KH 2-04
――――というのは流石に邪魔だろうと思い、力づくで引っ張っていった。
途中『コンパクトにする』ことも何度か本気で考えたが、その気配を察知するたびにセキはシャキッと歩き出していた。
ふいに思い出すのはいつかの『十字傷の男』の言だった。
『ハートレスは強いものの味方だ』。それは彼らが『強きもの』を本能で嗅ぎ分けるためである。
ハートレスは本能で『強い心』『大きい心』――――高いエネルギーを求め、本能で主従する『強いもの』を判断する。
実に愚かだ。そこに理性はない。自らの意志ではなく、欲望でさえなく、ただ生存本能だけで活動しているだけの単細胞さ。
際限なく増え、環境に適応するわけでもなく姿形を変え、強者に寄生し、貪り食うのみ。
アレは生き物ではない。ただの『現象』だ。火のエネルギーを貪る氷雪のような、あるいは月を欠けさせる暗闇のような、エントロピーを操作するためだけにいる『現象』に過ぎない。奪うもの。生み出さないもの。
消費するだけの形式としてのみ存在する生――――ああ、それはなんと愚かしいものか。
「…………愚か、か……」
呟いて、ロクサスが見やったのは城の地下層だった。先ほどまでいた場所から深さ数十メートルといったところ。
鬼のお姉さんに途中まで案内してもらった次第である。なおセキを力づくで引っ張ったのは彼女が9割だったりする。
外の白い太陽光も通さない厚い岩盤に隔絶されているものの、そこは外とそう変わらない程度の明るさを持っていた。
ところどころに発光する水晶が刺さっているあたり、人工的な開発のあとが垣間見える。
否。開発のあとではない。目下開発中なのだ。
その証拠に、ロクサスの視線の先――――遥か深い地こ底きは、黒いものが蠢いている。列を成してせっせとせっせとバケツリレーの要領で削岩されたそれを運ぶのは、間違いなくハートレスだった。
「愚かにしては、ちゃんと働いてるじゃないか……」
支配者がしっかり支配してやればこういうもんか、とひとり納得するロクサス。隣ではセキが未だ放心状態だ。鬼のお姉さんの気配が随分遠のいたことはわかっているはずだが。
恐怖はなかなか乗り越えられないということか。
階段を降りていく。ハートレスが担いているのは瓦礫だ。すなわち破壊の跡である。であれば、すぐ最近に壊れた跡だとわかる。ハートレスは仕事が早いのだ。
ハートレスの流れを遡り、歩いていく。耳が時折、低いうなりのような音響で押される。なにかがこの先で起こっているのは間違いない。
ロクサスが走る。くぐもった音が剣戟に変わる。知らないリズム。知らない呼吸。なのに――――。
「俺……こいつを知ってる……?」
なのに――――どうして、胸が熱くなる?
知らないはずだ。しかし体のどこかの器官は色濃く伝える。『懐かしい』と。過ぎ去りし思い出を刺激する。約束の記憶をノックする。――――馬鹿な。あり得るはずがない。
俺たちは、俺は心を失った――――だからこそ誰でもない。『存在しないもの』ではなかったのか?
「ああ――――」
葛藤の果てに、ロクサスはようやくたどり着く。
音を手繰り、記憶を手繰り、最後には言葉にまで像を結んだ。
覚えのない名前を叫んだ。
相手も応じる。ロクサスの名前を呼ぶ。どこか懐かしい響きの声だった。
青い髪の女性は愛を囁くようにロクサスの肩に手を置いた。衝動が告げる。胸の奥が熱くなる。『こうすることは不思議なことではない』。そう教えてくれている。
「お、あれか? メリケンちっくな挨拶的なあれか? 愛情って言っても友愛っていうか、親愛の深さを表現するあれ?
ラブっていうよりライクの意味が強いけどヤっちゃうのか? 一発?」
……なのに。ものすごーく、残念な感じになった。
青髪の女性がじろりと睨み、またセキがぎょっと体を震わせた。まさしく蜂の巣をつついたリアクションである。さっきまで恐慌状態だったくせになぜ口を滑らせたんだあいつは。
「……ヴェン。あいつは?」
「えっ?いや……ヴェン?」
「彼の名前はロクサスだ。あんたこそ、いきなり出てきて偉そうに。なんだよその感動の再会っぽい雰囲気は。散々俺を無視しやがって。寂しいと死ぬんだぞ俺は」
――――そんな設定、はじめて聞いたが。
青髪の女性はまたむすっとして、手に握る――――青いキーブレードの剣尖をセキに向けた。
表情を崩さないセキだが、首から下のビビリ様は半端ではなく、まったく恐怖を隠せていない。
「あなた、ヴェンとはどういう関係?」
「…………まぁ、いい。後にしよう。俺のことはセキ・グレンでいい。呼び方は好きにしてくれ。その凡骨だの馬の骨だのと今すぐ言いだしそうな目は止めろ。泣くぞ。さすがに」
「じゃあ、セキ。あなたとヴェンとどういう関係?」
「彼はロクサスだ。その『うちの子とこんな悪そうなのがつるんでるなんて許せません』的な保護者ヅラもやめてくれ。
年頃の男の子にしてやる態度じゃあないぜ。……どれくらい、あんたが離ればなれだったのかは、知らないけれどさ」
「……!」
セキの言葉は彼女の心の脆い部分を正確に踏み抜いたらしい。
キーブレードが小刻みに震える。彼女の動揺が振動になっている。
一拍ほどの短い時間が流れた。息を呑む。その程度のことしかできない時間。
しかし、感情の意味に整理をつけるには十分な時間だった。
「…………そうね。正確なところ、私にもわからない。いったいどれくらい――――あれから、どのくらい経ったのか――――」
「いいから名乗れよ美人さん。適当にセクシーとかダイナマイツとかビューティーとかギャリソンとかニックネーム付けて呼んじゃうぞ」
「それはやめて。……アクアよ。これでいい?」
「グッド」
「それで。あなたは彼のなんなの?」
「……まぁ、話せば長くなるが――――」
「敵だ」
「そう、その形容が一番しっくりくる。さすがだなロクサス。俺たちは大の敵同士――――あれ」
「へぇ――――」
アクアのキーブレードが閃き、セキの体躯が10分の1くらいに萎縮したように錯覚した。涙で滲んだ眼光だけがやけに雄弁に語りかけてくる。
いわく――――てめぇさっきまで黙ってたくせになぜ今喋るさてはさっきからこれに合わせるためだけにタイミングを計ってやがったのかやりおるわはははこやつめきたないなさすが闇の住人きたない美人さんの胸に顔を埋めたままこっちをチラ見するのだけはマジでやめろ全てを失え――――とか。
「……まて。ぼくたちともだちじゃないか」
セキはがっくりとその場に膝をついた。意志力とハイライトを失った目を開き、敵愾心のかけらもない台詞を棒読みした。
アクアはその様をじっと見やる。その場を満たす嘘の雰囲気に舌鼓を打ち、ゆっくりと、キーブレードを下ろした。
「…………わかるわ。わかってる。この場所で一番場違いなのは私。嘘をついているのは――――いいえ、嘘にまみれているのは、私」
「お、おう……?」
「……そうね。私に本当のところはわからないのだけれど――――あなたからヘンな感じがするのは、間違いなさそうなのよねー?」
「なんですと……!?」
「ふふふふ。私としては彼の方を信じたいって気持ちの方が強いのだけれど。どうしようかなー。ふふふふ」
「こんなのってないよ……あんまりだよ……こんなの絶対おかしいよ……ウソだこんなことー!」
「ふふふふふふふふふふふふ」
「ふ、ふふ、ふぁっ、ふぁーっ!ふあああーっ!」
半ば発狂してセキはその場に崩れ落ちた。魂っぽい白煙を口から吐き出している。
あららとアクアは肩をすくめ、抱き寄せていたロクサスを離す。ひくひくと痙攣しているセキの頬を指先で突いたり、耳を引っ張ったりしてみるが、特別反応は見られない。
「ダメね、これ」
「再起不能か?」
「そっちはギリギリ。……でも、嘘はつけなさそう。心が弱いっていうより――――脆い人みたいね」
「それ、弱いのとどう違うんだ?」
「つまり余裕がない、っていうこと。予想外の力を受けると簡単に壊れてしまう。ガラスや裁縫針みたいな心……かな」
「俺もそう思う。時々、ゾクっとするほど強く輝く――――と思ったら、次の瞬間にはパッキリと折れている。そういうヤツだ」
「まるで蛍火みたいね。……ねぇ。それなら、あなたはいったい誰?」
アクアの問いかけにロクサスは押し黙った。1秒。2秒。3秒――――沈黙は続く。
やがて、ロクサスは伏せていた目をアクアに向けた。
「……わからないんだ」
「あなた自身、あなた自身がわからない。そういうこと?」
「そうだよ。俺は気がついた時からあの場所に――――名前もわからずに、ただ『存在』していたんだ。……ああ、そうさ。今こうしているのだって俺の意思じゃない。
流されて、連れられて、やっていることの意味だってわからない。
――――しょうがないだろ。俺は『誰でもない』んだから。俺の意味は『これ』だ。気付いた時から持っていた、たったのこれだけが俺なんだよ」
ロクサスは不意に右手にキーブレードを握っていた。自棄になってそれを投げ捨てる――――ものの、すぐにロクサスの手に戻っていく。
粒子に砕け、ロクサスの手の中で再構築されるのだ。投げても投げても律儀に戻るそれは、さながらボール遊びに夢中の子犬のようだった。
――――おそらく。
アクアはロクサスの疑問に全て答えられる。
キーブレードの意味。
それに選ばれた意味。
ロクサスというそのものの存在の意味。
だが、同時にそれがロクサスの救いにならない事も、よくわかっていた。
文章通りの真実に、いったいなんの意味があろうか。
今のロクサスに、その使命を遂行する完璧な『キーブレードマスター』に必要なのは『探求』ではない。
必要なのは未知を黒く塗りつぶす行為などでは決してない。
心構えだ。
覚悟。
決意。
絆。
希望。
夢。
襲い来る絶望に負けない、折れない心など現実的ではない。そんな都合のいい神様のような存在は人間ではない。即ち勇者ではない。勇者にはなり得ない。勇者であってはならない。
キーブレードマスターは世界を調律する者だ。無敵の心を持つ機械仕掛けの存在が、何故心を理解できようか。
調律とはあるべき姿に導くこと。世界を平穏にするもの。心の平穏を理解できない鋼の心に、キーブレードマスターは務まらない。
今、ロクサスに必要なのはキーブレードではない。真実でもない。
――――心を通わせることだ。気持ちを重ねることだ。
かつて友人たちとそうしたように。
アクアは、ロクサスと約束を交わすことにした。
「まずはここを出ましょうか。私もここになぜいるのかわからないのだけれど、ここを出れたら、どこかでゆっくりお話しない?こんな地下深いところじゃなくて、日の当たる場所で」
「……いいな、それ。けれど、出るのはちょっとまってくれないか」
「どうして?」
「約束があるんだ。さすがにそれくらいは守ってやらないと」
ロクサスは傍らで崩れるセキの肩を抱いて立たせた。ふらふらとおぼつかない足取りのセキの背中を叩く。
――――女の子を見つけるまでは協力。そういう約束なんだ。