CROSS CAPTURE76 「ありのままに」
ビフロンス城の夜はまだ続く。
食事を終え、それぞれが自由に行動する。再び自己鍛錬に集中するもの、責務を勤める誰かの手伝いを続けるもの、
誰かの傍に寄り添うもの、気楽に息抜きをするもの――人それぞれだ。
場面を移ろう。場内に設備された浴場。地上1階層目に設備されたそこは男女それぞれ広い。
「――やはり鍛錬の後の湯は良いものだな」
身を湯に浸かり、無轟はいつになく喜色のある声で言う。
「そうだな、疲れも吹き飛ぶあなあ」
同じく湯に浸かっているのは神月で、同じく満足げにしている。
そんな我が子の様子を呵呵と神無が笑った。
「はっは。こうして揃って入るのも悪くないなあ」
「それ、何度目の台詞なんだか」
笑う神無に、呆れたようにオルガが呟く。
「まっ、いいんじゃない?」
釣られて菜月も同意して、にこやかに笑みを浮かべる。
そんな和気藹々とする中で巌のように、不動のごとく湯に浸かる男――ビラコチャが口を開く。
「お前たちはいつも賑やかだな」
「ん? 羨ましいかい?」
「フフ、そうかもな」
陽気に神無の問いかけに、ビラコチャは静かに頷く。
最初は半神との交流は上手く捗らなかった。しかし、少しずつ絆は紡がれていった。
巌のようなビラコチャと気楽に雑談する神無がいい例であった。
「……少し、みんなに尋ねておこうと思う事が在った。いいか?」
そうした中で、無轟が徐に口を開く。
言葉に漂う雰囲気に物々しさを感じたこの場の一同は無言の肯定をする。
些か重々しくしてしまったと苦笑を内心するも、これからの問いかけを思えば、と構わず続けた。
「悪いな。―――問いたいのは一つだけだ。エンのことをお前たちはどう思う?」
一瞬、その問いかけの意味を理解する事を問われた誰もが忘れた。
呆然に支配されたものたちの中で最初に気づいたのは、
「どうした、突然」
半神ビラコチャだった。
この場においては誰よりも無轟と関わりが薄い者だからこそ、問いかけをした彼に戸惑う間も無かったかもしれない。
彼が口火を切った事で神無もハッとなって慌てた様子で口を開く。
「おい、一先ずなんでそんなこと聞いたんだよ?」
「ふぅービックリすぎて、オイラ…無轟さんの体にある傷を数えてたぜ…」
張り詰めた空気に宥めようとした菜月のジョークは他所に、問いかけた本人は話を続ける。
「お前たちも知っているだろう? エンが『こうなってしまった経緯』を」
そう言われるとまたも神無たちは言葉を詰まらせた。
ただし、ビラコチャを除いて。
「ああ。だが―――………『それがどうした』、だ」
ビラコチャの即答。その不動のような姿勢、言葉と目に色が宿る。静かに、されど苛烈な怒りと殺意だった。
他でもない彼は同胞とも言える2柱―――アバタールとディザイア―――を喪った。
そこに、何らかの悲劇、経緯、過去を明かされた所で、知ったことではないである。
その答えを無轟は無言のまま頷いただけ。
「では、神無―――お前たちはどう思った?」
視線は神無やオルガたちに向ける。答えに詰まっている他を置いて神無が口を開いた。
「……確かに、アイツがそうなってしまった経緯は聞いた。
もし、俺がアイツの立場ならきっと………同じ道を選んでいたかも知れない」
「……」
その言葉に息子の神月は、黙したまま不安を殺した眼差しを父を見る。
奇しくもエンと神無は似た立場を有していた。そう、愛する妻と我が子ら。
そんな息子の眼差しを、父は真っ直ぐと見つめ返して頷き返す。
「―――だが、それでも俺はアイツを許容はしない」
発した言葉に泰然と、神無は答える。
「それは何をもって許容しないのだ?」
答えた言葉に、無轟は更に問い詰めるように言う。
神無は少し間をおいて、答えた。
「…『正しい』だ、『間違っている』だ、は違う。―――それは、エンには関係ないからだ」
例え、『それ』を説いた所で、彼は『やるしかない』のだ。
『それ』は言葉でも、法でも、道徳でも、倫理でも、常識でも、彼を止める楔にはならない。
『なぜ、自分が喪ってもいない連中を、配慮しなければならないのか』。
例え、彼があらゆる方法を模索した末に出た行動だとしても。
「―――俺はアイツの祈りを、悲願を、想いを、全てを叩きつぶす。―――そのつもりだ」
神無はそう断じた。誰にだって譲れぬものは、大小無数に存在するだろう。
自分にも、他人にも、仲間にも、クウたちにも、半神にも、イリアドゥスにも、カルマにも、エンにも、彼らに付き従うものたちも、全てがそうであるように。
『譲れぬなにか』が在るから因って立つのだと。
残された道は、『ありのままにぶつけ合う』……それだけなのだろう。
「それが俺が今出せる結論だ。
お互いに譲れないものが在るならぶつかりあって、勝ち取るしかない。エンはもう『止まれない』……そう、思った」
止まらないのではない。
あの哀しみの英雄(おとこ)は、止まれないのだ。
喪った存在(もの)がかけがいの無いもの。だからこそ、その重みに逃げない為に。
神無の答えに、無轟は微動だにせずに頷いて応じた。
「お前がそう決断したのなら、それでいい。俺もそれしかないのかもしれないと不安だった」
そう吐露した彼は天井を仰ぎ、
「エンの過去を知らされ、悲願を知らされても、俺は不思議と大きな動揺は無かった。
――ただ、『そうだったのか』と、無聊に受け止め、『それならば戦うしかない』と無情に結論した」
「俺は……」
淡々と打ち明けた無轟に、オルガがゆっくりと口走る。
無轟は仰ぐのを止めて真っ直ぐ彼を見据えた。
「オルガ、お前はどうだ」
「……わからない、な」
かぶりを振り、続ける。
「選択はもう一つしかない…としか」
「――結局、オイラも皆そうさ」
オルガは最良の言葉を紡ぎきれずに落胆しかけた。
だが、横から菜月が気楽に笑みを浮かべ、それを遮る。
皆が視線を彼へと向き、彼は揚々と語った。
「エンが良いヤツだったとしても倒すしかオイラたちはオイラたちの世界を護れない。大切なものも護れない。
戦う道しか残されていないのなら、戦うしかないんじゃない?」
「ふむ」
菜月の言葉に、誰も反論はしない。受け止め、心の内で吟味し理解するために。
少しの沈黙の末、ビラコチャが開口する。
「…私としては、それらの感傷的な物事を語らうのはこれくらいでいいと思う。敵への情けをかける必要はもう無い筈だ」
厳とした言葉に誰も強く返さない。ビラコチャの言葉は正しく、これ以上悩み続けるのは帰って士気や心持を揺らいでしまう。
「そうだな」
無轟も頷き、神月たちもう同じく首を縦にする。
「そろそろ上がらせてもらおう」
ビラコチャはそう言って、湯船から立ち上がって浴場を出て行こうとする。
その去る姿を見送りながら無轟たちも切り上げることにした。
体を拭い、衣服を着て、着替え室を出た神無たちと同じく女湯側の着替え室からツヴァイたちが出てきた。
若干驚いた神無は妻たちに声を掛ける。
「ツヴァイ、お前たちはまだゆっくりしていても良かったんだぞ?」
「ええ、でも…あんな話を聞いちゃったらね、ゆっくりした気分よ」
返された言葉に詰まらせる神無に、傍にいた神月たちは困ったように苦笑をあげた。
「そうか。すまないな。―――そういえば、アイツらはまだ眠っているのかな」
「クウたちの事か、親父? 目覚めた――なんて報告があれば誰かが飛んでくるだろうし、まだなんじゃないか?」
「残念ながらまだ眠っているよ」
神月の言葉に続いて話しかけた声は輪の中にいた者たちではない。
奥の廊下からやってきた青年アダムが答えたのだった。
「そうなのか…しっかし、やっぱり夢の世界なんて想像もつかないな」
「確かに」
神無のおちゃらけた言動に微苦笑でアダムは頷き、
「彼らが無事に目覚めるのを待って、祈るしかできないけれど」
「今はそれが最善かしらね」
自分たちに出来ることが限られているなら、最善を選ぶべきとツヴァイはつづけた。
「ならオイラたちも眠ったら夢の世界に行けるかな? そうすれば援軍になれるのに!」
「アハハ、やめた方がいい気がするよ菜月。それに夢とか見ないでしょ?」
「ハハ! ひっでえや」
『ハハハハ』
ヴァイがからかうように言うと、菜月は笑うやオーバーアクションで落ち込む素振りをし、笑いあった。
そうした少しの談笑の末、神無は切り上げるように口にする。
「それじゃあ、俺たちは部屋に戻って素直に眠るとするか。何かがあれば呼び出しがあるからな」
「ええ。私もこれから疲れを取りますよ。みなさん、お休みなさい」
アダムと別れた神無たちは自分たちの部屋へとそれぞれ戻っていき、眠りにつくことにした。
それから数時間後、神無たちは慌ただしく目を覚ます。
そう、夢の世界へ行動するために眠りについていたイリアドゥスたちが目覚めたからであった。