第六章 三剣士編第四話「記憶の再編」
神無はまばゆい光が視界から失せた事を理解してやっと瞼を開き、周囲を見回す。己がたっている場所は先ほどの天地が侵食された回廊ではなく、真っ白い造詣のある広場だった。
「どこだ……此処?」
見回した中ではチェルたちの姿が無い。広場には障害物と呼べるようなものは何も無く、人がいればすぐに見つける事は出来る。
だが、この場には誰も居ないのだ。神無を除いて、そして、『もう一人』を除いて。
「―――」
神無の眼前から轟音と共に茜に染まった炎が立ち上る。驚愕する中、火柱が散り失せ、中に一人の男が佇んでいた。
黒く染め抜かれた長い髪、幾百の戦いを斬り抜け、乗り越えた屈強かつ流麗な体躯、その身を包む着流しに似た衣装、その手に持つ茜色の刀身を持つ刀。
神無は知っている。この男の風貌、存在―――何もかも。
「親……父……?」
名は無轟。明王・凛那の持ち主であり、神無の父である―――『最強』を謳われる男。
貌は限りなく今の己と相違ない容貌をしている。眼前に現れた父の出現に神無は言葉を失って、手に持つ愛用の心剣『魔剣バハムート』を持ち上げず、構えずにいた。
無轟は紫の双眸を神無へと向け、気づくようにわずかに瞠目する。一方の神無は驚愕のあまりに瞠目したままだ。
「―――久しいな、神無よ」
「ッ」
本当に久しい無轟の第一声を聞いた時、神無の頭にノイズが走ったような途方も無い『違和感』が駆け巡った。
眼前で立つ男、それは真の無轟なのか。己の父たる無轟なのか。今、己の中には『再会した筈なのに、何故か何も沸きあがらない』のであった。
「……」
言葉を詰まらせ、呼吸を、頭の中の煩雑とした思考を整える。そうして神無は真っ直ぐとした凜のある顔で無轟へ問いかけた。
「誰だ、お前。『無轟(おやじ)』じゃねえだろ」
「―――」
彼の言葉に投げかけられた無轟は驚いた表情を作り、そして、笑みを浮かべた。
「然り」
笑みを収め、無表情となる。
彼から溢れ出す闘気はまったくの別物だ。贋物でもなく、別物。
「私はお前の記憶より作られた無轟―――の形を持つ虚像」
「俺の記憶……アバタールってやつの力か」
神無をはじめとしたものたちはビフロンスで、モノマキアで情報を手に入れていた。アバタールという半神の権能、すなわち能力は『記憶』であった。
記憶を読み取り、吸収する。眼前に居る無轟は神無の記憶を『基盤』とした別人、神無が記憶した無轟の情報を基に姿をしていたのであった。
「アバタールはお前たちの記憶を読み取り、その中から記憶が認識する上で『最強の敵』と《想起》して作り上げた。お前にとっては父である無轟が、ほかの者は『誰か』であろう」
「……」
巻き込まれた者は自分を含めた、チェル、シンク、ヘカテー、アダムの5人。最悪5人分の『最強の敵』が現れてしまう。何処かへと転移された事で半神たちとの連絡も儘ならない。
しかし、突破するには眼前に立つ男を―――無轟の姿をした虚像を討ち果たす必要があった。躊躇は仕無い。戦うまでだった。
「――いいぜ、俺の敵として現れたんだ。倒すまでだ」
「ふっ……そうでなくては困る」
無轟はにやりと笑みを浮かべて、凛那を構える。構えの動作、表情の作りも偽りは無い。構えて、すぐ――彼は斬りこんだ。茜の刀身に爆炎を渦巻かせ、渾身の一振りを伴って。
その必殺の奥義を神無は知っている。恐らく自分の記憶から作り出された無轟の技なら『これしか繰り出せない』事も。
「だがっ、退かねえっっ!!」
振り下ろされた爆炎纏う一刀を彼の力を具現化した黒い風を纏い、臆せず踏み込み、斬りつける。爆炎と爆風が混じりあい、剣と剣は唾迫り火花を散らす。
「うおぉおおおお――――ッ!!」
「ぬぅん!」
初手から放たれた一刀は双方相殺され、すかさず第二撃へと剣戟を打ち合う。
神無の剣術は無轟より受け継いだ『もの』ではない。父たる彼が息子へと学ばせたのは剣を振る所作、斬る覚悟と斬られる覚悟くらいだ。それらを除いて神無の我流として編み出した。
だが、この無轟は父と違う。自分の記憶から生まれた虚像。神無が培ってきた剣術の殆どを読まれている、と神無は判断した。
「ぅらああ!!」
しかし、剣を振るわなければこの虚像を斬り捨てる事が出来ない。父の姿を読み取った虚像を。けれども戦いにおいては刹那的な変化も生じた。魔剣バハムートから白い霊剣『アマツミカヅチ』を抜き取り、瞬速より穿たれる刃はまさに光の槍が如く。
「―――『滅光龍槍』ゥ!」
「ぬ、ぐうぁ……!!」
無轟の胸郭へと一直線へアマツミカヅチの刃が刺し貫いた。短い呻きに似た悲鳴をあげるも牽制の炎産霊神を振り払って爆炎の障壁と化した。
わずかな隙を得た無轟は神無の追い討ちを防ぎ、胸郭に突き刺さった刀身を掴み取る。無轟の全身に「何も無いのであろう」か、こみ上げて来る異物も血流も無い。彼は己が肉体の『空しさ』をかみ締めつつ、突き刺さった刀を引き抜いたのであった。
そして、そのまま刀を投げ返した。彼によって投擲された刃が神無は読み取ったように再度黒い魔剣バハムートを手にアマツミカヅチを弾き落とした。弾かれた光の刀は再び、崩れるように散りとなって主の掌へと帰る。霊剣の一撃を受けてもなお、無轟は差支えが無いように毅然と立ち、最強の敵としての威風を保つ。
「……不死か?」
「いや。――殺す、に至ってないだけだ」
無轟の肉体に穿たれた傷痕が吹き荒ぶ茜色の炎が舞い踊って、消えると共にその身にあった傷痕はすっかり無くなっている。神無はそれを見ると嘆息し、霊剣を虚空へと消す。
残った黒い魔剣を握りなおし、左肩より黒い炎で形作られた翼を生やす。正眼の眼差しで彼へと構え、踏み込んだ。
一方、チェル、シンク、ヘカテーの三名も共に異空間へと飛ばされていた。神無が居た異空間と似た構造だが、白の天地ではなく薄暗がりの黒に染まっている。
彼らの前には一人の男が憮然と佇んで、対峙しあった。3人の中で大きな反応があったのは、チェルであった。驚愕に満ちた顔は瞠目しきっていた。
襤褸いコートを羽織り、痩躯ながらにおぞましい威圧感をヒシヒシと放つ淀んだ白髪、眼光鋭い血のように赤黒い眼をした男。その男の手にぶら下げた拳銃にシンクは見覚えがあった。
それは傍らに立つ父が『イザナミ(かつて愛用していた銃)』と同型のモノ。父の持つイザナミは何年も使い込んで、丁寧に整備されているため見劣りしない綺麗さがあった。一方の男が持つイザナミはその使い込みが無く、新品と思うほどに汚れはなかった。
呆然としていたチェルはやっと唇を動かし男へと問いかけた。
「―――……なぜ、てめえが……」
「あ? 誰に口聞いているんだ。俺ァ……ベロボーグだ」
ベロボーグ。
生来、殺し屋として何人もの「獲物(ターゲット)」を屠ってきた凄腕であった。彼とチェルの因縁は深い。チェルの両親は彼によって殺された。問題なのは「獲物」ではないのにも関わらず葬られた事だった。依頼の誤認でチェルから両親を奪い去った。
両親を奪われ、なすすべの無いチェルが選んだ道は――――復讐だった。幼いチェルに「どうすればいいか」など理解も考えも至れない。無関係だった人間を殺めたベロボーグはチェルを放置して去ろうとした。それがせめてもの慈悲だと思って。
しかし、チェルの復讐心により必死に食い下がってきた事で彼に興味関心を懐いた。常人を逸した行為、何よりも「眼」が気に入ったらしい。その後、彼の面倒を見る事になる。
ベロボーグの家はチェルが住んでいた都から外れた『ゴミ島』と称されている都から出されたごみを処分・投棄する複数の人工島にある一つを『拠点』としていた。
奇異な日々の最初は、復讐を果たそうと襲い掛かるが――造作も無い動きで悉く受け流し、半殺しを受けた。それでも復讐心は燃え盛る勢いだった。その繰り返しを数日、ベロボーグは「叩きのめせば諦めるだろう」と予想立てたが、チェルの眼に諦めは無かった。
次にチェルに銃の扱いを教え、体術の扱いを教え、万人の体内に宿る『魔力』を利用し、弾丸にこめる事で打ち出す『魔弾』を授けた。教える中もベロボーグへ銃口を向け、引き金を引いて、撃ち殺そうとするが同じく軽々と回避され、拳骨や蹴りが応酬される。
そんな日々の中、チェルはベロボーグに鍛えられながら、復讐心を研ぎ澄ましていった。
「……父さん?」
「大丈夫だ―――心配するな。俺が始末する」
気強く返した父の表情に余裕は無かったことを息子は見抜いていた。表情で読まれてしまうほどに動揺しているのであった。
すると、対峙しているベロボーグがイザナミを手に取り、銃口をチェルへと向けた―――その速さは神業といえるほどに瞬時だった。シンクもヘカテーも身構える間も与えずの早業。
銃口を向けられたチェルは冷徹な殺意に漸く冷静さを取り戻したのか動揺は消え、落ち着き払った眼光でベロボーグを睨み返して、イザナギを引き抜いた。
チェルの面倒を見る合間もベロボーグは殺し屋として、獲物を屠る。
ある日、チェルはベロボーグと衝突した。殺し屋としての彼を許せなかったから。言い合いの末に、ベロボーグは仕事を果たそうと家を出た。その時だ――殺し屋が殺し屋に殺される。潜んでいた黒服の男たちがベロボーグを撃ったが、撃たれた彼はかえり撃つように撃ち返した。K服の男たちは全員額を打ち抜かれ、骸へと変わり果てる。
突如の銃声に、チェルも家を飛び出し、倒れているベロボーグへ駆け寄った。体の何箇所が打ち抜かれ、夥しく流血する。震えるチェルの呼びかけに彼は最後の言葉と送り、愛銃イザナミを託して果てたのだった。
「―――失せろ、幻影!!」
イザナギに装填された魔弾が火を噴く。炸裂した弾丸は無数の炎弾となってベロボーグへと撃ち込んだ。だが、ベロボーグは不適な表情を作り、イザナミの引き金を引く。
シンクはその一瞬を捉えた。無数の炎弾をイザナミの弾丸から放たれた光の速さで、なおかつ在り得ない弾道で全てを貫き、無力化した。その刹那の攻撃を見透かしているのか、チェルは表情を一層と引き締めて続けて魔弾を放つ。雷光走る虎のようなカタチを得て、その牙をむき出す。
しかし、ベロボーグは余裕淡々と銃口を雷光の虎の頭部を撃ち抜き破裂させ、その銃口をチェルへと向けなおした。チェルは続けざまに魔弾を撃たず、地面を蹴飛ばす勢いで駆け出した。
ベロボーグは駆け出した彼を撃とうとするが、潜り抜けるように躱していく。そして、突き出した槍のように繰り出された蹴りはベロボーグを貫くかに見えた。
「くっ……!!」
「ふん」
彼もまた身を半歩退いてから同時に蹴りを繰り出していた。同じ型の体術、相殺された一撃を舌打ちしてからチェルは間合いを取るように魔弾を放った。今度はレーザーともいえるほどの閃光が放射されるも、回避される。
「……何者だ」
チェルは薄々とこのベロボーグが本物の彼ではないと理解した。最初は「よもや」と恐れたが、こうして銃撃、体術を交えてやっと問いただす自信を得た。
もうからかいは無駄になったのか、ベロボーグは乾いた失笑を浮かべ、自白を始めた。
「我が名はベロボーグ。もっとも、チェルの『記憶』から再編された『最悪の存在』ベロボーグだ。お前が見たベロボーグ、と認識したか?」
「そうか。俺の中のベロボーグか……――――」
ふつふつと沸き上がってくる感情――彼自身が言ったように『最悪の存在』だった。今や過去の遺物が己の目の前に現れ、自分や息子に危害を加えようとするその過去の傷を再び開かれる事――に激しい憤怒を込めた哀れみを感じた。
「……シンク、ヘカテー。二人とも下がっていてくれ。これは、俺の問題だ」
その顔に、言葉に秘めた思いが二人は素直に受け止める。反芻せず、素直に了承して下がる。もちろん、ベロボーグが狙うかもしれないと思ってかヘカテーは防御の結界を張り巡らせた。
■作者メッセージ
自分だけの世界観を理解してもらうって難しいよね。俺も理解していないから(失笑