KH 1-05
「どぅららららららららっらあらあららららあっららららららららあっらららら!!?」
騒いでいる。ビビが。
無理なブレーキングとステアリングで鋭角コーナリング連発したり最高速度で石垣に乗り上げたり露店の残骸のようなテントを吹っ飛ばしたり、果ては後ろからロケットブースター的なノズルを出して文字通り無限の彼方にテイクオフかましたりしたわけである。
暴走していた。
道交法に唾を吐きつけるようなラフなドライビング(弾道飛行なども織り交ぜているためフライトといってもいいのかもしれない)が許されるのも、ひとえに街中に人がいないせいだった。
居住区というものがそもそもないのかもしれないが、そこは支配者であるハザードの通り名から推して知ることは難しくない。
路肩のハートレスを吹っ飛ばす。なるほど相手は無尽蔵に尖兵を差し向けるハートレスの王である。一箇所に留まらず動き続けていることは確かに重要だろう。
ジェットコースターのようなビビのスピードにおっかなびっくりしつつ、ソラは外に視線を走らせた。
大木の中に町がある。そういう印象を受ける場所だった。それだけにここユグドラシルを覆う樹木は大きく、そして根が深い。
城壁など、根やツルが複雑に絡んでいて、大木の中から城が生えてきた、あるいは城からこの木が伸びたかのような印象を受ける。
魔都。その形容は表面を撫でる程度に見たソラの目から見ても絶妙だった。
見た目以上の問題だ。その奇妙さはもはや単なるスパイスでしかない。
重く、静寂で厳かな空気。神格の一片が雪のように降り積もり、青葉になって生い茂っているかのような、絶対的な存在感。
この街は、実に魔的だ。魔が住まう街。妖怪や精霊が住み着くとすれば、それはきっとこんな場所に違いない。
しかし――――。
そんな場所で脇目も振らずに暴走できるというのは、まさしく天性の才能なのだろう。
ビビ、すげぇ。
「マシーンに信仰心求めるのも……いささか酷ってもんじゃあないかっ……!!」
ソラの心を汲み取ったかのようにセキが返した。顔はひどく引きつっている。もしかしてこの男、実はただの怖がりなんじゃああるまいか。
――――とは思いつつ、ソラも言うほどその場に呑まれていた訳ではなかった。
似た雰囲気の場所を知っているのだ。
島の「秘密の場所」だ。意味ありげな扉だけがあった洞窟。絡まるツタなどパーツ単位で見ればホロウバスティオンのイメージも出てくるが、「秘密の場所」の方が全体的な印象近い。
扉。
やはり、この場所には別の世界にジャンプするためのなにかがあるのだ。
――――など、抜かしている間に。
ビビは城門を突破しエントランスを疾走し階段を駆け上がり、一際広いホールまで来て、ようやく停止した。
否。止まったのではなく止められたのだ。より厳密に言うと正面からぶつかったのだ。立派な自動車事故だが、あのスピードで突っ込んでおいてビビはバンパーがへっこんだだけ。ソラたちに至っては無傷である。イナーシャルキャンセラーとやらの恩恵か。ヒスイちゃんマジ天使。
しかしそんな冗談は言ってられない状況だった。
目の前に敵がいる。ビビが正面衝突した相手である。
巨大な体躯を持つ人型のハートレスだ。
「……この場合、人身事故か?」
「ほほぅ、ヒトのココロなだけに人心……ってゆーとる場合ちゃうわー!」
ビビが急速でバックする。
巨人のハートレスはじっとこちらを見ている。追ってくる様子はない。ただ奥に入らないよう塞いでいるだけのようだ。さながら門番のように。
「……つまり、ここ先がド本命、か」
呟いて、セキはヒスイを置いて車外に出た。ソラもそれに続く。
「僕に提案があります。セキをエサにハートレスの気を引いて先生が僕に乗って先に奥まで行くってどう?」
「それじゃセキはどうなるんだよ。あいつ、強いぞ」
「注意を引くのも俺一人じゃ役不足かもしれないしな……みんなであいつを手早く倒す方向で行くか」
「セキも戦えるのか?」
「不思議とそういう気分でね」
またはぐらかすようにそう言って、セキは右手を握り、ソラに向けた。
「この心、信じてみようと思う。だから、ソラも俺を信じてみせてくれないか」
「……わかった」
その拳にソラも拳を合わせた。コツンと小さな音がなる。
セキはその手を胸元に押し付け、一度、大きく息を吐いた。
「……不思議だ。少しだけこわくなくなった。これが信じるっていうことか」
「ちょっと違うかな」
「そうなのか?」
「それは――――信じ合えたってことだ」
「そうか……そうか?…………そうか――――」
まどろんでいるような弱々しい声。しかしそれは、決して心を無くした言葉ではなかった。
心に溶かし込むように、滲んだ涙を吸い込むように、感情を噛み締める強い意思がこもっていた。
セキは手を握る。その手の中は――――緋色の閃光。
「ありがとう。この不思議な感覚……今ならそのまま力にできる」
閃光は炎になり、セキの右腕に手甲《ガントレッド》のように纏わり付いた。
セキが無造作に右腕を振るう。手甲の先から手の甲の上を走って一本の炎の刃が飛び出した。
「いけるのか?」
「もちろんだ。……さ、あの鉄巨人には早々とご退場願おうか」
「よしっ……!」
キーブレードを握り、ソラもまた勢い込んで――――同時に踏み込んだ。
巨人のハートレスは悠然と仁王立ちを続けている。ソラたちなど障害に思っていないのだ。
無理もない。なにせサイズ差がありすぎる。ヒトと昆虫ほども違うのだから。
「いくぞ!」
助走を追い風に、ソラはキーブレードを投擲する。キーブレードは円盤状に回転して空を疾走し――――巨人の肩口を、掠めた。
ソラが外したのではない。巨人が避けたのだ。危機回避。明確にハートレスはソラを危機として警戒し出したということだ。
ハートレスと目があった。ソラの身長ほどもありそうな太さの腕が重々しく持ち上がった。鈍重な動きだが、言わずもがな内包するパワーは極めて高い。
「せぃいいいい!!」
セキが腕を振った。右ストレートが虚空を切り、炎刃の先からファイアの弾丸が打ち出された。
ソラを注視していたハートレスは不意をつかれる。ファイアの弾丸が群れをなして着弾した。脇。頬。胸板。
ダメージというより重心から離れた頭部近くで衝撃の波を受けて姿勢を崩した。巨人ハートレスの体が揺れる。
今度はハートレスの注意がセキに移った。足元に近い場所にいたセキの方がハートレスも狙いやすい。
ズンッ――――。
姿勢を支えようと、またセキに近づこうとした巨人のハートレスの踏み込み。
ただの一歩のそれのために、床は大きく振動した。
セキの動きが鈍る。立ってすらいられないほどだ。
尻餅をついたセキに、巨人のハートレスは腕を振りかぶり――――。
一槌。
拳を、打ち下ろした。
「セキ!」
ソラも思わず足を止めた。固唾を呑む。まさか。
「僕の存在、忘れてへん?」
巨人ハートレスの拳を受けたのはセキではなかった。まるいルーフ。赤いボディ。ビビだ。
「いけ!」
セキがよろよろと立ち上がった。
キーブレードを投げた後のソラは空手でハートレスの腕に飛び付き、肘を蹴って肩を踏んだ。すぐ目の前は
敵の頭。
キーブレードをいよいよ呼び戻し、強く、その刀身を光に包んで。
「これでっ……どうだっ!」
そうして、一閃。縦一文字の閃光がハートレスの頭を消しとばした。
これでハートレスは消滅する――――かと思いきや、四肢はなかなか消えていかない。依然として実を持って肩のソラに手を伸ばしてくる。
これまでにも似た傾向のハートレスはいた。しかし、真っ当なヒト型のハートレスからそんなことが――――?
頭を無くしたハートレスが腕を振り回し地団駄を踏む。中のヒスイを潰されてはかなわないとビビは慌てて後退する。
セキがぽつんと一人残っている。
「危な――――
「るぁあああああああ!!」
絶叫を上げ、セキは一歩踏み込んだ。
右腕を打ち下ろす。纏う炎刃が空を焼ききる。
オレンジ色の炎刃の軌跡。その孤月の衝撃波が風を焼いて走り、ハートレスに赤い切り口を刻み込んだ。
ハートレスがよろめく。
この好機を前に、もはや合図は不要だった。
ソラがハートレスの肩から飛び降りた。落下速度を利用して、キーブレードを振り下ろす。
セキはまた右腕からファイアの弾丸を連射した。
2方向からの衝撃。
ハートレスはぐらりと揺れて、切り口を境にして、斜めになって崩れ落ちた。
「…………あー、こわかった」
「結構危なっかしかったよ。ヒヤヒヤした」
巨人が消えた跡を踏み越え、ふたりは口々に感想を述べた。
互いに、武器は納めない。
「その……なに?炎の剣?」
「……うん……結構便利だ」
向かう先には階段がある。奥は暗く、なにがあるかはわからない。
松明を差し込むようにセキは右腕を伸ばした。炎刃で空気がチリチリと燃える。
ソラは一歩、後ろに下がった。息を押し殺し、低くキーブレードを構える。
敵がいる。
もちろんここは敵陣真っ只中。当然だが。
「ビビ!」
「へっ……きゃっ……はぁああああああ?!?!」
ビビのルーフの上に、人影があった。
黒いブーツ。黒いグローブ。黒いフードで頭をすっぽりと覆った黒いコートの影だ。
その両手には――――。
未だ目覚めぬヒスイを抱いている。
「おまえ――――!」
ソラが駆け出そうと思った瞬間、隣を炎の弾丸が疾走する。セキのファイアだ。
黒コートに着弾する。――――だが人影は微動だにしない。巨人のハートレスを揺さぶった一撃だというのに。
「……いけないな、君は。彼女が大事じゃあ、なかったのかなぁ?」
そして、背後から声がした。上から身を引き締める圧力が降りてくる。
ソラが視線を向ける。暗がりに隠された階段の先に。
人がひとり、立っていた。