第二章 心剣士編第七話「Sinの理」
一方、神月を追いかけた彼の妹ヴァイ、そして、その恋人の紗那が彼の元においついた。
支配の証たる仮面が彼の顔半分を侵食し、包み込んでいる。残った半分の顔には悲哀、絶望に満ちた眼をしている。
「……来てしまったか」
嘆くような、深いため息の後に呟いた神月は未だに剣を抜かない。
「お兄ちゃん!」
「神月!!」
「呼びかけても、俺は戻れない」
作り笑いを浮かべる彼に二人は言い切れない歯痒い顔になる。
「戦えば、元に戻る?」
紗那は噛み締めるように、問いかけた。ヴァイはその非常手段に黙したまま反論せずに、彼の様子を伺った。
神月は瞼を閉じて、首を振った。
「解らない」
解き方なんて知らない。だが、あの女はいった。
『死ぬ事』
それが一番、楽なのかもしれない。
そう想い―――三日月を浮かべる。
「剣を抜いてくれ、紗那。お前の手で、俺を―――」
「殺したりしない」
即断の言葉に、神月は言葉を詰まらせる。ヴァイも同じく、真摯な眼差しで兄を見つめた。
「そうだよ、絶対! 助け出すよ!!」
「剣は抜く」
紗那は覚悟に満ちた双眸で、胸より具現された柄をつかみ、薄黒の刀剣を引き抜いた。
「……でも、必ず生きて助け出す!」
「―――お前らは……」
俺の意見は無視か。
深い絶望のような眼差しを覆い隠すように彼は掌で顔を覆った。指の隙間から紗那の次にヴァイを見つめる。
視線を悟った妹は、拳を構えた。無言の返答、答えるは構えと眼差し。
「……今から俺は俺で無くなる」
仮面の女は笑っていた。
『苦悩するくらいなら、支配を受け入れる事も最善よ』
二人の仲間の姿を脳裏に浮かべ、仮面の侵食を、支配を完全に受け入れた。
手を下ろし、次第に顔を覆い始める仮面。神月は包まれる中、その眼差しを二人に向けたままいった。
「俺に殺され、俺は死のう。それか、お前たちに殺され、俺は死ねる」
目を細めた―――どこか、優しさに満ちたそれは仮面に呑まれる。そして、侵食を終える。
『神月』はゆっくりと胸に手を当てた。出でる柄を引き抜く。
虹に彩る美麗の刀を握り、虹色に輝く翼を広げる。構えをとり、その無機質な殺意が二人にのしかかる。
「っ……!」
本気というより、情け無用という非情の重圧に紗那は構えを一層強くした。
ヴァイも剣呑に構えをおろそかにしない。
「―――っうおおおおおおおおおおおおおお!!」
地面を抉るように翼を噴出するように放射し、二人に迫った。
「……」
「……」
再び、凛那とクェーサーの戦いに戻る。
二人の戦いは他の者たちと純粋な意味で凄惨だった。
両者共に切傷が全身に走り、周囲は燃え盛る炎、クレーター跡が無数に展開されていた。
だが、その傷は凛那には余り意味をなさない。全身に奔った傷が静かに塞がる。
「この能力があるのかは謎だ。我自身、驚いている」
直ぐにもとの麗しい姿に戻った凛那は感嘆を込めていった。クェーサーも引きつった笑みを浮かべいてる。
「治療の魔法くらいは心得ている」
刹那、全身を光が包み込んで、光はガラスが砕けるように散った。傷痕残らず消え去り、再び『同じ』になった。
先ほどから、コレの繰り返し。斬って、斬られて、焼かれて、吹き飛ばされて―――。その度、傷を癒して、また斬って―――。
「理解できない事が一つある」
凛那はこの斬り合いの中ふと、『理解』した。
彼女は本気ではない。
無論、自分も同じだ。
「なぜ、本気で挑まない」
「貴女の本気の1段階目はその刀ね」
問いかけを無視し、互いの本気の度合いを理解しあった。
凛那は自身の『具象』。
クェーサーは『煌翼』。
「だが、それ以降は開放する気はない」
無効も解放しない。いや、
「……その状態では出来ないのか」
「この支配を受け入れれば、すぐにでも解放するわ」
でも、その目には明白に拒絶を示している。
「支配を受けている中途半端な状態の心剣士は『全力』を許されないようにし、仮面の女はわざと『意思』を尊重しているようで、実は酷をさせているの」
「一つ聞いていいか、あんさん」
神無は黒く染まった心剣『バハムート』で仮面の女の繰り出した異形の心剣と唾競り合っている。
「…何かしら」
「それもそうだが、仮面をつけた奴とそうでないやつが居たな」
「ええ」
隙に割って入る王羅の一閃を躱す。神無は剣を引いた。
「――王羅、邪魔するなよ」
「ごめんね。喋りはどうかと想うけど」
「すまない。でも、気になった」
「……いいわ。話してあげる」
仮面の女は笑んだ声で、剣を小さく下ろした。
「じゃあ、話してもらいましょうか……神月、そして、『最強の心剣士』でもあるクェーサーさんだけが仮面を覆われずに居るのか、或いはその『差』は何か」
彼女の許可に甘えて、王羅も同じく問いただした。
「差、ねえ。貴方たちはどう想う」
「強さの差か?」
「一つ目はその通り。2つ目は?」
「……答えてもらいましょうか」
あえて堪えようともしない王羅に、仮面の女は肩を竦めた。呆れた仕草だった。
「簡単よ。支配を遅延する代わりに力を抑える。3つ目は、周囲の支配を受けたものたちを見ることでの『苦痛』ね」
「……そう言うことか」
神無はもういいと想った。
バハムートを虚空へ戻し、新たな心剣を引き抜く。
白銀、黒の二色に色分けた長剣。その先端に、銃口の孔がある。そして、掴んだ心剣は神無の右腕に装着する。
「てめえ、何様だ」
「……別に憎んでも問題ないわ。―――さて、続けましょう」
「―――酷いものよ。抵抗したものは物言わぬ人形。
半ばの意思を残った者は、力を抑えられ、自分の立場に絶望する」
クェーサーは諦めた目で凛那に言った。
「……そうか」
「このままだと、斬り合いの延長ね。今の貴女になら、全てをぶつけようかしら」
「ならば、同じく。力で応じる」
彼女にとって、戦う事こそ至高。それは主たる無轟も同じ思想だった。
だから、何も慰めない。絶望する相手に言葉で言いくるめようともそれは無意味。
「―――ありがとう」
何処か安らぎに似た微笑みを浮かべた途端、仮面が一気にクェーサーの顔を包み込んだ。
そして、ぐっだりと項垂れたが直ぐに姿勢を整えた。光を纏う翼は消え、光の全てが彼女の心剣に注がれた。
「……ふふ」
溢れ出る力の波動、チリチリと焦がす痛みが至高に素晴らしい。
無轟もきっと嗤う。
「ふふ、ふふっ―――ハハハハハ! ハハハハハハハハハハ!!」
凛那は大きく嗤いを上げた。燃え盛る炎が一斉に刀に注がれた。
「――――来い!!」
二人は斬りかかった。
全霊を籠めた一刀一閃、駆け抜けた二人は互いに背を向け合った。
「……」
しばしの沈黙が過ぎ、クェーサーはゆっくりと振り返った。
それと同時に、凛那も同じく振り返った。
「―――やる、わね」
仮面が真一文字に割れる。その顔には微笑みを浮かべ、満足げな顔をしている。
「真に、良き一閃」
凛那も同じく微笑みを返し、刀を炎となって散らした。
「私は……もう、死ぬのかしら」
クェーサーの身体に走った斬撃の痕、それは彼女の白い衣装を赤く染め始める。唇の端からも洩れ始めた吐血を吐き出し、両膝を地に屈した。
「だが、問題ない―――真に斬ったは」
お前の絶望。
「ふふ」
クェーサーは斃れこんだ。凛那は彼女に歩み寄り、生死を確認した。
「―――お前は真に強い。『最強の心剣士』を誇り続けろ」
息はある。非情に虫の息だが、彼女には死の匂いがしない。
そして、凛那も傍に座り込んだ。腹部に横一文字に裂かれた腹部をおさえ、瞼を閉じる。力尽きたのではなく、瞑想に浸った。刀にとっては寝るよりは充分な回復手段だ。
瞼を閉じたまま、その口元を緩め、笑みを浮かべる。
「今は我がお前を護ろう。仮面の絶望から」