「――――その後は、私の心と魂…つまり『精神体』と肉体を別々に維持の力で分けて、空になった肉体に別の『模倣した精神体』を入れて代行を仕立て上げ、
　隔離した私たる『精神体』を維持の結界でそのまま神域で安置。いづれ目覚める、あるいは復活する日を待っていったわけ」

「はあ……遥か神話の時代にも親子喧嘩はあるんだな」

　イリアドゥスはその経緯をたった一人、神無にだけ打ち明けていた。

「まあ、俺も息子と喧嘩しまくったなー…最初はなんだっけかー…あー…」

「神月が５歳の頃ね。ツヴァイが買ってきた限定ケーキをあなたが勝手に彼の分まで食べちゃって、神月は大泣きしながら暴れ、ツヴァイも激怒だったわ。
　ヴァイはその時、ケーキを食べて寝てたわね」

　すらすらとイリアドゥスが紡ぐことができたのは彼女の力の一つ『記憶』のお蔭である。
　神無をはじめに、多くの人間らの記憶を取り込み、力を得ている。
　さらりと言われた神無は吹き出し、呵々大笑する。

「ハハハ！　そう、その通りだ！　ツヴァイが怒りすぎて町に台風が起きちまって大変だったよ」

　部屋にも彼女と二人きり。お互いに酒を注ぎ、彼と飲みあっていた。
　神無自身、彼女を誘ったのは復活したばかりの彼女と交友を深める事ともう一つあった。
　その一つとはある疑問を晴らすことだった。
　そして、話を聞き終え、雑談を終え、小さく笑みを彼女は零した。

「ひどい親子喧嘩よ」

　その笑みは淡泊ながらも、何処か哀愁の色があった。その様子を尻目に神無は自分の本題を切り出した。

「そらそうだ……で、一つ気になっていたことが」

「神月の心剣、ヴァラクトゥラのことかしら」

「ああ」

　疑問を見抜かれるも神無は手に持つ杯に酒を注ぎなおして頷き返した。
　その様子を見ながらイリアドゥスも話を続ける。

「貴方の思っているとおり、神月のヴァラクトゥラは『同じ』よ。彼らは心剣に転生してその身を滅した。
　けれども、宿っている魂と心――『精神体』は心剣としてあり続けている」

「その精神体は目覚めたりするのか？　神月に聞いても…」





『一度だけ、こいつが俺の躰を借りて喋ったことがあるらしい。紗那から聞いたんだがな』



『神羅…あの時はアザートスだったかしら。ソイツとの戦いで』



「―――まあ、曖昧だったんだがな。一度は目覚めたらしい」

「そう…。きっと目覚めたのはアザートスと戦っていたからでしょうね。それ以外の時はなかったのでしょう？」

　意外と無関心な様子で尋ね返された神無はその通りと頷いた。

「私と逢って、目覚めないのならめざめないでしょうね」

　手にあったグラスに注がれた酒を一口で飲み、その視線は遠くを見つめ、潜める様に憂いを帯びていた。
　神無は見ないふりで自分も飲みほし、席を立つ。それを追うように顔を上げる彼女は問いかける。

「あら、もういいのかしら」

「…まあ、気になった事は聞けたし、ついでにアンタの過去も聞いちゃったから腹ァ一杯だ」

「ごめんなさいね。この事はヴェリシャナくらいしか知らないし、教えても不都合じゃないと思って」

「それを俺に、っていうのはなんだか光栄だねえ」

　何処か恥ずかしげに言うイリアドゥスに朗らかに神無は笑う。
　満足げな表情で顔を上げ、感慨深く言った。

「まあ、此処にいる時はみんなと仲良くなっていきたいんだよな。今回の事件で出会った奴とも、半神たちとも、戦った奴とも」

「カルマも？」

「そりゃあ無理だろ…はははっ」

　からかうように言った彼女と一緒に笑い、神無は一息ついてイリアドゥスに視線を下ろして微笑み返す。

「じゃあ、俺は失礼するよ。今日は付き合ってくれて礼を言うぜ」

「また何かあれば聞いてくれればいいわ。―――おやすみなさい」

「ああ。おやすみ」

　神無はそういってややふらついた足取りで部屋を出た。
　そうして一人きりになったイリアドゥスが一息つき、部屋に静寂が漂う。

『―――アンタ、なんであの神無に面倒やらいろいろとかけるの？』

　すると、彼女しかいない部屋で彼女へ声がかけられる。かけたのはイリアドゥスの心の内側に在る代行体レプキアだった。
　代行体としての使命を果たしたレプキアはその心の内側に宿り続けており、時折、イリアドゥスに話し掛け、暇を潰しているようである。
　そしてイリアドゥスは意識をそちらへ向けて応じた（普段は別に意識をそちらへ向ける必要はない）。

（……それはたぶん。彼に対して極めて『興味深い』んだと思うわ）

　問いかけに少し時間をかけて、イリアドゥスが言った彼への評価に、レプキアは満更な様子ではなかった。
　それは彼女の力で取り込んだ記憶はレプキアも共有され、認識できる。その記憶の読み込みで、彼――神無の『今まで』の評価は、

『んー、そうかしらね』

　あえて、ぶっきら棒に切った。
　その一言にくすりと笑みを零してから話を続ける。

（彼は私を神理イリアドゥスではなく、私個人と『対等』に接してくれている。彼のものは本当に面白い）

『……こりゃ、ヴェリシャナたちが気苦労するわね』

　レプキアの一言は内心で呟いた言葉であった。此処まで彼に対しての好意的さは異様とすら感じている。
　その様子でレプキアはある可能性を疑問視していた。
　それは普通の人間なら特段、普通で片づけていたことだが、彼女は人間ではない、神理たる生命体なのだ。
　その可能性、

『もしかすると、イリアドゥス……―――神無に惹かれているんじゃないのかしら』

　そもそも、イリアドゥスの基本的な性格は誰にでも『平等に愛し、平等に殺す』のだ。その上の氷よりも淡泊な感情の機微さ。
　この性格からしても神無に対する態度は異質さが目立っている。

『……いいのか悪いのかわからないけど、まあ、いいか』

　少なくとも神理の完全さが崩れている様子はない。あくまで神無に好意的な態度が目立つ程度だった。
　レプキアはそう結論付け、途方もない存在に惚れられた神無に哀れを感じる。

『――イリアドゥスが気に言っているのならいいんじゃないかしら』

（？　ああ、そうだな）

『そろそろ眠ったら？　ヴェリシャナも待ってるはずよ？』

（確かに…じゃあ、部屋に戻るか）

　イリアドゥスは漸く席を立ち、部屋を出た。
　すでにレプキアとの会話も終わり、そのまま自室へと戻る。その中で、レプキアは、

『まあ、何もないことを祈るしかないわね』

　イリアドゥスの変化に問題がないことをため息つきながらも祈った。


「―――っくし！！」　

　先に自室へ戻り、ベッドに潜り込んで眠りにつこうとした途端にくしゃみに襲われた神無。
　傍にいたツヴァイもその声に小さく驚き、怪訝に見る。

「神無…大丈夫？」

「ん……大丈夫だよ、ただのくしゃみさ」

　笑って見せて紛らわせようとした神無の顔をそれでもじっと見る彼女に、神無も怪訝に尋ねる。

「どうかしたか？」

「……最近、気になっていた事があるの」

「？」

「イリアドゥスさんの事……その……好きだったりする、の…？」

「――――」

　妻から問われた内容に、夫として、神無個人として理解が一瞬遠のいた。
　一体何を言ったのか、呆然としかけた思考がすぐに回転し、彼は口を開く。

「は？」

　頓着な夫の様子に妻は怒りを抑えながらも感情を吐露する。

「だって…！　普段からあんなに親しく会話したり、今日に至っては二人きりだけで酒盛り…ッ！？
　浮気だなんて思いたくないけど、どういうつもりなの…！？」

「あー…」

　神無は申し訳なく思い、ツヴァイに目をやる。色々な想いが混じった悲痛の表情を、自分に見据えている。
　その表情を逸らさず、確りと受け止めるように見つめ返す。

「すまん。悪気は無かった―――って言っても信じてもらえんわな。そう誤解されているし……」

「……あなたは誰彼構わず仲良くなる」

「ん？」

　ぼそりと吐息を零すような掠れた小さな声でツヴァイが言う。小さく首をかしげながらも聞き取った言葉に反応する。

「そうでしょう？　私の時だって、そう。……そこがあなたのいい所であり、悪い所よ」

　神無はその性格上、多くの人物と交流があった。時に敵対していたものにもある程度の敬意で接し、すぐに打ち解ける。
　ツヴァイはそんな彼の心の広さに惹かれ、愛してもいた。
　そうして彼へ顔を近づけ、キスを交わす。神無は申し訳なさそうに彼女に謝る。

「…すまねえな、色々と」

「いいのよ。ほどほどに妻の身にもなって、って理解してくれたらそれでいいわ。
　―――それに、私ったら嫉妬でもしたのかしら？　やだねえ……ふふ」

　そう気丈な笑顔で言うや、ツヴァイはもう話を切り上げたといわんばかりにように眠りに着いた。
　そんな彼女の頭を撫でながら再び眠りに着き直した。
　ツヴァイは傍らに眠る神無に近づき、身を寄せる。神無は気恥ずかしかったが、今回の件での一つの償いになればと何もしかった。