KH 1-02
――――扉を閉じよう!
圧倒的。ただ圧倒的なまでに巨大なそれは、ゆっくりとその境界を広げていた。
世界の心。キングダムハーツ。闇の扉。ハートレスがこの世界に大侵攻してくる破滅の入り口。
闇の賢者アンセムは言った。ソラのキーブレードだけではこの扉は閉められないと。
それでも――――ソラは考えるよりも先に体を動かした。自分の身長の十数倍はあろうかという巨大な扉に手をかける。爪先に力を込め、思いっ切り押し込んだ。動かない。それおろか、扉の開く速度には一切影響は出ていないようだった。
扉が開く。闇が近づいてくる。間に合わない。
ダメか――――ッ!
唇を噛む。扉を支える両腕が震える。
ここまで来たのに。最後の最後で、どうにもできなくて、これまでの全部は無駄になっちゃうのか――――?
挫けかけた心を励ます声が耳に届く。俯き加減の顔を上げる。
これは。この声は――――ッ!
「えっ――――」
真っ黒い影が扉の奥から伸びてきた。ソラの手首を掴む。中に引き入れようと。
ソラのキーブレードだけではこの扉は閉じられない。しかしソラのキーブレードが無ければ閉じられない。
ハートレスが妨害しているのか?
ソラはキーブレードを抜こうとキーチェーンに手を掛けた。しかし心が鈍る。疑心。そして確信する。
この黒い手はハートレスのものではない。
心がある。暖かさがある。これは――――ヒトの――――?
「…………あれ?」
がばりと跳ね起きる。髪や頬には砂がこびりついている。
潮の匂い。さざ波の音。懐かしい故郷にも似た雰囲気。
しかしいつかと違い、顔を覗き込んでくる友だちの姿はない。
「…………」
周囲は暗い。真っ黒な海。遠くで白く光が見える。
奇妙な世界だった。白夜の夜を切り取ったかのような、幻想的で、しかし終末を予感させる――――朽ちた雰囲気。
とても、ソラが知らない世界だった。
唖然とした。心の機微が凍りついた。世界が停止したようだった。
「ここどこぉ!?」
さすがに頭を抱えてしまった。ばたばたと手足を暴れされた。砂が小さく舞う。その程度だ。世界は一向に停止し続ける。
どうしてこうなった。あの緊迫したシーンから、どうやったらひとりこんな世界に投げ出されるのだ。こんなの絶対おかしいよ。
数秒。あるいは数分が経過する。
ひとしきり動揺と戸惑いをぶちまけたところで、ようやくソラも冷静さを取り戻した。そういえば緊迫したシーンからひとり見知らぬ世界に投げ出されたのはなにも初めての経験ではないのだ。少々不意打ちで混乱しただけである。キーブレードの勇者の心の強さを舐めてはいけない。
――――と。
砂浜を踏む雑音が耳に届いた。近く、ソラの近くに、誰かがいる。キーチェーンに手を掛ける。
前にもやはり、こうしてひとりの時に襲われたことたある。警戒を強め、戦闘の姿勢を正す。
「――――やぁ」
岩陰から、人影がすっと現れた。まるで影から産まれるように、幻が実を持ったかのように、描いた絵に零した墨汁のような唐突さだった。
風貌は壁を切り取ったかのような黒で統一されていた。黒い手袋。黒いブーツ。そして、黒フードのコート。
「ソラ……会いたかった」
「誰――――?」
答える代わりに黒ずくめの――――声と体格からして少女のそれだが――――少女は片手をかざした。瞬間、手のひらが煌々と輝いて――。
一条の鍵の形状を束ねた。
『キングダムチェーン』。
ソラのキーブレードだ。
「それっ……!」
思わずソラは右手に手を向けた。キーチェーンに繋がれた鍵をかたどった剣は、確かに未だ、この手の中に存在している。
「これはソラのもの。だから、返しに来たんだよ。約束のお守りと一緒に」
そう言って、今度は星型のシンボルを見せてみせた。サラサ貝で編んだカイリの――――カイリとの約束のお守り。
「どうして――――?」
黒ずくめの少女は答えない。代わりに深く被ったフードを小さく左右に振った。
その場にキーブレードとお守りを置いた。彼女は後ろ歩きに離れていく。
なにも言わない。そこには何もないようで、壁があった。なにかでソラは拒絶されている。恐れられている。ソラを?それとも別のなにかのせいで?
「待ってくれ!ここはどこなんだ?君は、いったい……?」
「私はここにはいなかった。あなたもここにはまだ来ないはずだった。けれど、あいつが現れて全てが変わってしまったの」
「変わった?どういうこと?」
ソラの疑問は募っていく。積み重なるクエスチョンに、黒ずくめの少女は口元を緩ませた。
そして、宣言した。
ここは世界の裏側。
元の世界と隔絶されたこの狭間の世界で、彼らを救わなければならない。
「待って――――!」
手を伸ばす。澄んでいく彼女。
指先は空を切った。彼女が消えていく。
白夜の砂浜に、ソラひとりだけが残された。