CROSS CAPTURE77 「現実への帰還」
夢から覚めて最初に見た光景は、視界全体に広がったレイアの笑顔だった。
「クウさんっ!!」
頭が認識する前に、レイアが思いっきり胸元に抱きついてくる。
今まで寝ていた所為か身体も頭も反応がついて行かず、理解するのにワンテンポ遅れてしまった。
「…あ、レイア?」
「やっと起きたぁ…! 心配したんですよ…!」
声を震わせながらそう言うと、更に服を掴む手に力を込める。
本当に心配させていたのだと伝わり、クウは未だに寝ぼけながらもレイアの頭を軽く叩いた。
「悪ぃ…」
そうしてレイアを宥めながら、今の状態を確認する。
夢に行く前、睡眠薬を飲んで床の上で眠った筈だった。しかし、用意されたベットの上にいるのを考えると誰かが運んでくれたのだろう。
天井の明かりが点いているのを見て、まだ夜のようだ。自分達が寝てからまだ一日も経ってないのか。いや、レイアの態度からしたら何日も経っている可能性がある。
話を訊こうと尚も乗っかっているレイアに目を向けると、クウは一つの変化に気付いた。
「すぅ…すぅ…」
「レイア?」
「ずっと起きてたのよ、あなたが目覚めるまで」
俯いていたレイアの口から洩れた寝息に気付くと、頭上から声が飛んでくる。
声のした方に首を動かすと、夢の世界で一足先に戻っていたイリアが腕を組んでこちらを見ていた。
「イリア」
「気分…いえ、記憶はどうだ? 夢の権限を使って完全に修復はしているつもりだが」
この質問に、クウはあの世界でシャオによって心を壊された事だと思いつく。
軽く頭を押えて思い出を巡らせてみる。家族と過ごした子供の頃、闇の世界に落されてからの日々、組織を脱走してからの長い年月、そしてシルビアによって齎されたこの戦い……全て、かは分からないが覚えている。
「あー…よく分からない。まあ、大丈夫だろ」
とりあえず思った通りに答えると、イリアはそれ以上何も言って来なかった。
ようやく頭も冴え始め、改めて部屋の中を見回す。ベットで寝ているのは自分と向かい側にいるシャオ。この場にはレイアとイリアしかない。
イオン達の姿が見当たらず疑問に思っていると、心中を察してイリアが話した。
「イオン達なら既に部屋を出たわ。神無達が迎えに来てね」
「そうか。にしても…身体が無性に怠い…」
「一日以上眠っていたのだ、鈍って当然だろう。折角だ、風呂に入ってはどうだ? 身体は解せるし、夢の中で活動して疲労も溜まっているだろう」
「そうするか…サンキュー、イリア」
この助言にお礼を述べると、イリアは一瞥して部屋を出て行く。半神達の所へ行ったのだろう。
クウは起き上がると、まずは眠ってしまったレイアをベットに寝かせる。そして、次にシャオの隣にやってきた。
ここにいるのは紛れも無く“シャオ”だ。今も尚眠りに就いているのは、まだ決めてないのだろう。これからの生き方を。
「ツバサ、か…確かに俺が付けるような名前だな」
妹である少女の名前を思い出しながら、クウはシャオの頭を撫でる。
「一方は師匠、一方は名付け親か…どんな形であれ、こいつらと繋がっているんだな」
本来の師匠は彼らの世界のクウだ。なのに、自分にも同じ尊敬の念を向けている。いかにその世界の“クウ”が慕われていたか伝わってくる。
過去に酷い事をしても、辛い出来事が襲っても、確かに彼は次を担う子供達に受け継ぐ未来を手に入れている。この世界の無轟のように。
彼らにとって、自分は本当の“クウ”じゃない。そんな自分でも出来る事は、ある。
「待ってるぜ、二人共」
目覚めた時は『仲間』として、彼らを受け入れる。それだけだ。
同じ頃、ルキル達が眠っていた大部屋ではカイリ、ヴェン、アクア、テラが目覚めたリクと話をしていた。
部屋にいるのは彼らの他に髪色が銀髪に戻ったルキルが眠っているだけで、シーノ、ウィド、オパールの姿はない。
「でも良かった、皆が無事に戻ってきて! クウ達も起きたようだし、これでまた人数が揃うね」
「すまないな、心配かけて」
「気にしてないよ! それよりウィドもクウの事許し始めたんだろ? これなら新しい剣を渡しても大丈夫だよな!」
「新しい剣?」
意気揚々と話をするヴェンに、リクが疑問符を浮かべる。この様子にアクアは意外な表情で訊き返す。
「リク、知らなかったの? オパールが話さなかった?」
「いや…そう言えばオパールは?」
「え? リクも知らないの?」
意外そうにカイリが首を傾げる。一人だけ部屋に残っていたので、この場にいない人達の行方は知っているだろうと思っていたのだ。
「俺が目覚めた時、オパールは一人でさっさと部屋を出て行ったんだ。引き留めようとしたんだが…」
「じゃあ、探しに行こう! ほらリク! 急いで!」
「お、おいカイリ!?」
カイリに手を引かれながらも、リクは部屋を出ていく。
そんな二人をテラ達は見送ると、未だにベットで眠っているルキルを見る。徐にヴェンは頬をツンツンと突くが起きる気配はない。
「でも、まだ起きないんだな」
「目覚めに少しだけ時間がかかると言う話だ。焦らなくても大丈夫さ、ヴェン」
「うん。ふわあぁ…あ〜、安心したら眠たくなってきたぁ…」
テラに返事しながらだらしなく大きな欠伸をすると、それがうつったのかアクアも口元を押えた。
「ふぁ…予定より早く起きたもの、仕方ないわ…さ、一旦寝直しましょう。日中は皆で手合せするんでしょ? 寝不足で行ったら修行にならないわ」
「そうだな。あふぅ…クウ達は寝直した後にでも顔を見せた方がいいな…」
同意しながらも眠気に負けたのかテラも欠伸をし、ルキルを残して三人は部屋を出て行った。
「あれは、何だ?」
「ぅ〜…ジラソル〜…まだ寝かせてくれよぉ〜…」
「起きて早々…連れて行かれるとは思ってなかったぁ…」
一方中庭では、夢から目覚めたとの報告を受けて騒いでいる城の人達を余所にジラソルがリュウア・リュウカ兄妹を連れて庭内を探索していた。
初めて過ごす夜で全てが物珍しいのか、ジラソルはさっきから質問攻めをしてくる。
「空の色が変わる。何か起こるのか?」
「いやぁ…ゆっくりと太陽が昇ってるんだよ…あと少ししたら朝にふあぁ…」
「たいよう? それは一体?」
「え〜とね…この世界に来た時に、空にあった…丸くて大きな光あふぅ…」
「あそこに座っているのは誰だ?」
「あれは別世界から来た人……え?」
眠気と戦いながらリュウアとリュウカが交互に答えていたが、ジラソルの指した方向を見て一気に眼が冴えた。
夢の世界に行った人物の一人、オパールが背を向ける形でベンチに座っていたからだ。
「オパール、こんな所で何を――」
すぐにリュウカが声を掛けると、肩を震わせて振り返る。
そうして見せたオパールの顔は、水滴で濡れていて目も充血している。明らかに泣いていた事に二人は固まるが、ジラソルは不思議そうに首を傾げた。
「顔にあるの…なみだ、か?」
「っ! べ、別に泣いてなんてないんだから!!」
否定するようにそっぽを向くオパールに、心配になってリュウアが声を掛けた。
「泣いてるだろ、目が真っ赤だぞ?」
「ち、違うもん! これは、その…目にゴミが入っただけで…!」
それでもオパールは言い訳して、必死で誤魔化そうとしている。
この様子に、リュウカは不安そうに問いかけた。
「何かあったんですか?」
「大した事じゃないから…あっち行って。一人にさせて」
兄妹の優しさも虚しく、オパールは頑なに突っぱねる。さすがにリュウアも不安になって肩を掴んだ。
「一人になんて出来るかよ!? 俺達に出来る事があったら何でも…いや、俺達に出来なくてもここには沢山の人がいるんだからよ!!」
どうにか泣いているオパールの力になりたいとリュウアが説得する。しかし、オパールは黙ったまま顔を逸らし続ける。
そんな兄に対しリュウカは何かを感じ取り、何時しかリュウアの肩を掴んでオパールから離した。
「兄さん、行くよ。ジラソルも行きましょう」
「おい、リュウカ!? 本当にオパールをほっとくのか!? なあリュウカー!」
引き摺られながら兄が叫ぶが、リュウカは無視する。下手に踏み込むよりも一人にさせた方がいいと判断したからだ。
こうして二人が去っていく中、ジラソルはその場に残ってオパールを見ていた。
「お前」
「あっち行って! お願いだから…!」
声を掛けた瞬間に怒鳴られ、泣きながら懇願する。
人と接した経験のないジラソルも触れてはいけないと分かり、リュウア達を追う。三人が中庭を去ると、オパールは再び涙を流しながら胸を押えた。
「あいつらの事、知れば知る程……遠いよ…」
記憶の中で寄り道してリアの事を知り、アイザを知り、シオンとロクサスを知る過程でリク達の事を知った。世界を救う中で、大切な者達の強い繋がりと悲しみを。
自慢ではないが、それなりに辛い体験をしてきたつもりだった。しかし、彼らは比べ物にならない程の悲劇に巻き込まれていた。そんな彼らの中に混じる自分が何だか場違いだと感じてしまったのだ。
夢の世界ではルキルを助けると言う名目で動いていたが、それも無くなった今残ったのは強い孤独感。
だから一足先に逃げたのだ。今話しかけられたら、酷い顔で泣いてしまうから。
「こんなに胸が痛い程思ってるのに、どうして遠く感じるの…!!」
イリア達が目覚めた事により、廊下や応接間で騒ぎが起こっている。
そんな中、大部屋を後にしたクウは大浴場の前へと辿り着いた。
「ここが風呂場か。初めてだよなー、こういう施設使うのって」
よくよく思い出せば治療の為の部屋と食事用の広間、訓練所しか行った事がない。こう言う公共の施設を使うのはクウにとっては初めてで自然と頬が緩む。
一瞬女湯の扉にスケベ心が反応して惹かれるものの、即座に考え直して男湯へと入る。脱衣所で服を脱いで棚に常備されていたタオルを腰に巻くと、広い浴場へと足を踏み入れた。
「けっこう広いなー、風呂も久々…――ん?」
こんな時間でも機能しているようで、視界が一気に湯気で覆われる。温かく湿った空気の中を進んでいると、浴槽に一つの影を見つける。
先客は背を向けて座って湯に浸かっている。その姿はタオルで頭に纏めた長い銀髪、細く華奢な身体、色白の肌――見た目からして、どうも男ではないようだが。
(落ち着け…俺が入った入口は確かに男湯だったし、夢を見ている訳でも、目がおかしくなった訳でもない。今見ているのは、紛れもなく現実…)
そう自分に言い聞かせながら、クウは念の為軽く頬を抓る。当たり前だが、痛みを感じる。
(そうだ、ここは間違いなく男湯の筈だ。相手が間違って入ったのなら…声を掛けようが、身体を見ても仕方がない。そうだ、俺は何一つ悪くないっ!!)
正論と言えば正論だが、あまりにも最低な言い訳に成り下がっている。
そんな事に気付かず…否、気にせずにクウは意気揚々と湯に浸る女性へと話しかけた。
「あのー、すみませんそこの女性の方。ここ男湯ですよ? まあここで知り合えたのも何ですし、俺がお背中で、も…」
何時も使うナンパ口調で話している途中で、クウは信じられないとばかりに固まってしまう。
女性と思っていた人物が振り返り、その正体が男だった――だけならまだ良かった。
自分にとって、会ってはいけない奴も含まれてたのだ。
「も…もしかして…ウィド?」
「…れが…」
振り返ったままのウィドが、ようやくポツリと呟く。
その瞬間、クウの中で終わりを感じた。
「――だぁれが女だぁぁぁーーーーーーっ!!!!!」
ウィドの怒鳴り声から数秒後、バゴォンと言う軽快な音も浴場の入口にまで響き渡っていた。
後にその時の事を、通りすがりの使用人が証言したとかしなかったとか。