メモリー編34 「憎悪に隠した本心」
戦いが終わり、時計台は元の静けさを取り戻した。
相変わらず駅前広場の上空にある透明な床は残っており、自分達はそこに立っている。そんな中、ハナダニャンの傍にいたオパールが人形の居た場所を見ながら口を開いた。
「――終わった…?」
「ルキル…っ!」
戦いでの緊張の糸が切れていたようで、オパールの呟きによって弾かれたようにウィドが眠るルキルへと振り返る。
元凶は倒したと言うのに、未だに子供の姿で眠っている。それを見て、ウィドは急いで駆け寄る。
しかし、その途中で急にズボンの裾を掴まれた。
「え――?」
「キューン!」
足元を見ると、何とハナダニャンが裾を加えていた。ルキルの所にいかせないとグイグイと引っ張っている。
「どうして邪魔をする!?」
「キュンキュン!」
「ッ、どけぇ!!」
相手が小動物に近い生き物なのを良い事に、ウィドは苛立ち交じりにハナダニャンを蹴飛ばした。
「ギュ!」
「ウィド、何してんの! この子はあたし達を助けてくれたでしょ!」
「うるさい! 邪魔するのなら斬るまで――!!」
「それでは、何時まで経っても目覚めませんよ」
オパールに庇われるハナダニャンに剣を向けた瞬間、冷ややかなシーノの言葉が飛んでくる。
「分からない? この子はルキルを守ろうとしてるんだ、君から」
「私から? どうして!?」
「怖いからに決まってるでしょ」
苛立ちを交えて怒鳴るウィドに対し、嫌悪感を露わにオパールは告げる。
冷たい目で見るシーノはもちろん、リクまでもが咎めるような視線を送ってくる。誰もがウィドに賛同する者はいない。
「そうだよ。焦ったり、イライラして他人にも分かる程憎悪の感情を溜め込んで…そんな心を持っているから、この子はウィドをルキルに近づけさせたくないんだ」
「なあ、ウィド。本当は分かってるんじゃないのか? クウを憎んでもどうにもならない事、それにスピカさんの気持ちも。ウィドは俺のレプリカであるこいつを大切にしてきたんだ…本当はクウがどんな奴か、スピカさんが俺達を逃がした心境を分からない筈ないだろ?」
「…にが…」
ギリッと歯を食い縛り搾り出すように声を出すなり、ウィドが全員を睨み付けた。
「何が分かると言うんだっ!!? さっきから好き勝手に言いたい放題で!!! 子供のお前達に…私の何が分かると言うんだぁ!!!」
我慢の限界だった。まるで何もかもが否定された気分だ。
彼の中で怒り、悲しみ、苦しみ、辛さ…全ての負の感情が混ざり合いドス黒い想いが膨れ上がる。そうして湧き上がる感情のままに、握る柄に力を込める。
同時に、ウィドの胸に黒い光が灯るのをシーノは見過ごさなかった。
「あの力は…!」
「こいつの味方をすると言うなら、お前達も同罪だぁ!!! 月光明――!!!」
ここにいる全員を敵と見做したのか、ウィドは刃を鞘に納めるなり全てを斬り捨てる剣技を放つ。
三人と一匹を見据え、引き抜くと同時に無慈悲な斬撃を起こす。
筈だった。
後ろから“彼”が柄を握っている手首を掴まなければ。
「――ル、キル…!?」
鞘から引き抜く瞬間を拘束されたにも関わらず、信じられないとばかりにウィドは掴んでいる本来の少年の姿に戻っている人物の名を呟く。
それはリク達も一緒で、眠っていた場所を見るが幼い頃のルキルはいない。もう一度ウィドの方を見ると、手首を抑えつけながらルキルは悲しそうな瞳を浮かべていた。
「もう止めてくれ、先生」
ルキルから言われた言葉に、ウィドの胸に灯っていた黒い光が消える。
だが、そんな事に全く気付いていないようでウィドはルキルに向かって口を開くものの何故か声が出ない。その言葉に対する反論が頭に浮かんでいるのに。
口を開いたままウィドが固まっていると、ルキルはそのままハナダニャンへと視線を向けた。
「彼女は――…俺と、同じなんだ」
そう言うと、ゆっくりとハナダニャンが起き上がる。痛みが残っているのか、よろよろとルキルの所に歩んでいく。
やがてルキルの足元に辿り着くと、足に身体を摺り寄せる。そんなハナダニャンに、ルキルは掴んでいた手を放してしゃがみ込んで頭を撫でる。
「同じ、って…?」
「俺と同じレプリカであり…どの記憶からも忘れられた存在」
呆然とするオパールの問いに答えるように、ルキルはハナダニャンの正体を告げた。
「“シオン”――それが、彼女の名前だ」
「シオン…っ!」
直後、リクの頭の隅で何かが反応する。過去に聞いたような、懐かしい響きだったから。
だが、その懐かしさを思い出そうとした瞬間激しい頭痛が襲い掛かり、頭を押さえながら膝をついてしまう。
「リク!?」
「心配しなくても、すぐに収まる。欠落した記憶は無いのと一緒だ…どうせ思い出せない。思い出した所で、すぐに消えてしまう」
心配してオパールが肩を掴むなり、ルキルが説明する。
それからルキルはまたハナダニャン――いや、シオンに向かって穏やかに笑いながら優しく撫でる。
「こいつがずっと俺を守ってくれていたんだ。あのお姉さんと一緒に、消えそうになる俺を闇に隠して守ってくれた」
「お姉さんって、あのリュウドラゴンの事?」
「シーノ、知ってたのか?」
「僕を誰だと思ってるの? あのリュウドラゴンが人である事は見抜いてたよ。まあ、問い質してもこの世界ではあの人形の影響力が強かったから、人型には戻れなかったようだけど」
「そうなのか…」
「ちょっと、何の話?」
シーノとリクが会話していると、説明しろとばかりに割って入るオパール。
こうして三人が話していると、ルキルはシオンから手を放して今まで黙っていたウィドと向かい合う。
「先生。俺に教えてくれた言葉、覚えてるか?」
「え…?」
突然の質問に、ウィドは戸惑いを浮かべる。
憎悪による暴走が止まったとはいえ答えられない…言い換えれば、思い出せないウィドに寂しそうに見つめながらルキルは答えた。
「『闇に捕らわれたままの心じゃ、誰かを傷付けるだけ』」
その言葉に、ウィドは思い出す。
あの日、彼に名前を与え、数日後にようやく空き家を見つけ、一緒に過ごした。
だが、名前を与え、優しさを与えた所でルキルは簡単に心を開かなかった。あの城で過ごした記憶や、レプリカである事を考えば当然だ。
それでも、こうして自分達が『家族』となれたのは――。
「先生に拾われても、ずっと信用なんてしなかった。どうせ利用されるだけだって、自分は偽物なんだって、どんなに優しくされても大事な言葉を与えてくれても壁を作ってた――そんな俺に教えてくれたのは、先生だろ?」
どんなにルキルが拒絶しても、ずっと見捨てなかった。
心を開くまで、ずっと、ずっと…大切な事を教え続けた。
闇に染まった心を、光に変えるまで。
人として、ルキルが心から笑えるようになって欲しかったから…。
なのに、今は――立場が逆になっている。
「ッ…!!」
涙が零れ落ちると共に、ウィドの手から剣が滑り落ちる。
そのまま膝から崩れ落ちて座り込むと、ルキルはしゃがみ込んで黙って涙を流すウィドに語りかける。
「先生に…皆に何があったかは夢の権限を使って、記憶を覗きこんだ事で把握してる。だけど先生、前の俺みたいにならないでくれ。俺を変えてくれた大事な感情を、闇で消さないでくれ」
上辺などではない心からの願いをルキルが伝えると、顔を俯かせていたウィドがようやく口を開いた。
「あなたにまで…言われては……この気持ち、ますます揺らぐじゃないですか…!!」
ポツリポツリと話す度に、ウィドの瞳から涙が零れ落ちる。
そうしてウィドは泣きながら、胸の辺りを強く掴む。
「あいつを許してしまったら…認めてしまったら――エンの行為まで許してしまう…。姉さんを誰よりも思う気持ちも、嘘にすり替わるようで…!!」
「ウィド…」
憎悪で隠れていた本心が語られ、オパールが何とも言えない顔を作る。
「姉さんがあいつを特別に思っているのは知ってる…エンと戦っても勝てない事も…!! あいつみたいに特別な力も武器も持ってない、立ち上がる事だって…無力な私には何も出来ないんですよ!! だから憎いんです!! 姉さんが認めるあいつを…私には出来ない事をやってのけるあいつが、どうしようもなく妬ましい…ッ!!」
心に溜めていたクウへの本音を吐き出すなり、とうとうウィドはその場で泣き崩れてしまった。
「クウを憎む事で、自分を保っていたんだな…」
かつてはキーブレードに選ばれた勇者となり、別の仲間を作って笑っているソラに嫉妬して憎んだ時期がある。そんな似たような経験を持っているからこそ、リクにはウィドの気持ちが痛い程分かる。
ウィドは床に手をついて泣いていたが、徐に涙目のままハナダニャンへと顔を向けた。
「この子が守るのを見て…否定されたと思った…!! 助けたいって思ったのは嘘ではないのに……私じゃ、誰も助けられないんだって、思ったら…怖くて…ッ!!」
姉であるスピカも、家族となったルキルも助けられない。大切な人を守れず、手を取る事も出来ず、失うだけ。そんなのが嫌で、凄く怖かった。
あの時ハナダニャンに抱いていた恐怖心をも告白すると、ルキルは肩を竦めて笑った。
「それでも、俺にとってあんたは“先生”と呼べる人だ。そんな身勝手な人じゃないって分かってるから」
「ル、キル…っ! ルキルゥ!!」
醜い感情に溺れていたにも関わらず、嫌悪する事もなく一人の家族として信頼を寄せるルキルにウィドが泣きつく。そんなウィドをルキルは黙って抱き締めて背中を擦る。
大の大人なのに子供の様に泣き叫ぶ姿に、オパールは一抹の不安を覚える。
「ウィド…大丈夫、かな?」
「そう心配するな。あいつのおかげで憎しみは消えたんだ、ウィドならきっと大丈夫さ」
リクはそう言って、優しい目をして二人を見つめる。
それは、今まで成り行きを見ていたシーノも同じだった。
「世界に災厄を齎したパンドラの箱。最後に残るは更なる絶望か、光を取り戻す希望か…」
記憶を巡っていた時にウィドが語っていた話を思い出しながら、シーノは静かに考えにふけ込む。
何もかも奪われた“絶望”を抱いていたから、ウィドは歪みながらも今まで諦める事をしなかった。戦いから手を引く選択は取らなかった。
しかし、その絶望が無くなった事で彼はどう選択するのだろう。話を聞いた限り戦力では弱い方らしいし、何より戦う為の武器も術も無いのだ。普通に考えて足手纏いは必須だろう
憎しみを消した事で生み出される無力感はまさに新たな絶望だ。だけど、これだけは言える。
彼は確かに“希望”を――真っ直ぐに自分で歩く力を取り戻したのだと。