KH 2-03
「ま……要するに馬鹿と鋏は使いよう。人類最古の発明品の汎用性をなめたらイカンということっすわ」
などと能書きを垂れつつ、指先に松明代わりの火球を灯すセキを前にしてロクサスが続いていた。
堀の中もいろんな場所に繋がっているらしい。綺麗に分けられているはずだが、堀の水は供給されたものであると同時に排出されるものでもあるのだ。辿れば城の中に侵入できるということである。
ビビの目的は――――よくわからないが、とにかく第一にヒスイの安全であり第二にその他と定義しても相違ないだろう。これまでの言動から考えて。
ヒスイの安全が堀の中で保証できたとなれば、あとはその他のことに時間を使っているに違いない。
その他。つまり当初の目的。このユグドラシルに向かっていたこと。
であるなら、ビビがこの城を離れることはないだろ。むしろまたここ城にアタックを仕掛けたと考えられる。ビビのフルスロットル好きの態度から言って。
――――といった半ば空想じみた仮説のもと、セキとロクサスは暗い城の中を探索しているわけであった。
城はもぬけの殻も同然だった――――というわけではなかった。さりとて、一触即発で大乱闘に発展するということもなかった。
時折見かけるハートレスや「その他よくわからないもの」も、特に仕掛けてくることはなく、むしろくつろいだ雰囲気を見せている。ロクサスも「手を振ってくるハートレスなんか初めて見た」とさえ言っていた。
よくわからないものの中には本当によくわからないものも少なくなかった。
二足歩行の狼。大きな動く壁。首の長い女。血生臭い赤い液体に舌鼓を打つ犬歯の長い女。顔にお札を貼った男。頭にボルトを挿した手術痕が痛々しい大男。
口端が裂けた女。動く人体模型。動く巨人の骸骨。動く絵画。動く人型機械。顔と手だけが生えた白いボールのようなもの。――――などなど。妖怪。魑魅魍魎。
「……俺の知ってる闇の住人と違う」
「へぇ。まぁ、それだけ闇っていうのも多種多様ってことなんだろうけれど……ロクサス君の知ってる住人はどんなの?」
「もっとこう……禍々しい感じかな。本能で人を襲うハートレスみたいな――――いびつなものだ。いくら取り繕っても、邪悪な本性は隠せない」
「禍々しい、邪悪……ね。とにかく、ここでくつろいでいる奴らは……十中八九清らかってわけじゃなさそうだし腹の中は知らないけ、一応、見る限りの話、表面的にはその本性っていうのをコントロールできているみたいだ。心の闇なんて誰でも大なり小なり抱えているもんだし。
俺が思うに、ここの人達も、おまえも、俺も、たまたま『闇側』ってだけで、その思想とか人格はまた別個の話じゃあないのか?」
「そんな難しく言われてもな。……でも確かに、俺の知っている中にも優しいヤツはいたよ。誰かを食い物にするだけじゃないヤツがいた」
「へぇ。なら、ココにそういう特別なのが集まっているのかもわかんねーな。さながら闇のニュータイプ、ネクストジェネレーション?」
「……なんのために集まってるんだろう」
「さて。そこにパソコン開いてるメガネかけた鬼がいるぞ。デスクワークがメインなんじゃないか?」
モリモリマッチョマンな鬼がデスクワーク。いいのかそれで。
ロクサスの視線に応じるように、件のメガネの鬼がふとモニタから視線を外した。こちらに手など振ってみせる。実に――――愛嬌がある。
「こんじちは。お仕事順調?」
「もう夕方だよ」
そう言って鬼は窓の外を指差した。外は相変わらず薄暗い。白夜の空。わからん。
「………………笑うところか?」
「くじけるな、あわせてくれ。……そりゃ、一日お疲れ様でした。ここにはいつから?」
「九年くらいかなー。元いたところが……ね」
「あー……すみません。嫌なこと聞いて」
「いえいえ。こちらでもよくしてもらってるんで。こうして仕事も貰っちゃって」
「でも、退屈じゃあないですか?事務仕事ばかりで。鬼いちゃんそんなにいいカラダしてるのに」
「私、女なんだけど」
そう言って、一角の鬼は厚い胸板を指差した。立派な、実に立派な鳩胸である。かたそう。
「…………なぁ」
「……あきらめるな。あわせろ」
「いや違うって。ここは笑うところ――――」
「それはそれはとんだご無礼申し遣わしまして誠に申し訳ありませんです。いや、いったく猛省する所存でございますマダム」
「私、未婚」
鬼が今度は左手を見せてくる。あんな太い指に入る指輪がこの世に存在するとは思えないが――――。
鷲掴みにすれば間違いなく人間の頭部は破壊できるだろう。
「…………なぁ」
「笑え……」
「いや。まて」
「……もういい……笑えよ、この俺を……くくく……どーせ俺なんか……」
目の前に斬首台でもちらつかされたように錯覚したのか、セキはどばどばと脂汗を流して何かうわ言を口走っている。闇がどうだの地獄がどうだの。
まいったな、とロクサスは悪態を一つ付いて身を乗り出した。
セキの失敗はよく見ていた。要は相手のプライベートに深く潜り込まないほうがいいのだ。(なぜ幾度もセキがそれをやろうとしていたのかはまったく謎だが)
「この辺りで車を見かけなかった?」
「車?」
「えっと……赤いやつ。あとやかましいかな。それに速い」
「この辺りで、ねぇ……私の知っているやかましいのとは違うようだけれど……他の仲間にも聞いてみましょうか?」
「いえ。この近くに来ていればうるさかったと思うので、わかるんじゃないかと思っただけです。ありがとうございました」
「いえいえ。……あ、そうそう。騒ぎって言えば、今日はこの城いろいろ騒がしいみたいだから、気がついてない人もいるんじゃないかな」
「いろいろ騒がしい?」
「上の方では『社長』が誰かと騒いているみたいだし、下は下で忙しいみたい。少し人が呼ばれていったから」
「そうですか。ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀をし、礼儀正しくロクサスはその場を離れた。
放心状態のセキはそのまま放っておいた。