KH 3-02
炎の魔人が両腕を鞭にする。周囲の壁に黒い焦げを何条も焼き付け、ソラとロクサスを肉薄した。
その先はゆうに音速を超え、肉眼ではおよそ捉えきれない。しかし炎の魔人の肩の動きから軌道を読むことは可能だ。
この炎の魔人は、人間だった。その名残が、ソラとロクサスに活路を与えていた。
炎の鞭をかいくぐる。インファイトに持ち込んだ。遠距離攻撃は鞭のために阻まれていたが、この距離ならばキーブレードでの打撃が有効だ。
右肩に一撃。炎の右腕が火の粉を巻いて消滅した。
続いて左肩、左大腿部。左腕と両足が消え失せる。熱を吐きつけてきた頭部も切り落とした。
残る胴体――――核と思しき少年の殻が残った部分がある。
しかし、炎の魔人はしぶとかった。
胴体からまた手足を生やす。しかしもはやそれは人の手とも足とも区別がつかない。細く、とても体を保持できない。
二足では倒れ、手足をついた四足でも足りず、追加でもう四本を生やしてようやく自立した。足は震えている。その様は子鹿か、瀕死の蜘蛛だった。
「……やめろ……」
ソラは叫んだ。未だ敗走の意思を示さない炎の魔人――――その奥で眠る、セキ・グレンに向けて。
「いいだろ、もう! なんだよ……怖いくせに、本当は嫌なくせに! どうしてこんなことするんだよ!?
思い出せよ! たとえ闇の底に沈んだって、できるはずだ! 本当に大事なことは……大切な人だったら!」
セキ・グレンは――――もはや蟲に成り下がった炎の魔人は、答えない。
よろよろとソラに向かい、頭から炎の糸を吐きつけた。ソラの両腕を縛る。
炎の糸がじりじりと蟲に引かれていく。それに堪えるソラの表情は、険しい。
「…………それともさ、本当は違うのか? お前のヒスイを助けたいって思いは、結局誰かに押し付けられたものだったのか?」
セキ・グレンは答えない。
ソラは歯を噛んで俯いた。ソラと蟲が近づき、蟲の牙がソラの髪に触れた。
「――――ッ!」
ロクサスが、動いた。
キーブレードが蟲の糸と足を斬り裂いた。胴体が残り、セキ・グレンだったものは炎の中で仰向けに倒れた。
ソラはキーブレードを胴体に走らせた。炎が、掻き消える。
セキ・グレンだったものの胸の穴に炎が未だ残っている。やはり、セキ・グレンこそ炎の魔人のコアなのだろう。
セキ・グレンを斬らねば終わらない。
「……俺たちにこれ以上どうしようがある?」
はじめに「消してやる」と宣言したロクサスは、ソラに語る。
「目覚めないんだ……もう起きないんだよ、そいつは! 都合のいい希望にすがるな! 光に殺されるぞ……!?」
それをソラは、ただ聞いていた。
そして決断する。
ソラは倒れるセキ・グレンめがけて踏み込んだ。
思い切り、打ち込む。
「このっ……馬鹿野郎!」
「――――いや……これでいい」
キーブレードを突き刺したソラに、セキは耳打ちした。
ソラの手に触れて、なにかを渡した。
赤く、淡く、暖かな光。――――ソラは直感した。
人の心だ。
「これ……ヒスイちゃんに」
「なんで……!?」
「なかった。これしか……わるい……こんなに近くにいた、なん――て――――」
言葉を置いて、セキ・グレンは消滅した。
途端に歓声が場を満たす。
無貌の王だ。様々な声色で、様々な意図で、様々な言語で賛美を送っていた。
「――――いや、素晴らしい。思いの外苦戦したようだが……勇者の質も落ちたか?」
「おまええええええええ!!」
斬りかかろうとするソラの肩を掴み、ロクサスが後方へと押しやった。
ソラの尻餅に一瞥も返さず、ロクサスはキーブレードを握り直した。
「なにを……!」
「預かってるものがあるんだろ? おまえはそれをどうにかするのが先だ」
「でも……!」
「あいつの願いを、叶えてやれ。……せめて、それまで呪いに変わってしまわない内に」
ロクサスの言葉は落ち着いていた。抑揚のない台詞だったが、ひどく重みがあった。ソラに有無を言わせる強さがこもっていた。
ソラはそれに従った。受け取った心を握り、リクとヒスイを肩に背負い、自力で横転から復活したビビに乗り込んだ。
ビビは走る。
ロクサスを置いて。
ソラを乗せて。
「そうだ、行け。そいつを連れて、遠くにいっちまえ」
「……そろそろ、いいかな?」
「なぜ待ってた?」
「そも、私には君を打破する理由は特別にない。闇の住人である君はこの城の秩序を壊そうとはしないさ」
「……俺が戦おうとしない限り?」
「そうだ。俺におまえを倒して利益はない。放置するメリットも……まぁ、ささやかな愉悦を味わえる程度だ。そして、俺も少々、時間が惜しくなってきた。用がないなら帰らせてもらうが?」
「バカにするな……!」
「していないさ。私がこうして正面から、それも受け身の姿勢で事に臨んでいるのだぞ?
品性のない害虫が相手なのであれば、こうはしない。不意打ち、闇討ち、騙し討ち……手段など選ばんな。
頂点を頂くものらしく、他人任せの物量で押し切り、おまえらが死に絶えるのをワインでも傾けながら待っているさ」
――――こうして前に出てきているのは、敬意の証だ。受け継がれたモノへのな。
散々こちらを虫けら扱いし続けた無貌の王は、そう言った。そのキーブレードだけは認めていると。
「……信じられないな」
「それはてめーで勝手に決めな。……それともマスター様の経験談なら信じるか?ん?」
無貌の王が背後を示す。黒い繭が、そこにはあった。その意味を考えあぐねるうちに亀裂が走り、中身は羽化する。
アクアだ。