蒼湖編 第四話「イリシアの逆撃」
「……っ」
イリシアはセイグリットの声に、彼らの勇姿に苦笑と共に涙を浮かべる。
そうして、攻撃を掻い潜り、無事に地上に降り立ち、木にもたれかけた。
「酷く衰弱しているな…」
「あんな化け物に食われかけたんだ、無理もない」
ディアウスがイリシアの容態を見て、応急処置としての回復魔法を施し始める。
彼に続いて、リヒターもアルマを下ろして、イリシアへと駆け寄った。
そして、リヒターも彼と同様に全力の回復魔法を唱え、施した(専門術者に比べれば劣るが四の五の言わずに「全力で」実行するのが彼の長所だ)。
「…イリシア、大丈夫?」
傍らに居る鎧っていたアルマは一旦姿を解き、彼女へと話し掛ける。
「うん」
不安そうに自分を見る彼女を宥める様に、これ以上気持ちを揺らがないように自分らしくない確りとした声で応じる。
「イリシア。あの敵の正体は―――」
「……『湖』そのもの」
ベルモンドが問いかけた質問は、確信をもって彼女に尋ねた。。
そして、イリシアの答えに、やはりと、呟いた。
「本当なのか!?」
確認するように、リヒターは大声で問いかける。イリシアは声に竦みつつも頷いた。
驚きを隠せずにいる彼は呆然とした眼差しを敵へと投げかける。しかし、直ぐに戦士の眼差しでイリシアに再度質問する。
「倒せる……そうだな?」
「その、つもり」
その言葉に、彼は笑みを浮かべて立ち上がる。
「よし―――先に行くぞ、ベルモンド」
リヒターの全身から闘志が溢れているように、彼らは見えた。または、口の端からは火を噴いた様にも錯覚した。
「では、遅れないようにしないとな」
「……すぐに、向うから」
「治癒を施したばかりだ、無理はするな」
そう言って、ベルモンドもリヒターの後を追いかけて行った。
イリシアは去っていく彼らを見据え、
「あれを倒す……でも、方法が見いだせない」
「…確かに」
彼女の言葉に、アルマは頷き、此処からでも見える「水の星」を見る。
仲間たちの攻撃を受けても、それは結論――『水を攻撃する』だけだ。
アニマヴィーアもまた、同様の類だ。表面上、ダメージを与えても―――。
「ううん、こんなのじゃあ…姉さんたちに怒られる」
不安になりがちな思考を振り切る様に、正すようにイリシアは口にする。
出立する前、姉たち――アレスティア、シムルグ、ブレイズ――が応援の一声をかけてくれた。
「イリシア。不測の事態になっても混乱せず、不安や自閉になってはダメよ?」
彼女の頭を撫でながら、長姉たるアレスティアが諭すように言う。
「まあ、慌てず自分の力を生かしなさいな。アンタの力は立派なものなんだからね」
続いて、彼女の額を軽く小突いて次姉たるシムルグが飄々と言う。
「その通りだ。お前の力は水。半神としてのお前は―――強い」
妹の様子を温かな笑みと共に、三姉たるブレイズが凛然と告げた。
「―――アルマ。行こう」
「解った」
強い決意を秘めた眼差しに、アルマはこれ以上声をかける必要はないと察して了解する。
アルマは再び、鎧を纏い、イリシアはヴァッサーを具現化して、ベルモンドたちの後を追いかけた。
戦闘は苛烈を極めた。
水の星を背に、アニマヴィーアは武装形態と共に、セイグリットたちと戦っている。
「このッ…!」
アニマヴィーアは忌々しく吐き捨てると、手に在る剣の剣尖を向け、水の斬撃と水の星から幾つもの圧縮放射で攻撃する。
「凍てつけ!」
冷気を纏ったプリティマの放つ槍のような弾丸が連続で放たれ、放射と激突して凍りつかせる。
すかさず、セイグリットが流星群を放つ事で氷結した水流は粉々に砕け散る。
瞬間、水の星の頂点部分からアニマヴィーアは姿を現し、下にいる彼らに睥睨と共に剣尖を向ける。
動作に連なり、水の星は大きく形を変え、彼らを喰らい、呑み込まんと牙を剥いた。
「ぬぅうおおお!!」
迫る牙に、劣るも巨大な灼焔の拳が現れ、水の牙を食い止める。抑え込む力を増すように拳の操作するベルモンドが吼えた。
「急げ!」
ベルモンドの一喝と共に、プリティマたちは牙から逃れた。
「――おらああ!」
無事に離脱するとともに、一気に力を高める。食らいつく牙を押し上げた。
「よし!」
ディアウスは喝采にも似た喜色の声で、攻撃が砕かれるのを見た。
「……」
刹那、牙は飛沫となって散り、残った水の星の頂にいるアニマヴィーアはリヒターへと剣先を向ける。
「――ぐ、がぁ!?」
「なにっ」
彼の躰に無数の傷が走る。ベルモンドは驚愕と共に、現象の正体を見ていた。
高速で放たれた小さな水飛沫が、無数の弾頭となって打ち出されたのだ。
間髪入れず、剣を横に払う。呼応するように水の星から3つ首の龍が伸び、吼えるとともに、膨大な水流を放つ。
「プリティマ、いくぞ!」
「ええ!!」
「星の力よ!」
狙うは回避した、プリティマたちだ。夫ディアウスとセイグリットが迎撃する。
が、3人の攻撃だけでは相殺しきれず、勢いに押されるようにその奔流に飲まれた。
「おのれ…!」
「一気に攻めるしかない…!」
ベルモンドとギルティスは怒りを秘めて、アニマヴィーアへと斬りこんだ。近づけまいと水の猛襲が掛かるが、それらを潜り抜け、
右腕の鎖を伸ばした。鎖の力で、身動きを封じる。これは、実体の無い敵を捉える為の能力であり、この形態の彼女を倒すには適してると直感した。
ギルティスは光の力を高め、光刃の巨大な斬撃波を繰り出す。
そして、ベルモンドの左に持つ大斧に、力を込めた斧は闇を纏い、巨大な一撃を振り放った。
「―――」
アニマヴィーアは鎖で身動きを封じられて、迫りくる巨斧の一撃と光刃の攻撃にも余裕な笑みを返す。
それらを抑え込んだのは3つ首の龍たちだった。光刃は龍の首を切り裂いたが、アニマヴィーアへと届く前に他の首によって阻まれた。
食らいつき、巻きついた斧の勢いを削ぎ落す勢いだった。挙句、ベルモンドの斧の一撃も防がれ、逆に龍の首によって絡め取られてしまう。
「く!」
巻きついた首を斬りはらおうとしたが、水の龍のいたるところから水の刃や槍が射出され、彼を串刺しにしようとする。
迫る無数の攻撃に、覚悟した瞬間。
「そこまでよ」
襲い掛かって来た水の攻撃は総て、飛沫となって散る。彼の前に現れたのは黒い鎧の騎士――アルマと、声の主であるイリシアだった。
「……ふふ、無駄よ。どれだけの数で挑もうとも、それ以上の力が私にはある」
余裕の笑みに、嗜虐を混ぜたそれに、イリシアは毛ほども反応せずにアルマへと言葉をかける。
「あとは、私に任せて」
「…うん」
「……」
アルマは事前にイリシアにそう任された。今、自分が出来るのはベルモンド共に離脱する事だ。二人もイリシアの雰囲気に押し切られるように離脱を受け入れた。
一方。既に、攻撃を深く受けたリヒターは救出したプリティマたちに治癒を受けている。
「くそ、思わぬダメージだ…!」
無数の水の攻撃を受けた体は纏っていた鎧や服、鍛え抜いた肉体のお蔭で外傷に反して致命傷はない。
リヒターは受けた傷を忌々しく、悔しげに見やりながら吐き捨てる。
そこへ、離脱したアルマたちが戻ってきた。
「!」
セイグリットは驚いた様子でアルマに詰め寄る。アルマは、イリシアの方向へと視線を見据える。
「…また、一人で逃がそうとするのか?」
二度目の殿に、アニマヴィーアは呆れた眼差しと侮蔑の笑みを向ける。
しかし、彼女の雰囲気は先ほどとは別物だった。捨て駒になるつもりはない、と顔に書いている。
「―――禍々しき水よ」
イリシアは冷厳と口火を切る。
「お前を、これ以上好きにはさせない。お前は狂ってしまった。『人の味を覚えた魔物』。今、終わらせる」
「……ハッ! なら、やってみなぁ!!」
アニマヴィーアは声と共に、剣を振りかざし、水の星の形を最大限に変容させる。
無数に伸びる龍、牙だらけの大口、数え切れないほどの有象無象がイリシアを取り囲むようにゆっくりと、包んでいく。
イリシアは、臆せず前へと進んだ。目指すは、本体のアニマヴィーアただ一人。
放たれる武器の怒涛を、彼女の『ヴァッサー』が防御する。龍の食いつきも同じく防御するが、首の一つが潜りぬいてイリシアの足を噛みつく。
「――」
痛みの表情を噛みしめ、声すら殺して進む。ヴァッサーはすぐさま噛みついた龍を斬り捨てた。
噛みつかれた箇所は痛々しい傷跡と流血が生じる。
「……」
アニマヴィーアは無言で大口の牙で、イリシアを呑もうとする。それをヴァッサーが防御するも、巨大な牙と圧力に押し負け、つぶされる。
そのまま彼女は水に飲みこまれ、アニマヴィーアは彼女を自分の前に引き寄せる。このまま一瞬で一体化させる事もできる。
だが、壮語したイリシアの様子を、見るために引き寄せたのであった。
「無様ね。終わらせる、って言ったのは……戯言?」
「―――いえ。戯言じゃあ、無い」
瞬間。イリシアの胸へとアニマヴィーアが持つ剣が刺し貫いた。膨大な鮮血が剣を染める中、彼女の動きに変化はない。
一瞬で死んだか、と無碍に剣を引き抜こうとした、
「『水』の半神を―――半神を、嘗めないで……!」
剣を抑える様に彼女のか細い手が触れ、イリシアは言った。同時に、アニマヴィーアは異変を理解した。
引き抜く力が出ない。か細い手だけで、剣を抑えられるはずが無い。ならば、と水の星から龍を伸ばして、イリシアを屠ろうとする。
だが、その牙は届くことなく動きが途中で静止する。
「……なに……」
そう、イリシアはアニマヴィーアを、この水を、逆に取り込むという奥の手を打った。
媒介はイリシアだけではない。溢れ出た血も取り込む力を強めている。
「お前ェェエエ!!!」
絶叫の様な悲鳴を、イリシアは怯みもせずに取り込む力を高めた。剣を引き抜く力を高めても遅かった。
アニマヴィーアは、もっと早くイリシアを吸収していればよかったのだ。最初に水の中へと取り込んだ瞬間に取り込んでいればこの様な結果にはならなかった。
今のイリシアは半神として、真に覚醒したイリシアなのだ。臆したかつての彼女と比ではないほどの力の覚醒に、対処しきれない。
「今度は、お前が取り込まれる時だ」