KH 3-03
「…………なに……? いまの……」
「えー? あたしぃ、あーたのオネガイかなえてあげただっけだしぃー? なんていうかぁ、イミワカンナイー」
「…………いい加減、コロコロ話し方変えんのやめてもらえる?」
「うふふふ。ごめんあそばせ。下々のものの喋り方って、わたしよくわかりませんのよ。うふふふ」
「……ぶっとばしてさしあげたいわぁ」
「アクア、こらえて」
「あー!ねーちゃんなんかすっげー怒ってるー!だっせーの!ぐへへへへ」
「…………ッ!」
アクアは顔を伏せた。震える肩。固く結ばれた拳。……それが、ゆっくりと開いていく。
「…………あの闇の中で、私は確かにマスター・ゼアノートを感じたわ。……どういうこと?」
「そうだ。冷静に感覚を反芻しろ。重要なのは繰り返しだ。記憶を読み返し、感覚を心に転写しろ。……なにせ、おまえの求めるその男の心象はおまえの中にしかないのだ」
「え……?」
「疑問に思うな。意識を研ぎ澄ませ。心に手を生やせ。……できるだろう?そのキーブレードを持つ真なるマスターならば」
無貌の王に諭され、アクアは躊躇いがちに頷いた。
キーブレードを握る。両手に受け継がれたモノを掴み、自身のイメージを心の奥深くで像に結ぶ。
――――小さな息遣いが、闇の深淵まで、しんしんととけていく。
「……さて。彷徨える我が闇の住人よ。おまえの疑問にも答えようか?」
「え?」
「このキーブレードマスターが戻るまで暇だろう。それとも、先ほどの続きをやるか? そのとっておきのトゥー・ハンドで」
唐突な無貌の王の言葉にロクサスは目を見開いた。
キーブレードの二刀流。ソラを送り出した理由の一つだ。
いつの頃からかは――――不思議と記憶が曖昧だが、ロクサスはキーブレードを二刀操ることができる。
この世界では未だ一度も披露していない。ロクサスの隠し玉のひとつだ。
それを見透かしていたというのだ。――――何故? どうやって?
「わかるさ。私にわからないことはない。…………しかし、ナンセンスだ」
「なにがさ」
「おまえの疑問は、実につまらん」
「なんだと……!?」
目を見開いたロクサスの前に人差し指を立て、無貌の王は言った。心底つまらなそうな表情だった。
「Q.E.D.《存在証明》など、この俺がこうだと正解を与えてやってもつまらんだろう。正解とは、すなわち本質だ。
おまえの根、おまえの基、おまえの素、おまえの祖。おまえのルーツ。
そこから育ち、巣立ったおまえとはイコールで結ばれぬもの。
言うであろう? 『我思う 故に我在り』――――すなわち、想い描いた姿にヒトは在るということだ。それが正解の……本質の否定であれ、それはおまえだ。誰にも壊せぬ。
なぜなら、本質を否定したおまえこそがおまえなのだ。そこでは矛盾というロジックエラーは無視される。
天命の奴隷だったおまえの物語は完結し、その矛盾さえ内包した……本質に、正道に、法則に、真理に、運命に抗うヒトの物語となるのだからな」
「……その正しさは、誰が決めるんだ?」
「誰でも良いさ。どうでもいい。知る必要さえない。世界は……少なくともこの境界線上以外では、一人の王が統べる正しさが絶対というわけではないようだからな」
まったく――――つまらんだろう。
無貌の王の言葉はそう締め括られた。
詭弁だった。ただの自己肯定とそれを正当化する論理武装。最後は思考停止で強引にまとめている。
しかしどうして、無貌の王の言葉は背中を押した。
心を持つヒトだから考える。
考えることでヒトは作られる。
であれば、心次第、考え次第でヒトは変わる。
散々ロクサスを悩ませてきた自分やキーブレードの意味を嘲笑する姿勢には少なからず腹も立ったが――――それを是するのも非とするのもまた、心次第なのだ。
「好きなようにすればいい」。突き放した言葉の中には、奇妙な温かみさえ感じる肯定が込められていた。
「さて。では再度、確認をしようか。我が愛すべき闇の住人よ。――――どうする? 友人をおもちゃにされた恨みを私に返すのかな?」
「……それは…………後回しだ。アクア一緒にあいつと合流したあとだ」
「実力差は理解しているようだな」
「バカにするな。あいつだって、おまえに怒ってるんだ。俺一人で、それを晴らすわけにはいかないだろ」
「まったく……飽きないな。何百何千と繰り返しても、お前たちのような強い心と対峙するのは心が躍る。なぁ、そう思わないか?」
無貌の王が目を向ける。ふらり。アクアが身を乗り出して。
スムースにキーブレードが走った。物理的な障害の一切を無視して無貌の王の心奥を貫いた。
「………………あ?」
ぼんやりとした顔で無貌の王は自分の胸を突き刺したキーブレードに視線を落とした。
まるでぶつかった拍子にソフトクリームを押し付けられたかのようなリアクション。それくらいなんともないような調子。
次の瞬間、無貌の王の顔が大きく歪んだ。歯の間から消え入るような悲鳴が漏れ出て。
――――消えた。
逃亡――――とは違う。
闇の回廊のような手段を用いたにしては、あまりにも――――あまりにも、直前に伝わったイメージと矛盾する。
砂の器のように風にあおられて消えていくイメージ。正真正銘、死と消滅の感覚。
「アクア……?」
ロクサスが呼ぶ。顔を上げたアクアの目は、満月のような金色。
知っている。ロクサスはこの目を知っている。
アクアではない。あの男の目。
名無しの『存在しないもの』にソレを与えた男。
「鍵は……揃った」
アクアだったものが呟く。周囲に闇が波打ち、黒い卵が産み落とされた。
音もなく殻は割れ、中からヒトガタの存在が歩み、出でる。
いずれもいずれも浅黒い肌。そしてその双眸の金色だけがギラギラと光っている。
ロクサスはぐるりと周囲を見渡した。金色の気配。超然的な雰囲気。その数――――6。
「こうして集えたことを、まずは喜ぶとしよう」
「自明ではあったがな。因子は惹かれ合う。欠けた心を埋めるように、再結合《リユニオン》をめざす」
「我ら六貌……面白い奇縁で結ばれたようだが、目的は覚えているか?」
「無論だ。しかし因子は持っているか?」
「それは疑問だな。いつの世にも勇者は集う。扉を開き、時流を浮かび、我らが前に立つ。……皆、そうではなかったか?」
「私は問題ない。私の因子は彼そのものだ。素養に難はあるが、まぁ問題あるまい?」
唐突に出てきたと思ったら揃いも揃って無視である。ロクサスは不快感をあらわにした。
……否。そうではない。クリティカルな問題では。
「…………おまえらは、なんだ?」
直感はしていた。『六貌』と形容していた彼らだ。おそらく、ロクサスとは違う意味で『存在を許されない』――――6人全員、同一人物。
「おまえの予感は正しい。さすがだ、我がキーブレードの勇者」
「ふざけるな……俺の心は俺のものだ!おまえのものになった覚えはない!」
「良い……良い。おまえの問いに答えよう」
浅黒く肌を変色させ、色が抜けた髪をかきあげ、アクアだったものが目を細めた。
「我々はひとつだった。しかし目的のためにその身を引き裂き、いくつかに分かれたのだ」
「ある時はキーブレードを携えた勇者となって」
「ある時は記憶を封じて機を伺い」
「ある時は未熟な戦士を導く指導者となって」
「ある時は傀儡を用意し」
「ある時は心に寄生し身を潜め」
「ある時は亡霊に堕ちてまで――――全ては、このために」
一人が、ロクサスの頭蓋を掴んだ。
目の前が真っ暗になった。ぐるりと自意識が反転する。
意識が、真っ暗闇に落ちていく――――。