KH 1-04
「いいいいいいいいいぁっはぁあああああああ!!やっぱりシャバの空気は美味いぜぇええええええっと!!」
――――紆余曲折を経て、海岸に飛び出した。
暗いわ速いわ道がわからないわでソラには何が起こったのか理解できなかったが、とにかく元いた建物を背後に置き去り、車はまっすぐ彼方に向かっていた。
ようやくソラは一息ついた。今日に限ったことではないが、いずれも不意打ちの連続だったのだ。戸惑わないわけがない。狼狽のひとつもしたくなる。
それさえ躊躇っていたのは展開のペースも理由だが――――隣の少年を気遣ったためでもある。
「なぁ、この車、どこに向かってるんだ?」
「この車ってなんやねん自分。僕はちゃーんとビビって名前、ありますねん」
「びび?」
「そ。ブリッツ・ビート。イナズマ的インパクトでビリビリ来るっていうイカしたネームやねん。わかるやろ?」
「お、おう……?」
「最近のチューニングはヒスイちゃんにしてもらって、もうイケイケやねん。このまま夜通しフルスロットルでいきましょか?」
「いや……ビビ、いったいどこに向かってるんだ?」
「んー。僕よりそこの彼のが詳しいんじゃないですか?なぁ、自分?」
ビビが話を振ったのはソラではなく、未だ少女を抱く少年だった。体からは依然として生気というか覇気というか、そうした活力は伺えない。
しかし、赤い涙をとめた彼の瞳は、赤々と輝いていた。
彼には明確な、そして強い意思が籠っている。
「悪いが記憶がない」
「はーん。んな風に大事にヒスイちゃん抱きしめちゃってのー。おたくアレやな?ヒスイちゃんの言うとったヤツやな?セキ・グレンってヤツやろ?」
「セキ・グレン……」
「かーっ!こないな胡散臭い鼻持ちならんやつにヒスイちゃん取られたかと思うと悲しいわー。あーまじムカつく。そのスカしたツラやめーや。叩き出すでホンマ」
「……そのヒスイちゃんが起きた時にその所業、話していいならな」
「あーあーすんませんすんません旦那様ご主人様お兄ちゃんマイマスター。僕は皆さんに忠実なアイテムクソ野郎さかい、そんな叩き出すとか逆らうとか轢き殺すとかするわけないやーん?ね?ねっ!?」
――――急にゴマをすりだした。
どうやらこのビビにとって、ヒスイからの信頼というには余程重要のようだ。
セキはやや冷ややかな視線をダッシュボードに向けている。口元が薄く笑っているのは、殺し文句を得たからか。
「じゃ、どこに向かっているのか教えてもらおうか」
「自動航行モードでーす。正面ガラスに地図映します」
途端にフロントガラスが発光した。大まかな周辺の図が現れる。赤い三角が自分たちなら――――目的地は青い丸で表現されているようだ。
「目的地はここから13キロくらいすわ。魔都ユグドラシル。中央に大木をくり抜いたタワーがある敵の根城です」
「敵……」
「待ってくれ!敵って!?さっきのハートレスを操ってたヤツか!?」
「あー、あの量のハートレスを『子機』使って操れんのは、この世界じゃあの人くらいでしょうなぁ」
「それが、敵……?」
「そ。ヒスイちゃんの敵。ハートレスの王。亡者の皇帝。【吸血鬼】ハザード」
「ハザード……」
呟くセキの顔は重い。
因縁を思い出しているのか?それとももっと単純に――――?
「ほうほう。まさしくもっと事情を知りたいって顔してまんね、にーちゃん。セキ・グレンじゃあない方の。なんやねん。んなことも知らんでここまで来たって」
「……この人は俺とヒスイちゃんの恩人だ。邪険に扱うと――――」
「なんやー。ほんならにいちゃんめっちゃええ人やーん。好き好き愛してるー。なんでも話しちゃうから今の放りだそうとした件はさらりと水に流してーなー」
「…………」
「……。その、なんだ。謝る。なんか悪い。ごめんなさい」
「いや……いいけど。それで――――」
「ああ、事情やな。そっちのセキ・グレンは既にしってるやろ?つまんない話聞かせる風になってすまんな」
「構わない。お前がどれだけ把握しているのか興味もある」
「ははー。ホントえっらそーに。ヒスイちゃん降ろしたらマジ見とけよワレ」
「お、ヒスイちゃん薄目開けた」
「んなわけないやーん!恩義あるヒスイちゃんの大事な大事なフレンドリレーションをブロークンするわけないやーん。ほら、ヒスイちゃんのおかげでキャビンイナーシャルキャンセラー完備やから0.1秒以内に静止状態からトップスピードまで引き上げたって中の人は健常でいられんねーん。もうミンチを体の中に入れるのは僕もいやです。精肉機なんかじゃありまへんし」
「――――本当に起きたのか?」
「嘘だ」
「だよなぁ……」
苦笑するソラにセキは片目をつむった。
ウインク――――というわけではないのだろう。そういう感情の起伏はない。ビビの態度に呆れているのかもしれない。
けたたましく言葉をまくるビビに耳を傾け、ソラはセキに倣って口を閉じた。
ビビの言を割愛・要約するとこういうことだった。
ヒスイはユグドラシルという街に住んでいた。
そこを、ある日突然飛び出したのだ。
理由は――――ビビを信じるなら料理の味付けから道路の舗装の甘さから街の殺風景さから、細々とした文句が実に3桁に迫るほどあったらしい。
ヒスイはユグドラシルでは優秀な技術者だったらしい。ビビは何度も何度も何度も何度もそれを強調していた。
それを惜しんだ街の支配者であるところのハザードが追手を差し向けた。
ビビの話はそこまでだった。
なぜあの家の中にいたのかも、なぜこうして眠り続けているのかもわからないのだという。
「だって僕、シャットダウン状態でしたもん。あ、ちなみにスタートアップキーはワードなんですわ。【ヒスイ】ってゆーの。え?シャットダウンキー?言うかいボケ」
すなわち、ヒスイの今の理由を知っているのはセキただ一人ということになる。
しかし当の本人はヒスイを抱いたまま、まったく口を開かなかった。
――――無理もない。
ソラはよく知っていた。いつまでも目を覚まさない症状。心を失ったカイリの状態によく似ていた。
そしてあのハートレスの数。敵はハートレスを操る支配者。想像は難しくなかった。
「…………」
「まーそっちのセキがなに言わんでもわかってたよ僕は。ヒスイちゃんのハートを無理矢理……ヒスイちゃんを抜くなんて…………くっ、ハザードぜってぇ許さねぇ!」
「……どっちにしても今から行くのはそのユグドラシルなんだろ?なら話が早い」
「ハザードぶっ飛ばしてヒスイちゃんを連れ戻すに決まってるやろ!」
「……俺は別に構わないけれどな……ソラ、あなたはどうする?」
「どう、って……」
「なんやーセキー。ソラ先生おらんでどーすんねんホンマ。おまえ先生の10分の1でもハートレス蹴散らせるんかい」
「やかましいチクるぞ」
「ぐぬぬ」
セキが視線を向けてくる。降りるなら今だぞと訴えている。
相変わらず、目にこもる感情は薄い。未だ腕に抱くヒスイの状態に動揺し混乱しているのだろう。
それでも、ソラを気遣ってくれている。
「ありがとうな」
敬意と感謝をこめて、ソラはそう返した。
「でも大丈夫だよ。俺もいく」
「どうして?」
「困っている人がいるなら助けるのが普通だろ?」
「……俺は、あなたに甘えたくない」
「そう背負い込むなって。だいたい敵地に乗り込むんだろ?ビビとたったふたりきりじゃ大変じゃないか。それに、俺だって元の世界に戻る方法を早く見つけなきゃならない。街に行くのは都合がいいんだ」
「そ、そうか……そうか……?」
言葉少なにセキは納得し、ソラから視線を外した。よそよそしい。ソラは首を傾げた。
引っかかることはある。いくつかある。セキ・グレンのよそよそしさにはなにか引っかかる。
なにかを隠している。それは確信を持てる。
「なぁ――――」
「すまないな」
「え?」
「自分でも態度は悪いと思っているんだ。けれど……本当にすまない。俺は、こわい」
こわい。セキはそう漏らした。なにが。それとも、なにかもがか。
ソラには相手の心はわからない。機微を予感することはできたとしても、それがなんの変化かなど知る由もない。
故に心に素直であれ。偽るな。正しく己を出せ。
包み隠さず、ソラは疑問を口にした。おそらく、セキの世界の中心を知るために最もクリティカルな言葉を敢えて選んで。
「セキはさ。なんで戦うんだ?やっぱヒスイのため?」
「…………難しい質問だ」
ヒスイに視線を落とすセキの顔に濃く翳りが落ちた。憂いでいる。
「自分でもよくわからないんだが……ヒスイちゃんを放っておくことがどうしてもできない。……なんでいうのかな。こんなにこわいのに、ここから逃げちゃいけないって、なにかが命じてくる……って感じ、なんだ」
自分の中に渦巻いている感情。そのひとつひとつに霧がかかっていて、不確かな一切のために自分が真にやりたいこと・求めることをこうだと定められない。そんな自分に苛立ちに似た感情を抱いているようだった。
ソラは努めて明るい声を上げる。混沌とした思考を回してじっとしているのは、精神衛生上よろしくない。
「なら信じてみないか?その心をさ」
「心……これを命じているのは俺の心なのか?」
「わからない。けれど、俺は信じたいよ、セキ。おまえを初めて見たときの涙は嘘じゃなかったって、俺は信じたい」
「イワシの頭も信心から……ってことか?」
「は?」
「いや……なんでもない。そも、価値を決める心こそだ。悪かった」
「はぁ……?」
首を傾げるソラに、セキは――――おそらく初めて、自然に微笑を返した。
どうやら少しは元気が出てきてくれたようだ。なんだかソラまで元気が溢れてくる。
そんな中――――ビビがまたクラクションを鳴らした。
目的地付近に到着。ナビがそう知らせていた。
――――ソラ達の目の前には、生い茂る深緑の葉で覆われた、一本の太い幹が高く高くそびえ立っていた。