CROSS CAPTURE30 「急接近/チェルの苦悩」
城の新たな喧騒も静まり返り、夜も更け始めて眠りにつく時間になる。
そんな中、普段は使用されない城の大浴場も、今回の事件以降、連日の解禁がされ、その湯船に神無が一人で浸かっていた。
「やっぱり、一人で大浴場を貸しきると気分がいい」
淡い緑色の綺麗な湯に浸かり、湯船の壁にもたれながら、満足げに呟く。
用意された部屋にも風呂は備え付けられていた。しかし、あえて神無は此処を選んでいた。
「こういうのは独り占めできるからいいんだよなー」
「――全くだな」
愉快に言った独り言の筈、聞き覚えのある女性の声が何処か淡々とした様子の声で返してきた。
それも近くから。実の所、大浴場は男女の湯を壁一枚で区切っている。声も反響で意外と拾われる。
神無は表情をやや青ざめながら隣に居るであろう『彼女』に声を渋々かける。
「イリアドゥス、何してんだ」
「…何? 『何を』と問うたか? 此処は風呂場、つまり私が風呂に浸かっていても問題ないはずよ?」
「〜〜っ」
愉快にからかう彼女の笑みを混ぜた声に、神無は額に手を添えて言葉を詰まらせた。
「というか、あんたも風呂に入るのか。別段、する必要なさそうだが」
「ええ。別にする必要は無いわね。一瞬で身を清める術は心得ているけれど、こうして湯に浸かるのも悪くないわ」
何処か穏やかな声音で言うイリアドゥスに神無は得心するように天井を仰いだ。
「――できれば、一人で浸かるよりも誰かと一緒に浸かるのも悪くは無いと思う」
神無はあえて彼女の言葉を返さずに自分から話題を更に切り替えた。
「…………ブレイズ、ヴェリシャナ……他の半神(むすめ)たちとと入ればいいだけじゃあねえか」
「そうしようと思ってな―――」
遡る事、クウがイリアドゥスへナンパし、激昂したブレイズとヴェリシャナの怒りが止んだあたりまで戻る。
荒い呼吸を繰り返しながら、武器や戦意を収める二人。
「……ちっ、伊達に生き残ってきただけはあるね」
「ええ。次は無いと思ってください。絶対に」
「…………」
ぶちのめされたクウは既に気を失っており、返事が無い。慌てて不機嫌なレイアが治療に駆け寄る。
「さ、母さま。部屋に戻りましょう」
「そうね。それじゃあ、失礼するわ」
熱が引いたブレイズの手に引かれながらイリアドゥスはその場から去って、自室に戻る。
そして、彼女は大浴場に入ろうかと呟いたのだった。
「え、母さま。何故です?」
此処数日、イリアドゥスは一瞬で身を清める術式で風呂をする必要が無い。
それを知っていたヴェリシャナは不思議そうにたずねる。
問われた彼女は小さく笑みを浮かべて、
「――たまには風呂に浸かるというのも悪くないと思ってよ。一緒に入る? ヴェリシャナ」
「っ!!」
思わぬ誘いに歓喜を通り越して、幸悦のきわみに達してしまった彼女は顔を真っ赤にして倒れこんでしまう。
身を起こして様子を見ると鼻から血を垂らして気を失っているのである。
イリアドゥスはやれやれと愛娘をベッドに横にさせ、一人で大浴場へと足を運ぶ事にしたのであった。
「―――誘うと面倒になったから、一人で来た」
「大変そうだな…アンタ。まあ、俺は妻子持ちだ! 最悪全てを敵にしかねないので断るよ」
何処か疲れたような彼女の声に、神無は同情の声で応じて、イリアドゥスの誘いを低調に断る。
「そうか。――まあ、正直」
最後の一声だけ、壁越しの声ではない、間近からの声に違和感を感じながら横に振り向くと。
「私からすれば問題ないのだがな」
「―――――」
イリアドゥスが居た。自分よりも倍以上の長い黒髪を濡らし、湯に浸かっていたから顔も薄く赤い。
平淡な蒼い瞳がこちらを見据えていた。だが、神無は目と目が合う刹那に全速力で風呂場から飛び出して着替え室に突撃する勢いで突っ込んだ。
「………てめ、イリアドゥス! お前なァ!!」
「ふふ、すまない。そこまで大仰しいとは」
くすくすと笑う彼女が立ち上がり、ゆっくりと神無のほうへと肢体をを晒して歩み寄ろうとしてくる。
それに加速する様に焦りだした神無はすぐさまぬれた体で構わず下着を着て、ズボンだけ履いて着替え室から逃げ出していった。
脱兎の如く逃げられ、イリアドゥスはやれやれと嘆息に呟き、一瞬で隣の女湯に浸かりなおす。
『アンタ……何するか本当に理解の外よ』
心の声ともいうべき、愛娘のレプキアの呆れた様子に小さく笑みを零して、何も言葉を返さなかった。
「あ……あぶねえ……一歩間違ったら俺が殺される」
自室へとぬれた髪をタオルで拭いながら足早に、逃げるように神無は向かっている。
いくら神といえど、その外見上は完全に一人の女性だ。間違いが那由他の果てに在り得ない訳ではなかった。
少なくとも変な誤解が生じれば、笑い話にはならない。周囲の者たちに迷惑・敵意を降りかかってしまう。
(次からは神月らと連れて入るか…)
そう思いながら、漸く足のスピードを緩める。すると、考え込んでいたからか前方の気配に気付くのが遅れた。
「あっ」
「悪い」
目の前に居るのに、肩をぶつけてしまう。慌てるよりも驚いて直ぐに謝罪の言葉を返す。
ぶつかった相手――小さな痩躯をした少女ヴェリシャナであった。
「ん? どうしたんだよ、こんな夜中に」
「母と一緒に入浴の誘いを受けたのですが…」
(あー、確か…高揚のあまりに気絶したんだったか)
ヴェリシャナも詳しく言うのを省きたい様子なのか、言葉を詰まらせている。
神無は取り合えず既に風呂場に浸かってるから早く行ってやれと話を進めた。
だが、その言葉に母思いの強いヴェリシャナが突っかかる。
「! 何故、お母様が入浴しているのを知っているので?」
「誤解するなよ? 俺は遅くに一人で浸かりたかっただけだ。イリアドゥスが居たのは想定外だったさ」
数秒、ヴェリシャナは神無に疑いの姿勢を見据えてきたが、彼の素っ気無い態度から特に問題があった訳ではないと判断したのか、静かに頷き返す。
そして、慌てて彼を横切って走り去っていった。その姿がある程度遠のくのを確認してから神無は一息ついた。
「やれやれ」
誤解されて最も困る一人が問い詰めてきた事が早々の予定外ではあったが、あの様子なら問題ないだろうとため息を吐き、自室へと戻っていった。
時同じく、用意された部屋で夜更けにも関わらず小さく灯りをつけながら、一人黙々と銃のメンテナンスをしている男――チェルが居る。
部屋にはシンク、イヴ、ヘカテーが同室し、皆が寝静まるのを待ってから静かに作業に取り掛かっている。
「………」
愛用している銃イザナギは実弾ではなく自身の魔力で構築した弾丸『魔弾』である。
これは息子シンクの開闢の使徒(アルファ)の性質を流用した技術であった。
こうして毎夜のメンテナンスを黙々とするには理由があった。
「………」
チェル自身は理解していた。己の実力は嘗ての全盛を越え、家族を得て、年を取って、ひどく衰えていた。
恐らく此の城に居る面々の中では下から数えたほうが早いだろうと認識し、覚悟している。
だが、それでもこうして戦いの場に足を踏み入れたからには衰えた実力は、今ある技術で補うしかない。
だからこそ、あの男の姿が最近になって嫌になっていた。
(―――神無……)
ほぼ同年の筈なのに、あの男は全盛を過ぎても衰えをあまり感じさせない姿が妬みのように感じる。
一度だけ問いただした事がある。何故、お前は老いているくせに強いのか、と。
問われた神無は最初苦笑いを零し、こちらの真剣みに理解したのか真面目になった表情で返してきた。
『別に何もしてないさ。ただ、毎日特訓訓練は欠かしていないだけだぜ』
その答えを思い返したあまりに表情を深く険しくした。その答えは己もそうしているのに、と言う差への苛立ちであった。
その問いかけの答えを平静に受け取り、その場を後にして、チェルはもう一度深く考え直した。
神無も自分も同じ自己鍛錬は怠っていない。なのに此処までの差があるのか、と。
「――心剣、か」
メンテナンスの手を止め、不意に言葉を静かに零した。
大きく彼と異なる最大の点(ポイント)はそこであろうと、諦めにも似た納得をした。
神無が気付いているのかは定かではないが、心剣の力で衰えを抑えられている事は推測できる。
此処には数多くの心剣士が居る。中には何百年も生きている癖して少女の見目をした人物もいるくらいだから。
最も、だからと言って心剣を欲するなど愚直の極み。自分には不相応だと悟っていた。
「……」
ふと、眠っているシンクに視線を向ける。今思えば彼の銃はメンテナンスの必要性の無い特異な銃である。
生まれてすぐから膨大な魔力を有し、その膨大さが幼いシンクには危険であった。
だから、タルタロスの技術を持って、シンクの力を制御して作られた二つの対銃。
そして、今やシンクはその力を完全に制御する事が出来た証が『開闢の使徒』であった。
「……ふ」
子は親を超えて育っていく、既にもう自分とシンクの実力差はもう開ききっている。
益々、己の無力さを痛感して、メンテナンスをする気力もそがれていた。
道具を静かに片付けながら、チェルは黙して思っていた。
(例え、誰より弱くなったとしても……もう俺は引き下がってたまるか)
そうして、片付き終えたチェルは軽くウィスキーをグラスに注いで一息に飲み干した。
毎夜、メンテナンスを終えて、眠りにつく為の一献であった。
灯りを全て消し、そのままチェルは自分のベッドにもぐりこんで眠りについた。
■作者メッセージ
やっとの更新です。申し訳ない。
風呂場のシーンはもっと大勢のパターンも考えたのだけれども話し合いで今回はなし。
チェルは恐らく神無と違って年老いてからかなり弱体化しているので、今回登場しました。次回から2日目になるか、まだ1日目が続くのかは、未定で
風呂場のシーンはもっと大勢のパターンも考えたのだけれども話し合いで今回はなし。
チェルは恐らく神無と違って年老いてからかなり弱体化しているので、今回登場しました。次回から2日目になるか、まだ1日目が続くのかは、未定で