霊窟編 第四話「日を臨むもの」
何か思う事もあった――しかし、少女は大剣を拾い上げ、躊躇いなく龍尾を切り落とした。
一同が瞠目する中、切断された龍尾は微かな痙攣を繰り返したのち、動かなくなった。
「…レギオン」
険しい表情でサーヴァンが相棒に声をかけた。
そうして、彼は頷くや具現化した『黒世の物質』が切断した龍尾を取り込んで小型の黒い球に変化させた。
黒い球を持ち、手遊びながら彼は説明する。
「持ち運ぶのに苦労しますから、こうしておけば保存もかねていいのですよ。
では――キルレスト、それでは約束を果たしましょうか」
「ああ。…だが、最後に」
そう言われたキルレストは屈んで、少女と同じ目線にして、問いかけた。
「ソトの世界へ旅立つ事は最悪、命を落とす結果になるかもしれない」
それでもビフロンスへと向かいたいかと、キルレストは厳に言ったのだ。
少女は笑みを浮かべた。
それは今まで見せてきた凶暴な笑みではない、心穏やかな微笑であった。
「構わない。その為に此処で足掻いてきた。――早く、ソトの世界を見せて欲しい」
「…ああ」
それ以上の確認は彼女の決意を泥をかけるに等しい行為だった。
キルレストは少女を手を引いて起こして、仲間に目線を送った。送った相手は刃沙羅で、彼は小さく頷いてから異空の回廊を開いた。
一人、また一人と先に入っていく中で、リュウアは反剣ライフストリームを掲げ、
「癒しの光を…!」
命の光とも言うべき温かな光が少女を包んで、体の痛みが引いたのを感じ、彼へ驚いた様子で見た。
「何、気にすんなって。怪我していた筈だろうし治したまでさ」
「…」
そうして、残った彼らも少女を連れて回廊を入っていった。
回廊での移動中、少女の足取りは次第に遅くなっている。元居た世界と『遠のいている』事が痛みになっているのだった。
それでも少女の足取りは揺るぎ無く、歩みを止めなかった。道中、リュウアは何度も癒しの力を使って、痛みを和らげ、声をかけ続けた。
「もうすぐだ、しっかりするんだ…!」
「……ああ……」
(世界との因果をある程度断てば痛みも少なくなる筈だが…こうして、『離れていく』事も断つ行為ではあるが…)
旅人たちはそれぞれ、『自身に適した』方法で因果を断っている。
最も多いのが、心剣や反剣を手に入れたことによる影響であり、少女にそれは出来ないものだ。
キルレストや仲間たちはただ少女の歩みを手助けする事しかできなかった。
それでも、彼らは彼女を信じて、歩を進めるしかなかった。
「――着いたぜ」
――傍から、自分に何度も声をかけ続けたリュウアがそう高揚を抑えたような震えた声で告げた。
少女はいつの間にか痛みによって意識を失っていた。最後はリュウアに背負われながらビフロンスへとたどり着いた。
そうして、彼の言葉を聞いて、ゆっくりと閉じていた目を開く。
視界一面に広がる異なる世界の情景に言葉を失った。
穏やかな陽光も、広がる緑や聳える城も、城の近くに在る町も、何もかも、すべてが少女には初めてのものだった。
「―――」
いつしか、痛みすらも感じないほどに満たされた幸せを感じた。
ふと、何かが頬を伝う。
「…涙、か」
傍に居たリュウアがそう呟いて、彼もまた涙を流していた。
「なみ、だ…」
「体の調子はどうだ? 大丈夫なのか?」
「わからない…痛みは、感じていないけれど」
「――城に戻って休ませてやればいい。今後の行動もゆっくりと考えればいい」
キルレストはそう言って、レギオンから素材の入った黒い球を受け取った。
そうしてリュウアは彼にお礼を言って、少女を抱え上げた。
「お…おい」
思わぬ不意打ちを食らって、困惑する少女にリュウアは陽気に笑って言う。
「この方が早いさ! いくぞ、リュウカー!」
そう言って全速力で城の方向へと走り出した。
「ま、待ってよ! 兄さーん!」
慌てて、妹のリュウカも彼の後を追いかけて行く。
その楽しげな様をそれぞれ微苦笑で見送ったレギオンたちであった。
ただ一人キルレストだけは厳しげな表情をして、残ったレギオンたちに言う。
「――取りあえず、お前たちも城に戻って休んでいてくれ。私はイリシアたちを待つよ」
「ああ、わかったよ…だが、貴方も深手を」
「リュウアに治してもらった。あとは自分で何とかするさ」
それに渋々だが、頷いて応じたレギオンたちはそれぞれの足取りと歩調で城の方へと戻っていった。
一息ついたキルレストはゆっくりと空を仰ぐ。―――考えていた事はあの少女の存在だった。
「意志を持つ鋼か…『精神体』、だったか」
その名の意味は母であるイリアドゥスが説いた事を思い返した。
―――心と魂、この2つは『器(にくたい)』があれば自然と生まれるものよ。
それら2つを合わせて指した呼称『精神体』と母は呼んでいた。
その説明を聞いた時、直感ながらにイリシアらに任せた『水』の件も何か起きているのかもしれないと、不安をよぎった。
少女との決着の一撃を自らつけたのは、この存在を生かしておきたいと密かに思ったからだった。
「お蔭で…痛手は負ったが」
誰に言うでもなく、キルレストは苦悶を堪えつつ、か細く呟いた。
受けた傷は全力の一撃、仲間の治癒を受けても完全には消えない。
取り敢えずは少し休もうとその場に座り込む。
「―――」
キルレストはそのまま思考を放棄するように瞼を閉じ、呼吸を整える。
座して待つ間の仮眠を兼ねた精神統一だった。
イリシアたち、アルカナたち、どちらかがが戻ってくる時にはその気配で目が覚める。
無事に戻ってきてくれよ、と心の内に呟いてから意識を沈めていった。
一方、城へと戻る道中ではリュウアは少女を苦も無く抱えて運んでいた。
愉快な雑談の最中、思い出したように彼は、声を上げた。
「あ」
「…?」
「どうしたの、兄さん」
唐突の兄に、戸惑う少女と怪訝に尋ねたのは妹のリュウカであった。
問いかけられたリュウアはおちゃらけた陽気な様子で理由を明かす。
「いやー、全然気づかなかったんだけどさ―――名前、在るのかなって」
「ああ……そういえば」
ようやく気づいた兄の申し訳ない顔に、同じく失念していたリュウカも済まない気持ちになる。
「名前はあるのか?」
反省の色と共に、遅れてリュウアはそう問うた。
すると、少女は首を傾げて、怪訝を通り越して、不可解と言った表情を見せながら答えた。
「なんだ、それは?」
「……」
その返答に、兄妹は互いに目があった。
困惑する二人の様を見た少女は、続けて言う。
「なら、お前たちで名づけてくれ。何でもいいぞ」
「何でも…ねえ?」
「そうねえ」
リュウアはしぶしぶ考えるようにつぶやくが、リュウカは何処か楽しげに考える。
少女も期待の色を隠せずにいた。
そうして、しばしの黙考の末に、二人は名前を提案する。
「マクスゼティスってのはどうだ。ちなみに即興」
「ジラソル。意味は向日葵という花の名前よ」
「…リュウアは適当だが…リュウカ。どうして、花の名前を私に?」
そう言われた苦笑する兄を尻目に、リュウカは少女に適した名前の意味を教える。
「向日葵というのは日の光の方向へ花の顔を向けるの。
――外への憧れを持っていたあなただから似合っている……と思ったの」
彼女の説明をじっと見つめていた少女は首肯する。
「なるほど…じゃあ、ジラソルだ。ちゃんとした意味があるなら、そっちがいい」
「ふぅーやれやれ」
少女―――ジラソルの決定に、肩を落とすリュウアにリュウカは嬉しそうに微笑んだ。
ジラソルは名前を得たことに、嬉しいのか、二人の笑顔に釣られたのか、硬かった表情も、笑みを隠しきれずにいた。