KH 2-02
理解した。
ソラに【無貌の王】は救えない。
救うべき心は、既にどうしようもなく破壊されている。溶鉱炉にくべられた鉄器のように、ドロドロに溶けて元の名残はどこにもない。
『心無き者≪ハートレス≫』と形容できてしまうほどに。
「だとしてもだ――――!」
瞬間、『稲妻』が走った。ソラの目がくらむ。
もう扉は閉じていたはずだ。しかし、上空からそれは落ちてきた。
【無貌の王】に矛先を向けたそれは、ソラには覚えがあった。その声に心が震える。アイツは。
「――――あんただけがいくら自由でも、それじゃあ民はどうなるんだ?
俺の知っている王様は……本当の王様は……優しくあるべきだ。誰かの罪を抱きしめられるくらい、光に溢れているべきだ」
「ほう……? 面白いな、お前。なかなか趣きのある道化だな?」
「ちがう、そうじゃない。俺はただの――――」
「リク!」
ソラの呼びかけに、リクの銀髪が震えた。落ちてきたときに巻いた稲妻の名残が身体中に走っている。
背を向けたまま、手にした剣を上げたまま、一瞥もくれない。押し黙り、じっと【無貌の王】と相対している。
やがて、【無貌の王】は笑い出した。体をくの字に曲げ、目元を手で覆い隠している。
「――――っはははははは!! くく……くっひゃっひゃっひゃぁぁぁあああぁぁああっ……いいぞっ……おまえ、なかなかのピエロじゃあないか!
お前のようなのには真っ暗闇はこわかっただろう? そこに懐かしく憎く愛しい勇者様の後光が見えたんだっ……そうだなぁ?
そうなんだよなぁ? 貴様とて、膝を抱えて震えているだけとはいくまいなぁ? くふっははははははははは!!」
「なんとでも言え。今の俺のこの心は、アイツに救ってもらったものだ。なら――――いや。俺がソラ助けるために、理由なんて必要ない。
ただ、ここまでたどり着ける肉さえあるのなら、俺はいつでもやってくる!」
「ふひっ、ふふっ……ふっ。いやぁ――――なるほどなるほど。空の器。モノ故に役に立とうと必死ということかなぁ?
自己犠牲。気高く、美しく、高潔な心故の選択。いやはや。関心はできないが、敬意を払いうる強さとも取れる。
だとしたら、私もおまえを笑う訳にはいかないようだが。
――――結局、どうなのか。おまえはただの空蝉なのかなぁ? 『リク』? 貴様は、何者だ?」
【無貌の王】の煽り立てるような問いかけに、リクはたじろいた。切っ先が震えている。
怯えている。恐れている。――――あのリクが?
疑問が脳裏をかすめるより早く、ソラは【無貌の王】に飛びかかっていた。二本の鍵の何度目かの斬り結び。
ちりちりと飛び散る火花に目端を焦がしながらも、ソラは力強く踏み込んだ。
【無貌の王】が半身引き下がった。ソラとの力比べを嫌がっている。
「どうした勇者? なにか、この『リク』に不満でもあるのかい?」
「ない!」
「……ほう?」
「リクは俺を助けに来てくれたんだ! 前みたいに戦うためでも、誰かから何かを奪い取るためでもない!
だったらっ……リクのなにがおかしいんだよ! さっきからのケタケタしてるのやめろ!」
「……あー、勇者君。僕が言うのも少々アレだが、君はもうちょっとでいいからヒトを疑うということを覚えておいたほうがいいんじゃないかな?」
「はっ……?」
「このタイミングでだ。都合良すぎるとは思わないのかなぁ?
いかにも冷血な人間がしそうな愉悦じゃあないか? 『親友に擬態したコピーにおまえを襲わせる』……とか?」
――――マジでやりそうだ。
今ソラはリクに背中を向けている。【無貌の王】が鍔迫り合いでどんどん後退したせいだ。
かといって【無貌の王】から離れることもできない。鍔迫り合いは繊細だ。
力の掛け方・ベクトルの違いで剣は流され、あっという間に姿勢が崩れてしまう。鍔迫り合いは駆け引きだ。駆け引きの最中、別のことに意識は割けない――――。
「それは、ない」
「……ソラ。あなたは少々、真っ直ぐすぎる。面白いですが退屈なリアクションで」
【無貌の王】がソラを蹴り飛ばした。ソラが吹き飛び、入れ違いにリクが走る。【無貌の王】の
キーブレードが、今度はリクの剣と交差した。軽快な打撃音が耳を突き刺す。
火花は続かない。リクは続けざまに剣を振るう。上段・中段と左右に剣を払い、突き刺す。
リクはソラのように魔法や攻撃の多彩さで攻めるタイプではない。それ故に、純粋な剣技――――接近戦はソラより強い。
その技量は確かなものだった。ソラと斬り結ぶ【無貌の王】が次第に圧倒されていく。【無貌の王】の剣も蹴りもひらりと避けて、隙を見て剣を打つ。
やがて、【無貌の王】は壁に背中を押し付けた。リクが踏み込む。最速の剣が【無貌の王】を狙う。打ち込む角度、両者の立ち位置。逃げられない。
――――。
――――。
――――リクの剣が【無貌の王】を突き刺す。
「これで……終わりだ」
「この俺が真っ当にハートレスであればそうだろうな。だが生憎、俺はただの冷たい男でね」
「なっ……!?」
リクに貫かれても尚、【無貌の王】は顔色ひとつ変えていない。
【無貌の王】のキーブレードの切っ先がコツンとリクの頭を叩いた。その表情は、酷く、愉快そうに歪んでいる。
「余にこれ以上汚らしい手で触れることは許さぬぞ、道化。――――厳罰に処す」
ソラが駆け出した時には、もう手遅れだった。土台、離れすぎている。ゼロ距離のふたりに割って入るなど。
【無貌の王】のキーブレードから閃光が瞬いた。ソラには一瞬、リクの姿が二重三重に重なって見えた。
ゆっくりと、リクが膝が崩れた。リクの剣に胸を貫かれたまま、【無貌の王】はその様を見下している。キーブレードの先がまたリクを指し――――。
「うぉおああああああ!!」
貫かれるより早く、ソラがそれを切りはらった。
片腕にリクを抱えて一気に飛び退く。注意深くキーブレードを【無貌の王】に向けて、腕に抱えたリクを探った。いやに体温が低くなっている。
「リクに何をしたんだ……!」
「ロックを解除しただけだよ」
「ロック……?」
「ごく単純な話だ。記憶の鮮度を蘇らせたというだけのこと」
「記憶の……鮮度?」
「例えば、一昨日の朝食メニューを思い出せたとしても、それで口の中に食感や味覚は再現されないだろう?
つまりはそういうことだ。時間と現実から離されカビ臭く風化させていくだけの記憶に、経験を思い出させた」
それは――――?
いまいち事態を飲み込めない。記憶の感覚が戻ってくるということか?
楽しい記憶に楽しかった確かな実感が戻ってくるということだろうか。同様に苦しい記憶も。
リクの苦しい記憶。トラウマといいかえてもいいかもしれないが。それは。
「さぁ――――道化が闇に食われる姿、見せてもらおうか」
【無貌の王】の呼びかけに反応するように、リクの体から闇が溢れ出した。抱きかかえるソラを吹き飛ばさんとする勢いだ。
歯をくいしばる。――――だめだ。強すぎる!
「うわっ――――!!」
闇の濁流に流されていく中で、ソラは確かに感じ取った。その目に捉え、心で確信した。
この闇の中心にいる人物。リクのトラウマ。――――ハートレスのルーツ。
闇の賢者……アンセム!