番外第二幕 その3
そうして、最初の一組―――神無とツヴァイ―――が部屋から出た。
両者の記憶を読み取り、風景を再現し、当時の再演まで行わせるこの命題に巻き込まれた二人は疲労の色を隠さない。
「お疲れ様です、いや本当に」
「…あのシーンは他の奴らに見られてたのか?」
戻った神無とツヴァイの組に司会担当のアダムが声をかけた。
丁度いいと、神無は念頭の問いかけをする。
先の部屋での内容は正直、気が滅入るものがある。お互いに、だ。
「まあ、公正にする場合、全員、お互いのシーンを見合った方がいいんじゃないかと言う事で―――」
「『見られたか』」
「……皆の顔見れないわ」
神無はもう話すことは無いといった様子でアダムの話を切り上げる姿勢を取る。ツヴァイはもう羞恥のあまりに両手で顔を覆った。
少々、気迫の纏った彼にアダムは冷や汗交じりの苦笑いを浮かべつつ、あくまで司会としての職務をすすめる。
「評価の採点は、非公開で行いますので。お二人は戻ってください」
「ああ。低かったらそれはそれでショック死しかねん」
「憤死しちゃいそう…」
とりあえずの開放され、神無は顔を隠している妻の方を回して席へと戻った。
戻った二人は一先ず、思いっきりため息を零す。
「――大変だったな」
声をかけて来たのは父親の―――尤も若かりし頃の―――無轟であった。からかう様な雰囲気でもない、健闘した息子と義娘を労ったのだ。
鏡華も頷き、薄くも温かみのある微笑を浮かべて、ツヴァイへ声をかける。
「愛されているわね、幸せものよ、あなた」
「……ありがとうございます」
そんな優しさに涙を流しかけるが堪えつつ、頭を下げて、礼をする。
そうして、アダムがゲストらの採点を伺ってから話を切り出す。
「採点終了ですね。では、次の組は――…」
「チェル、ウィシャスの組よ」
淡々とイリアドゥスが指名した。どうせ、誰も自主的に立候補しないならこのまま神の気まぐれに任せたほうが早いのだ。
指名された二人、特にチェルは嫌々しく舌打ちをわざと音を大きく立てる。ウィシャスはそんな不遜な態度を目線で諌めた。
こうなった以上抗うこと自体が無駄なのだし、落ち着きなさいな、と耳打ちでささやいた。
ウィシャスと共にチェルは渋々と言った様子で席から前に出た。
「私たちも部屋に入ればいいのね?」
「ええ。お願いします」
「………くそッ」
心底嫌そうな顔を出しつつ、その内心は戦慄めいた動揺をしているチェルだった。
正直な話――『愛の言葉、契りの言葉をそのまま言うだけ』の簡単な問題なものだと侮っていた。
此処まで、余計なレベルまで再現する部屋と再演を要求される(『再演時』、神無らの容貌は『その時』の若さであった)とは。
あの神無とツヴァイの熱演には聊か呆れたが―――己もそうなるのだろうか。
ああ、これが舌打ちして、くそと吐き捨てて何が悪いのやら。
「―――」
気がつけばウィシャスに引っ張られるままに部屋に入った。入ってしまった。
というか、妻(コイツ)はやけにノリノリなのは何故だ、何故なんだ。
妻くらいだ。あの二人の演技(シーン)を興奮気味に見ていたのは。
他の組は『自分もああなるのか、ああなってしまうのか』と蒼褪めていたのにもかかわらず、だ。
「どうしたのよ、チェル。リラックスよ、リラックス」
どうどう、とあやす彼女をチェルは不機嫌そうに睨みつける。しかし、この程度では彼女は怯みもしないのだ。
妻との付き合いも、今考えれば恐らく神無組と同じくらいなものだろう。
妻ことウィシャスはタルタロスに流れて来た天馬を手繰る姫だった。
元居た世界で姫だった様でお転婆ながらも英才教育を受けている様で内と外で大きく態度が変わる。
俺との出会いはタルタロスで、彼女の暴走を俺が止めることから出会いの切っ掛けであった。
暴走は御幣があった、あれはあれで正義感が強い。まだ治安も不安な所が目立っていた時期ゆえ、喧騒が目立った。
彼女は運悪く当たり屋どもに絡まれ、毅然とした態度で激しい口論になった。通りかかった俺は静かに様子を見ているだけだった。
言い合いが激化し、抵抗する彼女に痺れを来たしたのか当たり屋どもが武器を取り出し、脅しに掛かった。
そろそろ手助けする気になったのは煩過ぎたからだったのか、イヴに助けてやれと唆されたか。
だが、襲われそうになった瞬間、彼女の手繰る多脚の天馬が現れ、当たり屋どもを蹴散らす。そこまでは良かった。
天馬は姫を襲った悪漢どもを殺す気で襲い掛かろうとした。あの馬はウィシャスを守る事が使命だからか、流石にそれは拙いと悪漢どもを庇う様に天馬の一撃を防いだ。
危うく戦闘になりかけたがウィシャスの一喝で天馬も敵意を収め、悪漢どもは彼女に救われたことも気付かずに逃げていった。
問題はこの後だった。悪漢を庇いたて、天馬の攻撃を遮った自分に彼女は『興味を抱いた』のだ。
この出会いから、俺へと何度も何度もウィシャスは訪れたり、話し掛けてきたりしてきた。
いい加減目障りだと想い、脅しをして彼女を遠ざけようとした。が、銃口を突きつけようが、罵声を浴びかけようが、全く効果は無かった…。
「―――お前、なんで俺に絡んでくるんだよ」
気がつけば、部屋の光景は常世の世界タルタロスにある町から離れた旧摩天楼群のうちの一角の頂上であった。
此処はいつもウィシャスから、更には町の喧騒からも離れることが出来るチェルのお気に入りの場所だった。
しかし、この場所も当然ウィシャスには知られていた。だが、それでも自分の下にやってくるお転婆姫の真意を、ここで確かめようと決意した。
そうして、彼は問いかけを言い放つ。
「えっ? そりゃあ……あなたが面白いからよ!」
問われた方は、屈託無く、他意無くキッパリと答える。流石のチェルも頭を抱えた。何でこんな奴に気に入られるのか。
疑問に満ちたチェルの顔を見て、ウィシャスは普段の明るい声音を落とし、遠くを見つめて、静かに話を切り出した。
「――あなたみたいなのが私にとっては何もかも新鮮なの」
その静かさに、チェルは瞠目するも、口は出さなかった。
「元居た世界じゃあ…私の顔色伺うやつ等ばかり…。
真っ当に、私に、「このクソ女」なんて言ったのもあなた位よ……本当に」
言い切るとウィシャスはチェルに背を向け、一息をつく。
「……チェルは、私のこと―――嫌い?」
「……」
さきの態度以上の、余りにも意表をついた問いかけであった。
「それは……」
チェルは好きという感情に素直になれなかった。
嘗て―――守ろうと心に誓った少女がいたが、結果は果たされず、彼の前から去った。
そうして、燃えるように焦がれた使命は枯れ果てた。
好意はもはやこれから先には不要と諦めた。もう、守る誓いは立てたくない。
諦観の決意とともに。――イヴとの仲はもはや腐れ縁だった。アレに好きの感情はもはや抱けない。
もし、抱く心があるなら、それは―――目の前の、彼女―――なのだろうか?
「―――……解らない。もう、俺は好きとか、嫌いとかが解らなくなった。お前の期待する言葉なんて、俺に期待するな」
少しの間を置いてからチェルは答えを呟いた。
――酷い奴だと、心底、自分を忌々しく想った。これでコイツが激昂して襲い掛かっても文句の仕様が無い。
好きと言う想いが解らないのに、愛を理解できる筈がなかった。
「――そう」
チェルの言葉を聴いた彼女は振り向かずに言うや、
突如、摩天楼の縁へと駆け出し、躊躇無く、彼女は身を投げるように飛び出した。
「――― !!」
反射的に、チェルも追いかけた。飛び出した彼女を追いかけるように身を投げ出し、銃を空へと向け、魔弾を撃つ。
爆風が発生し、一気に先に落下していたウィシャスを身に引き寄せるように抱きとめ、摩天楼から地上へと落下した。
幸い、落下の衝撃は風の魔弾の防護により、チェルは衝撃をある程度緩和させた。
しかし、全身を打つ痛みは消えるわけは無く、鈍痛に呻きながらも怒声をこめて、抱きとめた彼女を糾弾する。
「っこの……何してんだよ……!?」
「―――チェル、私…あなたが好きよ、愛しているわ」
口火を切る唐突な言葉。それは、彼が自覚的に最も忌み嫌い、諦観していた言葉であり、無自覚に最も憧憬し、求めていた言葉であった。
「……」
それを口にした彼女に、敢えて沈黙で、続きの肯定を促し、ウィシャスは言葉をつむぐ。
「あなたが解っていない、解っているのよ。解っていなかったらあのまま私を見殺していただろうし……」
「それが、俺がお前を好いていると想った根拠か…?」
「好きじゃあないわ。愛しているのよ」
そう言葉と共に、チェルへ抱き寄せると共に、彼の唇に己の唇を合わせる。
「……それでも、解らないものは解らない」
「もう。ほんと頑固ね」
キスを終えて、それでもチェルは望んだそれを受け入れている事は明白だった。
あくまで気持ちの整理が出来ていない程度の戸惑いをウィシャスは苦笑と共に言う。
「だったら、解るその時まで一緒に―――いえ、解ったこれからも一緒に居てくれる?」
「……好きにしろ」
彼女は笑顔で「もう一度、して」と無言の要求を求めた。要求の内容は言わずもがな。
それでも、「好きにしろ」と言ったからには応じるしかなかった。
今度は自分から彼女の唇へ己の唇を―――。
『はい、お疲れっしたーーーー!』
「―――ちっ」
「…あら」
アダムの一声と共にタルタロスの夜景は消え、元居た白い部屋に戻っていた。
お互いの顔の距離はキスする1歩手前の状態だった。
チェルは舌打ちと共に顔を下げ、ウィシャスも顔を赤らめつつ乾いた笑みを零した。
とりあえず、部屋を出たチェルらはアダムの許にやって来た。どうせ、何かあるのだろう。
「意外でしたね、ウィシャスさんの方からの告白でしたか」
「…まあ、アレを告白と言うのなら、そうなんだろうよ」
「ええ、そうねえ」
「二人の記憶が示しているのよ? 『これは告白だ』って」
適当に流そうとした二人に、イリアドゥスが微笑みを含め、お見通しだと言わんばかりに自信満々に言う。
「一緒に居たい、という気持ちはチェルさんにもあるんですよね」
再演を見ていたハオスは感慨深く、チェルという一匹狼の気質に想う所を呟く。
くすくすとカルマも便乗して言う。
「そうねえ。あなたの性格じゃあ好かれるのって珍しいし」
「うるせえ」
銃を引き抜こうか考えたが、そうする前にウィシャスの手が絡んで阻まれた。
こういうところを察する辺りが彼女の抜け目ない所だった。先の再演における飛び降りのシーンでもそうだった。
後日、あれが彼女の命懸けの賭けではなく、最悪、チェルが動かなかった場合、潜んでいた天馬スレイプニルが助ける算段だったのだ。
しかし、結果はチェルが全力で動いた事で明白だった。
「―――戻るぞ、ウィシャス」
「ええ。チェル、後で『続き』をしてもいいかしら?」
「…………」
ウィシャスの艶美な微笑に、返す言葉が無かったのか、顔を赤らめ口を閉ざして、さっさと席へと戻る。
そうして、周囲の視線を拒絶するかのように机に突っ伏す。
「もう、この人ったら」
そんな彼をウィシャスは子供をあやすようにそっと頭を撫でた。
彼女の所作にまたも周囲の視線が増し、チェルの頭から湯気が出たように煙がたった。