンド確定の一撃だった。
　慌てて剣で受けたはいいものの、ルキルは困惑した。
　ウィドの発狂ぶりは一目瞭然だった。目は生き生きと死んでいるという奇妙な状態なのだ。
　ありていに言って――――これ以上にないほどドン引きしていた。
　例えるなら、フレッシュな気持ちで憧れていた初恋の女の子の本性が想像以上に腐り果てたド変態だと知った時くらいの気持ち。
　つまり言いようの無い現実への憤り・落胆・困惑・絶望。闇の感情がミキサーに掛けて心の器を満タンにする。
「……！　やべぇ、ルキルのヤツ、ウィドの変態性を受け止めきれずにオーバーフロウを起こしてやがる……闇に呑まれるぞ！！」
「なにそれ、どういう理屈！？」
「仕方ないよ。人間の心は弱いものだから……そう、これは10連ガチャ10回引いてもお目当のSSRが一枚も出てこなかった時の絶望感によく似ているの……」
「ツバサちゃん！？」
「キーブレードを持ってガチャったら、SSRの金庫の鍵が開くと、私は思ってたのかなぁ……ふふふ」
「こ、このままボクの心をお空に届けに行きそうな勢いです！　ダレカタスケテー！」
「ちょっとまってて」
　場の雰囲気に呑まれて妙な電波を受信し出したツバサの肩を抱いて混乱するレイア。そのレイアの助けを求める声に、オパールは生返事を返した。
　手元の古めかしい本をぱらぱらとめくり。
　――――だいたいわかった。
　そう言って、手にペンを持つ。






ウィド
・男性
・教師
・遺跡大好き
――――40秒後に心臓麻痺。






「さぁ――――どうなる！？」
　すぱんっ！！
　キメ顔を作ったオパールの脳天に、レイアは思い切りハリセンを叩きつけた。
「ねぇ！？　なにやってるの！？　オパールまでどうなっちゃったの！？」
「ああ、うん。なんかごめん。つい」
「つい！？　なにそれ！？　とにかく消してよそれ！　冗談でもシャレにならないから！！」
「あ、いや、これは――――」
　オパールの説明より早くレイアが消しゴムで本の文字をごしごしと消した。
　すると。
　ウィドの声がピタリと止んだ。
　ルキルと鍔迫り合いをしていた剣を落とし、胸を押さえてうずくまり――――そのまま、動かなくなる。
「…………えっ？」
　――――まさか。
　――――40秒後に心臓麻痺……？
　場がすっとして静まり返った。
　空気は絶対零度にまで凍りつく。
　一瞬が永遠に引き伸ばされた。
　――――――――。
　――――――――。
　――――――――。
　――――――――。
　――――――――どくん。
　ウィドが無言で立ち上がった。そして、虚ろな目で――――今まで非常に情熱が迸っていたせいで、普通のはずが嫌に空虚に見える目で――――周囲を睨みつけ。
「何をやっているんです……？　あまりはしゃがないでくださいよ、いくら遠足と言ってもね。節度を守ってください」
　何言ってんだこいつ……？
　やはり全員、異口同音のモノローグを心中で発した。
　さっきまで「うへへ……これは紀元前2000年前の埃の味だぁ……」などと頭ぱーんな台詞を撒き散らし、節度はおろか人間としての一線さえ周回遅れに突き抜けていた人間が何を――――？
　そこで突然、ハッとしてオパールは手元の古書を開いた。
　先ほど書き加え、そして消したページ。
　――――「遺跡大好き」が、ウィドの項目から綺麗さっぱり消え去っている。
　勢い余って余分に消してしまったのだ。
「………………」
　オパールは顔を上げた。
　図らずも実行犯になってしまったレイアと目を見合わせる。
「あ……あたりだ……」
「決まりね。間違いない……！」
　『因果の記録《アカシック・レコード》』――――本物だ！
　断定と共にオパールは古書を抱いて後ろに飛んだ。レイアと距離をとる。レイアはぎょっと顔を歪ませた。
「お、オパール！？　ダメだよ！」
「黙りなさい。私はこの本の力で新世界《アルカディア》の神になります」
「ちょっと何言ってるのかわからないよ……歴史の修正力とか世界の抑止力とか霊長の守護者とかタイムパトロールとか、なんかそういう感じのご都合的な最強キャラが出てきて二次創作的にお決まりの要素が許さないよそんなこと！！」
「ふふ……あなたもだいぶ錯乱しているようね。わかるわ。人類が因果地平の此方と彼方の交差路に立たされて既に2日が経ったわ。伝説の火の七日間を乗り越え、人類が革新に至るにはこの方法しかないのよ……」
「急にわけのわからない設定を作らないでくれるかな！？　色んなところからパクリすぎだよその設定！？」
「くくっ、どうやら状況がわかっていないようね、レイア。今、私には因果を司る世界の記録がある。つまり私こそが因果律の番人。私こそが世界であり、世界は私である……！」
「オパール……信頼していたのに……！！」
「クックック……。私に逆らうもの、それこそが悪よ。そして私のペン先ひとつで、正義と悪の相転移は完成する……たとえばそう――――このように！」
　オパールが本を開き。
　――――レイアの目の前は真っ白に染まった。
「……くっ、いったい、なにが…………？」
　くらむ視界に意識を揺さぶられる。レイアは細く目を開き直そうとして。
　ふらつく体を抱きとめられた。
「レイア……！！」
「えっ……？」
　白黒とフラッシュを繰り返す視界の中で、抱き止めてくれた彼の顔だけがしっかりと見える。
　クウだった。
「あ、あの……顔が近い…………」
「レイア……お前を俺に盗ませてくれないか……？」
「え……なにそのうろ覚えのD.N.Angelみたいな台詞」
「俺はお前のことがDAISUKEなんだ」
「しかも畳み掛けてくる……！？」
「ああ、ドキドキしすぎて髪もこんなに真っ黒に……」
「クウは元から黒髪だよね……？」
「…………まいったな。こうしていざ、何の準備もない丸裸で告白ってなると……思ったり言葉が出ないもんだ」
「急にどうしたの？　2次創作でも普通もうちょっと前振りが――――」
　戸惑うレイアの唇を人差し指で留め、クウは顔を近づける。
　鼻先同士が触れ合うほどの距離。吐息が頬に当たる。目の前が相手でいっぱいになる。
「お前が欲しい」
「…………す、スピカさんは……？」
「今はお前だけだ」
「でも、いま、周りにみんなが――――」
「気にするな」
「むりだよ……！」
「俺だけを見ろ」
「みられてるよ……！」
「気にならないようにしてやる」
「んっ……やぁ……！！」