KH 2-05
「……珍しい。いつもは客など皆無なのだがな」
玉座に腰掛け、闇の王は柱の陰に視線を飛ばす。そこは黒闇に塗りつぶされていた。生命はおろか、ハートレスの姿さえ見えない。
しかし闇の王はそこに『在る』として言葉を続けた。
「どうした? 余が謁見を許しているのだ。道化のひとつも演じてみせよ。それとも、その体は未だ満足に動かせないかな」
闇は動かない。闇の王はクスクスと笑った。
怪奇的な光景である。だがその笑い声の主であるところの闇の王は――――怪異さえ司る。魑魅魍魎さえ使役しているのだから。
その内包する雑多さ。網羅的な黒。闇の王の色は純黒ではない。混沌なのだろう。
「よろしい。私も貴様の奇怪な言動は聞き及んでいる。……正直、好いているといってもいい。貴様の心がけ次第ではあるが、望むなら客人として丁重にもてなそう」
肘掛に肘を立て、頬杖をつく闇の王。目を細め、にたりと笑う。
「――――して。道化よ。この俺に何用だ?よもやおまえのようなものが近くに来たから挨拶に寄ったなどということはあるまいに。
……あまりこの俺を買い被るなよ。腹の知れぬ人間など、いるはずもないが……事もあろうに貴様は、そのヘドロのような汚物にまみれた心に首を突っ込めというのか?
この俺に? ……道化、ここに極まるな。正気でそう抜かしているなら瞬時に素粒子単位に分解してやるところだが……。
まぁ、良い。悪くない余興だ。つまらぬ機微で俺の機嫌を損ねるなよ。貴様の弁明を許す。虚飾の一切は無為と知れ。貴様のような小姓、この俺と剣戟のひとつを交わす間も無く散るものと思え」
闇が揺れる。陽炎のようなゆらめき。
それは返答だった。闇の王ともなれば直に意思を伝えたかのように、一切の誤解なくそれを受信した。
反芻し、口端を歪め――――所詮は下郎と吐き捨てる。
「貴様の趣味趣向にはさして共感も理解もできないが……良い。演目として観る分にはな。――――では、肉を与える。謹んで貪れよ」
「うっ……」
意図せずうめき声が漏れる。ソラはゆっくりと上体を起こした。
倒れている。/いつから?どうして?
暗い。まわりはまるで見えない。/どこだ?また別の場所に連れてこられたのか?
記憶の糸の終端にまで遡る。途切れ目の断面をまじまじと観察する。
――――リク。【無貌の王】。『人の心のキーブレード』。
かつてソラ自身がそうしたように、リクもあのキーブレードに貫かれ、そして。
「リクっ……!?」
ハッとしてソラは声を張り上げた。リクが闇に呑まれていた。リクの闇。それが意味するものをソラは知っている。
手探りに周囲を探しても、なにもなかった。リクはいない。少なくともこの近くにはいないようだ。
ではどこに?
天地もあやふやになりながらもソラは立ち上がった。一寸先さえ見えない空間に足を踏み出し、真黒の中で目を細めた。
リクは――――どこだ?
放って置けない。無視して置けない。リクの安否がどうしても気になる。
心が闇に飲まれる恐怖をソラは知っている。――――もちろんそうだ。
ただ単純に親友だから。――――しかしそれだけではない。
一抹の不安にかられていた。
焦り。恐れ。どす黒く重い不燃物は鈍く心を灼いていく。
それは周囲の闇暗に溶けていく。一寸先さえ見えないこの場所は不安の種を育てる最良の土壌だ。芽が生え、蔓が伸び、ソラの心を絡め取って。
「助けてやろうか?」
闇の華が、けたけたと笑う。金色の瞳がギラリと輝く。その質感。冷たく、しかし不思議な落ち着きを与える。
そう。――――そうだ。
ソラは知っている。この魔力の意味を。
闇の誘惑。かつて、リクを絡め取ったもの。
「リクを……どうした!」
「――――鳥かごの外の青い空を求めた少年は、その飽くなき希望が倦怠に変わることを恐れたのだ。希望が腐り落ち、絶望の深淵に落ちる前に――――必死に希望に追いすがった。
私はその救いを求める手を取っただけだ。なにか、問題が、あるかな?」
「ある!おおありだ!」
「それはおまえの理屈だよ、光の勇者。なんのリスクも負わず、ただ欲しいものをねだるだけの人間が、果たして何を成し遂げられる?――――それは、至極、子供の論理だ」
「それでも!騙すような真似をして人の……リクの……俺逹の願いを食い物にしたおまえが!正しい大人なんかじゃあ、絶対ない!」
「己の願い、己の欲望、己の罪。その重さから目を背け、群がり、虚ろな栄光にすがる弱い心。……偶像の光を抱いて、闇の海に沈むが相応しい」
「こいつ……!」
ひたすらに平行線を伸ばし続ける両者の会話。
痺れを切らして行動に走ったのはほとんど同時だった。
ソラのキーブレードが闇を斬り裂いた。闇に浮かんでいた金色の双眸は弾け飛んだ。視界を覆う黒が霧散していく。
後には、ソラと――――リクが、横たわっているだけだ。
「リク!」
駆け寄り、リクを抱き起こす。肩を揺すり、声を掛ける。
リクは薄っすらと目を開き――――動かない。
「どうしてっ……!」
「それは――――奪われてしまったから。記憶を」
声が耳を刺した。視線を走らせた先には、黒ずくめの人影がある。
先にセキが追いかけた影と同じ意匠の着衣だ。
イコール、ソラをこの世界に導いた人影とも同じ姿をしている、ということになる。
「記憶……?」
「心は記憶のくさびで繋がれているから。記憶がひとつひとつのかけらを鎖で繋いだネックレスなら、心は記憶を輝かせる宝石。ネックレスが宝石にくさびを打って形を作っているの」
「なにを……言ってるんだ?」
「わかるでしょう?あなたなら。。……誰よりもつながりを大事にするあなたなら、それを奪われることの怖さも、よくわかるはず」
「それは――――」
思い出す。
友だちとはぐれてしまったとき。ハートレスになったとき。リクが敵になってしまったとき。闇の淵に沈んだとき。
そのときに、ソラの心を繋ぎ止めたのは? ――――言うまでもない。
それこそがソラの力。この世で最も強い武器に他ならない。
そして、リクがされたのは、その『繋ぎ止めるはずのもの』を奪われる行為なのだ。
「なら……取り戻してやらなくちゃ」
「立ち向かうの? あの闇と?」
「もちろん。俺とリクの絆を奪わせたままになんかしておけない」
「……」
「わかるだろ? お前ならさ。……これ。……えっと、『返し……て』?くれたけど、これを持っていたお前ならさ」
ソラが取り出したのはサラサ貝のお守りだった。
返すと言われたこれは、既にソラが所持していたカイリのお守りと瓜二つのものだった。
彼女がソラに残したこれは、ソラとカイリの約束を示したお守りではない。
――――それでも。そこに込められた願いと祈りは同じもののはずだ。受け取った彼女もまた、手渡された誰かの願いに応えて誓ったはずなのだ。その純粋な希望の光を……心のつながりを、感じているはずなのだ。
だからこそ、彼女はキーブレードとともにこれをソラに『返した』。その行為の全ての意味をまだソラは理解できていない。けれど、このお守りに込められた光を感じられない人間が、そんなことをするとは思えない。
「なあ。協力、してくれないか?」
「私に?」
「ダメか?」
「……いいの?」
「もちろん」
ソラは手を差し伸べた。黒ずくめの人影は胸まで手を持ち上げて、しかしソラの手を取ることに躊躇した。
頭を左右に振る。コートのシルバーアクセサリーが揺れる。目深に被ったフードの奥から震えた唇が見えた。
「私は、あなたに……酷いことを……あなたとロクサスに……」
「ロクサス?」
「ダメなの。このままじゃダメなの。……こんなはずじゃなかった……これは、ただの願いだったのに……。どうしてっ……」
黒いグローブで包まれた指先も、黒コートを掛ける肩もかたかたと震えている。
恐怖している。
それがどうしてかなど、ソラにはわからない。
それでも、やるべきことはわかる。
この人を独りにさせてはおけない。
誰かが手を繋いであげないと。この暗闇の城に呑み込まれ、あっという間に姿を消してしまいそうで。
ソラは手を伸ばす。
影は指の間をすり抜ける。
「ごめんなさい……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
きっと、あなたを元の世界に戻してあげるから。私が解く。この呪いを」
「待て……待って!」
人影は消える。ソラの手を置いて、風になって去っていく。
ソラの声が、白い部屋に残響した。
玉座に腰掛け、闇の王は柱の陰に視線を飛ばす。そこは黒闇に塗りつぶされていた。生命はおろか、ハートレスの姿さえ見えない。
しかし闇の王はそこに『在る』として言葉を続けた。
「どうした? 余が謁見を許しているのだ。道化のひとつも演じてみせよ。それとも、その体は未だ満足に動かせないかな」
闇は動かない。闇の王はクスクスと笑った。
怪奇的な光景である。だがその笑い声の主であるところの闇の王は――――怪異さえ司る。魑魅魍魎さえ使役しているのだから。
その内包する雑多さ。網羅的な黒。闇の王の色は純黒ではない。混沌なのだろう。
「よろしい。私も貴様の奇怪な言動は聞き及んでいる。……正直、好いているといってもいい。貴様の心がけ次第ではあるが、望むなら客人として丁重にもてなそう」
肘掛に肘を立て、頬杖をつく闇の王。目を細め、にたりと笑う。
「――――して。道化よ。この俺に何用だ?よもやおまえのようなものが近くに来たから挨拶に寄ったなどということはあるまいに。
……あまりこの俺を買い被るなよ。腹の知れぬ人間など、いるはずもないが……事もあろうに貴様は、そのヘドロのような汚物にまみれた心に首を突っ込めというのか?
この俺に? ……道化、ここに極まるな。正気でそう抜かしているなら瞬時に素粒子単位に分解してやるところだが……。
まぁ、良い。悪くない余興だ。つまらぬ機微で俺の機嫌を損ねるなよ。貴様の弁明を許す。虚飾の一切は無為と知れ。貴様のような小姓、この俺と剣戟のひとつを交わす間も無く散るものと思え」
闇が揺れる。陽炎のようなゆらめき。
それは返答だった。闇の王ともなれば直に意思を伝えたかのように、一切の誤解なくそれを受信した。
反芻し、口端を歪め――――所詮は下郎と吐き捨てる。
「貴様の趣味趣向にはさして共感も理解もできないが……良い。演目として観る分にはな。――――では、肉を与える。謹んで貪れよ」
「うっ……」
意図せずうめき声が漏れる。ソラはゆっくりと上体を起こした。
倒れている。/いつから?どうして?
暗い。まわりはまるで見えない。/どこだ?また別の場所に連れてこられたのか?
記憶の糸の終端にまで遡る。途切れ目の断面をまじまじと観察する。
――――リク。【無貌の王】。『人の心のキーブレード』。
かつてソラ自身がそうしたように、リクもあのキーブレードに貫かれ、そして。
「リクっ……!?」
ハッとしてソラは声を張り上げた。リクが闇に呑まれていた。リクの闇。それが意味するものをソラは知っている。
手探りに周囲を探しても、なにもなかった。リクはいない。少なくともこの近くにはいないようだ。
ではどこに?
天地もあやふやになりながらもソラは立ち上がった。一寸先さえ見えない空間に足を踏み出し、真黒の中で目を細めた。
リクは――――どこだ?
放って置けない。無視して置けない。リクの安否がどうしても気になる。
心が闇に飲まれる恐怖をソラは知っている。――――もちろんそうだ。
ただ単純に親友だから。――――しかしそれだけではない。
一抹の不安にかられていた。
焦り。恐れ。どす黒く重い不燃物は鈍く心を灼いていく。
それは周囲の闇暗に溶けていく。一寸先さえ見えないこの場所は不安の種を育てる最良の土壌だ。芽が生え、蔓が伸び、ソラの心を絡め取って。
「助けてやろうか?」
闇の華が、けたけたと笑う。金色の瞳がギラリと輝く。その質感。冷たく、しかし不思議な落ち着きを与える。
そう。――――そうだ。
ソラは知っている。この魔力の意味を。
闇の誘惑。かつて、リクを絡め取ったもの。
「リクを……どうした!」
「――――鳥かごの外の青い空を求めた少年は、その飽くなき希望が倦怠に変わることを恐れたのだ。希望が腐り落ち、絶望の深淵に落ちる前に――――必死に希望に追いすがった。
私はその救いを求める手を取っただけだ。なにか、問題が、あるかな?」
「ある!おおありだ!」
「それはおまえの理屈だよ、光の勇者。なんのリスクも負わず、ただ欲しいものをねだるだけの人間が、果たして何を成し遂げられる?――――それは、至極、子供の論理だ」
「それでも!騙すような真似をして人の……リクの……俺逹の願いを食い物にしたおまえが!正しい大人なんかじゃあ、絶対ない!」
「己の願い、己の欲望、己の罪。その重さから目を背け、群がり、虚ろな栄光にすがる弱い心。……偶像の光を抱いて、闇の海に沈むが相応しい」
「こいつ……!」
ひたすらに平行線を伸ばし続ける両者の会話。
痺れを切らして行動に走ったのはほとんど同時だった。
ソラのキーブレードが闇を斬り裂いた。闇に浮かんでいた金色の双眸は弾け飛んだ。視界を覆う黒が霧散していく。
後には、ソラと――――リクが、横たわっているだけだ。
「リク!」
駆け寄り、リクを抱き起こす。肩を揺すり、声を掛ける。
リクは薄っすらと目を開き――――動かない。
「どうしてっ……!」
「それは――――奪われてしまったから。記憶を」
声が耳を刺した。視線を走らせた先には、黒ずくめの人影がある。
先にセキが追いかけた影と同じ意匠の着衣だ。
イコール、ソラをこの世界に導いた人影とも同じ姿をしている、ということになる。
「記憶……?」
「心は記憶のくさびで繋がれているから。記憶がひとつひとつのかけらを鎖で繋いだネックレスなら、心は記憶を輝かせる宝石。ネックレスが宝石にくさびを打って形を作っているの」
「なにを……言ってるんだ?」
「わかるでしょう?あなたなら。。……誰よりもつながりを大事にするあなたなら、それを奪われることの怖さも、よくわかるはず」
「それは――――」
思い出す。
友だちとはぐれてしまったとき。ハートレスになったとき。リクが敵になってしまったとき。闇の淵に沈んだとき。
そのときに、ソラの心を繋ぎ止めたのは? ――――言うまでもない。
それこそがソラの力。この世で最も強い武器に他ならない。
そして、リクがされたのは、その『繋ぎ止めるはずのもの』を奪われる行為なのだ。
「なら……取り戻してやらなくちゃ」
「立ち向かうの? あの闇と?」
「もちろん。俺とリクの絆を奪わせたままになんかしておけない」
「……」
「わかるだろ? お前ならさ。……これ。……えっと、『返し……て』?くれたけど、これを持っていたお前ならさ」
ソラが取り出したのはサラサ貝のお守りだった。
返すと言われたこれは、既にソラが所持していたカイリのお守りと瓜二つのものだった。
彼女がソラに残したこれは、ソラとカイリの約束を示したお守りではない。
――――それでも。そこに込められた願いと祈りは同じもののはずだ。受け取った彼女もまた、手渡された誰かの願いに応えて誓ったはずなのだ。その純粋な希望の光を……心のつながりを、感じているはずなのだ。
だからこそ、彼女はキーブレードとともにこれをソラに『返した』。その行為の全ての意味をまだソラは理解できていない。けれど、このお守りに込められた光を感じられない人間が、そんなことをするとは思えない。
「なあ。協力、してくれないか?」
「私に?」
「ダメか?」
「……いいの?」
「もちろん」
ソラは手を差し伸べた。黒ずくめの人影は胸まで手を持ち上げて、しかしソラの手を取ることに躊躇した。
頭を左右に振る。コートのシルバーアクセサリーが揺れる。目深に被ったフードの奥から震えた唇が見えた。
「私は、あなたに……酷いことを……あなたとロクサスに……」
「ロクサス?」
「ダメなの。このままじゃダメなの。……こんなはずじゃなかった……これは、ただの願いだったのに……。どうしてっ……」
黒いグローブで包まれた指先も、黒コートを掛ける肩もかたかたと震えている。
恐怖している。
それがどうしてかなど、ソラにはわからない。
それでも、やるべきことはわかる。
この人を独りにさせてはおけない。
誰かが手を繋いであげないと。この暗闇の城に呑み込まれ、あっという間に姿を消してしまいそうで。
ソラは手を伸ばす。
影は指の間をすり抜ける。
「ごめんなさい……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
きっと、あなたを元の世界に戻してあげるから。私が解く。この呪いを」
「待て……待って!」
人影は消える。ソラの手を置いて、風になって去っていく。
ソラの声が、白い部屋に残響した。