第六章 三剣士編第十一話「ユニテ・イリアドゥス」
神理(しんり)。
セカイより生まれた最初の存在。あらゆる原型の情報を持つ生命体。
絶対的な力ではなく無限なる能力こそ真なる頂点、根源に立つ。
「―――ッ!!」
ハッと急に起き上がったレプキア。事実の連続、怒涛の情報の勢いに、意識は激しい朦朧し、ヴェリシャナのされるがままに、神理の精神体が収められた結界に放り投げられ、取り込まれた。
そこまでの意識は記憶してある。だが、此処は何処なのだ。
周囲を見渡した。見渡す限りに地は無く、自分は浮いているような感覚がある。何より、この場所は―――――全て蒼いのだ。空にいるような感覚に戸惑うも、一人の姿を見つけ出す。
流麗な黒髪、艶美な体躯に白いドレスを纏った女性。尚も女性は眠るように身を丸めている。レプキアは女性へと近づき、様子を見る。
「……『神理』……」
本当の母。セカイより生まれ、維持と模倣(ヴェリシャナ)、破壊(アザートス)、創造(ヴァラクトゥラ)を生み出し、世界を作り上げてきた。
だが、その繰り返しに反逆した創造と破壊に、その心身は傷つき、神理として機能をせずに朽ちる所をヴェリシャナに心と魂――『精神体』を維持の結界で護られ、空洞となった肉体は精神体を模倣した『代行体(レプキア)』によって生きながられた。
そして、今、肉体は精神体の眠る結界に取り込まれ、どこか知れない場所でレプキアは神理と出会った。
「起きなさいよ……私」
不思議と彼女とこうして間近で話しかけてもわきあがる感情が薄い。眠りについている彼女を触れて、揺り起こす。すると、あっという間に閉じていた瞼を開き、むくりと半身だけ起き上がった。
「…………」
周囲を見渡した後、最も視界にある少女―――レプキアへと視線を向けた。若干、驚いているレプキアだったが気を確りとしつつ、彼女へと問いかける。
「答えなさい。貴女……『神理』なのよね」
「神理……ああ、そういえばそうだったわね」
彼女は落ち着きすぎたようなまでの無表情で、淡々と呟いた。
「……どういう事よ、これが『私』?」
目の前の本物は寝ぼけているのではないか、と思わず吐き捨てそうになる。しかし、気にもしない様子で首をかしげながら、じっとレプキアを見つめ続けている。
最初は彼女を仰いでいたが、立ち上がってから彼女を見下ろし、見つめている。じっと見つめられていることに苛立ちを感じ、睨み返す。
「何よ!?」
「……ずっと眠っていたから、記憶が欲しいのよ。動かないで」
彼女の伸ばした右手がレプキアの頭部に乗る。息を呑むレプキアに、彼女は表情を崩さずにことを済ます。レプキアは自分の中から彼女の言った通り『記憶』を奪われていると思った。
そして、すぐに彼女は手を離し、レプキアは理解した。記憶は奪われていないと。視線を向け、仔細を求むと彼女は淡々と返した。
「――――……『神理』の権能が何だと思う?
破壊? 創造? いいえ、記憶よ。ありとあらゆる『情報』を記憶として私は取り入れ、それは即ち全知全能にもなる。対象の記憶を私は全て記憶する。奪うとは違うわ」
「記憶…」
レプキアは自身の異様なまでの記憶力が権能とつながっている事に気がつかなった。せいぜい、権能を持つ半神たちを生み出す程度と誤認していた。
「……レプキア、貴女の記憶を参考にすると―――私は目覚めるべきかしら」
その問いかけに、レプキアは返す言葉を失ってたじろいだ。目覚めれば、恐らく自分は消える。本来の精神体と模倣した精神体。レプキアの肉体―――否、『神理の肉体』は本物を選ぶ。
そして、偽者は消滅するだろう。虚無へ、消えていってしまうだろう。ヴェリシャナの思惑通り、自分は消えて、彼女は目覚めるだろう。
「……ぅ……ぁ……ッ」
唇をパクパクと動かそうとし、発せられずに居るレプキアに彼女は質素に息をついて、蒼い世界を仰ぐ。
「――レプキア、此処をどう思う?」
「え……?」
二人が居る空間、空に居るような蒼い世界は結界の中ではなかった。
彼女が創った空間だろう、不思議とレプキアも心地いい感覚を懐いていた。眠りについてしまえば、何時までも眠れるような。
何よりも彼女の表情が温度の薄い無表情ではなく、穏やかな微笑を浮かべ、蒼い世界を仰いでいるのだ。
「此処は私の望む世界。始源の時より無数の世界を創ってきたけど、この『蒼い空だけの世界』こそが私の理想の世界……『蒼天楽土』。
私は、此処でずっと眠っていたい。いくら、ヴェリシャナが私を生き永らえさせても……此処で眠りたいのよ――――でも」
彼女の手がレプキアの頬を撫でる。その表情は愛しみに溢れた優しい顔だった。
「目覚めなければならない、けれど、目覚めれば恐らく貴女は消えてしまう……それが今、私が悩んでいる事」
「……『恐らく』?」
「そうよ。私の精神体、貴女の精神体はもはや『同質(おなじ)』ではない。長い月日が性質を変えた。もしかすれば、私が覚醒しても貴女の精神体は消えない……と思うわ」
かつては模倣して同質、今は長い年月の末に豊富な経験から変質したであろう精神体のレプキアと本来の精神体たる彼女が神理の肉体に還れば、一つの座にレプキアが消えるという理は変わる。
彼女の案に、レプキアは自嘲気味に笑みを返し、言った。もう、自分に後戻りなんて無いに。彼女は『有情』に情けをかけていると、思った。
「……ヴェリシャナは『本物の皮を被った私』なんかじゃなくて『正真正銘の貴女』に会いたがってる。いい加減、起きなさいよ」
「―――覚悟は……出来ているのね」
「はぁ……馬鹿ね。私の記憶見たなら、思い出しなさいよ? 此処まで来た理由の原因は?」
「……確か……カルマ、ね。わかってるわ、なら始めましょう」
蒼天の世界は音を立てて、その風景を変えていく。闇色に染まるも煌く銀河へ移り変わり、二人は虚空で対峙する。
すると、レプキアの姿が薄らいでいく。それに気づいたレプキアは剣呑とした様子で彼女へと視線を向けなおした。
「――もしかするとこれが最後かもしれないわ」
自分が消えていくかもしれない大きな賭けを前に、彼女へ話し続ける。
剣呑とした今、平静を保つ為だろうと思っていた。
一方の『神理』は徐々にその存在を強めていく。レプキアを取り込み、覚醒を始めているのであった。
「そうかもしれない。そうじゃあないかもしれない」
「だから、1つだけ答えて」
ふと震えた唇と声で彼女へと尋ねる。
「?」
「『神理』――貴女の名前よ。私はレプキアなんて偽者の名前だけれど――――……本当の名前を知りたいのよ」
様々な出来事と真実、そして、終ぞ、溢れる感情に抗う間もなく大粒の涙を流す。
レプキアは薄らぐ彼女を引き寄せるように抱きしめ、胸中へ埋めた『自分』に優しく告げた。神理の名を、唯一の開闢者たる名を、『自分』の名を。
「ユニテ・イリアドゥス」
「―――――――っ」
識るべきだった。久遠の果てに本来の名を識ったレプキアは泣き崩れる共に、嬉(うれし)の笑顔を浮かべた。
最後に自分は「神理」へ至れたのだ。偽りの己は真正の存在へ至れた。
全てが満たされ、もはや自分がどうなろうと―――どうでもよくなった。
ああ、自分は在り続けるか? それとも消え果るのか?
もう、わからない―――。
――――そして、今………神理(カミ)が目覚める。