メモリー編33 「夢の理」
「これで、本当に終わりだ」
完全に障害を取り除き、イリアへと切先を向ける。
やがてイリアは響かせていた詩を止め、シャオに向き合う様に佇む。
それは打つ手がなく、諦めた――からではない。
「どうかな?」
瞬間、上空に光が現れる。
その光は神々しさを感じ、理に近い存在でもあるシャオですら怯んでしまう強大な力を秘めている。
「な、え…!」
「レーヴァテイルは謳いながらでも別の詩魔法を溜める事が出来、発動は任意で行える。私がしている事を人の言葉で言うのならば――隠し玉と言う奴だな」
記憶を使い他人の技を取り入れるのはシャオでも出来る。だが、相手は『カミ』と呼ばれる人物。他人の戦術を取り入れるなんて造作もない事だ。技の使用者よりも威力を格段に上げる事も。
彼女は『謳っている間は戦えない』と味方にも敵にも認識させたが、事実嘘は言ってない。詩魔法は本来溜めてこそ力を発揮する技なのだから。
時間稼ぎは十分に出来た。とは言え、相手は理に近い存在。だから彼が油断する機会を待ち…今その時が訪れた。
イリアは手を大きく広げ、容赦なくシャオへと鉄槌の如く振り下ろした。
「我想ウ故ニ謳ウ我在リ(コード・オブ・サブリメイション)」
心穏やかな詩声とともに、辺り一帯に敵を滅する勢いで破壊光が降り注ぐ。
あまりの威力に、爆風でイリアの長い黒髪や白のドレスがはためく。そんな中、内にいるレプキアは何とも言えぬ吐息を漏らした。
『よりにもよってそれ謳ってたのね…シェルリア、悪いわね』
今の魔法はシェルリアにとって、ゼツとの深い会合によって生まれた特別な詩魔法。そんな大事な魔法を使ったと知ったら、落ち込むか怒るかの二択になるだろう。
思わずレプキアが謝っていると、イリアは不思議そうに訊き返してきた。
「何故謝る?」
『その内分かるんじゃない?…それより、早く謳い直さないと。入口が閉まり始めて』
その瞬間、イリアが弾かれたように前方に手を翳す。
同時に、出現させた障壁に何かが激しくぶつかった。
『ナッ、何々ィ!?』
レプキアが動揺する一方で、イリアは前を見据える。
防御した障壁にキーブレードを振りおろし、先程の魔法でボロボロになっているシャオが睨み付けていた。
理から生まれた存在である以上、イリアであっても倒すのは不可能なのだ。
「凄まじい執念だな。身体もボロボロだと言うのに」
「ッ、黙れぇぇ!!!」
怒鳴ると、イリアに向かって再びキーブレードを振り上げる。
イリアは障壁を出したまま受け止める姿勢を保つ――だが、振り下ろされることはなかった。
シャオの腕が後ろから掴まれたのだ。心が壊れ、倒れていた筈のクウに。
「あなた…」
「は、放せぇ!!」
予想だにしなかった事に、イリアが声をかけているとシャオが暴れる。しかし、クウは虚ろな目をしたまま放そうとしない。
「やくそく、した」
シャオを拘束したまま、抑揚のない声で呟く。
「あのこを、まもるって」
腕を握るクウの手の力が、更に篭る。
「わらってほしいから…!」
彼の呟く言葉に、イリアとレプキアは理解する。
こうしてクウが立ってられるのは、心が壊れても尚残った欠片…断片の記憶が突き動かしているのだと。
『どうなってるのよ、あいつ…ペナルティは科せられたままなのに、あんな記憶見て心が壊れた筈なのに…!』
「“シャオ”が力を貸したのかもしれないわね」
訳が分からないと困惑するレプキアを余所に、例の青い影を使いイリアは記憶を読み取り何があったか理解する。
「あの子を消滅させなければと言う防衛本能の働きをするシャオの意思の他にも、私達を消したくない意思もある。それは無意識にシャオが、あの子が望んでいる事だから」
『じゃあ、あいつが会合したレイアは…』
「彼が夢を通して呼び寄せたのか、もしくは――別の者の力で介入したか…」
最後だけ小さく呟くと、未だに暴れるシャオを物ともせずに只々腕を掴んでいるクウを見る。
シャオもあの攻撃で消耗しきっており、クウの危機に本来の自我が手を貸したのだ。三人を追い詰めていた強さが発揮されないのだろう。
「どちらにせよ、彼が立ち上がっているのはクウだけの力じゃない。いろんな人が力を貸してくれている。人が持つ繋がりの力だ」
彼を動かしている記憶を作った人。微弱ながらもクウの意識を取り戻させたレイア。彼女を呼んだ“誰か”。皆が手を差し出す事で出来ない事も出来る。それは全知全能であるイリアでも、昔は…独りでは手に入らない力。
その時、閉じかけた闇の中から勢いよくイオンとペルセが飛び出した。
「――つぅ!!」
「はぁ…はぁ…!」
ギリギリで戻ってくると、床に寝そべって荒い息を立てる。イオンの腕の中には、しっかりと少女を抱えていた。
「戻って来たわね」
「イリアドゥスさん…!」
イリアが声をかけると、イオンはすぐに起き上がり少女を座らせる。
始終泣いていた少女は今では俯いている。ある程度は心の闇を払えた少女に、イリアは目線を合わせるように座り込んだ。
「あなたは、また誰かを傷付けたいのかしら?」
《っ!?》
「今こうしている間にも、クウは危険に曝されている。彼だけじゃない、ここにいる私達もいずれは消えるかもしれない」
《ボ、ク…ボク…!!》
淡々と現状を話すイリアに、少女は怯えたようにギュとスカートの裾を握る。
「お願い。私達に助ける為の力を貸して欲しい」
そんな少女に、イリアはそっと手を差し伸べる。
突然の事に少女は困惑し、クウに抑えられているシャオを見る。それからようやく不安げな眼差しでイリアへと顔を上げた。
《手をにぎったら…お兄ちゃん、消えちゃう…?》
「あなたが望むなら、消えないようにはする。その代わり大人しくして貰うが」
率直に答えると、少女はスカートを握っていた手を緩める。
《お兄ちゃんが、消えないなら…――いいよ…》
ゆっくりと手を伸ばし、イリアの手に少女は触れた。
「はぁ、はぁ…!」
「あ、危なかった…!」
リクがルキルのいる歪みへと入り込んでいた頃、ウィドとシーノは半ば茫然としていた。二人の目の前に、苦しそうに倒れているハナダニャンと仰向けに倒れ込んでいる人形の姿。
『空衝撃』を放ちリクを送り届けたウィドに、怒りに任せて人形がキーブレードを振り下ろした。だが、ハナダニャンが庇う様に『リフレガ』を使って人形を弾き返したのだ。
完全に相打ちの状態に、オパールはハナダニャンに近づいてその丸い身体を揺さぶる。
「ハナダニャン、しっかりして!」
「この子は、まさか…」
シーノが何かに気付きかけていると、歪みからリクが落ちてきた。
リクは何かを抱えたまま投げ出された空中で態勢を整え、シーノのすぐ近くで着地する。
「リク!」
「シーノ…連れ戻したぞ」
「連れ戻した…って…!」
リクが抱えて眠っている幼い子供にウィドが唖然とする中、シーノは正体を悟ったのか笑いかける。
「これは今の彼に合った姿なんだよ。作られて一年にも満たないんだ、幼子の姿の方がピッタリなんだろうね――さて」
そう言うと、シーノはリクに抱えられているルキルの手を握る。
それぞれが別の場所で、同じ時間で、同じように手を握り、二人は同時に紡いだ。
「「『夢の理』は今、傾いた」」
全てを覆す言葉を。
「――待っていたぜ…その言葉をっ!!」
シャオを掴む手が一気に強くなる。
支配権がイリア達に傾いた影響か、虚ろだったクウの目が正気を取り戻していた。
「ッ!?」
夢の理が傾いた今、全てがイリアの思いのまま。記憶を使って壊した心でさえ元に戻せる事が可能なようだ。
そうこうしている合間にも、クウは掴んでいたシャオを思いっきり背後にぶん投げた。
「お仕置きだ、クソガキィ――しっかりと歯ぁ食いしばってろぉ!!!」
右手に闇のオーラを纏うなり、一気にシャオの腹部に容赦なく叩き込んだ。
「がはぁ!?」
「ダーク・デス・インパクトォォォ!!!」
闇を溜め込んだ拳で、クウは力の限りシャオを吹き飛ばした。
道を外した弟子を、師として制裁する為に。
一方、ルキルの夢の中でも変化が起き始めた。
「ナ、ニ…ッ!?」
支配権がシーノ達に移った瞬間、人形の持つキーブレードが音を立てて罅割れる。
何が起こっているのか分からず人形が狼狽えていると、二つとも弾けるように壊れてしまう。
武器を失った人形に、シーノは冷酷に宣告した。
「君の攻撃はもう僕達には効かない。諦めるんだ」
そう言ってシーノが剣を一振りすると、眩く光る。
暗い深青色で彩った心剣が輝かん程の明るい青空をした心剣へと姿を変える。支配権を得た事で、『夢幻剣ファンタズム』が本来の力を得て『夢幻命奏剣=ファンタズム・ノーヴァ』へと変わったのだ。
他の三人もいつの間にか傷が治っており、眠るルキルを下ろすとこちらを睨み付ける。完全に不利になったこの状況に、人形は身体を小刻みに振るわせる。
「ここまで来たのに…諦めるものかぁ!!!」
最後の悪あがきとばかりに、人形は四人の後ろにいるルキルへと手を伸ばす。無理やりにでも支配権を、ルキルの存在を手に入れようとする。
しかし、巨大な人形の手は『瞬羽』で前に出たウィドの細剣によって止められた。
「ッ!?」
「本当に諦めが悪い…いい加減大人しくしてろぉ!!!」
人形を弾き返し、刀身に光の力を溜め込む。
それを見て、リクは弾かれる様にキーブレードに闇の力を込めながらウィドの隣に来て叫ぶ。
「――ウィド!! 合わせろ!!」
「ッ――あぁ!!」
急に声を掛けられ戸惑うものの、即座に返事を返す。
そして、二人は素早く目の前の人形へ光と闇の斬撃を繰り出す。
「ぐぅあ…!」
「闇に消えろぉ!」
「これがっ! 私達の!」
互いに息を合わせながら斬り付け、上空へと飛び上がり――振り下ろす。
「「デュアルブレイカー!!!」」
人形を叩き斬りながら地面へと刀身をぶつけると、光と闇の激しい衝撃波が起こる。
こうしてリクとウィドが連携技を出し終えると同時に、シーノも動く。
「これで、終わりだ!!」
心剣を媒介に夢の世界から膨大な力を受けとり、溢れんばかりの光を放つ。
すぐにリクとウィドが離れると、シーノは両手で剣を握りしめ、迫った。
「夢神无限剣ッ!!!」
そのまま無慈悲なる一撃必殺の斬撃を、人形の胴体へと繰り出した。
「あ、あ、あああああぁぁあぁああぁああぁ――…ソラ…なって……キ、ブレー…」
斬られた部分から身体が崩壊を起こす中、人形は尚もルキルへと手を伸ばそうとする。
だが、結局その手は届く事無く、やがて光の欠片となって天に上るように人形の身体は消えてしまった。