第三章 三剣士編第二話「追跡/解除」
のどかな晴天、小鳥囀る野原に走る街に一本道で繋いで果てに城が聳え、城から伸びる城郭は『ビフロンスを取り囲む』ようにどこまでも続いている。
ビフロンスは半神アイネアスとサイキの詩魔法によって創造された理想郷。城郭は詩魔法のエネルギーを循環し、半永久的に維持される。
その城郭の根源――城の内側に高く聳える主塔の頂に広がる庭『天庭』で、端に位置した場所にて、質素な白いテーブルにクッキーが盛られた皿、二人の半神の為に注がれた紅茶があり、その部下の仲間たちが居た。
「―――相変らず、高い場所ね」
「そうだな。結構、寒いな」
晴天でも、天庭から流れる風は冷ややかで口火を切った金髪に白いコートを着た女性が呟き、隣でサイキが作ったクッキーを一齧り、口にモノを含めながら紅に燃える逆撫でした長髪、白いロングコートを着た男性が返した。
「ふふ、だからここまで来なくていいと言ったのに」
「そうだとも。此処はわれわれだけのために作った主塔と天庭だ」
二人の態度に苦笑を浮かべながら、サイキとアイネアスは暖かく注がれた紅茶を頂いている。
「―――……ゼツたちはまだなのね」
サイキは憂い目で紅茶に映った自分を見据えた。そんな彼女に対し、イザヴェルは塔の端に腰を下ろした。危険極まりない場所だが、眺める世界は一層に広がった。
他、3人は彼の行為を注意しようとしなかった。そして、彼女の呟いた言葉に、視線を風景に定めたままの彼が答えた。
「……何、戻ってくるさ。必ず」
「そうね」
ミュロスが自身に満ちた彼の答えに、賛同の笑みを浮かべていった。サイキたちは逆らうことなく、その言葉に頷いた。
城下町、ゼツの家のリビングにて。
「――そうか、アイツはそんな理由があって」
甲冑にも似た白い軽装を身につけ、黒髪の右半分だけを伸ばした騎士を彷彿する青年―――ラクラはゼツに逢う為に自身の故郷からビフロンスへと足を運んでいた。
彼の隣、青に伸びた髪、妖艶な黒服のコートを着た女性――フェンデルがつまらなそうに頬杖した。
「居ないのなら仕方ないわね」
「ああ。寝泊りできる場所なんて城があるしな」
「ふふ、予め頼んでおきなさいよ」
シェルリアが苦笑交じりに言い、ゼツの帰りを待つことにした。
だが、既にゼツもアダムも確実にビフロンスへと向かっていた。
一方、ゼツたちは黒龍ゼロボロスに騎乗したまま、異空回廊を遊弋していた。道標はゼツの記憶をシンメイが1枚の白い羽に変換し、ゼロボロスに教えたのだ(変換された記憶はそのまま保存される、つまり、記憶は残る)。
「すげえな、アンタの技」
記憶を付箋のように抜き取り、他者に差し込むように埋め込んだ技に抜き取られたゼツは驚きの言葉をシンメイに向ける。
彼女は変わらず黒龍の額に座っている。小さく振り向いて、彼女はその言葉を艶美の笑みで返す。
「長く生きると、色々と知識を蓄えるのでな。これもその応用じゃ」
『成程な』
ゼロボロスは紫苑の中に宿っていた頃を思い出した。彼も世界を歩き渡り、知識を得ていった。が、シンメイと違い、自分にはそういう『応用』は得意ではないから内心、羨んでいた。
「それよりも」
シンメイは視線を自分たちが辿ったほうを振り向いた。
「何か、来て居るの」
「何がだ?」
神無たちも送れて振り返るが、来ているであろう何かの姿は見かけない。
だが、シンメイの金の双眸は鋭く、追尾しているものを捉えていた。
「ゼロボロス、背後一面に黒炎を」
『ああ……なるほどな』
全身を翻し、口から赤みを帯びた黒炎が吹き出している。
広範囲の大火力で、追跡者を焦土に送るつもりだった。だが、追跡する梟も自身の命の存命がないと理解し、高速に繰り出す羽を射出した。
同時、ゼロボロスが一体を黒炎による灼熱地獄に変えた。獄炎に飲まれ、消滅した梟。しかし、名残の羽根がゼロボロスの翼に取り込まれた。
勿論、シンメイはその事を見逃さなかった。
「―――ゼロボロス、止まれ」
『!』
シンメイはゆっくりと体を浮遊させ、羽根が取り込まれた翼へとか細い指先で触れた。
瞬間、円形の微細な文字の刻まれた魔方陣が出現し、羽を抽出しようと試みる。
「……今の、見たか?」
神無は一連の様子を静観し、王羅たちに話しかけた。
実の所、まるで見えていなかった。
「はは……どうやら、『追跡』されていたようです」
困ったように、乾いた笑い声を含ませて返した王羅、ゼツも腕を組んで、
「いやー、この空間、視認しずらいしな」
「だが、追跡をされていた事実は変わらない。もしかすると、此処暫くは家のほうを除かれていたのではないか?」
3人の見えなかった話を諌める声で、凛那が炯眼で見据えて、言い放つ。答えたのは、作業を行っていたシンメイだった。
「――してやられた。強力な術式のこめられた羽だったわ」
『おい、つまり…』
「追跡者が最後に放った一撃、それは相手を屠るものか、違う。それは『何処までも特定』するものじゃよ!! ぬかったわ」
「……最悪だ」
神無は目頭を押さえ、項垂れた。
この状態でゼロボロスがビフロンスへ向かえば、完全に特定される。相手はいつでも敵を送り込める。
さらに言えば、これからの行動も読まれる恐れがある。ゼロボロスをどうするか、神無は思考にふけようと思った。
「……とはいえ、何もしないで進むのは危険じゃな」
神無の言う恐れに対処するべく、彼女は術式の上に解除の魔法ではなく、上書きの魔法を注ぎだす。
出現した陣は先ほど展開した魔方陣の3倍ものある巨大で、その煌めきも倍以上。ゼロボロスたちは固唾を呑んで、彼女の作業を見届ける。
やがて、魔方陣の大きさが縮小され、完全に見えなくなるとシンメイの剣呑とした表情も和らいだ。そして、ゼロボロスは確認の問いを口に出した。
『―――どうにか、なったか?』
「……移動しながら、話そう」
シンメイは再び、彼の額に座り込んで一息ついた。彼も再び、進路を元に戻し、先ほどよりゆっくりと遊弋しながら進んでいく。
「先ほど打ち込まれた術式……、盗聴や位置の特定が目的、さらに解除されない事に特化されておる。――今ここでの解除は無理じゃな。移動することを優先しなければならん。
だから、100%の所を50%程度ほど盗聴も位置の特定も妨害した。聞こえる声はノイズが大嵐の中に棒立ちするような、位置特定は砂漠の真ん中でオアシスを探し出すようなもんじゃ」
『要するに、邪魔できたって事か』
シンメイは険しい表情を浮かべ、
「もっとも、このまま進めば確実にビフロンスは戦地になるじゃろうて」
「ビフロンスには防衛できるほどの力はあるのか?」
腕を組んで、神無はゼツに確認の問いを行った。
場合によっては、ビフロンスでの集合は断念せざるを得ない。
ゼロボロス以外の視線がゼツへと向けられる。
「―――あるには在る。だが……」
ゼツは確信を持って返す事ができない。
ビフロンスには創造した半神アイネアス、サイキをはじめ、ミュロス、イザヴェル、仲間のシュレイアたちもいる。
だが、ここにいるメンバー、アダムが連れてくるメンバーだけでビフロンスを防衛できるだろうか。
「……到着して直ぐに、警戒を促せば何とかなるか…?」
「少なくとも、直ぐに襲ってくるような輩じゃないはず」
『俺だけ、此処に置いていけばいいってのも在る』
「!?」
「…」
その声は実際に口からではなく、特殊な魔法で脳裏に聞こえさせている。驚きの余りに言葉を失うゼツたち、シンメイは密かに眉間を寄せた。
凛那は平然とその考えに是と頷いた。
『そうしな、ゼツ』
「お、俺は……」
「―――ふん」
『いだっ!?』
シンメイはゼロボロスの額の竜鱗を1枚、無理矢理引き剥がした。
彼の痛みの悲鳴を無視して、彼女は魔方陣を帯びた竜鱗を投げ飛ばした。
輝き共に、竜鱗はゼロボロスと瓜二つの黒龍となった。外見はゼロボロスと同じだが、色は薄い。その薄い黒龍へ、扇子を向けて、
(アレに乗って、ビフロンスへ向かえ)
「!」
ゼツたちの脳裏に響く、シンメイの声。
(アレはゼロボロスと同じじゃ。故に、あれにもビフロンスへのルートを覚えさせている。追跡の術は本体にしかない。コピーのあれなら、心配なく……ほれ、飛び乗れ)
シンメイは完全に彼の額に座り込んで、自分は乗らない事を告げている。
凛那は静かに礼の一礼をいい、偽ゼロボロスの額へと飛び移った。
「……」
彼女はこれ以上の会話は、危険であると無言のまま首を動かし、促した。
(すまねえな)
神無はゼロボロスや、シンメイに目をやって、頭を下げた。
『いいって事よ。術式を解除してもらったら直ぐに追いつける』
(そうじゃとも。行くが良い)
二人も頷き返し、ゼツと王羅も彼らに深く礼し、3人は偽ゼロボロスへ飛び移った。
そうすると、偽ゼロボロスはビフロンスへと進んでいく。ゼロボロスとシンメイはそれを見届け、
(やれやれ、御主がそんなことを言うと思わなんだ)
『こうしなけりゃ、アイツのようすから見て、時間食うだろ? 原因が俺にあるんだ、俺が引くしかない。……で、解除できる場所はどこでもいいんだな?」
(うむ、構わんわ。直ぐに襲ってくるかはわからんが急いで解除しなければの)
『そうとなれば』
ゼロボロスは右で回り、一気に異空回廊を突き抜けた。
飛び出た世界は薄暗い夜間近を風景に、広大な森に囲まれた低くも広大な山の頂に着陸したゼロボロスは体を地に伏せ、鎌首だけを小さくもたげる。
『……時間はどれほどかかる』
(そうじゃな。早くはする。それだけじゃの)
シンメイは地に降り立ち、術式が埋め込まれた左の翼の付近まで滞空し、その周囲に白みを帯びた銀色の光を帯びた魔方陣が無数、出現した。
翼から出現したのはシンメイが刻んだ魔方陣とその下に埋め込まれた―――シンメイの銀色よりノーバディ特有の淀んだ銀色と術式を施した人物の紺色――魔方陣が具現した。
だが、浮かび上がった敵方の魔方陣は抵抗するかのように明滅を激しく発している。その様子に、表情を引き締めるシンメイは口に出さず内心で呟く。
(5割、押さえ込んだのにもう回復をし始めておる。急ごしらえとはいえ、少しショックじゃ)
そう呟く間に、彼女は自身の右手を小さく上げる。動作に呼応して、彼女の魔方陣が一層、輝きと回転を強める。敵方の魔方陣を完全に包み、圧縮を始める。
シンメイはゼツたちと別れ、この解除に時間を幾許か費やす事を決めた。だが、この解除を敵方がおめおめと許すはずがない。恐らく、こちらに襲ってくる可能性は高まる。
(ちょっと痛いかもしれないが、覚悟するのじゃぞ)
『ああ』
ゆっくりと、しかし、確実に敵方の魔法陣を圧縮している。
右掌で操作するシンメイは、ある程度「握りつぶせる」程度まで追い込む。
(―――ゆくぞ)
ぐっと力を込め、敵方の魔方陣と自身の施した魔法陣を諸共――『握りつぶした』。
粉々に砕け散った魔方陣が粒子となって粉塵として降り注ぐ。
「――ふぅ」
操作していた右掌を振って、一息の声を発した。
ゼロボロスはむくりと起き上がり、翼を軽く羽ばたかせる。
『……どうにか、解除できたようだな』
「では、参ろう」
襲われる可能性が在る以上、此処に長居する必要は無くなった。向かうはビフロンス。
ゼロボロスに乗り、彼は一気に空へと飛び上がり、異空回廊へと飛び込んだ。
偽ゼロボロスは目的の世界『ビフロンス』へのルートを進み、一気にビフロンスへと飛び込んだ。
飛びぬけた世界はゼツのよく知る世界の空の風景だった。
「間違いない、ビフロンスだ」
偽ゼロボロスは動きを緩やかにし、鎌首をゼツへと向けた。
ここから先の道先を教えて欲しいように見えたゼツは聳える城、その中から突き抜く塔を指差した。
「あそこに向かってくれ」
偽ゼロボロスは頷き、塔へと飛んでいった。